第194話 伸縮魔法
「伸縮?」
「ああ、なるほどね」
氷が溶けたのは、溶けるまでの時間を短縮。
あのワープ能力は、自分のいる場所と別の空間の距離を縮めた。
私の精神支配が通じないのは、魔法が効くまでの時を伸ばしている。
「もうバレるとか、これだから頭のいい奴って嫌い!」
「厄介な魔法だけれど、ルクシアの覚醒や傷が治るまでの期間を短縮しないあたり、何らかの制約はあるのね。実力は―――ホルンやクロと互角ってところかしら。回避だけは大したものだけど、それだけかしら」
「嘲笑、その程度の実力でウチたちの前から逃げようとは、身の程知らずもいい所」
距離を縮めることによる疑似的なワープによって、一時的にリーフやお嬢からすら逃げられる魔法。
その他にも多分、二人の攻撃から自分に命中するまでの時間を延ばして、攻撃を躱している。
だけど、あの二人からの猛攻から抜け出す能力も、状況を好転させる力もなさそう。
………じゃあ、なんで出てきた?
おかしい。
あれほどの魔法があるなら、こっそりルクシアと自分の距離を縮めて、自分側にあの女を引き寄せることも出来たはず。
それであの魔法で全力で逃げに転じられたら。いくらお嬢たちだって追跡は難しかったかもしれない。
なのにリンクは、そのアドバンテージを捨ててまで出てきた。
単なる馬鹿か、それとも―――。
「ステア、危な―――」
「《誤解認識》」
「うそお!?」
ホルンの死体人形を瞬時に倒しながら、私は頭を回転させ続ける。
伸ばしたり縮めたりする魔法、便宜上伸縮魔法と呼んでおこう。
伸縮魔法は、分かっているだけでも距離と時間に作用する。
じゃあ、有効範囲は?
こっちには知る術がない。
もし仮に。
伸縮魔法が、ルシアスの長距離転移のように、数百キロの道のりも短縮できるとしたら―――?
「………!みんな、全員でリンクを、攻撃して!今すぐに!」
私の声に、ホルンを相手にしていたスイとフロムも、ルクシアたちを監視していたオトハとオウランとルシアスも、一斉にリンクに飛び掛かった。
「………悔しいけど、ここは一旦退却するわ。せいぜいお姉様に殺されるまで、引き延ばされた寿命を有意義に使うことね」
「本気を出せなかったとはいえ、ご主人様を気絶させた手腕は素直に見事だ。だけど、次はこうはいかない。そこの時間魔術師も、クロさんにそう伝えておいてよ」
だけど、遅かった。
「逃がすか―――」
「《拠点短縮》」
皆の攻撃は、すべて空を切った。
慌てて後ろを見ると。
ルクシアも、ケーラも、メロッタも―――完全に消えていた。
***
―――失敗した。
リンクという未知の存在は警戒していたのに、まさかこんなことが出来るなんてさすがに予想していなかった。
多分、自分たちの位置と、拠点の距離を短縮する最高位クラスの魔法。
伸縮という魔法を持っている時点で、その可能性を模索しておくべきだった!
失敗した、失敗した、失敗した!
最悪だ、唯一のチャンスを、誰一人殺せずに棒に振った!
「ステア」
考えなきゃ、あいつらを仕留める方法を!
生かしていたら、絶対にお嬢の障害になる!
あいつらにかけた精神魔法は引き延ばされただけ、次第に効いてくるはず。
「ちょっとステア」
ダメだ、効いた端からルクシアに倒されてリセットされる。
これならいっそ、《精神崩壊》を使っておいた方が………!
「ステア!」
「えっ………」
ハッとして振り向くと、不機嫌そうな顔のお嬢が私を凝視していた。
「私を無視するとはいい度胸ねステア」
「あっ、ご、ごめんなさい………」
「なにをそう深刻そうな顔をしているのか知らないけれど」
お嬢はため息をついて、私の頭に手を向けた。
ぶたれるのかと思って、ギュッと目を瞑った。
「………よくやったわ、ステア」
「え?」
だけど、お嬢はただ撫でてくれるだけだった。
なんで?千載一遇のチャンスを、逃したのに。
「スイ、あなたの仕業でしょう?この子が随分と活躍してくれたのは」
「おそらく。その記憶がボクにはないので、確証はありませんが」
「ステア、後で聞かせてちょうだいね。あなたに何があったのか」
「そ、それは勿論、話す。でも、私」
「ルクシアを逃がしたこと?別に気にしなくていいわよ」
え?
「ああなった以上、あの女はしばらくは襲ってこないわ。用心深い性格だから、完璧に私を手に入れられる確証を得られないと来ないでしょう。今回の作戦はステアに見破られたし、スイという新たな戦力までこっちにいると分かった。次に体勢を立て直すまではかなり時間がかかるはずよ。その間に私たちもパワーアップすれば、ルクシアにも対抗できるわ。皮肉にも、あの女の存在でまだまだ私も強くなれると分かったしね」
「で、でも。最善は、ルクシアを、ここで始末する、ことだった」
「確かに最善はそうね。でも、あの前世よりも強くなっているルクシアの本気を、犠牲無しで退けた。これは凄まじいことだわ。あなたのおかげよ、ステア」
………そう、か。
私、未来を変えたんだ。
あの、誰も幸せじゃない、最悪の未来を。
「そうですわ、ステア。あなたのおかげで命拾いしましたわ」
「お前が見破ってくれなかったら、ずっとルクシアに騙されて、不意打ちで殺されてたのかもしれない。それを阻止できたのはステアがいたからだ」
「ああ、これはステアの功績だ。もっと誇れ」
オトハが。
オウランが。
ルシアスが。
―――クロが。
こうして、ちゃんと生きて、私を見てくれている。
これ以上を望むのは、我儘だ。
「さて、そろそろ時間切れだ。消失したクロの魂が戻ってくる頃だろう。ボクはまた魂だけの存在となって、君たちを見守ることにするよ」
私がまた涙を流しそうになっていると、スイが遮るようにそう言った。
「スイ………行っちゃうの?」
「仕方ないさ。ボクは魂だけの存在で、もう肉体は朽ちている。そもそもこの少女の体を使って動けることが奇跡に近いんだ」
「でも」
「大丈夫、死ぬわけじゃない。ボクは主様のために、ずっと君たちの傍にいるよ」
「………ん」
「そして主様。短い時間でしたが、再びあなたと共に戦えたこと、本当に嬉しかったです。また有事の際は彼女の体をお借りして出てくることもあるかもしれません。その際は、またよろしくお願いいたします」
「ええ。あなたも千年もの間ご苦労様。さすがは全盛期の私の右腕だわ」
「勿体ないお言葉です!それだけで、ボクの千年は報われます!」
スイが明るい笑顔でお嬢に頭を下げた瞬間、体が光り始めた。
そして、段々と銀色の髪が黒に染まっていく。
「じゃあね。この少女にもよろしく言っておいてくれ」
「うん。またね、スイ」
「ああ、また」
そして、髪色は完全に黒となった。
がくりと一瞬だけ体が震え、ゆっくりと目が開かれる。
「………終わったんですか?」
「うん。おかえり、クロ」
「ただいま戻りました。どうやら敵は引いたようですね。皆さん無事で何よりです」
クロはスイとそっくり(同じ体なんだから当然だけど)な笑い方で、調子を確かめるように体を動かして―――。
「………あれ?」