第18話 父親
「そういえば今日、お父様が帰ってくるのよね」
ノア様と出会ってから一ヶ月ほど経ったある日、大書庫で勉強をしていると、ノア様が何でもないことのようにそう言った。
「お父様ってことは、ティアライト家のご当主様ですか」
「ええ。ここ一帯の地を治める、ゴードン・ティアライト伯爵よ」
「領主様が一か月ほど家開けてましたけど、良かったんですか?」
「治めるだけなら代理人でもできるもの。王に呼ばれて、クロと入れ違いに王都へ行ってたのよ」
「何しに行ってたんですか?」
「さあ?大方、私をどうやって政治利用するかって話じゃないの?」
「え?」
ノア様は本を読みながら、どうでもいいことのようにとんでもないことを言う。
「だって、私は金髪だもの。光魔法の使い手が国にいるってだけで、その国は交渉事を有利に進められるのよ。十年後にすごい魔術師になりますよー、戦ったら負けますよーって伝えたりね」
「大人って汚いですね」
「本当よまったく。まあいいの、好きなように使うといいわ。実際、お父様にも遠慮なく使えと言ってあるし」
「そうなんですか?ノア様、そんな風に利用されるのは嫌いなのかと」
「別にいいわ。だってどうせ」
ノア様は本を閉じ、悪顔でニヤリと笑った。
「この国は、近いうちに私が貰うんだもの」
世界征服を目論むノア様は、「国を貰う」などととんでもなく強欲なことですら、夢の通過点に過ぎないのだろう。
わたしはこの御方がどれほどの大物かを再認識しつつ、そのお役に立つために勉強を進める。
「んー、《死》………相手の寿命を一瞬にしてすべて消し去る、シンプルにして闇魔法の中でも指折りの強力な魔法………これが習得できれば、ノア様に仇なす国内外の敵を密かに暗殺可能になるなあ」
「勉強熱心ね。立派よ、クロ。《死》は私も前世でお気に入りだった素晴らしい魔法。魔法抵抗力が弱い連中は軒並みそれで死に絶えるわ」
「素敵ですね」
わたしとノア様が平和に談笑していると、机の上にある小さなベルがリンリンと鳴り始めた。
「あら、呼ばれたみたいね。戻るわよ、クロ」
「はい」
千年前に希少魔法を用いて作られたいくつものアイテム。
このベルはそのうちの一つで、二つ一組のベル。
希少魔法の一つ『音魔法』によって、対象者を探す声を一つのベルが感知し、もう一方のベルに伝える仕組みになっている。
闇魔法で地上へ戻り、屋敷の中に入ると、なんだか使用人たちが慌ただしくしていた。
「あ、お嬢様!クロちゃん!ここにおられたので!?」
「ニナ、何なのよこの騒ぎは」
すると、この屋敷で働いている最も年若いメイドのニナさんが、わたしたちに駆け寄ってきた。
黒髪のわたしに対しても、差別の目を持たずに接してくれる、数少ない一人。
「旦那様が帰って来られたんです。それでお食事の用意をしていたのですが、その、予定よりも人数が多く」
「人数?ああ、あの人また女侍らせて帰ってきたのね。奴隷なのか娼婦なのか知らないけど、どうせ王都で衝動買いでもしたんでしょう」
わたしの中で、出会ってもいないノア様のお父上の好感度が下がった。
「あの、ノア様のお父様ってどんな方なんですか?」
「え、えっと………」
「金と女と汚職が三度の飯より好きなクソ野郎よ」
「お、お嬢様!?」
「なによ、本当のことでしょう?」
ノア様の言葉から何となく察してはいたけど、ろくでなしか。
まあ、わたしが忠誠を誓ったのはノア様であってティアライト家じゃないから、どんな人でも別にどうでもいいんだけど。
「そ、それで、旦那様が書斎にお嬢様を通すようにと」
「それが一月も家開けて女漁りしてた中年の態度か、自分で来いと言っときなさい。さ、行くわよクロ」
「え?あ、はい」
「お嬢様ー!?」
ノア様がスタスタと反対側に歩いて行ってしまったので、わたしも慌ててそれに続く。
後ろでニナさんが可哀想な表情をしていたけど、申し訳なく思いつつも、わたしはノア様を優先する。
ノア様の部屋に入り、ティアライト伯爵が来るのを待つ。
「よろしかったんですか、あんなこと言って?」
「いいのよ、どうせああ言っておけば来るんだし」
「あの、もしかして御父上はお嬢様の正体を知ってるんですか?」
ノア様の前世。
希少魔術師の王と呼ばれた伝説の魔女ハル。
それを知られているなら、この態度にも多少の納得がいく。
「まさか、知らないわよ。今のところ私がハルだって知ってるのはあなたしかいないわ」
「え、じゃあさっきの態度はまずいのでは?もしかして御父上に溺愛されているとか」
「まったく。むしろ煙たがれてるわよ。金髪じゃなければあれこれ理由つけられて追い出されてたんじゃないかって思うくらい」
「じゃ、じゃあなんであそこまで大きな態度をとったんですか?」
「あの男の過去の汚職の秘密を、私が全部握ってるからよ」
………ああ、なるほど。
「元々このティアライト領って、もっと貧しかったのよ。あの馬鹿な父親が脱税やらなんやらやって、庶民にお金を回さなかったから」
「ええ………」
「そういう人なのよ。でもその娘である私もその同類と思われると後々嫌だから、二年前に魔法で色々調べて脅したの。『公表されたくなければ善政を敷け、あと私の言うことは基本的に全部聞け』って」
「じ、実の親を脅されたんですか」
「公表されれば今までの地位も名誉も金も女も全部失うことになるほどの情報だったから、今に至るまで素直に言うこと聞いてるのよ」
我が主ながら恐ろしい人だ。
目的の為であれば、実の親すら弱冠五歳で利用するか。
「ですが、そこまですると実の娘であるノア様でも危険なのでは?刺客が差し向けられるかもしれません」
「無理ね。だって私は金髪だもの。光魔法の使い手という王国の切り札を死なせてしまったら、どの道あの人は地位を失うわ。私を殺したいなら、戦場で事故を装うくらいやらないとあの人にしわ寄せが行くから」
「なるほど、確かにそれなら手を出せませんね」
「それにほら、刺客なんか万が一来ても、私強いもの」
「たしかに」
ノア様自身に絶大な影響力があるせいで、迂闊に手を出せない。
しかも、ノア様はまだ見た目は幼いから、汚職仲間とかに助けを求めたって信じてもらえないだろう。
こっちは手を出し放題、あっちは絶対手を出せない、完全にこの家での立場はノア様が上なのか。
「まあ、あんなでも伯爵、それなりに影響力がある貴族。利用できるうちは利用してしまえばいいわ。あれくらいの腐ったやつなら、切り捨てるときも良心痛まないし」
「そうですか。ノア様がそれでよろしいなら」
「大丈夫よ。クロは絶対捨てたりしないから」
「………ありがとうございます」
切り捨てるという言葉を聞いて一瞬よぎった不安を、ノア様は綺麗に払拭してくれた。
もちろん、嘘はついていない。見ればわたしは分かる。
「それにしても遅いわねえ、こっちが待ってあげてるのに」
「まあ、帰ってきたばかりだし、いろいろとすることがあるのでは」
―――コンコン。