第108話 もっと強く
思わず、しばらく呆けてしまった。
あそこから逆転するなんて、正直思ってもいなかった。
「ほらオウラン、決着したわよ」
「え?あっ………えっと、ルシアスの勝ち」
審判役だったことを忘れていたらしいオウランがようやく声を上げた。
そしてノア様が眩しい笑顔で拍手をする。
「素晴らしいわルシアス、よくやったわね」
「なんとかな、つか痛ってええええ!右手と肩がめっちゃ痛え!」
「まあ肩はともかく、右手は貫通してるから当然ですわ」
「あ、そうだ姫さん。光魔法で治してくれよ」
「あら、さっき『この程度痛みのうちにも入らない』って言ってたじゃない」
「!?あ、あれはほらよ、運動してたら痛みに鈍感になるだろ?」
「私の前世で『アドレナリン』とか言われてたやつですね」
「よくわからねえけど多分それだ、でも止まった今はすげえ痛い。だから頼むぜ姫さん!」
「どうしようかしらねぇ」
「ノア様、サディストな面を発揮していないでそろそろ治してあげてください」
「仕方ないわね、《治癒の光》」
ノア様の光魔法がルシアスを包み、傷がどんどん塞がっていく。
「ふふふっ、負けてしまいましたか」
「お疲れさまでしたルクシア様、タオルです」
「ありがとうケーラ」
ルクシアさんの方は負けたにも拘らず無傷。
負けたことに関しても、あまり悔しがっていないように見える。
どっちが負けたのか微妙なところだ。
「負けたワタシは、ノアさんは構ってくれないんでしょうねー」
「あら、そんなことないわよ。ルシアスの成長を促すために、わざわざいつもと違う戦法を取ってくれたのでしょう?」
「まあそうですが、負けたことには変わりありませんからね。お部屋でケーラに慰めてもらうことにします。行きましょう、ケーラ」
「はい、ルクシア様」
ルクシアさんは一礼して、庭から姿を消してしまった。
「意外とショックだったのかな」
「そんな風には見えませんでしたけど」
「まあショックを受けたわけではないんでしょう。あの子、まだ本気じゃなかったみたいだし」
「え?」
「それはそうでしょう、あれほどの規模で水魔法を操れるんだから。この広さの庭なら回避不能の攻撃なんて幾らでもあるわ。それを使わなかった辺り、ルクシアはまだ力を隠してたみたいね」
「おいおい、あれで全力じゃなかったってのか。自信無くすぜ」
「そう思うならもう少し魔法を戦闘に組み込むことを覚えなさい。今回はまさに、試合に勝って勝負に負けたって感じねルシアス。勝ったことは誉めてあげるけれど、まだまだよ」
「わーってるよ。俺はまだ強くなれるってことだろ」
ルシアスは出会って間もない頃に良く浮かべていた凶悪な笑顔を浮かべ、自分の手を見つめた。
「正直、普通に戦っても姫さんの役に立てると思ってた。だが違ったな。空間魔法、コイツを極めりゃ俺はあんたを超えられる気がする。いや、超えるぜ」
「今現在の私なら、あなたは余裕で超えられるわよ。でもお生憎様、私だってまだまだ強くなれるのよ」
ノア様とルシアスが笑顔でにらみ合った。
この二人の関係は、わたしたち側近の中でも異様だな。
忠誠心で動いているわたしやオウラン、愛情で動いているオトハやステアと違って、ルシアスはノア様に忠誠も愛情も抱いていない。
ただ目標として、超えるべき存在としてノア様を見定めている感じだ。
「私と戦いたいなら、私の役に立って強くなってからよ?」
「わーってるっての。この世界をあんたにくれてやれば、また戦ってくれんだろ?」
「大した自信ね。でもそういうのは嫌いじゃないわよ」
目的も思想も主人に抱いている感情もバラバラなわたしたちだけど。
共通しているのは『ノア様にいなくなられては困る』ということだ。
わたしに関しては、ノア様が亡くなったら生きる意味すら無くなってしまう。
「ギリギリまで参戦は引き延ばすけれど、私たちを欠いた王国が帝国に勝てるとは思えないわ。猶予は短くて九か月、長くても一年ちょっとだと思いなさい。それまでにもっと精進しなさいな」
「おう」
「あなたたちもよ。もっと頑張って、私を楽させてね」
「かしこまりました」
「ん」
「委細承知です」
「勿論ですわお嬢様!」
ルシアスだけじゃない、わたしたちだってまだまだ強くなれる。
まずは高位魔法をもっと習得し、それを終えたら最高位魔法だ。
やることはまだたくさんある。
そして一年後。
わたしたちの初陣が始まる。
***
クロたちが魔法の特訓を開始したのとほぼ同時刻。
王国の明かりの無い洞窟の中を、同じ黒色のローブで身を隠して進む影があった。
この洞窟はクロが幼い頃、キリング・サーペントを殺した場所。
かの大蛇が原因不明の死を遂げたことから不吉な場所とされ、ほとんどの人間が近づかなくなったこの洞窟に人が入るのは、非常に珍しいことだった。
だが人が近づかないというのは、密談に最適な場所と言い換えることも出来る。
「ふぅ、なんでアタシがここまで来なきゃいけないんだか」
影は誰に言うでもなくそう呟いた。
その黒ローブの正体は。
ディオティリオ帝国の裏部隊『カメレオン』首領、ノワール。
帝国の影、本名も正体も顔も、魔法すら誰も知らない存在だった。
ノワールは洞窟の最奥までたどり着き、持っていた灯りを前に出した。
そこには朽ちた大蛇、クロが殺したキリング・サーペントの遺骸が、骨となって存在していた。
「近くで見るとデカいなあ」
「おい、遅いぞ」
「ああ、そこにいたの。いきなり呼び出すって何さ、アタシ忙しいんだけど?」
ノワールが大蛇の死骸に軽く引いていると、その骨の上から声がした。
ノワールと同じ黒ローブを羽織った、ハスキーな女性の声。
背は高く、体格もしっかりしていることがローブの上からでもわかるほどだ。
「帝国の方は順調なのか」
「順調でーす。アタシがご主人様に命じられてやってるんだから順調に決まってるじゃん」
「そうか。で、呼び出した件だが」
「そっちから聞いといてそれで済ませんの、ホント良い性格してるよねあんた」
「そうか?ありがとう」
「褒めてないわい。皮肉が通じないのも相変わらずだねメロッタ」
メロッタと呼ばれた女は首を傾げた。
鈍感な性格のようだ。
「まあいい、呼んだのはこれを渡すためだ」
「んー?なにこれ」
「あの御方から送られてきた、今後の計画書だ。ここで処分するから、数分で頭に叩き込んでくれ」
「うへぇ。ご主人様も酷いなあ、アタシ宛に送ってくれればいいのに」
「『ノワール』の居場所を知られる手がかりを僅かにも作りたくない、主君様の用心深さだろう」
「うっわあ、これ二年以上先まで計画されてんじゃん。しかも前提条件がきつすぎない?本当にこんなことになるのかな」
「主君様の予測が今まで外れたことは無いじゃないか」
「まあそうだけどさあ」
ノワールとメロッタは気軽に話しながらも、メロッタは周囲を警戒し、ノワールは計画書を速読していた。
「ていうか、あの馬鹿は来てないの?来てないなら来てないで良いんだけど」
「ん、リンクか?呼んだのだが、お前が来ると聞いたら『じゃあ行かない』と」
「『いなくて良かったわバーカ』って言っておいて。この任務で一番いいのは、あのハイパーナルシストポンコツクソバカ娘としばらく離れてられることだよ」
「相変わらず仲が良いな」
「どんな目玉してたらそんな風に見えるのさ」
ローブに隠れた顔を引くつかせながらもノワールは計画書を読み終え、それをビリビリに引き裂いた。