第94話 一方その頃
側近たちが任務に明け暮れている頃、ノアはただ一人、大書庫で本を読み漁っていた。
魔導書だけでなく、この時代に書かれた小説や自分が転生する前の歴史、とある魔術師のエッセイ、数多くの種類の本を自分の身長ほどにも高く積み、一心不乱に読みふけっている。
ノアは基本的に面倒ごとを嫌がる怠惰な人間だが、知識に対してだけは強欲だ。
自分の知らない未知を既知に変えることに満足感を抱くタイプであり、ここに関してだけは勤勉であると言えた。
「ふぅ………今頃あの子たちは、王国の膿を潰しまわっている頃かしらね」
ノアは一度本を閉じ、自分で淹れた紅茶を一口。
「マズッ」
そして口を抑えて、慌てて水を飲んだ。
ノアは魔術師としては最強だが、その生活能力は皆無に近い。
千年前、黒染の魔女ハルとして生きていた頃は、幼少の時代はルーチェに散々甘やかされて育ち、十八の時に国を乗っ取ってからはすべて侍女に任せてきた弊害である。
(クロだけでも残しておくべきだったかしら。あの子の淹れるのは美味しいのよねえ)
ため息をつきながら自分の従者の重要性を再確認するが、生憎クロはしばらく帰ってこない。
帰ってくるにしても、おそらくノア成分が足りないなどと言い出すオトハだろう。
ハッキリ言って、ノアは基本的に人間として色々間違っている。
この世界で自分が一番偉いと思っているし、面倒ごとは人に押しつけて楽したいタイプだし、目的のためには手段を選ばないし、欠点を挙げていけばキリがない。
ただし、自分の気に入ったものに対しては、常人以上に思い入れが強く、絶対に大切にする。
加えて、傲慢でありながらも決して人を見下さないその姿勢も、彼女が人望を集める要因と言えるだろう。
「さて、多分今日あたりだと思うのだけれど」
そう独り言を呟いたノアは、ポッドの中の紅茶を流し、代わりに水をコップに入れ、読書に戻ろうとした。
―――チリリリン。
だがその前に、机の上に会ったベルが鳴り、ノアはそれを見てにやりと笑い、コップを置いて地上へと向かった。
このベルは千年前の魔道具の一つで、片方で自分を呼ぶ声を受信するともう一つが鳴るという、二つ一組の便利アイテムだ。
ノアはクロが出かける前に込めた闇魔法の指輪を使い、書庫へつながっている使用人室の一室に戻ってきた。
外に出て中庭にいると、それを見たひとりのメイドが駆けてくる。
クロたちに対しても偏見の目を持たずに接する唯一のメイド、ニナだ。
「お嬢様、ここにおられたんですね!大変です、外に」
「外にフィーラ共和国連邦の国旗掲げた馬車が来た、かしら?」
「ご存じだったのですか!?」
「予想の範疇よ。あの子ならそんなこともやりかねないと思っただけ。彼らは今どこ?」
「い、一応共和国連邦の重鎮であることは確認が取れましたし、応接室にて旦那様が対応しております」
「そう、ありがとう」
ここまでの流れまで予測していたノアは、足取りはそのままに玄関に向かっていた足先を変え、応接室へと向かった。
無造作に扉を開くと、その中には三人の人間がいた。
一人は、ノアの現在の父親、ゴードン・ティアライト伯爵。
一人は、赤い髪をしてメイド服を着た、二十歳前後の女性。
そしてもう一人は、その可愛らしさはノアにも劣らない美貌を持つ青髪の少女。
「来ると思ってたわ。あなたがこの手を利用しないとは考えられないもの」
「ふふっ、酷い人。開口一番でそれですか?」
「そうね、ちょっと不躾だったかしら。久しぶりね、会えてうれしいわ、ルクシア」
「はい、お久しぶりですノアさん。といっても一か月ぶりくらいでしょうか。こんなに早く会えるとは思っていませんでしたわ」
そう、来ていたのは。
ノアの婚約者、ルクシア・バレンタインだった。
「………ノアマリー、これはどういうことだ」
「イヤだわお父様、ルクシアと婚約したことは伝えたでしょう?」
実際は正式に婚約したわけではなく、互いのメリットを重視して婚約したと世間に偽装発表しただけなのだが、それを知っているのはルクシアとノア自身、それにノアの側近たちくらいだ。
「お前が呼んだのではないのか」
「違うわよ、でもこの子にはここに来なきゃならない理由があるの」
「なに?」
「お父様、そもそもなんで帝国がこのタイミングで戦争を仕掛けてきたと思う?」
「王国を蹂躙し、領土を拡大するために決まっていよう」
「違うわよ、あなたに聞いた私が馬鹿だったわ」
「ぐっ」
「ルクシア、あなたならわかるわよね?」
「ノアさんが手に入らないと悟ったからでしょうね。
帝国は元々、ノアさんを帝国の戦力として引き込んでから王国を攻め落とす予定だった。しかしノアさんがワタシと婚約したものですから、痺れを切らして宣戦布告に至ったのでしょう。いくら光魔術師といえど、数で圧倒的に勝る自国ならば、戦力差で押し切れるとの結論でしょう」
「ピンポーン。じゃあお父様、挽回のチャンスをあげるわ。なんでルクシアたちがこのタイミングでここに来たのか」
ゴードンは完全に娘に主導権を握られていることに腹を立てたが、少し冷静になって考えた。
そして。
「………帝国は、まだお前のことを諦めたわけではない。敵対すれば殺す気ではあるが、婚約したことであちらにチャンスが無くなったのであれば、その婚約を潰せばいいと考えている。つまり、共和国連邦に暗殺部隊を送り込み、ルクシア殿を殺そうとする可能性がある。だから避難してきた、ということか?」
「あら、正解するとは思わなかったわ」
「さすがノアさんの御父上です!」
ノアが意外そうな顔をし、ルクシアが拍手を送った。
ルクシアのメイドは、その場で静かにたたずんでいる。
「そういうこと。いくら大陸一の強国である帝国だって、大陸勢力の第二位と第三位の国を一度に相手取るほど無謀じゃないわ。となると、ルクシア個人に対して、『カメレオン』あたりを差し向ける可能性が高い。ルクシアはそれを事前に読んで、私を頼ってきたというわけね」
「国内に身を隠しても良かったのですが、どうせならば愛するノアさんの元の方がいいかな、と思いまして。それにほら、ノアさんの傍ほど安全な場所もそうはないでしょう?守ってくださいね、旦那様♪」
「なんで私が旦那なんだか。まあいいけど。お父様も別にいいわよね?」
「まあ構わんが、さすがに多すぎると目立つぞ」
「あ、それはご安心を義父様。ワタシとこのメイドのケーラ以外は帰らせますので、ご迷惑はおかけしませんわ」
ゴードンは本心では、メリットが何もないので匿いたくなどなかったが、ノアに首根っこを掴まれているこの男は従うしかない。
「ところでノアさん、今日はクロさんたちはいらっしゃらないんですね?」
「ああ、戦争前の下準備で少しの間仕事に行ってもらってるのよ。優秀な仲間に恵まれるって素晴らしいわね」
「あら、そうだったんですか」
「でもちょっと困ってるのよ。あの子たちがいないせいで、私の生活にとんでもなく支障が出てるのよね」
「ふふっ、ダメ人間なのは相変わらずなんですね、安心してください、お邪魔している間は、せめてワタシとこのケーラが、ノアさんのお世話くらいはさせてもらいます」
「あら、助かるわ!ありが………ルクシア、私のことダメ人間って言った?」
「言ってません」
こうして、ノアはクロに代わる新たな便利人間を手に入れていた。
ちなみにこの間、クロたちは額に汗して人を殺しまわっているのだが、主人であるノアは何ら変わらない怠惰生活である。