第111話 開戦
「お待ちしておりました、ノアマリー・ティアライト様!遠路遥々足を運んでくださり、感謝致します!」
「構わないわ、この国のためだもの。帝国を野放しにしておくのも面白くないしね」
「いえ、本当に間に合ってよかった………!」
ティアライト領を出て数日で、わたしたちはローミラー領に到着した。
厳密に言えば既にローミラー領は落とされているので半ば帝国領土なんだけども。
「間に合ってよかったってどういうことかしら」
「そ、それが帝国の輩共、予想よりも早く進軍を開始しているのです。あと二、三時間もあれば、このゼラッツェ平野に辿り着くかと」
「まあそうでしょうね、だからこの時間に来たんだし」
「え?」
「え?って言われても。赤銅兵団の練度と歩行速度、その他諸々を照らし合わせればこれくらいの時間だろうと思って、それに合わせて来たんだもの。何日も待たされるとか絶対嫌だったの。まさかとは思うけどあなたたち、あっちが準備を完璧に整えて吞気に点呼して、たっぷり寝て食べてヤってからこっちに来るとか思ってたんじゃないでしょうね」
「ノア様、ヤるとかはしたない言葉遣いやめてください」
「お嬢様がヤらせてくださるとか聞こえましたが!?」
「言ってませんさっさと荷物を降ろしなさい」
「………続けるわよ」
「あ、はい」
「帝国を舐めるのも大概にしなさい、あの連中にとって万全の状態を整えるなんて当たり前なのよ。行軍速度、休憩、他にもいろいろな部分で常に完璧に近い状態を維持できるようにスケジュールが組まれてるんだから。ギリギリまで訓練して疲れを翌日に持ち越してるあなたたちじゃ、負け越すのも当然ね」
「うぐっ………」
ノア様はため息をついて辺りを見渡した。
バタバタとせわしなく動く若い兵士、武器を磨く老兵士、罠を仕掛ける熟練兵士。
しかし、全体的に慌ただしいし、何より行動が遅い。
再びノア様の深いため息。
「私たちのテントどこ?」
「あ、こ、こちらです」
「ルシアス、荷物全部持った?」
「おう、大丈夫だ」
案内されたのは、そこそこ広い天幕。
要望通り、全員が入っても余裕な広さだ。
「もう戦ってるところに突っ込むくらいの気持ちで来たけれど、予想より向こうの行軍が遅いわね。こっちで待つのが嫌だったからギリギリの時間に出たのに」
「あと三時間未満であれば誤差でしょう。それにノア様は戦わないのでしょう?」
「まあね」
ノア様が用意されていたベッドの上でだらけ始めると、それを見た案内役の男が息をのんだ。
どうやら、ノア様のギャップにやられたらしい。
「あー、そこのあなた」
「は、はい、なんでしょうか」
「全兵に伝えなさい、出陣する必要はないって。だから武器の手入れとかもやめて、皆でゲームでもしておきなさいと」
「へあ?」
「帝国兵はこっちで相手するから、あなたたちが出る必要ないって言ってるの」
「はあ!?」
まあ、驚くだろう。
だってこっちにいるのは。
「お、お言葉ですが、無理ですよ。ノアマリー様はともかく、こんな………」
「こんな、なにかしら?」
「いえ、その」
「こんな劣等髪は役に立たないとでも言いたいのかしら?」
「い、いえそんな!」
「とにかく伝えなさい、指揮官命令よ、いいわね?」
「出来ません!ここにいる者たちは皆、覚悟を決めてここに来ております!」
「だから?」
「だからって………む、無駄に命を散らせることなどできるはずがないでしょう!」
「あのねぇ、私は武装解除して殺されろって言ってるわけじゃないのよ?」
「同じようなことではないですか!この重要な戦いを、兵を使わずたったの六人で、しかも………しかも、そのうち五人は劣等髪ですよ!?」
「私は出陣しないから、実質五人だけれどね」
「猶更ではないですか!………と、とにかくそんな御命令は聞けませ」
「クロ」
「《死》」
最後まで言い切る前に、男は前のめりになって倒れ、死んだ。
「穏やかじゃねえなあ。ステアに操らせればよかったんじゃねーの」
「ステアが操れる人数にだって限りがあるわ。王や他の貴族数人、他にも多くの人間を同時に操ってるステアに、余計な負担を増やしたくないの」
わたしは闇魔法で男の体を消し去る。
辺りに誰もいないことを確認した後、念のため音消しの魔法で音を遮断。
「さて、ここからは各自で頑張ってもらうわ。あなたたちが積み上げてきた魔法と知識をもって、帝国軍赤銅兵団、総勢約一万人。これを壊滅させてみなさい」
「全滅させて良いって話でしたよね」
「ええ、でも討ち漏らしても別に構わないわ。それはそれでこちらの脅威を向こうに知らせる手間が省けるしね」
ノア様は体を起こし、わたしたちを見渡した。
「クロ、ステア、オトハ、オウラン、ルシアス。私の側近として恥じない行動をしてちょうだい。大丈夫よ、あなたたちは誰よりも強いわ。かつて自分を蔑み、虐げてきた連中を、今度はあなたたちがいじめてあげなさい」
ちらりと横を見ると、オトハとオウランが特に意気込んでいるように見えた。
この二人は帝国出身者、しかもわたしたちの中で最も長く差別を受けてきた双子だ。
それは、出会った当初はお互いしか信用しない人間不信になってしまっていたほどに。
「ふ、ふふふ………この戦いでお嬢様にご満足いただければ、私の純潔を奪っていただく足がかりになるかもしれませんわ………」
前言撤回、やっぱり姉の方は主人のことしか考えていないようだ。
丸聞こえの小声に全員が引くが、いつも通りで何よりだ。
緊張はない。罪悪感もおそらくない。
ここにいる全員、主人であるノア様を失うことだけを恐れている。
だから、ノア様に絶対に敵を近寄らせない。
わたしたちだけで、敵を殲滅する。
「来たぞー!!」
テントの外から声がした。
外を見てみると、慌ただしく兵たちが隊列を組み始めていた。
「あ、そういえば出陣しなくていい旨を伝えるの、忘れていましたね」
「そうだったわ、すっかり忘れてた」
「どうしますか」
「そうねぇ………」
ノア様は少し考える姿勢になって、そしてニヤリと悪い顔をした。
「クロ、敵兵が射程圏内に入った瞬間に、最高位魔法を放ちなさい」
「えっ?あれは習得したもののまだ未完成で、反動で十五分程度闇魔法が使えなくなりますが、いいんですか?」
「十五分なら四人で何とかできるでしょう。構わないわ」
「はあ、わかりました」
わたしは天幕から出て、敵が見える位置まで歩いた。
ノア様たちもそれに続く。
「あっ、ノアマリー様!我ら一同、いつでも出陣可能です!」
「必要ないわ」
「かしこまりまし………え?」
わたしは下を見下ろした。
そこには五千人の兵が戦いを待っている姿が見える。
続いて前を向いた。
そこには一万人の帝国兵がわたしたちごとここを蹂躙しようとする姿が見える。
ノア様を殺そうとする不逞の輩。
あの御方を束縛しようとするゴミ共。
わたしたちからノア様を奪おうとする、その愚かさの代償を払ってもらおう。
射程圏内に入った。
わたしは、魔法を発動した。
帝国兵の中心部、その上空に直径十メートル近い魔法陣が描かれた。
その中心から、魔法陣の大きさには合わない小さな、それはもう小さな黒い球体が産み落とされる。
………不思議だ。
きっと前世のわたしだったら、今からの行いを否定し、拒否し、蔑むことだろう。
なのに今は、何も感じない。
感じるのは、ただわたしから命よりも大切なものを奪おうとする連中への怒りのみ。
「おい、なんだあれ………」
味方の軍も異変に気付いたようだし、帝国兵の戸惑いも見えるけど、もう遅い。
さあ、開戦だ。
「《死の星に願いを》」