第175話 恐怖と感謝
絶望には、もう慣れたと思ってた。
前世で両親に売られかけた時。
この世界で親に売られ、奴隷となっていた時。
見捨てられ、蛇の餌にされかけた時。
何度も何度も絶望にぶつかり、もうきっと慣れていると、そう勘違いしていた。
だけど今、わたしの目の前には大蛇なんか比較にならないほどの明確な『死』が立ち塞がっている。
その正体は、さっきまでわたしたちの味方だった、帝国最強の女魔術師。
死霊魔法によって死体人形と化した―――リーフ・リュズギャル。
「―――最悪ね」
「ノア、様………」
「これで唯一の勝機も無くなったってことかしら。小さな希望は私とリーフの二人がかりでルクシアを仕留めることだったっていうのにこれだもの」
カメレオンもわたしたちで半数は仕留めたけど、まだ十人以上は健在。
さらにわたしに関しては魔力が完全に底をつき、おそらくオウランも同じような状態。
ルシアスは言わずもがな。
魔力効率が良いオトハはもう少し戦えるかもしれないけど、それも焼け石に水だ。
最強のノア様も、ルクシアに単身で勝つのはほぼ不可能。
詰んだ。
わたしの心の中が、絶望一色で染め上げられた。
無意識のうちに、体に震えが走る。
「リーフの弱体化は痛いけど、それでもフロムと同等以上の強さはありそうだしまあいいでしょう。少なくともホルン自身よりは強いはずよ」
「手厳しいですねーご主人様。ま、アタシは強い死体人形の後ろにコソコソ隠れてちまちま相手を削る卑怯な戦法が一番性に合ってますし」
ルクシアとホルンの会話も、頭には入ってこない。
大勢の命を消し続けたわたしが、自分の番になったら恐ろしくて震えるとは。
なんて自分勝手な人間なんだと、自分が嫌になってくる。
「はあ………あーもー、どこでミスしたのかしら私………。本当に忌々しい女ね、何度突っぱねても私の邪魔をしてくる。終いには千年後まで追ってくるなんて、本当に空気読みなさいよ。なに転生とかしてんのよ」
「ふふふ、でもハルちゃんも悪いんだよ?千年前のあの日、ワタシから逃げたりしなければ、こんなことにはならなかったかも。それにこの時代でワタシと婚約破棄なんてしなければ、ワタシだって正体を明かすつもりはなかったのに」
「千年前のあれは私のせいじゃないでしょう」
「そうね。………あの泥棒猫が邪魔しなければ、千年も待たずにハルちゃんを手に入れられていたのに」
ノア様にお仕えできなくなることが怖い。
ノア様がこんな女のものにされるのが怖い。
ノア様の夢が叶わないのが怖い。
………。
ああ。
こう考えると、わたしってつくづく、自分のために生きてないんだなあ。
十年前のあの日、ノア様に拾って頂いてから、すべてをこの御方のために尽くしてきた。
それがここで終わるのは、すごく嫌だ。
嫌だ、けど。
ノア様のために死ねるなら、それはわたしにとっては本望だ。
わたしにとって一番怖いのは死ぬことじゃなく、ノア様をお守りできないことだ。
どうせ前世で失うはずで、ラッキーで掴んだ第二の人生。
その命を失うこと自体には、抵抗はない。
わたしのこの震えも、死を恐れているんじゃなく、ノア様にもうお仕えできなくなることを恐れてだ。
いっそ使ってみるか?最高位魔法《歪曲転生》を。
これなら数年後の世界に飛んで、再び闇魔術師として生を受けられる。
―――いや、ダメだ。成功確率の話以前に、そもそももう魔力がない。
仮にできたとしても、わたし一人で出来ることなんてたかが知れている。
ステアが、オトハが、オウランが、ルシアスが、傍にいてくれたからこそ、わたしは今まで戦ってこれたんだ。
「―――ノア様、もう一度お聞きします。逃げてくださる気はないですか?」
「馬鹿言うんじゃないわ、プライド云々以前に、私はあなたたちを見つけ、その人生を大きく変えてしまった責任があるの。それなのにこの場からその私が逃げるですって?そんなの私のプライドが許さないわ」
「結局プライドの問題じゃないですか」
ああ、こうしてノア様にツッコミ入れるのも、最後かもな。
でも、こういう日々が、わたしはどうしようもなく楽しかった。
前世では、楽しいなんてほとんど感じたことなかったわたしが、どうしようもなく幸せな日常を送れたのは、ノア様のおかげだ。
その恩を返しても返しきれないノア様にもうお仕えできないのは、どうしようもなく心苦しい。
でも、わたしにはもう、出来ることが何一つとしてない。
せめてもの抵抗は、最後まで背を見せずにノア様のお傍にいることくらいか。
「ノア様」
「なに?」
「………あの日、あなたに救われて、わたしは本当に幸せでした。絶望に飲み込まれて馬鹿なことを考えていたわたしに、あなたが手を差し伸べてくださったこと、本当に嬉しく思っています。あなたに人生を変えていただいて、本当に本当に楽しかった。―――大好きです、ノア様」
ああ、我ながら本当に馬鹿みたいな女だ。
こんな死の間際に、あなたへの気持ちを自覚するなんて。
「ちょっとクロさん、感動に紛れさせて告白とかどういう神経してますの!?私だってお嬢様のことが大好きですわ!」
「僕も、あなたに出会えたことを後悔したことなんて微塵もありません。そのことを、『責任』だなんておっしゃらないでください。僕たちは、あなたに気に入っていただいたことが、何よりの誇りですから」
「俺はなあ、姫さんと知り合ってから一番日が浅い。最初はあんたとのリベンジマッチのために協力してた。だけどよ、次第に見てみたくなったんだ、あんたほどの人間に支配された世界ってのをよ。それを見るのが叶わないってのが心残りだが、まあ姫さんと共に戦って死ねるってのなら、文句は言わねえよ」
わたしを押しのけて口々に他の三人がしゃべりだした。
まったく自己中な後輩たちだ。
「あなた、たち」
「………あれ?ノア様、泣いてますか?」
「んなっ!?な、泣いてないわよ!」
「いや泣いてるだろそれ」
「な、涙を浮かべるお嬢様………かっわいいですわ………!」
「はは、最後に良いもの見れたな」
気が付くと、震えは止まっていた。
最後にこの御方のために命を使おう。
持てるすべてを賭して。
「話は終わった?」
「ええ、わざわざ待ってくれて感謝するわ」
「ふふふ、ノアちゃんの涙目が見れただけで、待った甲斐があるよ」
「泣いてないっつってんでしょ」
ルクシアは完全に勝ち誇った顔で笑っている。
実際彼女の勝ちだが、本当に癪に障る。
「ルシアス。あなたの残った空間魔法ですが」
「おう、どうした」
「もしあなたがわたしより長く生きていたら、わたしの遺体に使ってください。どこに飛ばしても構いません、ただ数日は見つからないような場所に」
「!なるほどな、了解だ」
自分で言うのもなんだけど、この中で誰かが死体人形にされた時、一番厄介なのはわたしだ。
わたしたちの死後、もしかしたら何とかしてくれるかもしれないあの子のために、少しでも障害を減らしておきたい。
「さあノアちゃん。ワタシのものになるお時間だよ♡」
「………あなたたち。最後に一言だけ、言っておいてあげるわ」
「なんですか?」
「―――私もあなたたちのこと、大好きよ」
「はうっ………!?」
「お、おう」
「照れるなあ」
「勿体ないお言葉です」
ステアにも聞かせてあげたかった言葉だ。
「さあ、言いたいことは終わりよ。いきましょうか」
「はい」
「ふふふ、ノアちゃん、ノアちゃん、ノアちゃん………!」
「気持ち悪い」
「ああっ、そんなふうに苦し紛れになじってくる姿も素敵!」
すっかりキモくなってしまったルクシアとその側近たちに、わたしたちは真っ向から立ち向かった。
―――そして。
間もなく、目の前が赤色で染まった。
***
体が動かない。寒い。
辛うじて動く首をゆっくりと傾けると、全身傷だらけの自分の体、抉れた心胸、失った両足が見える。
ここは―――どこかの森の中か。
ルシアスが傭兵時代に行ったどこかの森の深部ってところか。
どうやらまだ辛うじて息がある時に、ルシアスが空間魔法で移動させたらしい。
痛い。辛い。悲しい。寂しい。
だから死んでから移動させてくれって言ったんだ。
どうせ死ぬなら、ノア様の近くで死にたかった。
「でも、まあ………全部、あいつらの、思い通りに、なるよりマシ、か」
せっかく戻った意識も、朦朧としてきた。
ああ、この感覚、覚えがある。
前世で自分のお腹に包丁を突き刺した時と同じだ。
頭の中に、今までの思い出が駆け巡ってくる。
ノア様と出会ったこと。
ノア様の問題児ぶりに振り回された時。
ステアに出会った時。
ホットケーキに目を輝かせるステアの姿。
オトハとオウランに出会った時。
オトハの豹変ぶりにオウランとため息をついた。
ルシアスに出会った時。
ノア様の圧倒的な強さに舌を巻いた。
皆との初陣。
リーフとフロムとの戦い。
そして、最後の最後で自覚した思いを伝えられた。
「ノア、様………もっと………お仕え、したかった………な………」
でも、最後に皆との思い出が見れて、少し満足だ。
わたしは、出来たかどうかは分からないけど、顔に笑みを浮かべて。
―――最後の呼吸を終えた。