閑話 ステアとオトハ
リーフたちとの戦いから数日が経ち、ティアライト領には徐々に人が戻り始め、復興の準備が進められていた。
表向きノアの父親であるゴードン・ティアライトは事故死ということにされ、目撃者だった三人の記憶もステアが操り、その他のゴードンに加担していた従者はクロが始末し、晴れてこの領は正式にノアの所有物となった。
最も、既に実質この国の実権を裏で握っているノアにとって、そんなものはただのついでではあるのだが。
その復興の進む町の宿屋の一室、ノアたちが現在住まう場所で、ステアがボーっとしていた。
そこに一人の少女が入ってくる。
オトハだ。
「あら、ステアだけですの?」
「ん」
「他の皆さんは?」
「クロは、お嬢と修業。オウランは、ルシアスと。ルクシアさんたちは、知らない」
「そうですか。ステアは行かないんですか?」
「今、やってた」
「修業を?」
「ん。精神を、落ち着かせるのが、精神魔法の、基礎にして、さいきょーの極意」
「ああ、なるほど」
ノアの側近の中で、この二人はいつでもどこでも魔法の練習が出来るという、大きなメリットがある。
オトハは常時体内で毒を調合・実験しているし、ステアも自分の精神を使って色々と。
「オトハ、丁度、よかった。ちょっと、手伝ってほしい」
「………?珍しいですわね、どうしたんですの?」
「精神を、ずっと保つ、修業」
「ふむ、私にも有益そうですし、別に構いませんわよ」
しかし、どうしても人手が必要な時というのもある。
ステアがまさにその時で、彼女はベッドの淵から何かを取り出した。
「これは―――チェス盤、ですの?」
「ん」
クロが異世界の知識として持ち出した数少ないものの一つ、チェス。
世界では半分くらいの人がルールを知ってる程度にはメジャーなこの盤上競技だが、勿論この世界にはなかった。
これをクロが教えた結果、一時期ステアとノアがドハマりしたという経緯がある。
「クロさんが『わたしに無理やりやらせていたんですよ、父親が。最下層じゃこれすら賭けの対象になったもので、嫌でも強くなるしかなくてですね、気づいたら頭に盤が刷り込まれてるくらいになってました』とかなんとか遠い目で言ってたのを思い出しますわ。ところでこのチェス盤がどうしたんですの?」
「相手、して」
「へ?」
「ルール、わかる?」
「まあ、クロさんから教えてもらいましたし、オウランとも前はよく指していたので。ですがこれが修業ですの?」
「ん」
オトハは一瞬困惑したが、冷静になって考えればなかなかどうして理にかなっている。
精神魔法は物事の考え方や記憶なんかを知れば知るほどその精度が上がる傾向にあるし、その複雑な勝負はいかに冷静さを失わずに戦えるかの勝負にもなる。
ステアの修業に、運要素の絡むことのない盤上ゲームは確かに最適なのだ。
「理解しましたわ。まあ指しながらでも毒の調合はできますし、いいですわよ一局くらいなら」
「ん、よろしく」
そして、オトハとステアの対戦がはじまった。
そして二時間後。
「チェックメイト」
「ぎゃああああ!?」
「これで、五戦五勝」
「ぐううう………も、もう一回ですわ!」
「別に、いい、けど。オトハ、手が、分かりやすすぎ」
「言いましたわね、次は負けませんわ!」
いつの間にかオトハに関しては修業そっちのけでゲームに没頭していた。
負けず嫌いの節があるオトハにとって、いくら天才とはいえ、年下の少女に負けっぱなしではいられなかったようだ。
しかし。
「チェック」
「うっ、じゃあこれをこっちに………」
「チェック」
「うえっ、そう動かしますの!?えっとじゃあやむを得ませんわ、クイーンをこっちに」
「チェックメイト」
「あああっ!?しまったその手が!」
「オトハ、弱い」
「あなたが強すぎるんですのよっ!」
勝負は、終始ステアの圧勝だった。
それもそのはず、ステアはその絶対記憶能力で、過去の盤面をすべて覚えているだけでなく。
天才的な頭脳で何十手先をも見通し、そこからオトハが次に出すであろう手を、彼女の心理や性格などから確率的に割り出しているのだ。
実際オトハは弱くはないし、むしろかなり頭を使って指しているので非常に強い部類なのだが、ステアが強すぎる。
なにせ歴戦の猛者(不本意)であるはずのクロどころか、ノアすらステアには負け越しているのだから。
「まだ、やる?」
「も、もういいですわ………」
「ん」
ステアは非常に満足そうにチェス盤をしまった。
久しぶりに楽しめてご満悦のようだ。
しかし、オトハはそうはいかない。
「ステア、他に何かありませんの?」
「え?………んー」
このまま一勝もせずになんて終われない。
オトハの血がそう騒ぎ、もはや修行などはどうでもよくなっていた。
この際も腹の中では毒の調合が行われているのだが、オトハはそれが同時進行でできる自分の優秀さに気づいていない。
「じゃあ、ジャンケン」
「望む所ですわ!」
「ジャン、ケン、ポン」
ステアの勝ち。
「………三回勝負ですわよね?」
「ポン、ポン」
ステアの勝ち×2。
「もう一回―――って、心を読めるあなたがジャンケンなんて、無敵に決まってるじゃないですのっ!」
「………ちっ」
「舌打ち!あっ、もしかしてさっきのチェスも!」
「あれは、違う。普通に、自力で、頑張った。オトハが弱いだけ」
「きいいい!!」
オトハはその後も、しばらくステアと勝負を続けた。
ポーカー。
トランプの傷や汚れをすべて記憶してカードを操ったステアの勝ち。
ルーレット。
普通に回転を計算したステアの勝ち。
ジェンガ。
バランスを演算しながらオトハを誘導したステアの勝ち。
愛してるゲーム。
無表情無双でステアの勝ち。
「まだ、やる?」
「も、もう、結構ですわ………」
すでに日は暮れ、部屋にはけろりとしているステアと、ぐったりとしたオトハだけが残っていた。
あらゆるゲームでステアと戦ったが、終ぞオトハが白星を挙げることは無かった。
「なんだか、自分に自信を無くしそうですわ………」
「元気、出して。オトハから、自信を取ったら、微妙なものしか、残らない」
「それは励ましてるんですの、それとも死ぬほど馬鹿にしてるんですの!?」
年下の少女に完膚なきまでに叩きのめされたオトハの心は割と弱っていた。
オトハも頭はむしろ良いはずなのだが、ステアが異常すぎてそれが自覚できないというのが、オトハの悲しい運命なのかもしれない。
美貌、才能、頭脳、天は人に二物を与えずとか言ったどこかの偉い人を殴りたくなるような衝動に駆られるほどの天才、ステア。
彼女がノアの味方であることが唯一の救いだと、オトハは身を持って感じてしまった。
「こ、これで勝ったと思うなよぉ~~!」
オトハは少し目じりを涙で濡らしながら、夕暮れの街に飛び出して行った。
ステアはそれをただじっと見送った。
「ただいま戻りましたよ。おや、ステアだけですか?」
「ん」
「さっきオトハがちょっと泣きながら走っていきましたけど、何かしたんですか?」
「ゲームの、相手、してもらっただけ」
「あー………」
一人の天才の何気ない行動によって、秀才が挫折してしまうとは、意外とよくある話ではあるが。
それを物語の視点から見ている分には気持ちよさすら感じるかもしれないが、当事者からしてみればたまったものじゃないだろう。
―――オトハ、気の毒に。
帰ってきたクロは、心の底からそう思うのだった。