第215話 大事な記憶
「リーフ、行こ」
「了承。十分で戻る」
「気を付けてねー」
「いや待て待て待て待て」
凄まじく不安そうな顔をわたしに向けていたフロムだったが、我に返ってリーフの襟首を掴んだ。
「疑問。フロム様、何故止める?」
「そちらは帝国の騎士が務める話になっている。だからお前は行かんで良い」
「反論、ウチがやったほうが百倍速い」
「まあ、うん、そうだろうがな?一応我々騎士にも面子というものがあり、あまり反乱分子をお前にばかり狩らせるわけには行かんのだ」
「面倒。政治は分からない」
しぶしぶといった風だったが、リーフはフロムの言うことに従い、ノア様の横に戻った。
「というわけだ。手数だが、ステア君の盗んだ情報を頂けるかね?」
「ステア」
「ん」
「む……なるほど。相変わらず便利な魔法だ」
「よろしく」
「うむ、任せておいてくれ。見えている顔に心当たりがある、やはり赤銅兵団の連中のようだ」
「ランドの部下ですか。そういえば、四傑ってこの後どうなるんです?二人死亡、リーフは我々と一緒にいるので、あなたしかいませんが」
「実はワシも騎士職は降りているのだ。どこかの誰かがしばらくワシの魔法を封じてくれていたおかげで、弱体化してしまっていたのでな」
うちのステアのことですね。
「しかも『皇衛』四傑なのに、その守るべき皇帝がもういないもんな。あんたの紅蓮兵団はともかく、トップがいねえ翡翠、群青、赤銅兵団はどうなるんだ?」
「赤銅兵団の連中は『今すぐにノアマリー・ティアライトとその側近を処刑しろ』と騒いでいる者が多い。それだけの被害を受けているからな。騒いでいるだけならまだいいが、この連中のように君の命をしびれを切らして狙っている者もまだまだいるだろう」
「お嬢様の命を狙う兵団ですか……お嬢様、殲滅の許可を」
「オトハ、手伝う」
「やめなさいノア様狂信者ズ」
「ああ勘弁してくれ、あれでも戦争で疲弊した我が国にとっては重要な戦力なのだ、こちらで何とかする。続いて群青兵団だが、こちらも君達や王国軍、傭兵などに多少被害を受けてはいるものの、赤銅兵団ほどではないためか過激な思想を持つ者は少ない。故に解体し、翡翠兵団と紅蓮兵団に半分ずつ吸収させるつもりだ」
「なるほど」
「翡翠兵団に関しては……まあ、あやつらはほぼ全員がリーフの強さや可憐な見た目に心酔して入団したリーフのファンだからな。リーフが生きている以上、たまにお前が顔を出してやれば暴走せずにワシの言うことを聞いてくれるだろう」
「翡翠兵団ってそんな不埒な目的の奴ばっかなんですか?」
「ああ、中にはリーフを倒すことを目標にしているような向上心の塊もいるほどだ」
《落雷魔法》のことは一般には知られていないとはいえ、なんて無謀な目標設定だ。
「紅蓮兵団に関してはワシの直轄、どうとでもなる。したがって現在厄介を抱えているのは、やはり赤銅兵団だけということだ。しかし幸いと言っては不謹慎だが、君たちが赤銅の精鋭クラスを殲滅したせいで彼らに主力はいないも同然だ。暴走しても簡単に抑えられる」
「それはなにより。私たちが全神国に行っている間に何とかしておいてくれると嬉しいわね」
僅かに混ぜられた嫌味を華麗にシカトしたノア様は、爪をいじりながらずっとどうでも良さそうにしている。
興味ないことにはとことん興味がない人ってたまにいるが、この人みたいに他人の生死すらどうでもいいというレベルも珍しい。
「で、全神国への船は?」
「明後日には用意していただけるそうです。全神国へ直接渡航することは出来ませんので、お隣の国に密航します」
「密航?」
「ディオティリオ帝国は侵略国家ですよ。友好関係を築いている国も少なく、今回の目的地の国とも交易はありません。さらに、帝国が王国を飲み込んで光魔術師ノア様を手に入れたという話は既に各国に伝わっているはずです、普通に行ってノア様が堂々と降りていったらおかしいでしょう。敗戦国の光魔術師なんて、普通に考えて監禁して戦争の道具にするとか、そういう扱いですからね」
「だから密航ってわけね」
「はい。船は小さめのものを用意していただき、更に海賊行為で捕らえられた死刑囚を数人用意していただきます」
「なるほど。そいつらをステアが操って船を動かすためにこき使い」
「港が見えてきたらルシアスの転移なりリーフの風纏いなりで上陸し、目撃者はステアに記憶を消させ、船は囚人ごと沈めれば証拠は残らないって寸法ですわね」
「そういうことです。我ながら完璧な策でしょう」
「クロ、すごい」
「……嘆息。ノア、あなたのド外道が側近にうつっている」
「素晴らしいわね、やっぱりこれくらいぶっ飛んでないと私の側近は務まらないわ」
もっとも、わたしもノア様同様、仲間以外の生死なんて知ったことではないが。
「じゃあ明後日まで暇ね。『まーじゃん』でもやる?」
「あのやったらクロが強い運ゲーか?あれ、ルールややこしくて苦手なんだよなあ」
「わたし、すき」
「本来は、ステアくらいの年齢の子がやるゲームじゃないんですけどね。それにわたしも記憶が虫食いなので、点数計算とか一部の役とかはてきとうですよ」
「クロさんって、前世の享年十四歳って言ってなかったか?ステアと大して変わらないじゃん、なんで知ってたんだ」
「かつての世界では、手軽な違法賭博として真っ先に名前が挙がるくらい賭けの対象になっているゲームなんですよ。だから父親が失業して間もない頃に叩き込まれました。主にイカサマを」
「え」
「最初に父親がわざとちょっと敗けて、電話のふりをして店を出てわたしに代打ちさせるんです。子供がイカサマするなんて思いませんから、すり替え、四枚ぶっこ抜き、拾い、やりたい放題でした。あれでいくら稼ぎましたかね。もっともその勝ち分のお金はすべて父親の別のギャンブルに消え、その度にまたわたしを使ってギャンブル代を麻雀で稼ぐ無限ループです。五回目くらいにさすがにばれて、父親はボコボコにされて店をたたき出されたんですが、ばれたのをわたしのせいにされて殴られ蹴られ、腫れが引くまで学校に行けなくなり、やっと行けるようになったと思ったら借金踏み倒すために夜逃げする羽目になって……」
「聞けば聞くほど地獄みたいな人生送ってたのねあなた」
「驚愕、ウチの愚父が可愛く見えるくらいの邪悪な親」
ノア様が面白くなさそうな声で呟き、リーフも同情するように声をかけてくれた。
わたしにとってはもう遥か過去の出来事なので何とも思ってはいないし、むしろノア様に出会う間接的なきっかけと言えなくもないので、そこに限った話なら感謝しているくらいだが、傍から聞くと我ながら壮絶な人生を歩んでいた。
しかし、その壮絶さもきっと半分以上忘れているんだろう。
―――最近気づいた。
わたしの記憶に残っているのは、どうでもいい記憶ばかりだということに。
学校に通っていた時のことは、授業内容なら覚えているのに、どうやって過ごしていたのかは覚えていない。
どこに住んでたかは覚えているのに、どんな場所で遊んだかは覚えていない。
親の名前と顔は覚えているのに、自分の顔と名前は憶えていない。
友達のことも、そもそも友達がいたのかも、何が好きだったのかも、何が嫌いだったのかも、自分の誕生日すら記憶にない。
だからわたしは、一つの仮説を立てた。
自分はもしかしたら―――大切な記憶ほど忘れてしまっているのではないか、と。
大切な記憶なんて、どうでも良くない記憶なんてなかったから、ランダムで虫食いになったのかもしれない。そうも考えた。
だけど違う、ついこの間思い出した。わたしには確かに、大切な人がいた。
名前も、顔も、声も、そもそも一人だったのかも、どこで会ったのかも、どんな人だったのかも、まったく思い出せない。
ただ、わたしはその相手と、なにか約束をした。
その約束を守れなかったことに、わたしは思い出してからずっと罪悪感を抱いている。
約束そのものは覚えていないのに。
一体、わたしは何を―――?
「クロ?」
はっとして少し下に目を向けると、心配そうにわたしを見上げるステアの姿があった。
どうやらまた呆けてしまっていたようだ。前世のことを考えても仕方がないと割り切ったはずなのに。
「大丈夫?」
「大丈夫です。体調が悪いとかではありませんから安心してください」
「……ん」
そうだ、考えるな。
ノア様の野望を果たすまで、余計なことを考えている暇なんてない。
この御方に世界を支配してもらう。今のわたしの約束は、それだけなんだから。




