待ち人来たらず?
日はとっくに沈んでしまった。そろそろ人気のメニューは売り切れが目立つ時間帯になって来た。
クラリスはまだまだ忙しく料理をテーブルに運んでいたが、扉が開く度に期待を込めた目で振り向くのをそろそろやめるべきなのだろうかと考えていた。
いつもならもっと早い時間に来るはずのジャンがこの時間になっても現れないのだ。
──昨日私が変な事言っちゃったせいかな……。
客が帰った後のテーブルを片付けながらジョッキを四つ取り上げるとカウンターの奥に向かう。
「クラリス?」
「?」
ジョッキを抱えたままギョッとして振り向くとそこにはいつの間に来ていたのか肉屋のマークの姿があった。
「マーク?」
「なんだよ、そんなに驚く事ないだろう?」
酒を飲んでいるのだろう、赤い顔をしたマークはクラリスに一歩一歩と詰め寄って来てその度にクラリスは後退した。
「珍しいじゃない?酔ってるの?」
「そうだよ。さっきからそこで飲んでたのに何でお前来ないんだよ?」
「あ……。ごめん、ちょっと先にこのジョッキ持って行きたいんだけど……?」
先程からジョッキを抱えたままの状態での立ち話の為心ここに在らずなクラリスに向かって、マークは構わず畳み掛けて来る。
「どこに行くんだ?俺の前から消えるのか?」
「いや、だからジョッキを片付けないと……」
マークの顔がクラリスに近寄ると酒の臭いがした。どうやら今夜は肉屋のにおいより酒のにおいが勝っているようだ……。どちらにしろクラリスにとっては──。
「その辺で止めておけ……」
クラリスがカウンター際に詰め寄られ、身動きが取れなくなっていた所でマークの大きな身体がいきなり横に大きく移動したのが分かった。
何事かとマークの身体の向こう側に目をやると、薄茶の髪が揺れるのが見えた。
「ジャン?」
「大丈夫?」
「あ、私は……大丈夫……」
何が起こったのか分からずにボーッと突っ立っているクラリスの手からジョッキを取り上げると、ジャンは何事もなかったかのように涼しい顔をしてカウンターの上にそのジョッキを置いた。それを見ていたマークが更に顔を赤くしているのが分かった。
「貴様!俺を騙したな?」
「……」
マークはブルブルと震える手でジャンを指差すとそのまま勢いよく飛びかかろうとした。しかし一足早く身をかわしたジャンにそのまま後ろ手を取られて直ぐに床に引き倒されてしまう。
遠目に様子をうかがっていた客たちもそろそろ騒ぎに気付き出している。これ以上店内で騒がれるのは流石にまずい。
「ジャン、マークを連れて外に……。」
クラリスがジャンの耳元に囁くとジャンは静かに頷いてマークを立たせた。
カウンターの奥から心配そうに顔を出した叔母に向かって僅かに頷いてみせると、クラリスは二人の後を追い店の外に出た。
「痛いだろ!離せ!」
「……」
「マーク、暴れるのはやめて!」
「コイツの方が先に俺に向かって剣を突き付けて来たんだ!」
「剣?」
「クラリスと話してる時にいきなり後ろから剣を突き付けられたから驚いて避けたんだよ!」
「あ、そうなの?でも剣だなんてまさか……」
カウンターに一方的に詰め寄られていたあの状態でいきなりマークが横に移動したのは後ろから剣を突き付けられたと勘違いしたから…のようだ。
クラリスが答えを求めてジャンの方を見るとジャンは少し考えた後でマークの腕を離し、外套の中に手を入れた。
「お、おい!やめろ!」
驚いて大声を出しながら腰を抜かしたマークの目の前にジャンは抜き身の剣を一瞬見せると目配せをし、また元に戻した。
クラリスも、おそらくはマークも抜き身の剣を見るのはこれが初めての経験だった。マークは通りに座ったまま酔いがすっかり覚めた様子でジャンを見上げた。
「本物?」
「もちろん。だから俺は別に騙してはいない。」
「コイツがクラリスに付きまとってる男なのか?冗談じゃない!こんな所で剣を出すなんて頭がどうかしてるんじゃないか?」
「付きまとってるだなんて、ジャンはそんな人じゃない!付きまとってるのはマークの方じゃないの?」
「俺はクラリスの婚約者なんだからその言い方はないだろう?」
「いつ私がアンタなんかと婚約したのよ?」
「いつって、それは──。」
ジャンは言い争う二人を静観していたが、クラリスと視線が合うとその目が面白そうに笑った。
「二人目の婚約者登場だな……」
「何?まさかお前この男とも婚約したのか?」
「え?いや、それは……」
「……金物屋の孫だ。」
「は?金物屋?まさかレイラの子供のことか?」
マークは通りに寝そべるのではないかと言わんばかりに大げさに仰け反った。