第11話 産声
「お願い、します、見ないでください………こんなわたしを、その視界に入れないでください………!」
懇願の言葉しか、口から出てこなかった。
汚い自分を見ないでほしい。
穢れてしまった自分を、道を誤ってしまった自分なんか、捨て置いてほしい。
わたしは、あなたとはもっともかけ離れた存在なんだから。
この世界で最も蔑まれる黒髪で、見た目もあなたみたいに綺麗じゃなくて、それ以前に服も体もボロボロで見れたものじゃなくて。
出会った瞬間に、わたしのなかに芽生えていた悪意は、すべて吹き飛んでしまっていた。
今ここにいるのは、悪意に支配されていた抜け殻。
命があることに感謝せず、せっかく拾った命を無駄にしようとして、あまつさえ他人にまで危害を加えようとした、立派な犯罪者で、劣等な黒髪だ。
わたしに与えられたこの力が何なのかは分からない。けど少なくとも、あんなことに使うためにあるはずがない。
わたしは頭を抱え、必死にその姿を見まいとした。
だけど、わたしに近づいてくる気配がする。
「お、お嬢様!?」
「大丈夫よ」
わたしに近づいてきている?
何のために?
とにかく、もうこの場から離れるべきだ。
ひっそりと暮らそう。誰もいない森の中で、静かに過ごそう。
誰にも見つからないように。この人の記憶の片隅にも残らないように。
そう思っているのに、わたしの体は思うように動かない。
こんなボロボロの体になる原因を作ったあの傭兵たちを、別の意味で恨んだ。
この場から離れようと………いや、違う。
逃げようとしている間にも、彼女はわたしに近づいてくる。
怖い。恐ろしい。
彼女自身が怖いのではない。彼女の言葉を聞くのが怖い。
身分も、美しさも、才能も、何もかもがあの人に劣っている。普通の人間以下の、他人の命を奪うなんて忌まわしい力を持つわたしだ。
どんな辛い言葉をかけられるかわからない。
王とすら錯覚した彼女に蔑まれては、わたしはもう、生きていける気がしなかった。
「いや………いやぁ………!見ないで、来ないで………私なんかを、気に留めないで………!」
わたしの言葉も届かず、彼女は僅かな距離をいとも簡単に詰め寄ってきた。
彼女から発せられる謎の威圧感に、周りの人たちすら黙り込む。
逃げたい。
この人に何か言われる前に、逃げたい。
お願い、やめて。
「間違いなく、純粋な黒髪………まさかこんな近くに………」
わたしに残酷な言葉をかけないで。
お願いだからこのまま通り過ぎて。
これ以上、わたしを―――
「素晴らしいわ」
「ぇ………?」
罵倒されるんじゃないかと耳を塞ぎかけたわたしの耳に届いたのは。
一瞬、わたしにかけられたと気づかない、シンプルな賛辞だった。
周りの他の誰かに言ったのではないかと疑ってみたけど、彼女の眼はまっすぐ自分を見ている。
「見ればわかるわ。まだまだ未成熟で全然弱いとはいえ、その魔法を独自で習得したのね!素晴らしい、素晴らしいわよ!あははは、まさか探してた逸材がこんなに早く見つかるなんて思わなかった!あー、テンション上がって来たわ!」
この「魔法」と、彼女は言った。
わたしが使っている力は、本当に魔法なんだろうか。
「ふー………あなた、名前は?」
「え?」
「だから名前。聞かせてくれないかしら?」
名前。
自分の―――?
「………ありません」
「ないの?」
「生まれてすぐに、親に売られたから………名前すら付けてもらえませんでした」
「あらあら。随分と過酷な人生歩んでるみたいねぇ」
彼女は何がそんなに嬉しいのか、ニマニマしながらわたしを見据えてくる。
「私の名前はノア。ノアマリー・ティアライト。黒髪のお嬢さん、あなたは今後、どうやって生きていくつもりなの?」
「どうやって………?」
「あなた、自分の命に価値がないと思っている口でしょう?黒髪に生まれて、人に、親にすら裏切られて、疲れて、何もかもを諦めたくなっている。そんな顔してるわ」
「………なんっ」
「あなたは正しいわよ」
いきなりかけられたその言葉に、わたしはバッと顔を上げた。
「何を驚いているの?当たり前じゃない、髪色で差別されて、どこの誰とも知らない集団に追いかけまわされて。その格好と傷を見ればわかるわ、相当な目にあって来たのでしょう?そんなになるまで追い詰められれば、誰だって自暴自棄になるわよ」
「で、でも、わたしはっ」
「あなたは間違ってないわ」
あっさりと述べられたその言葉に、わたしは呆けてしまった。
さっきまで殺そうと考え、そしてその姿を見ただけで自分の愚行を後悔したほどの人に、正しいと言われた。
「でも、今はあなたに人殺しをさせるわけにはいかないわね。今のあなたを作ってしまったのは、この世界。才能ある者が虐げられ、自分よりも無能な連中に蔑まれる、そんな間違った世界よ」
「ど、どういう、意味ですか?」
ノアマリーと名乗った少女は、微笑むだけでその問いには答えてくれず、代わりにその手をわたしに差し出してきた。
「名も無き黒髪の、哀れな少女。その命を、こんなくっだらない所で粗末にするのはやめなさい。どうせ捨てる命なら、勿体ないから私の為に使いなさい。その類い稀な才能を、私の為だけに使いなさい。
私を楽させてちょうだい。もうほとんど何も残っていないその人生のチップを、私に捧げてみるといいわ。
そうすれば、私があなたに与えてあげる。生きる意味も、魔法の使い方も、幸せも。だから」
「私のものになりなさい」
傲慢で怠惰で強欲な、傍から見れば上から目線としか思えない、彼女の言葉。
この人は善人じゃない。むしろ、目的のためなら手段を択ばないタイプの、悪人に近いタイプだ。
けどわたしは、そんな彼女に、どうしようもなく魅せられた。
人に騙され、裏切られてきたわたしだから分かる。この人は、嘘なんて微塵もついていない。
本当にわたしを必要としてくれている。こんなわたしに、欲しかったものを与えようとしてくれている。
奪われ続けたわたしにとって、それは何よりも渇望していたものだった。
でも。
「黒髪と」
「黒髪と一緒にいたら不幸を呼ぶ?知られれば私も迫害される?そうかもね」
わたしが言おうとした言葉を遮り、彼女は話を続けた。
「関係ないわ。黒髪が不幸を呼ぶなんて嘘に決まってるじゃない。金髪が幸運を呼ぶっていうのもまたしかり。あなたの価値も理解できない衆愚共になんて興味ない、あなたも相手にするのはやめなさい。
うだうだ理屈並べられるのは好きじゃないわ。私が今欲しい言葉は、はいかYESか、それだけよ」
遠まわしに拒否権はないと言われた。
だけどその姿に、その言葉に、わたしは思わず涙をこぼしてしまった。
この人の言う通りだ。一度踏み外しかけた人生、どうせ捨てようとしていた命。
ならいっそ、この人のために使おう。
わたしを必要としてくれたこの人に、すべてを捧げてみよう。
「で、答えは?」
この人こそが、わたしの主だ。
「はい………!」
これがすべての始まり。
この出会いでわたしという存在は生まれた。
後に『死神』と呼ばれるわたしが、産声を上げた瞬間だった。
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