約束
「……」
「……」
ジャンはクラリスの説明を聞いた……はずなのに、なかなか硬貨を懐に収めようとはしなかった。
「街で買い物をする時は銀貨を出すと普通余りは……」
「もしかして計算苦手?学校行ってない…訳ないよね。」
「……」
親のいないクラリスでさえ教会の市民学校に通って読み書き計算と必要最低限の教育を受けたというのに、身なりと育ちの良さそうなジャンがまさか学校に通っていないとは……。
黙り込んでしまったジャンを見つめると、クラリスはそれ以上の事を聞くのはまずいのではないかと考え始めた。
──訳アリ…だよね、これ。私なんかが気軽に聞いていい事じゃないはず。
「それじゃあ、こうしよう?この銀貨は持って帰って?私、これからもジャンのお釣りを計算しておくから。それでまたこうやってお釣りが貯まったら銀貨にして返すわ。」
ジャンはぎょっとした様子でクラリスを見上げるとまた顎に手をあてて何かを考えはじめた。
「……それはこれからもずっとここに通えと言うことか?」
「あ、いや…無理にとは言わないけど。店に来た時の話。」
「……」
ジャンはなおも何かを考え込んでいたが、ふと目の前にある紅茶のカップを手に取ると独り言のように呟いた。
「紅茶は?」
「え?」
「紅茶を一杯飲むのには銅貨何枚必要だ?」
「……うちみたいな食堂なら銅貨一枚で料理に付けるけど?ただ紅茶とお菓子を楽しむようなおしゃれなお店ならもっと高いかもしれない…。」
「それじゃあ、次来た時からは食事に紅茶を一杯つけてほしい。」
「それは…構わないけど。でもそれじゃまだ……。ねぇ、どうしてそんなにお釣りを受け取るのが嫌なの?」
「……」
ジャンは紅茶を一口飲むとカップの底を見つめたまま首を傾げた。
「どうして君はそうやって金を返そうとばかりする?稼ぎが増えるのはいい事じゃないのか?」
「こんな風に意味もなくお金を貰うことを稼ぎとは言わないわ!例え銅貨一枚だって、理由がなければ余計に受け取る訳にはいかない、それが普通よ!」
「普通……?」
ジャンはクラリスが気分を害したのに気が付くと初めて会ったあの日の夜の様に申し訳なさそうな顔になった。
「申し訳ない。その辺の普通の感覚がどうもよく分かっていなかったようだ。」
ジャンは俯いているクラリスに向けて頭を下げると、少し考えた後銀貨を懐にしまった。
「……」
「紅茶、ご馳走様。じゃあそろそろ……。」
「あ…待って!」
──違う、こんな風に言い争いをしたい訳じゃなかった。私…。
待ってと咄嗟に呼び止めたもののこちらを振り返ったジャンの顔を見上げたまま、クラリスからはなかなか次の言葉が出てこなかった。
「……また、来てくれる?」
「……」
「待ってる…から。」
ジャンはクラリスのその言葉には何も答えずに、まるで急いでいるかのように慌てて部屋から出て行った。
一人部屋に残されたクラリスは呆然として今ジャンが出て行ったばかりの扉を見つめていた。
「何で?何か一言くらい言ってくれたっていいじゃない…。」
──学校に行ってない…お金持ちの子?何だろう、私なんかが関わっちゃいけない相手のような気がする……。
クラリスは改めてジャンの顔を思い浮かべた。よくある薄い茶色の真っ直ぐな髪。少し長めの前髪が目にかかり、瞳は晴れた空のような綺麗な青──。いつもは固く結ばれた唇からは微笑むと白い歯が零れた。それから服装は……。
「あ…。」
机の上に置かれたままの銅貨を見ながらクラリスはようやくジャンにどこか違和感を覚えていた理由に思い当たった。
「外套?天気が悪い訳でもないのに…いつも。」
クラリスはこの三ヶ月、ジャンが常に外套を身に付けていたことにようやく気が付いた。夜も、昼も、天気のいい日も悪い日も…。
ジャンの着ているような外套は、本来遠出をする時や天候の悪い日に服の上に羽織るものだ。今は暑くもなく寒くもない丁度気候のいい時季であるとはいえ、流石に毎日羽織っているというのは違和感があった。
おそらくはその下に着ている服を隠すためのものだろう。
クラリスはぼーっと考え事をしながら机の上の銅貨をポケットに仕舞うと、代わりにぼろぼろになり始めたメモ用紙を取り出しそのしわを手でそっと伸ばした。
「もう三ヶ月経つのね……。」




