第126話 婚姻関係
クロたちが喧嘩を諌めているのと同時刻、ノアとルクシアはティアライト領の高級レストランで腰を落ち着かせていた。
とはいっても食事を楽しみに来たわけではなく、ルクシアに場所を知られるわけにはいかない大書庫以外で最も密談に適しているのがここだったというだけだが。
「うーん、クロさんたちを置いてきてしまっても良かったんでしょうか?ワタシはともかく、ノアさんの場合は皆さん大心配なのではー?」
「でしょうね、けどルシアスの空間魔法で私の位置自体は把握しているだろうし、そもそもあなたと私を同時に相手取れる人間なんてこの世界にほぼいないと断言していいわよ」
「ああ、それもそうですね。それがわかってるからこそ、ケーラはワタシを見逃したんだと思います」
ルクシアはニコニコしながら、ノアの顔から眼を離さずにそう言う。
「さて、今回あなたを呼んだのは、要件が二つあったからよ」
「ふむ、一つは大体予想がつきますね。帝国からの刺客のことでしょうか?」
「さすがね、正解よ。さすがにそろそろ、あなたが私と一緒にいることが帝国にばれているでしょう。そうなるとあなたを暗殺しようとする輩も出てくるはずよ」
そもそも帝国は当初、光魔術師であるノアを帝国に取り込むことで、名実ともに最強鉄壁の国となる計画だった。
しかしその計画の肝であったギフト家はオトハとオウランを仲間にする際に既にステアが潰しており、しかも次なる手を打つことも出来ずにルクシアにノアを奪われた。
事実的な婚姻ではなく、利害が一致している間だけの仮初の婚姻ではあったが、この報告が帝国を動かしたのは言うまでもない。
帝国は即座にノアを諦め、王国に攻め入ることにした。
しかし、これは裏を返せば、『ルクシアさえ排除してしまえば再びノアを手に入れるチャンス』ということでもある。
それを読み、暗殺や襲撃を極力回避するため、ルクシアは亡命を選んだのだ。
「そういう背景があるとはいえ、よ。蓋を開けてみればルクシア、あなた並の四傑以上に強いじゃない。私の側近とも互角に立ち回れるだろうし、はっきり言って守る必要がないわ」
「ええ、ワタシがこの国に来たのはノアさんに会う口実ですもの。帝国にはむしろ、感謝しているくらいです」
「怖い子ね、でもそれがあなたの魅力よ。だからその刺客に対しての対処は貴方に任せてしまってもいいか、という疑問が一つ目」
「それについては構いませんよー。ケーラもいますし、それにまだいくつか奥の手も用意していますし」
「頼もしいわね」
ノアは卓越した洞察力で、ルクシアが未だに本気を出していないのは見抜いていたが、それがどれほどのものなのかはさすがに把握しきれていなかった。
だからこそのお手並み拝見。
(下手したらこの子、私と互角くらいには強いかもしれないわ。魔力量もおそらくオトハを上回っているし、このまま味方関係を結んでおきたいわね)
「さて、じゃあ二つ目なのだけれどね」
「はい、なんでしょうか?」
「私たちの今後について」
ノアがそう言った瞬間。
一瞬。
ほんの一瞬、ルクシアの目が鋭く光った。
「今後というのは、この仮初の婚約をどうするか、ということでしょうかー?」
「ええ」
「ワタシとしては、このまま本当に結婚してしまうというのも大歓迎なところです。ノアさんに惚れているというのは本当なんですよ。正直、このままなし崩しで結婚に持っていこうと、そう画策していたことは否定できません」
「まあ、そうでしょうね。私も本音を言えば、ルクシアとなら結婚してもいいと感じている部分はあるわ」
「でしたら―――」
ルクシアは顔を明るくしたが、直後に表情を少し暗くした。
ルクシアはこの時代で、ノアと肩を並べる天才だ。
次に続く言葉を察したのだろう。
「だけど、あなたとこのまま結婚することはできないわ」
「………ええ。そう言われると思っていました」
ノアもいつもの微笑を崩し、真っ直ぐルクシアを見ていた。
「一応、理由をお聞かせ願いますか?」
「まず根本的に、私には結婚願望が薄いというのが一つ。そしてもう一つが、私はルクシアを幸せにすることが出来ない」
ノアの目的は世界の掌握。
ただ「ノアと一緒にいたい」と望むルクシアの小さな欲とは比較にならないほど壮大なものだ。
そうなるとルクシアにばかり構ってもいられない。
もっといえば、多くの人間と関係を持たなければならないかもしれない。
自分の気に入った人間は幸せになるべきだと考えているノアにとって、ルクシアと結婚することは自分自身が許せなかった。
「ワタシは気にしません。ノアさんと一緒にいられるのであれば、ワタシはそれで」
「ならば結婚っていうことにがんじがらめになる必要はないはずよ」
「それはっ………」
ルクシアは黙ってしまった。
俯き、何かをこらえるように。
ノアはルクシアが嫌いというわけではない。
むしろ好いているし、気に入っているし、自分に野心がなければ迷わず結婚していただろうと確信しているほどだ。
世界征服。言うのは簡単だが、この道のりは果てしない。
そこにルクシアを巻き込むのは、さすがに―――。
―――ゾクッ!
「――――っ!?」
全ての思考をノアは一瞬で切り替え、振り向いて距離を取った。
全身の毛が逆立ち、反射的に魔法を放ちかけるほどの膨大な、なにか。
文字通りの一騎当万、百戦錬磨の天才魔術師であるノアの理性と本能が、同時に警鐘を鳴らすほどの、なにか。
「ルクシア………!?」
顔を伏せたルクシアから、それは放たれていた。
しかし、それは一秒もしないうちに霧散し、顔を上げた彼女の顔には、困ったように笑う、普通のルクシア・バレンタインの姿があった。
「そうですか、残念です。予想はしていましたが、突きつけられる事実というのは悲しいものですね」
「………………」
「?どうしたんですかノアさん。………ああ、ノアさんが申し訳なさを感じるとか、そう言った必要は一切ありませんよ。あなたは正しい。ワタシはノアさんの、足枷になりたいわけではないんですから」
「そ、そう。それなら、その、ありがとう」
「ええ。でももうしばらくはこの婚姻関係を継続した方がいいでしょう。少なくとも、帝国との戦争が終わるまでは」
「そう、ね。ええ、そうしましょう」
「なにか警戒しているようですが、何かあったのですか?」
ルクシアは、いつも通りだった。
いつもの愛らしい笑顔、いつもの佇まい。
驚くほど、ルクシア・バレンタインは普通にそこにいた。
(気のせい、だったのかしら………?)
ノアは頭を高速回転させるが、結論は浮かんでこない。
仮説は一瞬にして百以上思いつくが、これといった確証があるものはない。
故にノアは、ルクシアに何も問えなかった。
「さて、そろそろ帰らないと皆さんに怒られてしまいますね。戻りましょう、ノアさん」
「え、ええ」
謎のわだかまりをノアの心に残したまま、二人は店を出た。
ノアは頭をフル回転させた結果、ルクシアには何も聞かなかった。
何か、重大なことを見落としている気がする。そんな気分を残しながらも、ルクシア自身はクロが嘘を今までついていない潔癖な人間であることを証明している。
だからこそ、ノアはルクシアを信じたのだから。
「さあ、帰りましょうノアさん」
「………ええ、そうね」
(まさか、ね)