第179話 ホットケーキ
章を取り付けました。そしてこの章の主人公はステアなので、しばらくステア目線の話が続きます。
誰がなんと言おうと、ステアはこの作品のもう一人の主人公です。
なぜなら作者がステア大好きだからです。
過去に戻る。
その言葉を聞いて、私の体は、気が付くと震えていた。
「そんなこと、出来るの?」
「出来る。君の記憶能力と、ボクの時間魔法があればね」
過去に戻って、お嬢たちを助けられるかもしれない。
こんな、私だけが生き残った絶望の世界をやり直せる。
私にとって、それは一番欲していたことだった。
「ただし、今すぐというわけにもいかない。過去に戻るにあたって、幾つか説明しなければならないこと、やってもらわなければいけないこと、そして条件がある」
「なんだって、する!」
「うん。君ならそう言ってくれると思っていた。まず君にこれからやってもらわなければならないのは、魔法を極めてもらうことだ」
「………過去に、戻っても、ルクシアたちを、止められなきゃ、同じって、こと?」
「その通り。彼女達にとって、君はもっともイレギュラーな存在だからね。なにせ最大魔力量だけで言えばかつての主様やルーチェすら上回っている。どんな精神力と魔法抵抗力を持っていても、自在に他者の心理、精神、そして記憶を操れる最強の精神魔術師になり得る人間、それが君だ。ルクシアもそれを危惧したからこそ、ホルンに君を探させていたんだと思う」
私は、ゴラスケを抱えたままの自分の腕を見る。
クロたちに比べると、細くて頼りない腕。
だけど、この体にそんな力があるなら、私は全部お嬢を助けるために使う。
お嬢が、クロが、皆がいない世界なんて、もう一秒だっていたくない。
「でも、じゃあ、ここから、逃げなきゃ。スイは、どうやって、ここ、入ったの?出られる?」
「ボクがここに入ったのは、時間魔法で『闇属性が反応した時間』まで周囲の時間を戻したんだ。だけど安心していいよ、ルクシアはここには絶対に入ってこられないから」
「え?」
「ルクシアの染色魔法、あれは万能じゃない。いくつか弱点がある。同意していない人間の髪色を変化させることは出来ない、変える際に約一秒のタイムラグがあり、その間は魔法が使えない。そして、同じ髪色を染色魔法によって二人以上生み出すことは出来ない」
「………!そっか。それで、あの、闇魔術師を、生かした」
「理解が早くて嬉しいよ」
染色魔法で二人以上を同じ色に染められないなら、この闇魔術師を生かしておけば、ルクシアはここに入ってこれない。
封印魔法と闇魔法、そして物理的な深度がある。
「死後も効果が持続するタイプの魔法は、時間が経つにつれて周囲の魔力を吸収し、強固になっていく。千年もの時を重ねたここの封印は、ケーラでもルクシアでも突破不可能だ」
「なるほど」
「そしてあのカメレオンの闇魔術師は、ボクの時間魔法で脳の動きを停止させている。実質脳死状態だけど、生きてはいるから闇魔術師の合鍵をルクシアは作れない。今頃地団駄踏んで悔しがってるだろうね」
ざまあみろ。
少しだけ気が晴れた。
「故に、今ここは世界で最も安全な場所だ。だけど、そこまで時間があるわけでもない」
スイは近くにあったボードに、グラフみたいな絵を描いた。
「さっきボクが君に対して行ったのは、現在の君の脳の状態を数ヵ月前に戻す時間魔法だ。これを応用することによって、君の現在の記憶を保持したまま、ある一定地点までであれば君を過去のどこかの地点まで精神を戻すことが出来る。しかし『現在への干渉』である前者の魔法に対し、後者は『過去への干渉』だ。既に確定した世界に干渉というのは、膨大な量の魔力を使う」
絵が下手なことに対しては突っ込まずに、私は座って話を聞いた。
「さっきも言ったと思うけど、ボクの魔法は操るものの質量と魔力に準じて消費する魔力が増大していく。ボクが過去に送るのは君の精神、そして過去の君と現在の君の魔力の差の数値だ」
「魔力の、差?それは、やらなきゃ、ダメ?」
「ダメだね。せっかくステアは類い稀な量の魔力を持っているんだ、使わないと勿体ない。だから君には、これからしばらく精神魔法の集中訓練をしてもらう」
「集中、訓練?」
「幸いなことに君は成長期だ。君の才覚があれば、あと二年あれば精神魔法を完全に極めることが出来ると思う」
「でも、それじゃあ、多分、間に合わない」
「鋭いね。そう、君の戻る地点の魔力量を900と仮定しよう。君が魔力を最大値まで引き上げたら、差は550。この数値分の魔力と君の精神を過去に戻す必要があるんだから、ボクの全魔力と重ね合わせて計算すると―――」
スイは少し頭を捻らせ、ボードに数字を大きく書いた。
「ボクが戻せる限界は、172日。つまり約半年だ」
半年。
今からだったら、リーフたちが襲撃に来るより一ヵ月前、ずっと勉強してたくらいの時期。
「でも、修業、二年、かかる。じゃあ、無理」
「ああ、普通は不可能だ。けど、その二年を二か月と少しに短縮する方法がある」
「………?」
「時間魔法は、封印魔法や空間魔法、結界魔法といった、空間に対して何かしらの影響を与える魔法に干渉することで、その範囲内を時間魔法の影響下にも置くことが出来る。それによって大幅な魔力の効率化が出来るんだ。そして都合のいいことに、この大書庫には大規模な封印魔法がかけられている」
「………!わかった」
「流石に察しが良い」
スイはボードを脇に寄せて、書庫の端っこまで移動した。
「大書庫を覆うこの封印魔法に干渉して、この中の時間の流れを一時的に十倍に加速させる。それ以上はさすがに無理だけど、これならば730日を73日まで短縮できる。ルクシアが事を起こしたあの日が今から91日前、そこに73を足して164。ボクの魔力の回復を1日と考えて、現実世界で流れる時間は165日、そしてボクが戻せる時間が172日。つまり計算上、君はあの惨劇が起こるちょうど一週間前まで逆行できる」
スイの時間魔法が、封印に届き渡っていく。
少しして、スイがこっちに戻ってきた。
「最後にこれだけ質問しておく。完全記憶を持つ君は、仲間の死を、過去の痛みを、ルクシアへの怒りを、忘れることが出来ない。その状況で二年もの間を魔法のみに費やすというのは、おそらくボクでは想像もできないほどの苦痛のはずだ。覚悟はできているね?」
覚悟?そんなもの、決まっている。
「愚問」
「………そのようだね。ここから二年の付き合いになるんだ、困ったことや魔法の実験体が欲しい時などはいつでも言ってくれ」
「ん」
「食事などに関しても心配しなくていい。水は無限に湧き出る魔道具があるはずだし、食べ物に関しても、ここにある果物などの種を一瞬で成長させれば無限だ。さすがに肉や魚なんかには限りがあるから、これは慎重に手を出さないとね」
「ん」
「他に質問は?」
「ホットケーキ」
「え?」
「ホットケーキ、作れる?」
「いや、うーん。クロがここに用意した材料は結構な量があるみたいだし、ボクも作れないことは無いけど。さすがにこれを増やすのは、時間操作でも無理かな」
「…………………」
「え、ちょ、そんな露骨に落ち込む!?」
ホットケーキがない人生…………。
お嬢たちがいない人生、ゴラスケがいない人生に次いで、三番目に私が恐れることだ。
「だ、大丈夫だよ、ここの封印魔法の影響でここにある限りは劣化しないし、節約すれば三日に一回くらいは食べられるはずだから」
「三日に、一回…………!?」
「いや、そんな頭を抱えられても」
一日一回、積み上げたタワーホットケーキを食べないと元気が出ない私が、三日に一回ちょっとだけしかホットケーキを食べられない。
それは一体、なんていう名前の拷問なんだろう。
「えーっと、開始ゼロ秒で早くも挫折の兆しが見えて来たけど、大丈夫?」
「…………頑張る」
「おお」
「お嬢のために、頑張る。皆のために、努力する。それで」
私は頭を振って、雑念を消した。
ゴラスケをぎゅってして、体のスイッチを入れる。
「また、クロに、ホットケーキ、作ってもらう」