食堂の看板娘
男は机の上に硬貨を置くと静かに立ち上がった。
「ありがとうございました!」
「……」
元気のいい女の声に一瞬そちらへ目を向けたものの、何も言わずに軽く頭を下げてそのまま店を後にする。
──あぁ、やっぱり今日も話が出来なかった…。
クラリスは店の扉が閉まりその男の後ろ姿が完全に見えなくなってしまうまで、たっぷりと時間をかけて見送った。
「クラリス!何ボーッとしてるんだい?これも頼むよ?」
店の奥からエプロン姿の女性が現れると同時にクラリスははっと我に返った。
「これね、セブおじさんの注文?」
「そうだよ。あの人さっきからまだかまだかってうるさいんだから、頼むわよ?」
「大丈夫任せといて!」
クラリスはキツネ色に揚がったまだ湯気の出ているフライをトレイに載せると迷うことなく店の真ん中にある二人がけのテーブル席へ向かった。
「お待たせしました!揚げたてで熱いから気を付けてね。」
「クラリス、待ってたよ。これがないと酒がすすまなくてね。」
「お酒?まだお昼よ?もしかしてまたおばさんと喧嘩したの?」
おじさんと呼ばれた初老の男は手元にあったグラスの酒を舐めるように口にすると、フライにレモンをぎゅっと搾った。
「喧嘩なんて野暮なことしやしないよ、俺はただアレに真っ当な意見を言ってやっただけだ。」
クラリスは呆れたようにため息をつくと男の肩を軽く叩いた。
「私には詳しいことは分からないけど。まぁそれ飲んだら仕事に戻ってよ?」
「分かってるよ、クラリス。」
男はフライにフォークを刺すとそのまま大きな音をたててかじりついた。
「…あっつ!」
「だから言ったじゃない、揚げたてだって!」
クラリスは慌てて水を飲む男に苦笑を見せながらカウンターまで戻った。
まだ店の昼食の営業時間は始まったばかり。早い時間から来ている常連の後にも次々と客が入って来ている。これからこの波を乗り切るまでが店の一番忙しくなる時間帯だった。
クラリスが叔母夫婦が街で営んでいる小さな食堂を手伝うようになったのは確か10歳の頃だった。今年で18歳になるのだからかれこれ8年もの間この店で料理を運び続けていることになる。
クラリスは2歳の時に両親を事故で亡くし、そのまま子供のいなかった母親の妹夫婦に引き取られここで育ってきた。
店の厨房の奥で腕を振るうのは叔父で、家ではいつでも叔母が家族の食事を作っていた。そうなると必然的にクラリスは食べるだけになり、未だに簡単な料理しか作ることができない。
店の常連の中には年頃のクラリスに恋人が出来ないのは食堂の娘なのに料理が出来ないせいじゃないのかなどとからかう者もいたが、クラリスもその通りかもしれないと思いはじめていた。
──あの人、また明日も来てくれるかな…。
その男が初めてこの店に来たのは三ヶ月ほど前の事だった。閉店間際という随分遅い時間に一人でスっと現れると何でもいいからすぐ用意出来る食事をと頼んできたのだった。
クラリスは仕事を終え2階に上がろうとしていたのだが、それを察したかのような男の申し訳なさそうな顔を見て、男が店を出るまで付き合うことを密かに心に決めたのだった。
男は料理が届くと黙ったまま食べはじめ、あっという間に料理を胃袋に詰め込むと銀貨を一枚机に置いて直ぐに立ち去ろうとした。
「店を閉める時間なのに無理を言って申し訳なかった。」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ?」
「ありがとう。……助かった。」
男がひどく丁寧に礼を言うのでクラリスは釣り銭を渡すことも忘れて呆気に取られていた。
「あっ!お客さん、お釣り!」
店の扉が閉じた瞬間に慌ててお釣りを用意し、すぐ様店の前まで飛び出したのだが既にその男の姿は何処にもなかった。
「変わった人。街の食堂で出された有り合わせの食事にあんなに丁寧にお礼を言うなんて…。」
クラリスは手に握ったままの三枚の銅貨をどうしたものかとしばらく眺めていたが、もう一度通りの左右を見渡しそこに男の姿がないことを確認すると、そのままそっとエプロンのポケットに忍ばせた。




