第152話 黒幕
「ぬ、おっ………!」
魔法を封じられているとはいえ、ルシアスを超える戦闘技術を持っている男だ。
普通に戦ったら、側近クラス全員でかかっても倒しきるまで時間がかかる。
だけど、開幕でステアの魔法が効いたなら話は別。
全ての体の動きが反転し、動作が笑いたくなるほど遅くなったフロムに、成す術はなかった。
「ぐあっ!」
「前の苦労が嘘みたいにあっさりだったな!」
「魔法が使えない、魔力抵抗も弱体化していて、挙句にステアの精神魔法が作用してしまえばこんなものでしょう。オトハ、神経毒を打ち込んでおいてください」
「了解ですわ」
ノア様とリーフは後ろで一進一退の攻防を続けている。
リーフはこっちに来たがってるみたいだけど、ノア様がそれを全力で阻止していた。
「フロム様!」
「余所見とは随分ね」
「あぐっ!」
それどころかフロムを倒したことでリーフの気が散り、ノア様が優勢だ。
これなら、あとはどこかに行った皇帝を生体感知で探し当てれば―――。
「舐める、なああああっ!」
と、思っていたら。
なんと、フロムが起き上がった。
神経毒を打たれ、動作を反転させられて尚、わたしたちの前に彼は立ち塞がる。
「敵ながらあっぱれってやつだな。だけど、もう立たない方がいいと思うぞ」
「致死量は打ち込んでいませんが、無理をすると毒の周りが早くなって後遺症が残るかもしれませんわよ」
「………は、ははは。心配は無用だ。ここで陛下を護れず、何が帝国総大将か!」
本当に、骨の髄まで騎士だなこの男は。
主人を護ろうとするその姿勢にはすさまじく共感するし、この男のこういうところはわたしとしては好ましく思うけど、だからといって手を止める理由にはならない。
「リーフ!抜け出せそうにないか!?」
「………遺憾、無理そう!」
「では仕方がない、こうなったら―――」
『もうよい、フロム』
フロムが何かを策を講じようとした瞬間、天幕の中から声がした。
すると中の影が立ち上がったように動き出し、やがて天幕の中から一人の男が出てきた。
土魔術師を示す茶色の髪、長い髭、皺だらけではあるが精悍な顔立ち。
そして二メートル近い高身長。
この男が、帝国現皇帝、ラルカ・フォン・ディオティリオ。
だけど。
何故か、本当に何故かは分からないけど。
彼は、まったく生体感知に反応しない。
にも拘らず、彼はこうして動き、話し、歩いている。
「なんだ、皇帝いるじゃないか。どういうことだよクロさん」
「油断しないでください。あの男、何故か生体感知で探知できません。何かの未知の技術を使っている可能性があります」
皇帝はわたしたちには見向きもせず、フロムの前に立ち、その肩をポンと叩いた。
『フロム、貴様はよくやった。四十年もの間、この帝国に忠義を誓ってくれた。余は貴様を誇りに思う』
「も、勿体ないお言葉でございますが、陛下!危険です、お逃げください!」
『その必要はない。あの者どもに、ワシを生け捕りにすることなど絶対に出来ぬ』
「………?へ、陛下?」
なんだ。
この嫌な予感は。
まるで、近くに『死』があるかのような。
闇魔術師独特の第六感が、わたしの身を震わせた。
『初めて会った時は、余も貴様もまだ若かったな。あの頃は素晴らしかった。貴様は余にとっての誇りそのものであった。そして貴様が老いた今でも、それは変わらぬ』
「ありがたきお言葉でございます。その言葉でこのフロム、あと三十年は帝国に忠を誓えますぞ!」
部下を労わる皇帝と、それに頭を下げるフロム。
ぱっと見は感動的な場面なのに。
さっきから、心の中にある謎の違和感が分裂するように増えていき、積みあがっていく。
「陛下、ワシが時間を稼ぎます。あなたの魔法があれば、この者たちからも逃亡できるでしょう。ワシもすぐに追います。ここは引くことになりますが、いずれまたあの光魔術師の娘を仕留めるチャンスはきましょう。さあ陛下、撤退を!」
『………余は本当に良き部下を持った。感謝するぞ、我が友よ』
―――ブシュッ。
「………え?」
その言葉を発したのは、誰だったんだろうか。
オトハか、オウランか、ステアか、ルシアスか。
わたし自身か。
もしかしたら全員か。
いや、あるいは。
「か、ふっ………?」
心臓に、守るべき主人の腕が突き刺さった―――フロム自身だったのかもしれない。
「へい、か………?なんっ………」
『…………………』
皇帝の腕が引き抜かれ、そのままフロムは地面に倒れた。
皇帝の虚ろな目が、フロムをまるで石ころを見るような目で見つめていた。
「フロム様あああああ!!」
背後から絶叫が聞こえ、その次の瞬間にはフロムの傍にリーフがいた。
後ろを見ると、ノア様も厳しい表情でそれを見ている。
「フロム様っ………フロム様っ!しっかり!」
「りー、ふ…………」
感覚で分かる。彼は致命傷だ。
心臓を貫かれ、フロムの命は持って数分だろう。
リーフは大きな動揺を見せたが、直後に憤怒の形相で皇帝を見据えた。
「怒髪、陛下、なぜこのようなことを!」
『…………………』
「答えろ!!」
リーフは目尻を光らせながら、皇帝に詰め寄る。
皇帝は動かない。声も出さない。
まるで、役目を終えた操り人形のように。
それを見たリーフが、堪忍袋の緒が切れたと言うように剣を引き抜いた瞬間。
「あはははは…………あーっはっはっはっはあ!」
突如、皇帝がいた天幕の中から、狂喜するかのような声が聞こえてきた。
やがてその声の主は、音もたてずに天幕の中から出てくる。
「………と、こんな感じに笑えば、黒幕っぽい感じが出ますかねー?ちょっとイカれてるやつっぽく笑ってみたんですが、生憎マトモなアタシは上手く出来てた自信がありません」
馬鹿げたことを言いながら天幕から出てきたのは、黒いフードを目深に被り、髪色すら見せない謎の存在だった。
声からからしておそらく女。
だけど、それ以外は全く分からない。
しかも皇帝同様、生体感知にまったく反応がない。
「ノワール………!お前かあああっ!」
「ちょっとちょっと、アタシは何もしてないじゃないですか。やるなら皇帝やってくださいよ」
ノワール。
その名前には聞き覚えがあった。
帝国の暗部組織カメレオン首領、コードネーム『ノワール』。
すべてが謎に包まれた存在。
それが、あの黒フード?
「さて、初対面の方々にはまずは挨拶からですね。初めましてノアマリー・ティアライト様、並びにその御一行様。アタシはカメレオン首領、ノワールというものです。以後お見知りおきを」
「そう。で?この私の計画を狂わせようとしておいて、まさか自己紹介しに出てきたわけではないでしょうね?」
ノア様の声は、少し怒気を孕んでいた。
フロムも手に入れようとしていたノア様だ、それを勝手に傷つけられたことが許せないんだろう。
「あははは、まさかまさか。アタシがここに来たのはちょっとした任務のためですよ。これもお仕事ってやつです」
「ノワー、ル………!」
「フロム様!?しゃべっちゃダメ!」
「おやおや?心臓を破壊されても生きているとは、流石は帝国総大将さんですねー」
リーフの静止も聞かず、フロムは立ち上がる。
そして、剣を構えた。
「こた、えろ………陛下、に、なにを、した………!?」
「んー、答えていいのかなー?まあいいでしょう、冥途の土産ってやつですね。ちょっとした種明かしと行きましょうか。と、その前に」
ノワールはフロムの凄みも意に介さず、飄々とした態度を続け。
その手をフードにかける。
「もう、『ノワール』でいるのは今日で終わりですしねー。この暑っ苦しいフードも要らないでしょう」
そして、彼女はフードを払うようにして脱いだ。