第115話 人間爆弾
少し時間は戻り、オウランが矢を放ち始めた頃、森の右側をとてとてと歩く一人の少女の姿があった。
水色の綺麗な長髪をたなびかせ、琥珀のような黄色の目をした文句なしの美少女だが、手に大切そうに抱えているB級ホラー映画に出てきそうなマンドラゴラの人形がその顔に目を行かせてくれない。
その少女、ステアは、少し速足で敵陣の右側に向かった。
ステアは五人の側近の中で、ノアに『殺し抜きの勝負ならルシアスの不意打ちさえ気を付ければ最後に勝ち残る』という評価を貰っている側近最強候補だが、身体能力を強化したり移動したりする術がないため、徒歩で移動していた。
ようやくたどり着いた先は、混乱が広がる帝国の陣営。
まだたったの十一歳、同い年の子は戦場どころか訓練すら受けず、平和に暮らしていることを考えると、この状況はかなり異質と言える。
「お、おい、誰だあれ?」
「子供………?なんだ、劣等髪か」
「ほっとけ。劣等髪なら巻きこまれても問題ないだろ」
だからこそ、帝国兵はステアをとるにも足らない存在として相手をしなかった。
だがステアは、その帝国兵の元に近づいていく。
「おい、何かこっち来たぞ」
「ちっ………おい、こっち来るな!お前みたいな雑魚な髪色してる人間が、来て良いところじゃねえんだよ!」
帝国兵の間で笑いが起こった。
千人以上の同胞が死んだ恐怖を笑いで紛らわそうとしたのかもしれないが、ステアにとってはどうでもよかった。
ステアはクロやオトハ以上に、自分の仲間以外の人間に対して興味がない。
何を言われようと興味さえ持たなければ大丈夫、というのがステアの持論だったのだが、この次に発せられた言葉だけが許せなかった。
「つかなんだよ、その気持ち悪い人形!可愛いでちゅねー?ギャハハ………」
「《精神寄生》」
「ハ………」
「?おい、どうした」
「『自害して』」
ゴラスケを笑った男は目の光を失い、ステアの命令通り、自らの剣で首を掻っ切った。
「お、おい!?何をしてる!?」
ステアは怒った。
もう、かつてないほど機嫌が悪くなった。
―――自分自身を貶されるのはいい。どうせ殺す人間のたわごとだ、好きに言えばいい。
―――だけど、私の友達を、こんな超可愛いゴラスケを。
―――気持ち悪い?
この時のステアは、ずっと一緒にいたノアやクロすら見たことがないほど不機嫌だった。
「《精神崩壊》」
ステアの高位魔法が飛び、前方の人間がその場で抜け殻となって倒れる。
しかもたった一度の魔法であるにも関わらず、それだけで十人近い人間が心を殺された。
ステアの精神魔法は、全魔法の中で唯一、魔力以外に精神状態が魔法に関わってくる。
平常心の場合は問題ないが、例えば悲しんでいる時、絶望している時、テンションが下がっている時、こういう場合は魔法の質が落ちる。
しかし逆に、テンションが上がっている時、喜んでいる時、あるいは怒っている時などは、魔法の威力が上がる。
基本的にポーカーフェイスのステアだが、ホットケーキを食べた後、ノアにくっついた後、クロに甘えた後、オトハを揶揄った後、こういう場合は魔法の威力が絶好調になるのが常だった。
しかし今の場合は。
「《記録改竄》」
無表情の奥でゴラスケを馬鹿にされたことによる不機嫌が爆発することによって、精神魔法は素晴らしくさえわたっていた。
相手の記憶を改竄し、一流の戦士の記憶を植え付けることによって動きを模倣させつつ操るステアの高位魔法が数人に飛んだ。
「お、おいお前ら、こっちは味方だぞ!何をしている!?」
元の人格よりも強者となった元帝国兵士たちが、容赦なく仲間を斬っていく。
その間にも、ステアの精神操作は止まらない。
「《範囲掌握》」
ステアは一つの魔法を唱えた。
《範囲掌握》は高位魔法にも関わらず、これ自体には何の攻撃力も無い。
ただし、自らの半径三十メートル圏内にいる全生物の精神状態を強制的に一部共有させ、一人にかけた精神操作を範囲内の全員のものにしてしまう。
「《精神寄生》」
この瞬間、周辺にいた全帝国兵が、ステアの奴隷にされた。
「………この場にいる、帝国兵。全員、皆殺し」
精神魔法を受けた全兵士が、受けていない兵士に一斉に飛び掛かる。
もはやマトモな帝国兵は阿鼻叫喚だ。
中にはさっきまで気軽に話していた友人に斬り刻まれる男までいた。
「………効率、悪い。時間かかる、どうしよう」
この辺りで少し気が晴れたステアだったが、機嫌が悪いのは相変わらずだった。
その精神状態は、元々側近の中で一番タガが外れているステアの容赦のなさにさらに拍車をかけた。
「こうする。《狂戦士化》」
ステアの魔法が一人の兵士に飛び、《範囲掌握》の効果によってそれが全兵士に共有される。
「グオオオオオオオオ!!」
「な、なんだ今度は!?」
《狂戦士化》、文字通り精神状態を暴走させ、脳のリミッターを無理やり解除させることによって、自身の肉体を顧みない狂人を生み出す高位魔法。
しかも狂っていてもステアの支配下にいることに変わりはないため、ステアにとっては何のデメリットも無い。
ただ、脳のリミッターを外すことによって身体能力は倍以上に膨れ上がるが、肉体の損傷が激しすぎるため、個体によっては数分で死ぬ。
だが、死んだら次の狂戦士を生み出せばいいステアにとっては、まったく問題ないことだった。
「おい、正気に戻れ!俺だ、俺だよおお!」
「クソ、何をされたんだ!」
「あのガキだ!あのガキが来てから全員おかしくなった!あいつを殺せば止まるかもしれない!」
矛先がステアに向けられたが、その考えは正しい。
ステアが死ねば、精神操作はすべて解除される。
「死ねええ!」
「肉壁」
だが、この大人数がステアに支配されている状態でステアを殺すなんて、土台無理な話だ。
「なっ………何をしてるんだお前!?」
帝国兵の一人が、ステアを庇って槍に刺し貫かれた。
「おい、何をしてるんだ!離せ!」
「自爆」
操られた狂戦士は炎魔術師だった。
自分の腹に槍が刺さり、貫通しても構うことなく、刺した兵に近づいて肩を掴む。
そして自身の魔力を暴走させ、爆発を引き起こした。
「う、うわあああ!?」
「なんだ、何したんだアイツ!?」
《狂戦士化》のもう一つの恐ろしい点は、魔力のリミッターすら一部外せてしまうという点だ。
魔力と脳の関係はまだブラックボックスだが、ステアはその黒い箱に一部干渉し、魔力を引き上げることが出来る。
その結果、炎魔術師は自身のあり余った魔力を暴走させ、普通はあり得ないような威力の爆発を自らの命と引き換えに発動出来てしまう。
これは何を意味するか。
「十二番も自爆。十六番、もっと真ん中で、自爆。二十三番、水魔法で、私を守って。四十一番、風魔法で爆発の煙を、もっと煽る」
―――人間爆弾の完成である。
自分の頭の中で割り振った番号で自ら操った奴隷を自在に操り、完全な捨て駒、あるいは道具としてどんどん浸食していく。
「あ、あのガキだ、あの気持ち悪い人形を持った劣等髪のガキを殺せええ!」
―――カチン。
「《精神崩壊》!」
再びゴラスケを馬鹿にされたことで怒りが再燃し、言った本人は容赦なく精神を破壊し、周囲に集まっていた人間も全員操る。
ステアの精神操作に抗える人間などほとんど存在しない。
ノアやルクシアのような、強靭な意思力と魔法抵抗力を併せ持つ人間でない限り、絶対に防げない。
だからこそステアは、理由が分からず操作不可能なケーラが苦手なのだ。
だがここら一帯で、ステアを何とかできる人間など一人もいなかった。
「お嬢の敵、ゴラスケの悪口。容赦、しない」
ステアの精神魔法があちこちを飛び交い、戦場はもう無茶苦茶になった。