第121話 皇帝
「ランドが戦死しただと?」
ディオティリオ帝国城の最上階で、フロムとリーフは膝をつき、首を垂れていた。
その前には天幕が下がった玉座があり、顔や姿こそ見えないが、陰で誰かがいるということは分かる。
そして皇衛四傑の地位に就くフロムとリーフが頭を下げるということから、その人物が誰なのかも。
「はっ。どうやら、ノアマリー・ティアライトの側近に殺害されたものとみられます。ゼラッツェ平野にいた赤銅兵団は壊滅、生き残ったのはわずか七人と」
「ふむ」
影の正体は当然、この帝国を治める者。
ディオティリオ帝国、第十六代皇帝―――ラルカ・フォン・ディオティリオだった。
「陛下、この度は儂の責任にございます。かの光魔術師を侮りました。この首を差し出せというのならば」
「よい。フロム、お前を失えば帝国はさらなる衰の道を辿るであろう。余はそれを良しとせぬ。故に責任は問わぬ」
「はっ!寛大な御心に深く感謝いたします、陛下」
「リーフ、フロム。諸君らが我が国の要だ。ランドを失ったのは心痛いが、お前たちがいれば問題なかろう。引き続き、王国との戦争の総指揮はフロムに任せる。異論はないな?」
傍に控えていた大臣や参謀たちも頷く。
絶対王政の帝国では、皇帝こそが絶対であり、そこに異論を挟む人間などほとんど存在しない。
「下がれ」
「はっ」
「失礼します」
フロムとリーフは玉座の間を出て門を閉め、直後にフロムが大きなため息をついた。
フロムは頭を抱えていた。
つい昨日、三人の赤銅兵団の兵士が帝都に戻ってきた。
彼らからもたらされた情報は、衝撃的なものだった。
―――一万の帝国兵、たった五人の劣等髪の前に壊滅。
「まさかだ。まさかここまでとは思わんかった。ランドを一蹴するだけでなく、赤銅兵団のほぼ全員を皆殺しにしただと?しかも主人であるノアマリー自身は一切戦闘に参加しておらず、側近の劣等髪だけでそれを成しただと?」
「畏敬、ウチもまさか、それほどの力を秘めているとは予想外だった」
「リーフ、ワシはどうしたらいい。正直に言えば、既に指揮など投げ出したいところだ」
「同意、だけどフロム様が抜ければ帝国は終わる」
「ぬぅ………」
情報を知っていたフロムやリーフですら、最初は耳を疑った。
ランドは紛れもなく、帝国でも五本の指に入る強者だった。
それを倒したというのが劣等髪という情報を、彼らの錯乱と判断する人間も少なくなかった。
実際、逃げ出した兵は七人だったが、うち二人は道中で魔物に食われ、一人は発狂して自殺、一人が叫び声を上げながら森の奥に消え、戻ってきた兵士も一人が傷が開いて死亡、もう二人も上手く言葉を紡げる状態ではなかったという。
しかしリーフとランドは、その状態こそが何よりの証拠と考え、早急にカメレオンを動かして情報を集めさせた。
「降伏した兵すら皆殺しにするか。噂以上の過激さだ、ノアマリー・ティアライトめ」
「共感、恐ろしい女」
カメレオンが辿り着いた時には、ゼラッツェ平野には既に王国の人間の姿はなく、一万人以上の帝国兵の死体だけがそこに残っていたらしい。
ある者は斬られ、あるものは苦しみもがき、ある者は焼け焦げて。
「これから我々がその連中を相手にせねばならぬかもしれんというのは、気が滅入るな」
「………同意。まったく面倒」
「ここまで消耗して、これからの被害を予測すると、正直王国の領土程度では割に合わん。一刻も早くあの娘を始末せねば最悪の事態にも発展しかねん」
「提案、二人でノアマリー側に寝返るというのは?」
「面白い提案だが、さすがにな」
フロムは後ろを振り向いて苦笑を浮かべた。
「陛下には多大な御恩がある。ワシが忠を誓ったのはあの御方のみだ。今更二君に仕えるつもりはない」
「残念、半分冗談とはいえ、自分でも悪くない話だとは思った」
「ではあちらにつくか?お前は強い、行くというなら止める手段はない」
「否定、ウチはフロム様についていく」
「わははは、好かれたものだ」
フロムはこの状況でも、リーフが仲間だということが最高の救いだと心の中で感じた。
***
その日の夜、リーフは兵団についての仕事を少し終わらせ、帝国城の廊下を歩いていた。
周囲にはだれもいない。だけどリーフは風魔法で、自分が探している人物がいることを感じていた。
「呼出。ノワール、そこにいるはず」
「ありゃりゃ、バレてました?いやあさすがは帝国最強だ」
「追言、ウチは忙しい、用があるならさっさと話して」
「ちょっとちょっと、随分な物言いですねえ。せっかく忠告をするために馳せ参じたっていうのに」
「忠告?」
ノワールは飄々とした明るい声でリーフに近づいた。
しかし少し声のトーンを落とし、リーフの耳元にいつの間にか移動し、ささやいた。
「リーフ様、このままだと暗殺されますよ」
「………?疑問、誰に?」
「おやおや、あたりくらいはついてるんじゃないですか?」
リーフは少し考えた。
この状況で考えられるとすれば、ノアマリー・ティアライトだ。
しかし彼女は、おそらく暗殺なんて仕向けない。
彼女が動かせる自分を殺せる可能性がある人間は、おそらく自分の側近である五人だけ。
彼女が大事にしている側近たちを、この戦争中に自分の傍から離そうとするのは考え難い。
となると、内部の人間である可能性が高い。
かつ、自分を嫌っている人物。
つまり。
「フェリ・ワーテル?」
「正解っ。さすがですねー」
リーフはノワールの軽薄ともとれる態度に露骨に顔をしかめたが、すぐに思い直す。
「疑惑。フェリがウチを?」
「ええ、確かな情報ですよ」
「質問、どこでその情報を」
「カメレオンはどこにでも擬態して存在する、とだけ言っておきましょうかね」
「反論、カメレオンは擬態が苦手」
「えっ、そうなの!?い、いやいや、まあそれはおいといて。どうもフェリ様は、あなたが気に入らないみたいですねー。ランド様みたいに明確な理由があったわけじゃなく、ただリーフ様が可愛いのが嫌みたいですよ。あとその淡々とした性格もバカにされてるとか思ってるみたいです」
「??困惑、何故そんなことで暗殺を?」
「アタシも意味わかんないですよ」
帝国ではない誰かに忠誠を誓っている謎の存在であるノワールだが、今の言葉は本心だった。
思わずリーフに同情してしまうほどどうしようもなく、フェリのリーフに対する負の感情はただの逆恨みなのだから。
「アタシも全く理解できませんよ。ランド様があなたを嫌う理由はまだ正当性がありましたけど、フェリ様に関しては意味わからないですもん。これはさすがに教えなきゃなーと思って、ご報告に来た次第です」
「………そう」
リーフは少し目を閉じた。
そして次に目を開けた瞬間、ノワールは背筋が凍った。
それほど、鋭い目だったのだ。
「ノワール」
「は、はい?」
「要求、フェリの居場所を教えて」
「へぇ?今の時間なら六階にいるはずですけど、それが………ってまさか」
「思慮。帝国軍規定、第122条」
「えっとたしか、簡単に言えば『四傑クラスの人間は独断で軍規定を犯した人間を裁く権利がある』、みたいのでしたっけ?」
「肯定。ならウチは、彼女を断罪する権利がある。証拠は?」
「あ、これですね。うちの構成員が持ってきた作戦概要書っす」
「謝意、これで正当性が出来た」
リーフは全身に力を入れ、そして弛緩させる。
リーフなりの準備運動。彼女が戦闘を意識した証拠だった。