第166話 世界のバグ
ルーチェ。
千年前、当時最強の魔術師といわれたノア様の前世、『黒染の魔女』ハルを倒した唯一の存在にして、ハルを異常なほどに偏愛し、ハルを自分のものにするためにいくつもの国を滅ぼした光魔術師。
当時のノア様が唯一勝てなかった人間であり、彼女から逃げるためにノア様は転生という道を選んだといっても過言ではないほどにノア様を追い詰めた女。
なのに。
「ふ、ふふふふふ………あははははははああっはっははははああっはああ!!!」
そんな、まさか。
ルクシア・バレンタインの正体が。
「やっと、やっと思い出してくれたんだねハルちゃん!!そうだよ、ワタシがルーチェ!あなたの恋人が時を超えてやってきたよ!!」
「あなたと恋仲になったことなんか一回もないわよ!」
「ああっ、そんな辛辣でツンデレなところも大好き!ごめんなさい、今まで黙っていて………少しサプライズしようと思ってただけなの、悪く思わないでね?」
「一生黙っててくれればもっと悪く思わなかったわよ………!」
「ふふっ、ふふふふふ!!ああもうっ、転生してもその可愛らしい毒舌はそのままなのね!分かってるよ、ワタシが恋しくて仕方がなかったんでしょう?これからはずっと一緒だからね♡」
「………相変わらず話が通じない女ね」
本当に。
まさか、本当にルクシアの正体が、あのルーチェ?
「ノア様、確かなんですか!?」
「信じたくないけど、確かのようね。この私を『ハルちゃん』なんて馴れ馴れしく呼んでたの、アイツだけだもの」
「で、でもおかしいじゃないですか!光魔法の転生では別の髪色に変化できないはずでしょう!?それに時期もかなり近いところでしか決められないんですから、光の転生魔法で千年後に行くなんて不可能なはずです!」
「ふふふっ、クロさん、その認識は正しくないね。光魔法の転生で千年後に行くのは、理論上は可能よ」
口調も変わってノア様に似たように笑うその姿には、姿はそっくりのはずなのに、かつてのルクシア・バレンタインの面影を感じなかった。
だけど、そんなバカな。
光魔法の転生は、次世代の光魔術師として記憶を持ったまま転生するだけの魔法。
ある程度時期は決められるけど、次世代という縛りがある以上、千年後に………なん、て………。
「――――!?」
「ああ、気づいたみたい」
「まさか、いえ、でも、そんなはずは………」
「うふふふ、あなたが今思い浮かべた『狂気の沙汰』が、ワタシの行ったことよ」
ノア様もわたしと同じ結論に至ったらしく、盛大に顔を引きつらせていた。
まさか、そんな。
狂気とか、そんなレベルじゃない。
「転生を………繰り返した?」
「正解♡」
「ということは、私以前のすべての光魔術師は―――」
「ええ。ルーチェだった時代から、ハルちゃんの前時代の光魔術師までは、すべてこのワタシ」
有り得ない。
理解できない。
「九百五十年前、希少魔術師の書を焼いた魔術師ルミエラも、八百年前、東西戦争を終結させた英雄ルーミルも、五百年前、エードラム王国を創った初代国王リヒトも、二百五十年前、ティアライト家を発足させた聖女ヴィネッタも、百年前、傭兵ギルドを設立した英傑セェーンも。ぜーんぶ、ワタシ。
この千年間、ワタシは十七回の死と転生によって、この世界を操ってきた。すべては、あなたと再び会うためなんだよ?さあ褒めてハルちゃん!」
「頭おかしいんじゃないの?」
「ふふっ、相変わらずツンデレさんなんだからまったく!」
ノア様の顔は呆れに満ちていて、逆に向こうは歓喜と恍惚に満ちていた。
そしてわたしを含むノア様の側近は、全員が呆れを通り越して恐怖していた。
状況が呑み込めない筈のリーフすら、彼女の言っていることが狂気的だというのは理解したようで、少し後退っている。
「ハルちゃん―――いいえ、郷に入っては郷に従えと異世界では言うみたいだし、ここはノアちゃんって呼ぼうかしら。いいかな?」
「好きにすれば」
「ありがとう!ふふふふ、千年も待った甲斐があったわ!顔も声も違うけど、一瞬でノアちゃんがハルちゃんだってわかった!やっぱりワタシとあなたは結ばれる運命なの!ああ、この時をどれほど待ったことか!初めて会った瞬間に抱き着きたい衝動を抑えるのが、千年で一番苦労したのよ!」
「…………………」
ノア様はあきれてものも言えないという感じで佇んでいる。
頭がヤバかったというのは聞いてたけどここまでで、しかも千年で微塵も色褪せていないとは。
「で、なんであんたが青い髪なのよ。光魔法の転生じゃ、光魔術師にしか転生できないでしょう?」
「そこがワタシも予定外だったの。正直、ワタシも最初は驚いた」
ルクシアが会話を再開した瞬間、ノア様はステアにハンドサインを送った。
ステアはそれを察し、精神魔法でノア様とリーフを繋げる。
「あれはワタシがこの世界に生まれた時―――」
ルクシアが話を続けようとした瞬間に、ノア様とリーフが動いた。
前後から同時に攻撃を仕掛ける。
「…………人の話は最後まで聞きなさいって、昔言ったよねノアちゃん」
「くっ!」
しかし、二人の攻撃は瞬時に氷によって阻まれた。
「無駄だよ、ノアちゃんじゃワタシには勝てない。リーフも強いけどワタシには及ばない。だってノアちゃん、昔から一度もワタシに勝ったことないじゃない」
「うるっさいわね!」
「それに弱体化してるし。それじゃあワタシに触れることすら出来ない。千年もの間光魔法を使い続けたワタシは、その魔法で出来ることは嫌って程熟知してる。ノアちゃん自身の動きも千年前に見切っている。そして」
「こ、のおおっ!」
リーフが無理やり氷を破壊し、雷を纏わせたレイピアを突っ込んだ。
「………あなたも、ノアちゃんと同じくらいの強さ。十分人外じみてるけど、千年の研鑽を積んだワタシには落雷魔法すら止まって見える」
「………!?」
しかしルクシアはギリギリで躱している。
続けてリーフが放電で攻撃するが、それもすべて氷で防がれた。
「驚愕、何この女………!?」
「とはいえ、ノアちゃんと愛を語らわなければいけないというのに、あなたは邪魔ね。ケーラ」
「はっ」
「!?」
ルクシアが名を呼んだ直後、リーフに鎖のような何かが巻き付いた。
瞬時にリーフはその場から跳躍して離脱。
しかし、鎖は消えることなくリーフに巻き付いている。
「リーフ!?」
「依頼っ、クロ!闇魔法で消して!」
「無駄です」
わたしたちの前に歩み寄ってきたのは。
「ケーラ、さん?」
「はい。ルクシア様の計画について黙っていた件についてはお詫び申し上げます。ですがこれが、我が主の途方もない時間の中での悲願なのです」
ルクシアの傍付きのケーラ。
彼女もあちら側の人間であることは分かっていた。
けど、おかしい。
彼女はついさっきまでとは、明らかに違う点があった。
「あなた、髪色が………!?」
「はい。これが自分の本来の髪色なのです」
その髪色は、今までの赤色ではなかった。
金色にも似た、しかしどちらかといえば明るい茶色に近い、黄土色。
「ルクシア様の側近筆頭、《封印魔術師》ケーラ。それが自分です」
「封印魔法!?」
「リーフ様の魔法を、不躾ながら『封印』させていただきました。闇魔法での解除はお勧めしません、現在彼女は封印によって魔力抵抗が著しく下がっています。その状態で普段の感覚で闇魔法を発すれば、彼女の魔力そのものを消してしまいかねませんので」
リーフはハッとして壁に向かって魔法を放つ。
すると風が衝撃波となり、壁を抉った。
「なんだ、使えるじゃねえか」
「………否定。想定した力の一割も出ていない」
「さすがと言っておきましょう。自分の全力の封印を施されておきながら、未だそこまでの魔法を放てるとは。しかしこれでは、ルクシア様に勝つことなど確実に不可能となりましたね」
その言葉を合図にしたように、わたしとケーラの間を縫って誰かが飛んできた。
「ケホッケホッ!」
「ノア様!」
「ああ、クロ。リーフは?」
「それが………」
「黄土色の髪―――封印魔術師ね。そういうこと」
吹っ飛んできたノア様は瞬時に立ち上がり、自分を飛ばした相手であるルクシアを見据えた。
「どういうことかしら?ケーラは私の知る限り、炎魔術師であるはずなのだけれど?」
「それについて説明しようと思ったのに、攻撃して来るんだもの。ちゃんと説明してあげるのに。正体を明かした今、ワタシとノアちゃんの間に、嘘偽りなんてあってはならないもの」
勝手なことをと叫びだしそうになる。
だが、その言葉は一瞬で脳のどこかに消え去った。
ルクシアの髪色が、青ではなくなっている。
「ふふっ、驚いてくれた?」
「何が、どうなってるのよ」
ノア様すら驚愕を隠しきれておらず、少しずつ近づいてくるルクシアをにらんでいた。
ルクシアの髪色が、青から―――金色に変わっている。
ノア様とまったく同じ色の、光魔術師の象徴に。
「これはあくまでワタシの仮説なんだけどね。ノアちゃんがまだハルちゃんだった頃、闇属性の転生魔法で千年後の世界に魂を飛ばした。その一方で、ワタシは時間軸を正しく進んで、千年もの時間をかけてここまで来た。だけどここで、問題が発生してしまったの」
問題?
「ノアちゃんが光魔術師として生まれようとしたこと。光魔術師は同時期に二人は生まれない。なのに光属性の転生魔法を最後にワタシが発動した時、次の世代には既に光魔術師として生まれる魂―――つまりノアちゃんの魂が存在していた。光魔術師と闇魔術師は同時期に一人。だからどちらかの転生魔法が競り負ける。そして競り負けたのはワタシの魔法だった。当然だよね、千年もかけて発動した魔法に、ついさっき発動した魔力が勝てるわけない」
それなら転生が失敗したことになり、彼女はもうこの世にいない筈。
なのに、どうして。
「それでも、千年もかけて十七度も発動したワタシの転生魔法は、失敗を許さなかった。その結果、世界の法則がバグを起こした。結果としてワタシはそのバグのおかげで転生することが出来た、ということ」
「バグ、ですって?」
「そう。そしてこれが、そのバグの正体。『同時期に二人の光魔術師が生まれない』という世界の法則に抵触せず、かつ光魔術師としてワタシがこの世界に存在できるという無茶苦茶な魔法」
ルクシアの髪色が、再び変化する。
赤に、青に、緑に、茶色に、黒に、ピンクに、黄緑に、オレンジに、灰色に、薄紫に、黄土色に。
「生まれた時、ワタシの髪色は赤だったの。でも次の日鏡を見ると、青に変わってた。その次はまた別の色、その次は―――ってね」
いや、まさか。
そんな反則なんてレベルじゃない、チートの権化のような魔法を持ってるなんてありえない。
「これが世界のバグ。決まった髪色を持たない、自在にワタシの知る髪色に自他問わず変色できる魔法。ワタシはこれを―――《染色魔法》って名付けた」