第131話 ルクシアの憂鬱
ノアたちが戦場で優雅に寛いでいる頃、ティアライト家でもまた、庭でリラックスタイムを満喫している人物が二人いた。
「はぁ………皆さんがいないと退屈ね、ケーラ」
「そうですね。しかしここ最近は我々だけというのも少なかったゆえ、少し懐かしくもありますよルクシア様」
ルクシアとケーラは庭でのんびりと雲を眺めながら、お茶を飲んでぼーっとしていた。
「そういえばたしかに、ケーラと二人っきりってこと自体結構珍しいかも。バレンタイン家では皆と一緒だったものね」
「ええ。これはこれで悪くありません」
「ふふっ、たしかに。たまにはこういうのもいいかもねー」
ケーラはフッと微笑んで、伸びをして欠伸をする暢気な主人を眺めていた。
「そろそろクロ様たちが、帝国の兵士たちと交戦している頃でしょうか」
「うん、多分そう。彼女たちの希少魔法があれば負けることは無いと思うけれど、少しノアさんが心配ね」
「ノアマリー様が?あの方こそ敗北など万に一つも無いと思われますが」
「ワタシもそう思うけれど、愛しの人を心配するのは当然でしょう?」
愛しの人。
ルクシアのその言葉を聞いてケーラは少し表情を曇らせたが、彼女は務めて感情を押し殺す。
「なるほど、もっともです。失礼しました」
「謝るようなことじゃないわケーラ」
ルクシアは穏やかな表情でケーラに説く。
「ずっと、ずーっとあの人に会いたかった。ノアさんに出会えて、こうして一つ屋根の下で暮らせるようになったというのは、すごい幸運だったわ。幸せだった」
「ですが、ルクシア様。その………」
「わかってるわ。婚約破棄されてしまった以上、いつまでもここに居座るわけにはいかない。そろそろ色々と考えなくちゃいけないわ」
ルクシアは苦笑し、少しため息をついて、ケーラの方を向いた。
「ケーラ、手伝ってくれる?」
「勿論でございます。自分は貴方様に命を救われ、生きる力を与えていただきました。自分の命は、ルクシア様に尽くすためにあります」
「ありがとう、ケーラは優しいわね」
ケーラはルクシアに救われた。
丁度、クロはノアに救われたように。
ケーラもまた、主人のためには命すら擲つ、クロと同じタイプの人間だった。
「じゃあケーラ、早速―――ぁ」
「………?ルクシア様、どうかなさいましたか」
「なんでもないわケーラ。そうだ、紅茶をもう一度淹れて来てくれないかしら。ゆっくりでいいわ」
「!かしこまりました」
ルクシアに肩をポンと叩かれたケーラは、ポッドとティーカップを両手に持ち、台所へと向かった。
「さて」
ルクシアはそれを見届けた後、笑顔でくるりと後ろを振り返って、
「そこにいる方。出てきてもいいですよ」
「………バレてたのねぇ」
近くの空間が歪み、その歪みが水となって地に落ちた。
そしてそこには一人の人物が立っている。
「透明化の魔法でも、殺気や気配は隠せませんから。もう少し自分を抑える訓練が必要だったのではないかと、僭越ながらご忠告させていただきます」
「あらぁ、随分と言ってくれるじゃなぁい。いいとこのお嬢ごときが、このあたしに魔法を説くなんて」
この口調、青い髪、容姿。
ルクシアは微笑みの奥で頭を高速回転させ、この人物が誰なのかを一瞬で確信した。
「分不相応な発言、失礼しました。それで、本題に入りましょう。ワタシに何か御用でしょうか、フェリ・ワーテル殿」
「へぇ、意外と博識じゃなぁい。あたしを知っているの?」
「噂に名高い皇衛四傑の一人、帝国最強の一柱。同じ水魔術師として、知らないというのはいささか無理があるでしょう」
「あらあらぁ、どうもありがとう」
「それで、ワタシになにか御用があったのですよね?よければお聞かせ願えますか?」
「そうねぇ、お聞かせしなきゃ、ねぇ!」
完璧な不意打ち。
フェリの水魔法による水圧カッターが、ルクシアの前後から首を狙って迫った。
帝国最強の水魔術師の本気。
前方からの全力攻撃による陽動と、本命の死角からの攻撃。
普通ならば確実に首を落とされる、紛れもない不可避の攻撃だった。
「《水精霊の舞》」
しかしルクシアは普通ではなかった。
後方からの攻撃を感覚で察知し、2つの攻撃を同時に躱した。
「!?」
「このような攻撃では、ワタシを殺すことはできませんよー?あなたが帝国最強の水魔術師なら、ワタシは共和国連邦最強の水魔術師ですから」
殺害を半ば確信したフェリは、その光景に仰天した。
そして皮肉にも、その躱し方が自分を追い詰めたリーフと同系統の魔法だったことに、理不尽な怒りを抱く。
「しかし、おかしいですねー?ワタシを殺しに来るのは分かりますが、何故わざわざあなたほどの人間が?せいぜいがカメレオン数人程度と予測していたのですけれど、四傑クラスをなぜワタシごときに?ワタシの実力を知っていたというわけではなさそうですし。ということは、原因はワタシではなくあなたに………」
ルクシアは頭を整理して、ノアに少し似た、黒い笑みを口に浮かべて。
「あなた、国で何かやらかしたんですかー?」
「!?だ、黙れええ!」
フェリの強力な水魔法が即座にルクシアに飛ぶ。
しかしルクシアはすべて躱す、もしくは撃ち落として防いだ。
「あんたさえ、あんたさえ殺せりゃあ、あたしはまたやり直せるのよぉ!」
「なるほど、つまりワタシの実力を察知した誰か、例えばフロム・エリュトロン辺りがあなたをこちらに派遣したのですねー。ワタシを殺せれば犯した罪を帳消しにするという条件でしょうか?ふふっ、なかなかにえげつない」
「さっさと死ね小娘がぁ!」
ルクシアに無数の水弾が迫る。
が、ルクシアは高密度の水を展開してすべていなした。
これはこと防御にかけては、ルクシアの魔法がフェリを上回っていることの紛れもない証拠。
ルクシア・バレンタインもまた、世界最高位の魔術師の一角であるという証明だった。
「この庭園は人様のうちのものですし、あまり壊すのはイヤなのですが―――あら?そういえばこんなことになっているのに誰も駆けつけてきませんね。いえそれ以前に、透明化があるとはいえ王国にとって最悪の敵の一人であるはずのあなたが、容易にここまで来れているということ自体………誰かの手引き?つまり―――」
華麗に攻撃を回避しながら、ルクシアは言葉に出して疑問を紐解いていく。
そして。
「あーーー………ご当主様、裏切っちゃいましたか。ノアさん相手に身の程知らずな」
偶然にも、ノアとほぼ時同じくして、ルクシアはゴードン・ティアライト伯爵の裏切りに気が付いた。
家の人間が駆けつけてこないのは、全員がゴードンによって何らかの対処をされているか。
もしくは、フェリによって殺されているか。
「気が付いたようねぇ。何を思って共和国連邦から王国に出てきたのかは知らないけれど、ノアマリー・ティアライトも味方の兵士もいない以上、あなたを守るものは何もないわよぉ」
「そのようですねー。これは大変」
言葉とは裏腹に、ルクシアは微塵の焦りも無かった。
「ですが、いくらワタシでも、このまま首を差し出して殺されて差し上げるほどのお人好しではないので、少しばかり本気は出しますよ」
「はっ!平和ボケの国の平和ボケお嬢様が、このあたしに勝てるとか夢見ちゃってるのかしらぁ?」
「夢、といいますか。出来れば夢であってほしかったことが半年ほど前に起こったもので。ですが如何せん居候の身、物を壊してストレス発散とかも出来ず」
「はあ?」
ルクシアが言っているのはノアの結婚不可宣言に関してだが、それを知らないフェリは困惑するのみだ。
「しかし、丁度良かったです。半年間ため込んだストレス、どうやって発散しようかと思い悩んでいたもので。あなたは八つ当たりに丁度いい」
「………?」
ルクシアは自らの周囲に水を生成し、それを体にまとわせる。
「あなたを壊して、ストレスフリーに舞い戻るとしましょう♪」