第三章 「わたしの最後」
「さあ! ライブ、スタートだ!」
デュラハンは、キリアに向かって突撃し、大剣を振り下ろす。剣の重さを感じさせない鋭い斬撃だった。盾で受け止めたが、押し込まれる。素早く体勢を整え、渾身の力を込めて、長剣を振り下ろした。デュラハンは盾で防ぎつつ、間合いの外ぎりぎりに身を引く。
まるで型を披露しているかのような一進一退の攻防が続く。キリアに余裕はなかった。全力で彼女を倒そうとしているが、デュラハンを追い詰めることができない。
人型イドラがここまで柔軟な思考ができるなんて信じられなかった。姿、顔、思考、言葉。彼女は、本当にイドラなのだろうか。
キリアは奥の手である「コンクエストスキル」を発動した。
コンクエストスキルは、輝化によってもたらされる輝化武具、輝化防具に続く、三つ目の恩恵、輝化スキルのことだ。輝化のあと、からだの周囲に散って、滞空しているアドミレーションの粒子を媒介にして発現するアイドル固有の能力である。
わたしの能力は「リフレクト」。相手のアドミレーション攻撃を自分の聖杯に吸収し、任意のタイミングで放出できる。
デュラハンと斬り結びながら、彼女のイドラ・アドミレーションを吸収していった。
十数合目のつば迫り合いで、充分な量を吸収し終えたとき、デュラハンが不敵な笑みを見せる。キリアは、たくらみがばれたのかと驚いた。
いや、ばれたところで関係ない。すでに準備は終わっている。あとは放出するだけだ。
キリアが放出のタイミングを計っていたとき、デュラハンは鍔迫り合いを突然に止めて、キリアから距離を取った。
突然のことに気が抜けたキリアは、めまいを感じる。デュラハンにばれないように、気を張ってしっかりと立った。リフレクトの副作用だった。聖杯にイドラ・アドミレーションを溜めるのは、イドラ化と等しい行為のため、長時間の使用は危険が伴うのだ。
デュラハンがキリアに話しかけてきた。
「おまえ、やっぱり強いな」
デュラハンは荒くなった呼吸を整えながら、話を続ける。
「まだ、おまえの名前を聞いてない。ぜひ教えて欲しい」
イドラから名前を求められるとは思いもしなかった。今、わたしはISCIの任務でここにいる。自分の素性を知られる訳にはいかない。だが、意志疎通ができる相手として、また、これほどの互角の勝負をする相手として、敬意を表したい。
キリアは剣を構えたまま、彼女に名前を伝える。
「キリアだ」
デュラハンは満足したように、にやりと笑い、応えた。
「キリアか。よろしく」
キリアは激しい違和感を覚えた。これほど人間的なコミュニケーションができるイドラを受け止められない。
「キリア。この任務、あたしのせいで台無しになってしまったな。それから……、この任務は絶対に成功させなければならないのか? ふむ、ジュリア、か。すごく強い思いだ」
キリアの心臓が跳ねた。
最初、デュラハンが何を言っているかわからなかった。しかし、ジュリアという言葉で、ようやく理解した。彼女に心を読まれている。キリアは驚きの上限をいくつも通り越して、気味の悪さや恐怖を感じていた。
「なぜ、わかるの……」
彼女は得意げに説明を始める。
「さっきまでの剣戟で、あたしのアドミレーションを吸収していただろ? おまえのコンクエストスキルなのか?」
ばれていた。キリアは息を呑む。
「自分のアドミレーションが減っていくかすかな感覚で気づいたよ。それで、試してみたんだ。おまえの聖杯の中にある、あたしのアドミレーションを経由して、おまえの聖杯に『聖杯連結』をできないかとね。そしたら大当たりだ。おまえの心の表層がわかる程度につなげることができたよ」
アイドルは他者の聖杯に、アドミレーションの受け渡しが可能な聖杯連結路をつなぐことができる。この連結路を使って、他者にアドミレーションによる良い影響や悪い影響を与えることができる。また、意思疎通を行うことも可能で、聖杯の奥深くまでつなぐことができれば、他者の深層心理までのぞき見ることができてしまう。
ここまで聖杯やアドミレーションの使い方を熟知しているとは……。感嘆の思いさえ感じる。しかし、心を読まれたことの不快感の方が強かった。
「ジュリアは、おまえの上司で、おまえの恩人で、おまえが唯一慕う大人」
「やめろ!」
キリアは叫ぶ。
それ以上、何もしゃべるな。他人の口から聞きたくない!
デュラハンは構わずわたしの心を読み続ける。
「最近、ジュリアがまったく関わってくれなくなった。それをがまんできずに、ジュリアに直接話に行ったら、自分気持ちが幼稚だと切り捨てられてしまった、か」
そこまで話したあと、デュラハンの表情が、スイッチで切り替えたように明るくなる。
「そうか。だから、この任務を成功させるっていう強い気持ちがあるのね。すべては、ジュリアに自分を認めてもらいたいということか」
キリアの瞳に涙がにじんできた。
ジュリアさんへの思い。それが他人とっては異常なものだということは、気づいていた。だから、他人に知られたくなかった。それがこんな形で暴かれるなんて!
キリアは自分の中で渦巻く、もやもやした気持ちや不安に思う気持ちを押し出すように、リフレクトで溜めたイドラ・アドミレーションを放出する。赤熱する黒炭のような赤黒いエネルギーが、まがまがしい炎となってキリアの右腕から立ち上る。それを長剣にまとわせ、思いきり振り下ろした。赤黒い巨大な斬撃がデュラハンを襲う。
彼女はまったく動じなかった。斬撃を待ち構え、タイミングを見極める。一歩踏み込み、大剣の一閃で、その斬撃を両断した。
「ふふっ。元は自分のアドミレーション。御せないわけがない」
デュラハンは得意げに語りながらキリアの方に向かってくる。
イドラ・アドミレーションの吸収によって生じためまいに耐えながら、忌々しい気持ちでデュラハンを見つめる。このままでは負けてしまう。ふらつく頭で必死に戦術を考えた。
デュラハンはキリアの剣の間合いに入った途端、大剣と盾の輝化を解いた。キリアはいぶかしみ、「何の真似だ」とデュラハンを問いただす。彼女は、さらに近づく。
次の瞬間、右腕と左腕をそれぞれつかまれる。何かの攻撃かと焦り、デュラハンの手をほどこうとするが、できなかった。
「キリア、少し話を聴いてくれないか?」
……この人型イドラの行動がまったく予測できない。
デュラハンはキリアの目をしっかり見て、話し始めた。
「おまえのジュリアに対する気持ちや今回の任務に賭ける気持ちは、よくわかる。あたしも同じことを考え、感じているからだ」
彼女は真剣な目をしていた。とても自然な表情だった。やはり、イドラだと思えない。
キリアは彼女の真摯さに圧倒され、剣と盾の輝化を解く。黙って話を聴くことにした。
デュラハンが、マリアから産まれたのは五年前。わたしがアイドルとしてデビューしたときと同じだった。「名づけられた子ども」として産まれた彼女は、すぐにイドラの大釜を守護する任務を与えられた。大役だと思っていた。しかし、任務開始から一年で、そうではないことがわかった。こんな辺境に足を踏み入れる人間などいない。年に一人か二人の白のアイドルを撃退すること以外は、空とイドラの大釜を見てぼうっとするだけ。すぐに飽きてしまったようだ。
その無気力が焦りに変わったのが、ノヴム・オルガヌムの定期報告会だった。
それは、黒のアイドルや人型イドラ、神話型イドラが一同に会し、現在の活動状況を報告する場だった。デュラハン以外の参加者は、世界中で華々しく活躍し、やりがいと希望に満ちた表情をしていた。母親のマリアは、彼女たちを褒めたたえていた。
デュラハンに縁があるのはマリアだけだった。そのマリアに褒めてもらいたい。そして、その他大勢に自分の活躍を評価され、知ってもらいたい。そう考えるようになった。そのときから、デュラハンは強さを追い求めるようになった。
デュラハンは、現状を変えるため、イドラの大釜に住むさまざまなイドラと戦うことで、自分の強さを磨いていた。ときには、神話型イドラと闘うときもあった。たくさんの戦闘経験と「名づけられた子ども」としての特別なからだによって、加速度的に強くなることができた。しかし、いくら強くなってもマリアやその他大勢から褒められたり、評価されたりすることはなかった。こうしている間に、自分という存在が忘れられてしまうことが何よりも怖かったそうだ。
「いなかったことにされたくないんだ!」
デュラハンは、切実な顔でキリアの目を見て、しっかりと訴えた。
「あたしもマリアに褒めてもらいたいんだ。だから、強くなって評価してもらうんだ。おまえも、ジュリアに認めてもらいたいんだよな?」
彼女の懸命な問いかけに、思わずうなずく。彼女の言うことは間違っていない。
デュラハンは、ようやくキリアから離れて、祈るように両手を組む。恍惚とした表情でからだをふるわし、今の感情をあらわにした。
「ああ、うれしい! あたしを理解してくれる存在がいた! 今日は、あたしの転機だ。このチャンスを逃さない! 必ず勝利して、踏み台にする!」
彼女の言葉を聴き、背筋が寒くなった。わたしもこの任務を成功させることに懸命になっている。しかし、わたしよりもデュラハンの方が飢えている気がする。
デュラハンと同じようにキリアもからだがふるえていた。しかし、デュラハンのような歓喜のふるえではない。それは、このまま彼女に喰われてしまう、という恐れだった。
「さあ、続きを始めよう!」
デュラハンが戦闘開始を促す言葉を告げ、再び大剣と盾を輝化する。彼女からイドラ・アドミレーションがあふれ出ていた。キリアも長剣と盾を輝化する。からだの前で構えた長剣、キャリバーは、キリアの心を反映するように、弱々しいくすんだ光を放っていた。
キリアとデュラハンの剣戟が再び始まった。
キリアは、攻撃と防御の両方でリフレクトを織り交ぜる。デュラハンの攻撃を、リフレクトを発現しながら受け止めることで威力を落とし、吸収したアドミレーションをすぐに使用して攻撃の威力を上げる。こうやって、からだの負担を軽くしながら闘っていた。
しかし、これでも長くは戦えない。キリアは、自分のアドミレーションを聖杯に少しずつ溜めて、アイドルが放つ必殺技、「アンコールバースト」の準備も始めていた。
そして、さらにもう一つデュラハンに対して仕掛ける。
「やあぁぁっ!」
がきぃぃん!
キリアが繰り出した渾身の突きが、デュラハンの盾に当たる。彼女がのけ反った。その隙を逃さず、一気呵成に攻める。
きぃん! かしぃん、きいぃん、がきん!
デュラハンは防戦一方になり、イドラの大釜の淵まで追い込まれる。彼女との間合いを詰め、淵にくぎ付けにした。
「デュラハン、これで終わりだ」
キリアは剣を構え、いつでも振り下ろせるようにする。しかし、デュラハンはまったく動揺していない。
「これくらいの高さから落ちたとしても、死なないよ」
「そうね。でも、あなたが落ちたら、わたしがここから離脱する時間ができる」
キリアはそう言いながら、さらに間合いを詰めた。デュラハンはじりじりと後退する。
次の瞬間、剣を振り下ろした。
デュラハンが後ろに飛び、剣を回避する。
よし。ここから離脱だ!
しかし、彼女が落下を始めない。待っても、待っても崖下に落ちて行かなかった。
「えっ」
ふとデュラハンを見ると、淵の先一メートルの空中で浮いていた。
「これが、あたしの『パラノイアスキル』、『ハングオン』だ。物体を宙に固着できるようにアドミレーションを変性させる能力だ」
イドラなのに、黒のアイドルの輝化スキルであるパラノイアスキルを使えるの?
キリアは、心の中で毒づく、この人型イドラは規格外すぎる。
デュラハンが空中の足場からジャンプし、キリアを飛び越えて着地する。キリアは、背後をとられないように反転する。
「あたしのハングオンは、こんな使い方もできる!」
デュラハンが炎のようなアドミレーションを反転中のキリアに浴びせる。突然、身動きが取れなくなった。
「キリア、おまえもこの高さから落ちても死ぬことはないよな?」
「くっ!」
くやしさと憎らしさを込めて、彼女をにらむ。
デュラハンは大剣をフルスイングして、わざとキリアの盾に当てた。
キリアは衝撃に耐えられず、吹き飛び、淵を越える。地面がなくなった。当然のように、背中からイドラの大釜へ自由落下を開始する。
ふわりと内臓が浮き上がる感覚。びゅうびゅうと耳を通り過ぎる風。キリアは、パニックに陥りそうになる頭を落ち着かせ、一つずつできることを始めた。
アドミレーションを放出。デュラハンの拘束を破壊。彼女のパラノイアスキルの射程から離れたからだろうか。自力で破ることができた。
剣を納め、アドミレーションに還元。溜めていたアドミレーションとともに、全てを輝化防具と盾に注ぐ。盾を背中に固定。イドラの大釜の斜面に向かって落ちていく。
落着!
全身がばらばらになりそうな衝撃が背中から伝わってきた。
盾を「そり」のように使用して、斜面に沿って降りていく。
がたがたがたっ! がらがらがらがら、がんっがんっ!
イドラの大釜の湖畔で「そり」はスピードを落とし、止まった。
からだ中の痛みをがまんして、立ち上がる。イドラが群がってきた。周囲を大量のイドラに囲まれる。そこに、デュラハンがハングオンを使いながら、静かに降りてきた。
「もう、逃げられないな」
デュラハンが剣を構えたまま、穏やかに、諭すように声をかける。
墜落の危機を脱したことによる高揚が冷めていく。
目の前のデュラハン。周囲に群がる大量のイドラ。自分が絶体絶命の状況にいることを改めて理解した。わたしも、リアラのようにイドラ化されてしまう……
平常心を保つために、キャリバーを輝化し、構える。腕も脚もふるえ、上手く立つことができない。ふとキャリバーを見ると、錆が浮き、鈍い光を弱々しく放っていた。
そのとき、目の前を大きな物体が横切り、キリアとデュラハンの間に、重い音を立てて落ち、どさっと倒れる。
その物体は人間だった。二人の少女だった。四つの虚ろな瞳がキリアを見つめていた。
そして、言葉にならない悲鳴を上げた。
その二人は、ミーファとリアラだった。ともにイドラ化して、意識を失っている。もしかしたら、死の危険がある第二段階までイドラ化しているかもしれない。
二人が死んでしまう。そして、この任務は失敗……。
動悸が激しくなる。呼吸が浅くなる。顔がひきつり、目が回る。
これまで、辛うじてにぎりしめていたトップアイドルの誇りや気品は指の間からさらさらと流れ落ちた。胸の奥に隠しきれないどろどろした恐怖と焦りが爆発する。
キリアは、恐怖をからだで振り払うように、錆まみれのキャリバーを振りかぶる。
そして、焦りを声で抑えつけるように、奇声を上げてキャリバーを振り下ろした。
デュラハンもキリアの攻撃に応じて剣を振り下ろす。
ぶつかる二つの剣。
悲しい金属音……。
キャリバーが真っ二つに折れていた。
アイドルである自分自身への信頼も二つに折れる。キリアは、目の前が真っ暗になった。
デュラハンの斬撃がキリアに届く。キリアは輝化防具ごと袈裟切りにされた。
斬撃は鎧を断ち、からだを切り裂く。傷口からアドミレーションが噴き出す。
右手から半分になった剣がこぼれ落ちる。からだがぐらりと傾き、仰向けに倒れた。
アドミレーションに関わる攻撃では、聖杯が傷つくだけで、からだが傷つくことはない。しかし、その攻撃で感じる痛覚は聖杯を通して自分のからだで再現される。
倒れたまま、痛みに苦しみ、もがく。
「任務を、成功、させ、ないと……、こんな、ところで、終わりたくない」
デュラハンは膝を付き、倒れたキリアを抱きかかえ、顔を覗き込む。
「残念だよ、キリア。もっと闘いたかった」
聖杯にイドラ・アドミレーションが侵食していくのを感じる。頭痛、関節の痛み、痺れ、意欲の減退、言いようのない不安、心が止まってしまうようだった。ミーファとリアラ、任務、ジュリアさん。何とかしないと……。どうしたらいいの!
もう……いいか。早く楽になりたい。この苦しみから解放されたかった。誰でもいい。デュラハンでもいい。早く、はやく。
キリアは、目の前の彼女に目で訴える。すると、デュラハンは、キリアが苦しむ様子をじっと見つめて何かを考えているようだった。
数秒後、デュラハンは何かを決意したかのように「よし」と言う。
「キリア、あたしは、これからおまえに『聖杯侵食』を行う」
キリアは痛みでもうろうとする頭で、デュラハンの言葉を確認する。
聖杯侵食とは、神話型イドラなどのアドミレーションが豊富な個体が、アイドルの聖杯に侵入し、そのアイドルをイドラ化することだ。溜まるイドラ・アドミレーションの量が莫大なため、一瞬でイドラ化が第三段階まで進み、そのアイドルは黒のアイドルとなる。
「イドラにとって、聖杯侵食は一生に一度しか行えない。一世一代の決断だ」
デュラハンが決断の理由を、優しい表情で語り掛ける。
「キリアとの出会いは特別だ。実力はほとんど同じで、お互いがわかり合えた瞬間があった。もっといっしょに居たいと思ったんだ。だから、キリアを聖杯侵食する」
キリアは胸の激痛で、上手くしゃべることができなかった。代わりに、自分の右手をデュラハンの方に伸ばす。彼女はその手を優しくにぎった。キリアは、その瞬間に、うれしい気持ちになる。彼女がこの苦しみを楽にしてくれる……。本当に不思議なイドラだ。
デュラハンは、まるで眠り姫にキスをするような体勢で、キリアの傷跡に顔を寄せる。からだの輪郭が崩れ、イドラ・アドミレーションそのものとなり膨張した。キリアのからだの上を覆い隠すほど巨大で真っ黒な塊が浮かんでいる。その塊が胸を切り裂く傷に触れると、イドラ・アドミレーションの奔流となって、一気にキリアの聖杯に侵入を開始した。
普通のアイドルだったらここで悲鳴を上げるのだろうか。
しかし、まったく痛みはなかった。むしろ、イドラ化の苦しみとデュラハンから受けた胸の傷の痛みが、すうっと引いていく。デュラハンに助けてもらったも同然だった。
黒の奔流が途切れたとき、キリアは穏やかに意識を失いつつあった。まるで、眠りにつく前のまどろみのようだった。
キリアが次に目を覚ましたとき、目を開けているのか、閉じているのかもわからない暗闇の中だった。周囲の様子を確認しようと手足を動かす。しかし、手足はまったく動かなかった。代わりに、じゃらじゃらと大きな鎖の音がする。自分の手首、足首、胴が鎖で囚われているようだった。
キリアがようやく現状を認識したとき、目の前がスポットライトで照らされる。その中心にいたのは、デュラハンだった。先ほどまで闘っていた姿そのままだった。
「キリア! こんなところにいたんだ」
デュラハンがキリアの姿を確認する。
「こんな姿になってしまって……。その傷跡、あたしの剣によって付いたものだね。ごめんなさい。痛かったよね」
キリアは自分のからだを見る。輝化防具と服が破れていた。そして、からだを斜めに横切る大きな傷があった。その傷口は深く、周囲の暗闇よりも黒かった。
デュラハンが傷口に触れる。キリアは、恥ずかしくて情けなかった。しかし、言葉でも行動でも抵抗できない。デュラハンはキリアを抱きしめ、優しくささやいた。
「キリア、いっしょに強くなろう。あたしたちの前に立ちはだかるものを片端から倒していこう。そして、たくさんの人から評価されよう。マリアの愛情を独占しよう」
デュラハンは、抱きしめていた腕をほどき、キリアの顔を覗き込む。
無言のまま、デュラハンを見つめる。そして、うなずいた。
わたしは、デュラハンに負けた。仲間を守ることができなかった。任務に失敗した。黒のアイドルとなった。もう、ジュリアさんに認めてもらえることはない。
わたしは、弱くて小さなアイドルだ。だから、願いや思いも弱くて小さい。その証拠に、目の前にいる彼女の言葉が、またたく間にわたしの心を充たしていく。
デュラハンも、安心したように胸をなでおろす。一つうなずいたあと、「ありがとう、キリア。これからよろしく」と声をかけ、きびすを返してキリアの前から立ち去っていく。
暗闇にひとり、置いていかれた。五感が消えていていく。思考する自分だけが、ぽつんと存在する。
デュラハンの言葉に自分を委ねていいのだろうか。わたしの聖杯には、悔いて、思い悩む感情だけが取り残されていた……。
キリアは、再び目を覚ます。そこは、さきほどまでデュラハンと闘っていたイドラの大釜の湖畔だった。心の不快感とからだを斬られた激痛は、嘘のようになくなっている。すっきりとした心地良い目覚めだった。
立ち上がり、湖畔の淵まで歩く。目の前に広がる雄大な黒い湖をぼうっと眺めた。デュラハンに襲撃される直前に観ていた映像がもう一度現れる。マリアのライブ映像を真摯なまなざしで楽しむキリアと先生が目の前に映る。
手を伸ばせば届きそうだった。しかし、決して届きはしない光景だった。切なくなり、両目から涙が一筋こぼれる。
ふと水面に鏡のように映り込んだ自分の姿を見る。姿かたちはいつも通りだったが、顔の造形は自分ではなかった。デュラハンの三白眼と薄紅色の瞳、大きな口も混ざっている。
これまで鏡を避けていた。自分の顔を見ることが嫌いだったからだ。だから、この姿は好都合だった。もう自分を見なくて済む。
そのとき、キリアの胸からイドラ・アドミレーションがあふれだした。それは顔に集束し、凝縮を始めた。次第に形を整えて、キリアの顔を隠す仮面となった。
自分の心を支配しつつあるデュラハンが教えてくれる。これは「イドラの仮面」。彼女の擬似聖杯が変形したもの。この仮面は簡単に外せそうになかった。
ついに、自分の聖杯がデュラハンで充たされる。キリアはそれを実感していた。だんだんと自分のものだと確信できる思考や感情が少なくなっていた。少し焦って、周囲を見回し、倒れたままのミーファとリアラを発見する。二人の元に駆けつけた。
キリアは、聖杯連結によって二人の無事を確かめる。ミーファとリアラは死んでしまうほどのイドラ化に至っていないことがわかった。しかし、白のアイドルとして復帰することは難しい段階までイドラ化が侵攻しているのは間違いなかった。
その事実にキリアは……また強敵を倒すことができたという達成感を覚えた。
はっ、と気づく。もう、わたしはここまでだ。キリアは、最後の「自分」で、周囲のイドラに「二人をレンヌ・ル・シャトーへ連れていけ」と命じる。
†
キリアの言葉はイドラにちゃんと届いたようだった。群れから人型イドラが二体、前に出てきた。キリアの仲間二人を担ぎ、レンヌ・ル・シャトーの方へ向かっていく。
それを見届けたデュラハンは、「輝け」とつぶやく。
デュラハンの胸からイドラ・アドミレーションが放出され、輝化を開始する。重厚な騎士甲冑、まがまがしい大剣と盾。それぞれを着装したあと、仮面越しに鎧を見る。キリアが受けた傷痕の意匠が追加されていた。それは、キリアを倒し、聖杯浸食をやり遂げた勲章のように見えた。
これから自分は、キリアといっしょにもっと強くなれる。
デュラハンは湖を一度ぐるりと見渡す。もうここから旅立つときだ。湖に背を向けて、歩き出す。次第に駆け足となった。パラノイアスキルを発動し、地を蹴り、踏み切った。
空を駆けあがる。見下ろす世界は、広かった。