第177話 壊れかけた心
見てしまった瞬間、私の頭は一つの結論を出してしまった。
いや、もう、どこかで気づいてたんだ。
みんなが、何の理由もなしに私を三ヶ月も忘れるはずなんてない。
ルシアスの魔法で帰ってこれるみんなが、ここに戻ってこないわけがない。
なのに戻ってこないということは―――。
「違う………違う………違うよ………違うよね、違わないわけないよね………ねえ、お嬢………クロ………オトハ………オウラン………ルシアス………」
「…………………」
誰も―――誰も、私の質問に答えてくれなかった。
大書庫の中に、時計を刻む音だけが響く。
「えーっと…………その。一応一つだけ君に良い情報をあげるとするなら、君のご主人様は生きてるよ。あー、ほら、あの、アタシのご主人様に随分と可愛がられてるみたい、だけど」
「お嬢…………お嬢…………お嬢…………」
「あーっと、ちょい待って」
体中が震えて、鳥肌が立つ。
呼吸が苦しくなって、頭が割れるように痛い。
目から何かが垂れてきた。
「あのぉ!ご主人様!?アタシこの子無理やり連れて行かなきゃいけないんですか!?すっごい良心痛むんですけど!いや、確かにアタシだって何百人も人殺した外道ですけど、一応多少は人の心ってものがありましてですね…………え?その子のことだからこの大書庫の本を全部読んでる?精神魔術師としてこれ以上ない逸材?最終的に死体人形にするんだから結果は同じって、本当に人間ですかあなた!?…………いや、はい、やりますけどね?せめてこう、アフターケア的な―――」
ホルンが何か言っているけど、頭には入ってこない。
理解もしたくない。
体に力が入らなくなってきた。
体が、生きることを拒否しているかのようだった。
「はい、じゃあそういうことで。…………えっとステアちゃん。アタシのご主人様―――ルクシア様がね?あなたを」
ルクシア。
その名前を聞いた瞬間。
私の中の何かが、ブツッと音を立てて切れた。
「ってわけなんだ―――」
「《精神寄生》」
「!?」
お嬢が捕まってる。
助けに行かなきゃ。
そうだ、ルクシアを、ホルンを、メロッタを、ケーラを、顔も知らないけどリンクと呼ばれてた女も、カメレオンの連中も。
ぐちゃぐちゃにして、殺してやる。
私から仲間を奪ったことを、死ぬまで後悔させながら、一人でも多く道連れにしてやる。
私の無駄に良い頭が、状況を分析した。
私じゃ、どうあがいてもルクシア・バレンタインには勝てない。
だけど、あの女に仲間を奪われる苦しみを味合わせてやることは出来る。
「全部、壊してやる…………全部、殺してやる………あの女の、全部を………!」
私ならできる。
まずはホルンを殺して、それを―――。
「………憐れだね」
「え………」
なんで。
何で効いてない。
私の精神魔法が、お嬢に教えてもらった魔法が、なんで効かない。
ああ、封印魔法か。
なら、封印されてない場所の記憶を消してやろう。
そうすれば、この女は完全に記憶喪失だ。
記憶がないまま一方的に殺されるなんて、きっと辛い。
だから―――。
「言っておくけど、アタシは今は封印魔法は受けてない。そもそもの肉体は本物だけど、魂は疑似魂だ。君たちと出会った時と同じ状態」
「………それがなに」
「わからないかな。今までの君なら気づけた変化だ。そして君は、精神魔法で死霊魔法を無効化する術を持っている。なのになんでそれに思い至らない?」
ああ、そうか。
そうだった。
忘れてた。
「《誤解認識》」
こっちだ。
これで、ホルンを殺せる。
………あれ?
違う、これは殺すための魔法じゃない。
なのに、なんで今、私は。
それ以前に、私が何かを忘れるなんて、未来永劫絶対にないはずなのに―――。
「もう、魔法すら機能しないか」
「あ、れ………?なんで、私………魔法、使え………」
「精神魔法は、術者の精神状態の影響を受ける魔法。精神が不安定だと威力が激減する。それが発動しない段階まで来てるってことは―――」
ホルンの言葉が、私の思考に入ってきた。
そして私の頭は並列に動き、ホルンを殺せという命令と、現状を客観的に分析する思考に分かれた。
そして分析側の出した結論は。
―――ああ。私、壊れかけてるんだ。
精神がもう限界だから、精神魔法も使えない。
精神が不安定すぎて、普通はあり得ない『忘れた』ってことが私に起こる。
一歳の時に見た雨粒の数を記憶だけで数えられる私が、何かを忘れるなんて絶対にないはずなのに。
「…………ルシアス、拘束」
かつての仲間だったルシアスに腕を拘束されても、抵抗なんてできない。
する気ももう起きてなかった。
「オトハ、鎮静剤系と麻酔系の毒を作って投与。精神安定剤系の薬品ってある?…………ないか。分かった、じゃあその二種類だけでいい。オウラン、薬品耐性を下げて効きやすくして」
オトハとオウランの魔法、久しぶりに見た。
もう仲間じゃないのに、なんだかうれしく感じるのは、きっと私がもう駄目な証拠だ。
だって、さっきから何度も自分に向かって《精神崩壊》を使っているのに、一向に思考が消えない。
もう、何も考えたくないのに。
いっそ完全に壊れてしまいたいのに、壊れてくれない。
嫌だよ、もう疲れたよ。
お嬢………クロ………助けて………。
「え?なんであなた、生きて………でも、髪の色が―――」
ちょっとずつ、瞼が重くなっていく。
オトハの麻酔のせいだ。
なんだか、ホルンの焦るような声が聞こえる気がする。
「………違う、あいつじゃない!どうなってる!?」
あれ………?
一人、多い気がする。
この、感じは―――。
「誰だ………誰だよっ、お前!?」
私の意識は、そこで途切れた。
***
「うっ………」
目が覚めると、大書庫の中にあるベッドの上だった。
なんだか体がすっきりしている。
最近重かった体が軽い。
頭の中を押しつぶしていた色々な記憶も、心なしかすっきりしている。
「あれ、私、なんで………」
確か、ホルンがやってきて、皆が死体人形にされてて。
それで、麻酔で眠らされて。
なのに、なんでまだ大書庫の中?
それに、壊れかけてた頭の中も、いつの間にか少し整理されている。
少なくとも、ホルンにあった時よりは良いパフォーマンスが期待できる程度には。
「どう、なって―――」
「やあ、気が付いたかな」
―――!?
わたしは飛び起きて、臨戦態勢を取った。
この思考能力なら、多少の精神魔法は使える。
「おっと、待ってくれないかな。ボクは君と争う気はないよ」
え?
私は、目を疑った。
だって、目の前にいた人物は、ここにいるはずのない人だったから。
「クロ………?」
服も、髪型も、顔立ちも、全部クロだった。
だから、一瞬クロだと思ってしまった。
けど。
「………違う」
一か所だけ、どうしようもなくクロと違う点があった。
髪色。
クロの髪色は、名前の通り真っ黒。
だけど、この人の髪色は―――透き通るような、銀髪だった。
「そう。申し訳ないけど、ボクは君の仲間の『クロ』じゃない。死んだ彼女の体を借りている別人だ。こうでもしないと、ボクはこの世界に干渉できないからね」
「………っ」
「そう警戒しないでほしいな。さっきも言ったけど、ボクは君と事を構える気はない。むしろ逆なんだ。君に力を貸すために、ボクはこの体を使わせてもらう必要があったんだよ。ほら、その証拠にアレ」
銀髪のクロもどきが指を刺した方向を、ちらりと見る。
そこには、信じられないものがあった。
ホルンが死んでいる。
まるで眠っているかのように、外傷も何もない。
だけど、見ただけで死人だと分かるほど、時間が経過していた。
ここへの扉を開けた闇魔術師も、息こそあるけど、まるで脳死しているみたいに動かない。
そして死体人形にされていた私の仲間たちは、丁寧に布で包まれている。
つまり誰かが―――おそらく目の前のクロの姿をしたこの人が、リーフと私の仲間三人を搔い潜って、ホルンを倒したってこと。
でもそんなこと、お嬢でも出来るかどうか分からない。
「あなたが、やったの?」
「そう、ボクがやった。君との会話の邪魔になるし、何より死体人形にされているオトハたちが可哀想だったからね」
オトハの名前を、知っている?
「ボクはずっと君たちのことを見てきた。あの御方のために死力を尽くす姿をね。だからこそボクは君に手を貸す。ステア、君ならばあの御方を、そして仲間を救うことが出来る」
その言葉は、私にとって―――どんなに怪しくても、どうしようもなく心を惹きつける言葉だった。
けど、その手を取る前に、一つだけ聞いておかなきゃいけない。
「あなたは、誰?」
「おっと、これは失礼。自己紹介をしていなかった」
クロの姿をした誰かは、胸に手を置いて。
信じられない名乗りを、疑えないほどはっきりと言った。
「ボクの名前はスイ。スイピア・クロノアルファ。かつて君たちの主人の前世、ハル様に仕えた―――《時間魔術師》だ」