第125話 喧嘩
大変お待たせ致しました、再開します。
「失礼しますノア様、クロです」
帰って来てから数日後、わたしは今後の動きの確認のためにノア様の部屋を訪れた。
しかし返事がない。なにかあったのかと心配になり、ドアノブに手をかけた。
「入ります」
一言断って扉を開けると、三日前にわたしが片付けたばかりとは思えないレベルで本、服、食器の数々が散乱している。
しかし、主人の姿はどこにもなかった。
「ノア様?一体どこに」
「あれ、クロさん?」
声がして振り向くと、オウランが立っていた。
「ノアマリー様ならいないみたいだぞ。オトハが書庫でさめざめと泣いてたからな」
「え?いないってどこに行かれたんですか?」
「さあ」
「さあって、ノア様に万が一のことがあったら―――」
「僕もそう思うけど、まあ心配は要らないだろ。ルクシアさんもいないみたいだし」
「ルクシア様も?」
「ああ、ケーラさんが昨日ウキウキした顔で服を選ぶルクシアさんを見たらしくて。大方、二人でこっそり出かけたんだろうってさ」
「大丈夫でしょうか、いくらあの二人とはいえ」
「クロさんは過保護すぎるだろ。あのノアマリー様とルクシアさんだぞ?王国最強と共和国連邦最強がタッグで歩いてるんだ、誰も手なんて出せないよ」
「それは、そうかもしれませんが………」
主人に巻かれてそのままでいるというのは、側近としていかがなものか。
「僕たちどころかステアすら置いて行ったってことは、二人で何か話があるんだろ。一応ルシアスが空間魔法で位置把握はしてるから、問題はないさ」
「………わかりました」
まあ、どこにいるかわかるならいいか。
あの御方のことだ、思い付きでどこかの街に遠出とかやりかねない。
そうなったら全速力で止めに行かなければ。
「ルシアスの空間魔法とステアの精神魔法を併用して、完璧にノア様たちの居場所を把握できるようにしましょう。なにかあれば即座に対応できるようにしておかなければ」
「………相変わらず、ノアマリー様のことになると一切手を緩めないな」
「?当然でしょう」
わたしはオウランを連れて、闇魔法で大書庫に降りた。
既に中には他の三人もいるはずだ、今回ばかりはオトハと利害が一致するし、あの子にも手伝ってもらわなければ。
「三人ともいますか?ノア様の動向を―――」
「このちびっ子、今日という今日は許しませんわ!そもそもいつもいつもお嬢様と年齢差を利用してのスキンシップ、そろそろ代わってもいい頃ではなくて!?」
「お、おいおい落ち着けって………」
「ちびっ子って、オトハに、言われたくない。そんなだから、お嬢に、一番、触れない。べー」
「きいいいいい!!」
「ステア、お前も煽るな!あっ、良いところに来たお前ら、ちょっとこっちに」
わたしは回れ右をして降りてきた階段を上がった。
「うおい!気持ちは心底分かるが、俺を置いて行くな!」
しかし空間魔法で先回りしてきたルシアスに阻まれた。
思わず舌打ちをしそうになった。
「聞きたくありませんが、一応。なんですかあれ」
「それがなあ」
ルシアスが説明しようとしてくれたところだったが、事の張本人が叫ぶように話をし始める。
「聞いてくださいなクロさん!お嬢様を追おうとしたら、ステアに『大人の関係に口を挟んじゃダメ』とか言われたんですわ!お嬢様とルクシアさんが大人の関係になるなど断じて認められないと、私はステアに言ったのです、このままお嬢様が取られていいのかと!そしたらこの子なんて言ったと思います!?」
もう既に果てしなくどうでもよかったけど、一応この四人を纏める立場を任されている人間として聞かないわけにはいかない。
ああ面倒くさい。
「なんて言ったんですか、ステア」
「『お嬢は、私の』って、言っただけ」
「それだけじゃありませんわ!この子ときたら、お嬢様と一番触れ合っているのは自分で、逆に一番触られてないのは私だとそう言ったんです!」
「あなた椅子にされたり踏まれたりでなんだかんだノア様とスキンシップをしているでしょう、何が不満なんですか」
「た、たしかにそれもご褒美の類いですが!私はもっとこう、お嬢様に、そのぅ………」
なんでいきなり顔を赤らめる。
ごにょごにょと何か言ってるが、「ハグ」とか「キス」とか聞こえた。
なんで普段のあのいっそ清々しい痴態は臆面も無くやるのに、こういうところは初心なんだろう。
「私は、お嬢と、全部経験済み。どやっ」
「ぐぎいいい!!」
「つまりなんですか、ステアはオトハ相手にマウント取りたかったんですか?気持ちはわかりますが、人間関係に溝が出来るのでやめた方がいいです」
「そうですわ、クロさんの言う通り………クロさん、気持ちが分かるとかいいました?」
「言ってません」
わたしがステアを注意すると、珍しくステアが頬を膨らませた。
可愛い。
いや、そうじゃない。
「私は、お嬢と、ルクシアが、秘密のお話してるかも、だから、行かない方がいいって、言っただけ。勘違いしたのは、オトハ」
「ふむ、なるほど」
「勘違いして、暴走して、変なこと言うから、ちょっとムカついただけ。私悪くない」
ステアはぷいっとそっぽを向いてしまった。
天才だから忘れがちだけど、この子はまだ十一歳だ。
素直に謝るというのがちょっと癪なお年頃なんだろう。
「はぁ………二人の言い分は分かりました。まずステア、あなたはまだ子供ですから、無理に自分を制御しろとは言いません。だけど悪いと少しでも思うなら謝る、これは守ってください。謝罪は負けを認めることではありません、ちゃんと相手に理解を示したことを知らせるメッセージです。分かりますね?」
「………ん」
少しノア様に影響を受けているとはいえ、根が素直で頭が良いステアは、ちゃんとわたしの話を理解してくれたようだ。
「オトハ、あなたはもう少し年上としての自覚を持ってください。三つも離れた子にムキになるのは恥ずかしいですよ」
「うぐっ」
「あと、元をたどればあなたの頭の中が真っピンクなのが原因のようですから、ちゃんと自制してください。ノア様は魅力的な方なので心惹かれる気持ちはわかりますが、理性を持って接しなければ」
「わ、わかりましたわ………」
何故わたしが、こんなアホな喧嘩をシリアストーンで仲裁しなければならないのか。
あと男二人、後ろで拍手するのをやめてほしい。
「………ごめんなさいステア、大人げなかったですわ」
「ん、私も、言いすぎた」
二人とも頭はいいのに、何故こんなことに発展するのか。
事を整理して、事実を冷静に客観視すれば、口喧嘩なんて大体二秒で終わるだろうに。
「はぁ、本当に人間って面倒ですね………」
「そういえば、クロさんが誰かと喧嘩しているところなんて見たことがないな」
「そうなのか?」
言われてみれば、たしかに。
「姫さんに説教しているところは飽きるほど見たけどなあ」
「あれは喧嘩じゃないだろ」
「喧嘩なんて、どちらかに非が無いなら起こらないものですから」
わたしは前世から、極力正しくいようとしてきた。
今はノア様が絶対だから正義だのなんだのなんてどこかに捨ててしまったかもだけど、それでも出来る範囲で自分を客観視して、最善の行動をとってきたつもりだ。
「わたしは自分に非があれば謝罪しますし、無ければ全力で相手を正論で殴ります。それで理解できずに反抗してくるようなら、人間以下の別生物として諦めます。だから喧嘩というものを体験したことは無いですね」
「お、おう」
「『自分の非を認めることが出来る人間』、これがわたしが求める人間としての最低条件ですね」
自分の借金を世間のせいにして自分を守っていた両親を見てきた弊害だろうか。
わたしは理路整然とした説明をしても理解しようとしない人間が一番苦手だ。
別にオトハのような変態だろうが、ステアのようなマイペースだろうが構わないけど、自分の状態を客観視できない人間とは相性が悪すぎると思う。
「確かに、クロの喧嘩とか想像できねえなあ」
「逆にクロさん、どんな人間相手なら喧嘩になるんですの?」
「ふむ………」
いつの間にかわたしの喧嘩相手の話になっているけど、なんだこれ。
まあいいか、たまにはこういう時間があっても。
「まあ、向こうも違うベクトルの正論でもぶつけてくれば、喧嘩になるんじゃないでしょうか」
そんな相手がわたしに出来るとは、到底思えないけど。