第172話 慈愛
一人一人が相手なら、多分勝てる。
どんな希少魔法を使おうと、闇魔法で初撃さえガードできれば正体、もしくは手掛かりがつかめるし、そもそも元は四大魔術師、魔力量もわたしの十分の一程度しかない筈。
しかし三十人を相手にするとなれば話は別だ。
ホルンとメロッタはおそらくすでに魔力が尽きてきているが、ケーラはまだ封印魔法でアシストしてくるだろう。
なにより敵には世界最強の魔術師であるルクシアがいる。
正直、勝ち目はゼロに近い。
そうなると、最も生き残るための最善策は撤退だが。
「―――ルシアス、魔力はどれくらい回復したかしら」
「正直微妙だ。長距離転移なら一人、中距離転移なら半数逃がせるくらいには戻ったが」
「中距離転移はダメね、ここからだと帝国の外にも出ることが出来ないわ。ルクシアならわずかな時間をかければ見つけ出せる距離よ」
「そうなると長距離転移だが、あと数分で二人分回復するって程度だぞ。ここから全員逃がすのは現実的じゃねえ」
撤退に最も効果的な空間魔術師がこの状態だ。
全魔法最速の光魔法を極めているルクシアから走って逃げるのは現実的じゃない。
全員での逃亡は不可能。
なら。
「ノア様―――」
「言っておくけど、私は逃げないわよ」
わたしの提案を、すべて言い切る前にノア様が却下した。
「ですが」
「同じ相手から二度も逃亡するのも、あなたたちだけを残して逃げるのも私のプライドが許さないわ。だから絶対にイヤ。無理して飛ばしたりしたら戻って来てやるわよ」
「………………」
本当にこの人は、妙なところで頑固な。
「ではルシアスには魔法は温存しておいてもらうということでいいですね」
「いいえ」
「え?」
ノア様はわたしの言葉を再び否定する。
そして。
「ステア、こっちに来なさい」
「………?」
ノア様に呼ばれたステアは、とてとてとノア様に近づいた。
「お嬢。私も、逃げる気、ない」
「でしょうね」
「お嬢と、離れ離れになるの、イヤ」
「ええ、そう言うと思ったわ」
ステアは、ノア様が自分を逃がす気だと察したのか、強い目でノア様を見た。
頑固なこの子のことだ、こうなってはルシアスを精神操作してでも自分に空間魔法を使わせないだろう。
「ねえステア」
「なに?」
「あなた、大きくなったわね。私とクロが見つけたはあんなに小さかったのに」
「お互い様」
「ふふっ、そうね」
ノア様は慈しむような目で、ステアの頭を撫でた。
ステアは気持ちよさそうに目を細め、満足そうな顔で僅かに微笑を浮かべている。
「ねえステア」
「なに?」
「あなたは、私が出会ってきた中で一番の天才だわ。あなたが本当に魔法を極めたら、私でも勝てるか分からないくらいの存在になれる。そんな天才のあなたと出会えたこと、私は本当に幸運だったと思ってるの」
「私も、お嬢に会えたこと、すごく幸運だったって、思ってる」
「ありがとう。そう言ってくれると気持ちも晴れるわ」
そして、ノア様は申し訳なさそうな顔になって。
「ステア」
「なに?」
「―――ごめんね」
ステアの鳩尾に、拳を打った。
「あっ………」
ステアは反応できずにそれを受け、その場に倒れる。
「お、嬢………?なに………し、て………」
言葉は最後まで続かず、ステアは気絶した。
「ルシアス、お願い」
「いいのか?」
「ええ。この子だけは、あの女に利用させるわけにはいかないもの」
ノア様の言いたいことは分かる。
もし仮にこのまま戦い続けて、わたしたちが負けたとしよう。
その場合、わたし、オトハ、オウラン、ルシアスは殺される。
そしてホルンの死体人形にされるだろう。
しかしノア様だけでなく、ステアは恐らく生かされる。
何故かといえば、ステアはノア様の言った通り数百年、下手すれば数千年に一人の逸材というレベルの天才だ。
最大魔力量1450。天才的な頭脳と膨大な魔力、そして冷静さを併せ持つ、精神魔術師としては空前絶後の逸材と言っていい。
さらにはあの子はまだ成長期に差し掛かった十三歳だ、ただでさえ今でもチートに近い能力を持っているのに、まだまだこれから強くなる。
そんな天才をこの場で成長の止まる死体人形に変えるような―――言い方は悪いが勿体ない真似を、ルクシアがするだろうか。
答えは否だ。ステアはルクシアに捕らえられ、強くなるために鍛えられる。
ステアに拒否する権利も理由も無い。強くなれば、捕らえられたノア様を救えるかもしれないんだから。
そして本当に強くなった時を見計らって、ステアすら精神状態が揺さぶられる言葉、例えば『ノア様が死んだ』なんて言葉を掛けられたら、あの子はどうなるだろう。
精神状態に性能が依存してしまう精神魔法は使えなくなり、成す術なくステアは殺される。
そんな地獄のような環境に、あのステアを放り込むような真似、絶対にさせたくない。
主人のために戦って死ぬならまだいい。
だけどそんな、仲間を失い、主人を助ける目途すら立たない生き地獄で絶望の中死んでいくなんて、わたしだったら絶対に無理だ。
ノア様はそれを見越して、ステアをこの場から離脱させたんだろう。
「ルシアス、ステアはどこに飛ばしたの?」
「あの場所の目の前だ。あそこならいくらアイツらでも手出しできねえはずだろ」
「そうね」
あの場所―――つまり大書庫なら、千年前の封印魔法と闇魔法によってガードされているため、ステアも持っている闇魔法のこもった指輪が無いと出入りできない。
そしてあの場所を見つけること自体、ルクシアたちには至難の業だろう。
これでステアはひとまず安全だ。
さらにわたしは念を入れて、ノア様たちの付けている指輪に込められた闇魔法の魔力を暴走させて、指輪を破壊。
これであの場への鍵はわたし自身だけになった。
「話は全部終わったかな?」
そしてタイミングを見計らうかのように、ルクシアが話しかけてきた。
「千年で随分優しくなったじゃない。ステアを逃がすのをわざわざ待ってくれるなんて」
「ふふっ、ノアちゃんに褒められると照れちゃうね。でもごめんね、別に善意で逃がしたわけじゃないの。正直、ステアさんに関しては逃げようが捕らえようがどっちでもいいし」
「………?」
「ワタシの目的はノアちゃんみたいな凄いものじゃないから。あくまでノアちゃんを手に入れられればそれでいいの。ステアさんを生かすだろうってノアちゃんたちが立てたはずの推測は正しいけど、それはあれほどの才能を持つ精神魔術師がどれくらいの影響力を持つのかっていう、ワタシの単なる知的好奇心。優先度ではノアちゃんの最後の自由を少しでも良いものにしてあげたいっていう方が高いから逃がしてあげただけ。ここからワタシへの復讐に向かってくるようなら殺すし、向かって来ないならわざわざ探すこともしない。ワタシの目的はあくまでノアちゃんだけだもの♡」
何よりもノア様が大切、か。
そこに関してはわたしたちと似ているのに、なぜここまで違っているのか。
「じゃあそろそろ始めようか、ノアちゃん。今のうちに皆にサヨナラしてね」
ルクシアは余裕の笑みでそう言い、それを合図にするかのようにカメレオンの希少魔術師たちが各々の武器を抜いた。
「―――行くわよ」
「かしこまりました」
さようならなんて、ノア様が言うわけがなかった。
言ってほしく無かったから、とてもありがたい。
「もういいの?じゃあ―――突撃」
そして、ルクシアの合図と同時に。
カメレオンたちが、一斉に飛び掛かってきた。