第144話 不機嫌
その時、地上の人々の多くが、その光景を目撃した。
現在進行形で戦闘中だった王国兵と帝国兵たち。
農業に勤しんでいた農夫。
王都で無邪気に遊んでいた子供。
王国全土に届いたのではないかという、リーフとノアの魔法のぶつかり合い。
それに伴う、空の発光。
千年前の世界を力だけで統一しかけ、時空を超えてやってきた光魔術師。
魔法全盛の時代ですら到達したものがいなかった四大魔法の究極の領域に至った風・落雷魔術師。
最強と最強の、本気のぶつかり合い。
どちらが勝ってもおかしくない、間違いなく歴史に残る大激闘だった。
光の発生源では、二つの影が空から落ちて来ていた。
言うまでも無く、ノアとリーフだ。
二人とも最高位魔法で魔力をほぼ使い果たし、さらには魔法の衝撃で体はどちらも傷だらけだ。
常人であれば数百回は死ねたであろう、超高密度の魔法の渦中に晒されながらも、驚くべきことに二人は生きていた。
それどころか。
「《光の減速》」
「《風の方舟》」
意識すら保っていた二人の怪物は、無傷で地面に降り立った。
最も無害だったのは落下の衝撃だけで、二人ともすでに戦えないレベルの大けがではあったが。
もしここにクロやフロムがいれば、間違いなく互いの大切な存在を全力で止めていたと確信できるほどの重症だった。
(街の近く、か………。偶然近くまで戻って来てたのね)
「か、はっ………!」
「ぐ、うっ………!」
膨大な魔力を短期決戦のために費やし、ノアも既に回復魔法を使えないレベルにまで魔力が落ちていた。
リーフもまた、手に雷を纏わせたが、すぐに掻き消える。
相打ち。百人中百人がそう思う光景だった。
だが。
「………まだ、あと一発、行けるわね!」
「………当然、これで仕留める!」
これでもなお、二人は戦意を失っていなかった。
どちらも体中に致命傷半歩手前の重症を負いながらも、その顔は笑みを崩していない。
どちらも剣は空中で砕け、丸腰。
互いに最後の魔力を絞り出し、腕に集中させた。
「はああああっ!」
「だああああっ!」
二人の戦いに、ついに決着が着こうとした。
しかし。
「っ!?」
「なっ………!」
突如ノアに向かって、地面が襲い掛かった。
まるで液体になったかのような土の波が、ノアに降りかかる。
「ぐぅっ!」
ノアは咄嗟に最後の魔力を足に宿し、光の速度で回避。
地面は何事もなかったかのように元に戻った。
「一体何が………そうだ、リーフは!?」
ノアは慌てて迎撃態勢を取り、周囲を見渡した。
しかし―――既に、リーフはどこにもいなかった。
「………………」
ノアは少しずつ回復してきている魔力をいつでも使えるように、体の各部位に集中させた。
だがリーフが再び姿を現す気配は見せず、土を動かした魔法の主もどこにも見当たらなかった。
「リーフが自力で逃げたとは思えないわ。てことは第三者の介入、だとしたら誰?カメレオンが待機してたのかしら、だけどそれにしては気配を感じな過ぎた。それにあの土魔法、練度が並の魔術師を優に上回ってたし―――」
ノアはいろいろ考えたが、彼女にしては珍しく、思考がまとまらなかった。
疲れや痛みのせい、というのもあるが。
「………ふ、ふふっ、ふふふふ」
最も彼女を支配していた感情は。
「あーっはっはっは!どこの塵屑かしら、この私の悦楽を邪魔し、あまつさえ私のものにするはずの子を攫ったのは!私からお気に入りを奪うとは良い度胸ね気に入ったわ、特定し次第八つ裂きにしてやるわ!!」
怒りだった。
「あああああ悔しいいいい!まだ決着ついてなかったのに!まだ一発撃てたのに!撃ってたら私が勝ってたのに!ムカつくムカつくムカつくムカつく!!生まれて初めてだわこんな屈辱は!どこの誰よ私を誰だと思ってるのかしら誰の許可を得てこの私の邪魔をしたのよクソがあああああ!!」
息を切らしながら、この時代に産まれてから一番と確信できるほどの怒りに身を任せ、ノアは叫びつくした。
それほど悔しかったのだ。
リーフとの決着が着けられなかったことも、それを顔も名も知らない誰かに邪魔されたことも、リーフを手中に収められなかったことも。
「はーっ、はーっ、はーっ………あー、気分悪っ!」
「ノア様!」
「ああん!?」
「ええっ!?」
「………なんだクロか」
もう何もかもに八つ当たりしたい気分のノアだったが、声をかけられて後ろを振り向いたところにいたお気に入りをみて若干冷静さが戻った。
「ど、どうかされたんですか?その、なんというか、今まで見たことないほど荒んでらっしゃいますが」
「あー、後で説明するわ」
「そうですか。………というかノア様、すごいお怪我を!?は、早く治療を!」
「え?ああ平気よ、致命傷は避けたし、魔力が戻れば光魔法で回復できるわ。というかクロ、あなたこそ全身火傷だらけじゃない。大丈夫?」
「はい、わたしも致命傷ではないので。わたしなんかのことはいいんです、ノア様は本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって言ってるでしょう、心配しすぎよ。それよりクロ、フロムはどうしたの」
クロの体がびくりと跳ねた。
それを見てノアも、何があったのかを察した。
「それなのですが………申し訳ございません!側近全員でフロムを追い詰めたのですが、謎の土魔術師によって―――」
「あー、もういいわ。大体わかった」
「え?」
「視界阻まれるなり攻撃されるなりして、なんとか搔い潜ったけどもうフロムがいなかったって言うんでしょう?普段なら説教だけど、生憎私もたった今同じ目にあったから、責められないわね」
その時の顔は、クロが今まで見たことも無いほどに不機嫌そうだった。
クロも直感で「あ、これは刺激しない方がいいな」と感じたほどにノアはご機嫌斜めだ。
「はー………クロ、戻るわよ」
「あ、はい!」
「ところでさっき側近全員って言ってたけど、下がらせたステアも来たの?」
「ええ。しかしあの子がいなければフロムが自爆して私たちも無事では済まなかったので、どうか責めるのは」
「あの子が考えなしの行動をするわけないし、別に責めるつもりはないわよ。他の子たちに怪我は?」
「あ、わたしとルシアス以外は無傷です。ルシアスもわたしと同程度の火傷を」
「明日まで耐えて、そしたら魔法で回復するわ。一刻も早くルシアスを治して、長距離転移を頭に叩き込ませるわよ」
「え、あ、はい」
ノアは静かに激怒していた。
強欲なノアは、手に入れようとしたものを目の前で奪われる屈辱に我慢がならなかったのだ。
(見てなさい、どこの誰かもわからない土魔術師………!必ず見つけ出して、ぶっ殺してやるわ)
不機嫌なノアと、オロオロするクロ。
ノアを殺しに来たフロムとリーフを引かせているので、文句なしにノアたちの勝利と言っていいはずなのに、そんなムードは一切なかった。