第130話 特攻隊
八千二百人。
ノア様が殺戮した人間の総数だ。
つまりノア様は、わたしたちが五人がかりで殺しつくした一万人という数の八割を一人で殺したことになる。
元味方のティアライト領直属兵士たちは、友人を、兄弟を、ライバルを、たった数分で仕える主の娘に殺されたのだ。
色々通り越してもはやホラーだと思う。
「ステア、付近の生き残っている連中を精神魔法でここに呼び寄せなさい」
「ん。《情報通信》」
ステアの情報を頭に刷り込む魔法で、少しずつ兵士が集まってきた。
武器を持つ者、持たないもの、怒った顔をしている者、涙を流している者、下半身を濡らしている者、多種多様だけど、全員ガクガクと震えているのは共通している。
「ごきげんよう、ティアライト領の頼もしい兵士の皆さん?私からの楽しいサプライズプレゼントはどうだったかしら?」
「ふざけるなああああ!!」
一人の兵士が、堪忍袋の緒が切れてノア様に襲い掛かってきた。
しかしまあ、随分な蛮勇だ。
「クロ」
「《死》」
兵士はその場に倒れて動かなくなり、それが一層周囲の恐れを強くした。
「さて、あなたたちが望むならもう一度今の素敵な光魔法をプレゼントしてあげてもいいわよ?どうかしら、私にもう一度歯向かってみない?大歓迎よ」
「め、め、めめめ滅相もございません!降伏、降伏いたしますうう!」
でしょうね。
周りの連中は全員武器を捨てて土下座を始め、雨の中の捨て犬のように震えていた。
「ふぅん?でも残念、私に一度歯向かった時点で、私としてはあなたたちに価値を見出せないのよねえ。どう思うあなたたち?」
「殺すべき」
「お嬢様に牙を向いたのですから、死んで当然ですわよね?」
「生かすメリットがありません」
「やっちまっていいんじゃねえのか?」
「御命令とあらば即座に駆除しますが」
満場一致で殺すことが決定した。
「ひいいい!?ゆ、許してくださいいい!仕方がなかったんです、領主様の御命令でえ!」
「あらあら、そうだったのね」
「そ、そうなんです!だからっ」
「で?」
「え………?」
ノア様は満面の笑顔で、もはや狂気すら孕んだ一片の曇りもない表情で。
「それが、この私を殺していい理由になるのかしら?」
周りを完全に絶望させた。
全員が悟ったことだろう、ノア様の頭がおかしいことに。
どんな恐ろしい相手を敵に回したかということに。
「だけどそうね、父に命令されて仕方がなくやった可哀想な子たちを、無闇に殺すというのもあれね」
「!?そ、そうなのです!だからどうか、どうか温情をばあ!」
ついさっき、その可哀想な子たちを半分くらい平然と殺戮した狂人が何か言ってるが、スルーだ。
「じゃあ、私の言うことを聞いてくれるかしら?ちゃんとお役目を果たせたら、あなたたちを見逃してあげるわ」
「な、なんなにりと!我々はこれよりあなた様の」
「じゃあ、敵陣に突っ込んできなさい」
「―――え?」
「聞こえなかった?突っ込みなさい、あの先にいる帝国兵たちのとこに。まだ七千人近くいるんだし、頑張れば半分くらいは殺せるわよね?ちゃんと帝国兵と戦って、生き残った子だけを生かしてあげる」
ノア様は天使のような笑顔で悪魔のようなことを言い始めた。
要するにあれだ、日本で言うところの特攻だ。
敵陣に突っ込んで死ねと暗に言っている。
自分の主人じゃなければ引き倒しているところだ。
「ノ、ノ、ノアマリー、様。それは我々に、死ねとおっしゃっているんですか?」
「あら、そう聞こえなかった?」
「や、約束が違いますぞ!我々を助けてくださると」
「調子乗るのも大概にしなさいよ、雑魚が」
「ひっ………!?」
いきなりのノア様の急変に、わたしたち以外の全員が怯えた顔をした。
不機嫌そうと言えば簡単だけど、同時に殺気に近いものを放っているからか、凄まじく恐ろしい怪物に見えているんだろうなあ。
憐れな。
「この私よ?世界で最も尊ばれるべきこの私に、身の程知らずにも刃を向けておいて、助けてくれ?約束が違う?随分と偉い口を利くじゃない」
「ぎ、ひ、ひいい………」
「別にやらなくてもいいのよ。ただ、この場でやらないって考えた子は全員この場で殺すけどね。ステア、適当に一人やっちゃいなさい」
「《精神破壊》」
近くで泣いてがくがく震えていた若い兵士が、その場で精神を破壊されて脳死した。
相変わらず、容赦のなさはわたしたちの中でダントツだね、ステアは。
「逃げようと考えて実行したら、即座にこの子が感知して今みたいに殺すわよ。今ここで100%殺されるか、極小の生存の確率にかけて帝国兵に突撃するか」
ノア様は不機嫌そうだった顔を、再びニコリと笑ませて。
「決めるのはあなたたちよ?」
***
ノア様の脅しで、兵士たちは泣きながら帝国兵の方に突撃した。
何の策略もない、ただ物量だけで押しつぶす作戦。まあ二、三千人殺せれば出来すぎくらいだ。
「これで明日の朝にでも結果が見えてくるでしょう。ただ、傭兵の報告にあった敵兵の別動隊にだけは気を付けなさい。ここに来たところを迎え撃つことになると思うけれど、警戒は怠っちゃ駄目よ」
ノア様はそう言って、天幕に引きこもりっぱなしだ。
少しかっこいいところを見せてくれたと思ったらこれだ、我が主ながら怠惰人間まっしぐら。
だけどそれでも、わたしが心酔してしまった主人だ。
しっかり守らなければ。
焦げたにおいがする。
風向きの影響で、こっちにまで炎系魔法の匂いが漂ってくるらしい。
この匂いの元で、何人の人々が命を落としたんだろう。
でも仕方がない。これは戦争なんだから。それくらい割り切ってる。
そもそも、神様がわたしに与えた力自体が、人の命を奪うための力みたいなものだ。
そういう意味では、もしかしたらわたしは、かつての世界でいうところの『魔王』にでもなった方がよかったのかもしれない。
でも、それは無理な相談だ。たとえ神様がここに現れて、魔王になれとわたしに命令したとしても、わたしは従わない。
わたしには、神なんかより大切な御方がいるんだから。
「クロ」
わたしを呼ぶ声に振り向くと、そこには大切な同僚がいた。
「ステア。どうかしたんですか?」
「ん。お嬢が呼んでる」
またかと、わたしはげんなりしたが、命よりも大切な御方が呼んでいるとなれば、行かないわけにはいかない。
いったい、どんな無理難題を吹っ掛けられることやら。
わたしは眺めていた月に背を向けて、主人の元へと向かった。
はい、ここがプロローグと各キャラの閑話に繋がる物語でした。
閑話が入ってる影響で次回少し話が飛びます。