第178話 時間魔術師
「時間、魔術師………?」
お嬢に聞いたことがある。
時間魔法―――世界にたくさん存在する希少魔法の中でも最も珍しいと言われていて、二千年に一人しかその才能を持たないという希少魔法の中の希少魔法。
その魔法はあまりにも珍しすぎて、魔法全盛期の千年前ですら文献がほとんどなかった。
それほどの存在が、私の目の前にいるなんて信じられない。
でも現に、スイピアって名乗ったこの人の髪色は、時間魔術師を示す銀髪。
「信じられないという顔をしているね。なら、証拠を見せようか」
スイピアは近くに置いてあったリンゴを一つ手に取った。
「例えば、ここにあるリンゴの時間を、一年後に進めると―――」
次の瞬間、私は目を見開いた。
目の前で突然、何の脈絡も無く、リンゴが腐った。
「………!」
「逆に今度は、この状態から一年ちょっと時間を戻す」
今度はリンゴがいきなり緑色になった。
熟れる前の時間まで巻き戻ったみたいに。
「今は時間をある一定の状態まで持っていったから瞬時に変わったけど、時を加速させることによって植物の生長を数分で成すことも出来る。ボクの時間魔法は、こうやって局所的に時間を操作する魔法だ。時間に対する減速、加速、停止、逆行、遡及。他にもいくつか。君の体が少し軽くなっているように感じるんじゃないかな?君が寝ている間に脳の状態を三ヶ月ほど戻しておいたからね」
私は、体の調子を確かめてみる。
確かに、最近よりずっと体が軽いとは思ってた。
「信じてくれたかな」
「時間魔術師、だって、話は、信じる」
「それは良かった。ボクの話が真実かどうかは、精神魔法が完璧に元に戻った時にでも記憶を覗いてみると良い。ボクは抵抗しないよ」
時間魔術師だっていうのが本当なのはわかった。
私がこの三ヶ月で覚えた魔導書の記憶の中でも、こんなことが出来るのは時間魔術師だけ。
でも、それだと別の疑問が出てくる。
「なんで、クロの、体に?」
「この体がボクの魂に最も親和性が高かったからね。彼女には悪いけど、少し借りさせて貰っている。体も致命傷を負っていたけど、時間を少し戻して元に戻せた」
「なんの、目的で」
「さっきも言った通り、君たちを助けるためだ。ボクはずっとこの時を待っていた。主様―――君たちのいうノアマリー様のために」
精神魔法を使わなくても何となくわかる。
嘘はついてなさそう。
「千年前、ボクは死の直前に、当時主様の配下だった死霊魔術師の手を借りて、本来は輪廻の輪に向かうはずの自らの魂の時間を限定的に停止した。それによって輪廻転生を無視し、千年を魂だけの状態で維持し続けたんだ。主様が千年後に転生することも、ルーチェ―――今はルクシアか。彼女がそれを察知して転生を繰り返すことも分かっていたからね」
「なんで、体の、時間を、止めなかったの?」
「そこが時間魔法の最も面倒なところなんだ。時間魔法の自由度は、時間を操る対象の質量や魔力に反比例する。ネズミくらいの大きさの生物の時間ならば回復する魔力と相殺して半永久的に止めておくことが出来るけど、人間サイズとなるとそうもいかない。時間を戻したりする際も、質量が大きいものほど多く魔力を使う。だからこそ、質量が極端に少ない魂だけを停止させた」
そっか。
魂だけだったから、誰にも干渉されず、ずっとこの世界に生き続けられたんだ。
私たちのことを知ってるのも、多分幽霊みたいに近くにずっといたから。
「ただ、あのホルンという死霊魔術師が面倒だった。彼女だけは、魂だけの存在となっているボクを感知できるからね。だから帝国城の近くにはいたものの彼女の視界外に出ざるを得ず、ボクも主様たちが敗北した時の状況は知らない。今ここで倒せてよかった、ボクの存在をルクシアに知られたら、彼女は死力を賭してボクを排除しにかかるだろうし」
「なん、で?」
「ボクは千年前、ルーチェに敗れて重傷を負った主様を助けたからね。だから彼女に死ぬほど恨まれてるんだよ。ボクが邪魔しなければ、あの時点でルーチェは主様を手に入れることが出来ていたんだから」
なるほど。
プライドの高いお嬢がルーチェから逃げたって変だなって思ってたけど、この人が逃がしたんだ。
「でも、ホルンは、魂だけ、逃げられる」
「その点は安心して欲しい、君が寝ている間に外に出て、本体の魂を殺してきておいた。本体の魂を模した疑似魂を操る時は、ある程度近くにいないといけないからね。ルクシアに報告される前に探し出して倒したよ」
私は目を見開いた。
よく見ると、左手に少し血が付いている。
時計を見ると、私が気絶してたのは多分三十分くらい。
その間に、ホルンの疑似魂も本体の魂も倒した?
この人、ものすごく強い。
「さて、本題に入ろうか。ボクが君に何をしてあげられるのか、具体的に話さなければね」
私の時間魔法の珍しさに呆けていた思考は、その言葉で一気に現実に戻された。
私は、一つだけ質問をした。
「スイピア」
「スイでいいよ。主様もボクをそう呼んでた」
「じゃあ、スイ。………みんなを、生き返らせる事、出来る?」
時間魔法で死体の時間を巻き戻せば、皆が生き返るんじゃないか。
そんな淡い期待で、私はスイの目を見た。
スイは、目を細め、申し訳なさそうな顔をした。
ああ、やっぱり。
「ごめんね。それはできない」
だとは、思った。
「この体の時間を戻したように、ボクは体の時間を巻き戻して傷を治すことが出来る。光魔法以外で傷を治癒できる唯一の魔法だ。でも君も既に察しているだろうけど、この世界の生物は魂と肉体の共存によって成り立っている。つまり、魂が離れてしまっていては、どんなに肉体の傷を癒しても蘇生することは出来ない。つまり」
―――死体の時間を巻き戻して、死者を生き返らせることは出来ない。
なんとなく分かってはいたけど、突きつけられた現実に体が重くなる。
「じゃあ………何が、出来るの」
「それを話す前に、一応聞いておこう。ボクの手を借りることに抵抗はないね?ボクは主様に忠誠を誓ったとはいえ、君から見れば部外者だ。自分の力でルクシアたちに復讐したいというなら、ボクは止める気はないよ」
「そういうの、いい。早く言って」
ホルンから助けてもらっておいて、今更だ。
私の言葉に、スイはフッと笑って、満足そうに頷いた。
「いいだろう。まず大前提となるのは、精神魔法と時間魔法が非常に相性の良い魔法だということだ。これが本当に運がよかった。もしここに戻ってくるのが君以外だったら、ボクでも成す術はなかったからね」
「そう、なの?」
「うん。さっきボクは君に、『君の脳の時間を戻した』と言ったよね。じゃあなぜ、君は今までの記憶が消えていない?」
「………精神、魔術師の、完全記憶」
「正解。つまりその君の記憶能力は、時間を巻き戻されようと有効ってことだ。これが君以外だと、戻した時点まで記憶は戻り、それ以降の記憶は失われる。記憶を維持できるのは、時間魔術師と精神魔術師だけの特権なんだよ」
記憶を過去に戻しても、維持し続けられる。
精神魔術師の特権。
そして、時間操作―――。
「―――!」
「気づいたかな」
まさか。
もしかして。
「そう。この性質を応用すれば、ボクは君にすべてを救うチャンスをあげられる」
そこから続いた言葉は。
私にとって、福音と言っても過言ではなかった。
「君には、過去に戻り―――この絶望的な未来を変えてもらう」
銀髪………ボクっ娘………作者の前作………ウッアタマガ