第一章 「わたしの任務」
「キリア! そろそろ起きな!」
声と同時にからだが揺さぶられ、目を開ける。目の前にミーファの顔があった。彼女はあきれたような顔をして、キリアの腕を引っ張り、からだを起こす。
力が入らないキリアは、ベッドにぺたんと座り込み、辺りを見回した。ベッドと簡素なテーブルといすだけのシンプルな部屋。開け放たれたカーテン。窓から見える空には、厚い灰色の雲が垂れこめていた。
キリアは、ぶるるっとふるえる。部屋の暖房は効いていない。とっさに毛布をつかみ、身をくるめ、毛布を頭からかぶる。ミーファとこの寒さのおかげで、からだは覚醒していた。しかし、頭は夢の中にいるようだった。
キリアが寝起きのかすれた声で「おはよう」と言うと、ミーファはあっけにとられながら「おはよう」と返す。頭の中にある、もやもやを確認するため、ミーファに質問した。
「ミーファ。わたし……は、戻ってきたの?」
キリアのベッドを整えていたミーファはきょとんとした顔をしてキリアを見返す。そして、キリアがかぶっていた毛布をはぎ取り、一つため息をついて、質問に答えた。
「本当に、キリアって寝起きが悪いよね……。何のことかわからないよ、キリア。ワタシたちは戻ってきたのではなくて、北へ向かっているのよ」
北へ……。
キリアは「ああ、そうだ」とつぶやく、キリアの頭は、ようやく目覚めてきた。「大事な任務中だった」と眠気交じりの声で何とか言葉にした。
「ようやく目が覚めた?」
ベッドを整え終わったミーファは、ベッドの端に座り、かわいい子どもを見守るような顔で、キリアの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ほら、さっさと顔を洗ってきて」
ミーファがキリアの背中をばしっと叩き、ベッドから追い出す。キリアはベッドから下り、寒さに身を縮めた。そして、毛布の温かさに後ろ髪を引かれながら部屋を出る。
キリアは部屋の前の廊下を進み、階段に差し掛かる。すると、リアラが二階へ上がってくるところだった。リアラは足を止め、「やっと、起きたのね」と言い、階段を上がるのをやめて、キリアが降りてくるのを待っていた。
一階に降りたキリアは「リアラ、おはよう」と挨拶をする。リアラはミーファと同じようにあきれたような顔をして、ふうっとため息をついて、キリアに対して小言を述べた。
「キリア、相変わらず朝が弱いわね。今日は大事な日よ」
無表情なリアラの何気ない一言が胸に刺さる。
「う……ごめん。すぐに準備するから」
「まぁ、出発まで時間はまだあるから、大丈夫だよ」
リアラは顔を少しほころばせて、キリアに優しく声をかける。
「準備ができたら、集会室に集合。朝食を用意しているから」
キリアは、リアラの柔らかい表情にほっとして、「ありがとう」とリアラに伝える。
そして、一階にある共用の洗面所の方へ急いだ。
鏡に、キリアの姿が映る。
自分の顔を直視できない。寝ぐせでぐしゃぐしゃになった髪も見るにたえなかった。「はぁ」とため息を漏らす。
鏡から顔を背け、蛇口をひねった。流れ出た水を両手ですくう。切れるような冷たさだった。がまんして、顔を洗う。はっきりしなかった頭が、冷水で引き締まる。
キリアは洗面台に手を付く。鼻の頭から水滴が一つ落ちていった。シンクに吸い込まれていく水を見つめながら、さっきの夢を思い出した。
わたしと向き合っていた人は誰だったんだ? 自分と同じような姿だった気がする。たくさん何を話していたのかな。とても大事なことを話し合っていたと思うのだけど、内容が一つも思い出せない。
いけない。ミーファとリアラを待たせているのだった。
キリアは洗面台から顔を上げた。洗面台に置いてある自分の道具を使って、あわただしく身支度を始める。
わたしは今、ミーファとリアラとともに、大切な任務のために、はるか北の地に来ている。リーダーのわたしがこんな上の空じゃ駄目だ。
キリアはあの夢を忘れようとした。しかし、忘れようとするほど、誰と何をしゃべっていたのか、という疑問がこびりつく。
頭の疑問をはらい落とすように頭をふる。そのとき、鏡の中の自分と目が合った。
見たくない。
いつからか、自分の顔を見るのが苦手になっていた。ゆううつだ。キリアは鏡の中の自分に挑むような気持ちで、てきぱきと身支度を整える。
ノックの音が聞こえた。「はい」と答え、後ろを振り向く。ミーファが立っていた。
「キリア。仕事着、ここに置くからね」
ミーファが、たたんだ仕事着をカゴに入れる。
「ありがとう、ミーファ」
「集会室で待ってるよ」
ミーファはドアを閉め、洗面所を後にした。
キリアは寝間着を脱ぎ、ミーファが持ってきた仕事着に着替える。
このスーツは、耐寒、耐熱、対刃、対弾性能に優れ、あらゆる状況での戦闘行為に適応する。とても動きやすいのだが、装着しづらいのが難点だ。なかなか慣れない。
苦心しながら装着を終えたキリアは「よしっ」と一声気合を入れ、頭を切り替える。
わたしたちは、これから任務に従って、さらに北に進む。進んだ先に何があるかわからないが、これだけは決まっていた。
そこには、わたしたちの敵がいるのだ。
キリアは、朝食を終えたあと、ミーファとリアラとともに集会室で再びテーブルを囲んでいた。出発前に、改めて作戦内容を確認するブリーフィングを行うことになった。キリアはリーダーとして、二人に今回の作戦内容の説明を始める。
「わたしたちは現在、敵本拠地の正確な位置情報を入手する偵察任務に従事している。敵本拠地は『レンヌ・ル・シャトー』と呼ばれる街であり、その近くには『大釜』と呼ばれる施設または領域があることがわかっている」
タイミングよく、ミーファが質問をする。
「なんで北を目指しているんだっけ? 前に聞いたけど、理解できなかったんだよね」
「これまでの敵出現地域の分布を解析したんだ。その結果、敵はこのスヴァールバル諸島から発生、もしくは出発している可能性が高いことがわかった」
リアラが補足する。
「この周辺には、衛星写真が写らないエリアがあるわ。それは意図的に写していないのかもしれない。そこに敵本拠地があるから、とも考えられるわね」
「そう。衛星ではこの周辺の情報を得ることができない。だから、わたしたちが実際にこの領域の偵察をするということになったというわけね」
ミーファは人懐っこい笑顔をキリアに向け、「ありがとう! 続けて」と先を促した。
キリアはテーブルに地図を広げ、びしっと地図の一点を指した。説明を始める。
「わたしたちの現在地はここ。衛星で確認できるエリアの中で最北端の街ね。この街を拠点にして、北方向に進み、探索済みの領域を広げていこう」
「昨日、北の方角を目視したよ。なだらかに高度が上がっていく山だった」
ミーファが地図上の現在地から北の方角を指しながら伝える。
「そのとき、山の向こうから敵の力を感じた。はっきり区別はできないけど、力の度合は強弱さまざま。そして、数えきれないほどたくさんだった」
「それは地図で、どのあたりだ?」
キリアがミーファに指摘するように促す。
ミーファは、現在地から北に五十㎞離れた場所を指でまるを描きながら「この辺りだと思う」と答えた。
「解析結果でも、敵本拠地の可能性が高いところだわ。当たりかもしれない」
リアラは表情を厳しくして、キリアの言葉に付け加える。
「昨日、街で聞き込みをしたわ。この街では、北の山を越えることは禁忌とされているみたい。北の山を越えたことがある人はいなかったわ」
ミーファにもリアラの雰囲気が伝わったのだろうか。口を真一文字に引き結び、笑顔がなくなっていた。
「決めた」キリアは部屋の中の冷えた空気をはねのけるように声を出し、二人に告げる。
「今日は、この領域を探索しよう。ここなら、現在地まで数時間で撤退できる。今日は、日帰りの水と食料を持って行き、キャンプなしにしよう」
「キャンプなし!」
ミーファとリアラは声を合わせる。明るい笑顔で、はしゃぐようなしぐさをする。キリアもキャンプはできる限りしたくない。二人の表情に引きずられて、キリアも表情が柔らかくなる。だが、油断できない。
「ミーファの言葉や、解析結果が示す通り、敵本拠地が存在する可能性が高いエリアに侵入する! 敵の出現数増加、未知の強敵の出現が予想される。気を引き締めて行こう!」
浮ついた気分を払拭するため、強い言葉でブリーフィングを終了した。
「了解!」
ミーファとリアラが打てば響くような返事をしたあと、互いのこぶしをぶつける。同じように、キリアもミーファとリアラ、それぞれとこぶしをぶつけた。
いよいよ本番だ。
キリアはこれから向かう場所の地図を見つめていた。
キリアたちは街を出て、北上を開始した。踏み込むことが禁忌とされている山のふもとまで約二時間。空は、相変わらず、厚い灰色の雲が垂れこめていた。
ここまで飛行機やヘリだけでなく、鳥も、街を出るときに数羽の真っ黒な鳥が北の方へ飛んでいくのを見て以来、目撃していない。同様に動物や虫にも出会っていない。そして、周囲の植物は枯れる寸前のように生気がない。生命が死に絶えた大地。周辺の静けさも手伝って、キリアは別の世界に足を踏み入れたような感覚におそわれた。
キリアは今回の任務について思いふける。
これまでの退屈な任務に比べて、緊張感があって、やりがいがあった。やはり、わたしにとってはこれぐらいの難易度がふさわしい。ミーファやリアラとの関係も良好で、とてもいい環境だ。無理に志願して、本当に良かった。最近の任務は簡単なものばかりで満足できず、退屈だったのだ。あとは、大きな発見と、強敵との戦いがあれば、大満足だ。
キリアは任務成功の確信に陶酔しながら、そんなことを考えていた。
自分の端末からアラームが鳴る。それを確認し、後から来るミーファとリアラに伝える。
「この辺りで一度休憩にしよう」
キリアたちは、間近にあった開けた土地に入り、その一角にある岩に腰かけていた。ミーファは汗を拭き、リアラは水を飲んでいる。キリアは、二人から離れた岩に腰かける。自分の端末を開き、ボイスメッセージの録音を始めた。メッセージの相手はキリアたちの上官、ジュリアだ。キリアは、たんたんと、ここまでの経過や現在の状況、これからの予定を端末に吹き込んでいった。
「以上、キリア」
三分ほどでボイスメッセージの録音を終える。音声データを暗号化し、今日出発した宿に敷設した基地局に無線送信した。送信完了のアイコンを確認して、キリアは詰めていた息を吐き、肩の力を抜いた。大きな声を伴って息が吐かれる。
こんなに緊張していたんだ……。三日前にジュリアさんとあんなことがあったから仕方ないと思いながら、気持ちを切り替えようと、端末をぱちんと勢いよく閉じる。端末を抱え、ミーファとリアラの元に戻ろうと振り向いたとき、すぐそばに、二人がいた。
「うわっ、なに? 聞いていたの?」
何か悪いことを隠すように慌てる。
「まだプロデューサーとのことを引きずっているの?」
ミーファが、まるでキリアの健康状態を診るように、顔を覗き込んで確認した。
「そんなことない」
「そうかなぁ? 今までと比べて、ぎこちなかったし、ふてぶてしかったわ」
リアラはキリアの横に立ち、そっぽを向きながら独り言のようにつぶやく。
「そんなこと、ない」
「そんなこと、あるわ。いっしょに活動を始めてもう二年。これくらいのこと、わかるわ」
キリアはリアラの言葉に対して何も反応せずに、端末を持って元の場所に戻る。ミーファとリアラは「大丈夫。ジュリアさんのあの反応は、きっと一時的なものだよ」と声をかけながら、キリアの近くに腰かけた。
キリアは、涙がじわりと出てきた。それは、二人の言葉の温かさに感動した涙なのか。ジュリアとの不和をまだ引きずり、心を癒せずにいる涙なのか。はっきりしなかった。
「わたしは、大丈夫」
キリアは自分に言い聞かせるようにつぶやき、目に溜まった涙をぬぐって、にぎりしめ、端末をバックパックに戻した。
十分後。キリアたちは休憩を終え、出発の準備をしていた。
そのとき、ミーファがはじかれたように顔を上げ、前方を凝視する。そして、間を置かず、鋭く、短く、危険を告げる声を発した。
「前方十一時方向、百メートル先の樹の上。数、一。鳥型イドラ! 敵だよ!」
ミーファは警告を発しながら、さっきまでは持っていなかったアーチェリーの弦を引き絞っていた。すると、弓と弦の間に矢が現れる。
ミーファは狙いすまし、その矢を放った。
矢は風を切って、ミーファが告げた方向へ飛んでいく。
前方にいるカラスのように真っ黒な鳥は、甲高く鳴いた直後、矢に射抜かれた。
真っ黒な鳥は墜落せず、、空気に溶け込むようにすうっと消える。
「ごめん! あいつに鳴かせてしまった!」
ミーファがアーチェリーの弦に指をかけ、前を向いたまま大きな声で、二人に伝える。キリアはリアラと背中合わせの形になって二人告げた。
「ミーファ、リアラ、周囲を警戒! 鳴き声に呼び寄せられた敵が来るぞ」
キリアたち三人は広場の中心で、互いの背中を守る三角の陣形となり、敵の姿を探す。
わたしたちの敵。それは「イドラ」と呼ばれる真っ黒い怪物だ。イドラは「イドラ・アドミレーション」と呼ばれる黒色の精神エネルギーが凝縮して、生物の形を持って実体化した存在。たった今、退治した鳥型だけでなく、獣型、魚型、虫型、植物型と多様な種類が存在している。
イドラは人間が持つ精神エネルギーである透明なアドミレーションを収集し、それを糧にして活動している。人間はアドミレーションを抜き取られ過ぎると死んでしまう。イドラは人類の天敵なのだ。
二十数年前までは、イドラに遭遇し、被害を受けた人間は全人口の〇・〇〇〇一%にも満たなかった。しかし、現在ではイドラをあやつることができる組織が現れたため、イドラの被害人口は一%にまで拡大していた。
「全員、輝化だ!」
キリアは二人と同時にと気合を込めて叫ぶ。
「輝け!」
キリアの胸から朝焼け色の光が溢れ、キリアの全身を包んでいく。他の二人も異なる色の光に包まれていた。
光の中で騎士甲冑のような「輝化防具」を着装する。からだ、両脚、顔、両腕と光の移動に伴って防具が形成されていった。光は最後にキリアの両手に集束。右手には柄がこぶしの五倍あり、意匠が優美で格式を感じさせる「輝化武具」の長剣「キャリバー」、左手には一メートル弱の縦長で、四つの花びらが十字型に開いた形の盾が形成された。右手の長剣を一振りすると、包んでいた光がはじけ、粒子となり、きらきら輝きながらキリアの周囲に滞空している。
ミーファとリアラも輝化を終えていた。
ミーファの輝化防具は軽装の鎧で、大きな矢が六本入った矢筒を背負っている。左手には、先ほどの鳥型イドラを貫いた輝化武具のアーチェリーを持っていた。
リアラは、輝化防具であるフード付きのローブで全身をすっぽり包み、右手に形成した輝化武具の杖をくるくると回して、もてあそんでいた。
わたしたちは「アイドル」だ。アイドルは、イドラに対抗する力を持つ騎士。通常とは異なる、有志の心、「聖杯」を持ち、聖杯から湧き出る、個人特有の色を持った「アイドル・アドミレーション」を用いて輝化し、武具や防具、そして超常の力を発現できる。
わたしとミーファ、リアラの三人は、国連の一機関である「国際対イドラ現象機関(ISCI=International System of Counter Idola phenomenon)」に所属するユニット「カリス」として、イドラを率いて世界に混乱をもたらす組織「ノヴム・オルガヌム」の隠された本拠地を探索する任務に就いている。
現在の「アイドル」は、戦うのだ。
キリアの目の前に、熊のような見た目の獣型イドラが三体、姿を現した。
「前方二十メートル。数、三。獣型イドラ」
続けて、背中を預けたミーファとリアラからも敵の出現が知らされる。
「ワタシの方は、さっきの鳥型イドラと同種が六羽よ。リアラ、そっちは?」
「こっちは植物型イドラ。数、一。このあたりにたくさんある落葉樹と見た目が同じだわ」
キリアは二人の戦況予測を確認する。
「問題は?」
「ない!」
二人の自信に満ちた声を聞き、「わたしもない!」と応える。
キリアは右手の長剣と左手の盾を構え、腰を落とす。
「準備は?」
「いいよ」
「大丈夫」
ミーファ、そしてリアラの短い返事を確認し、キリアは開幕の合図を告げる。
「ライブ、スタートだ!」
キリアは、盾を掲げて、熊イドラに向かって突進する。
イドラとの戦闘は久しぶりだった。カリスのプロデューサーであるジュリアが、興行のアイドル活動にしか従事させなかったからだ。興行は苦手だ。できるならやりたくない。イドラ退治の方がよい。嫌なことを考えなくて済むから、楽なのだ。
三匹の熊イドラの内、小さい二体が前に出た。
二体のイドラが、するどい爪でキリアを攻撃する。
一体目の爪をかわし、もう一体の爪は盾で防ぐ。
キリアは、かわした爪の前足を長剣で斬る。そして、盾で熊イドラを押し、バランスが崩れたからだを長剣で突く。
そこまでの攻防のあと、キリアは後ろに飛び退り、相手との間合いを空けた。
二体の熊イドラを観察する。イドラは、足を切り落としても、胴体を貫いても、動ける限り動き続ける。唯一の弱点は、ダメージを与え続けた結果、胴体に表出してくる、「擬似聖杯」だ。それを壊せば、アドミレーションの凝縮を維持できなくなり、そのイドラは消滅してしまう。
キリアは熊イドラの胸の部分に擬似聖杯があることを確認した。前足を斬られた方の熊イドラのそれを、間合いの外から正確に突く。そして、もう一体の熊イドラが繰り出した二つの前足による爪攻撃を盾で防ぎ、胸から見える擬似聖杯を袈裟懸けに斬った。
二体の熊イドラはその場に倒れ、空気に溶けるように消滅していった。
どし、どし、どし……
キリアは、見上げるほどの大型の熊イドラが前方から突進してくるのに気づく。
からだの前面に、盾をしっかりと固定した。
熊イドラは前足を大きく振りかぶり、突進の勢いそのままで前足を振り下ろす。
ずどん!
盾にぶつかる。重心を低く、前に保ち、攻撃の勢いを受け止めた。
「ぐっ! うううっ」
二メートルほど後ろに突き飛ばされるが、体勢を崩すことはなかった。
瞬時に姿勢を戻し、巨大な熊イドラを見上げる。自分の身長の二倍を超える巨躯だった。
巨大な熊イドラは仁王立ちして、口を大きく開け、大地を揺らすように吼えた。
キリアは自分から、かたかた、ちゃきちゃきと音がするのに気づく。武具や防具がこすれ合う音だ。右腕がふるえていた。
このふるえは、武者震いだ。久しぶりの戦闘に、気分が高揚していた。
その証拠に、キャリバーが光り輝いている。キャリバーの特性は、アドミレーションの密度によって、その硬さや切れ味が変化する。今のキャリバーは最高の状態だった。
キリアは、盾をアドミレーションに還元し、自分の聖杯に戻す。光り輝くキャリバーを両手で持ち、からだを引き絞るように構え、ずっとうなり続けている巨大な熊イドラと目線を合わせる。熊イドラが、キリアの瞳に射すくめられたように、黙った。
一瞬の沈黙。
からだを沈めて、走り出すキリア。視界と思考が目の前の熊イドラに集中する。
巨大な爪が振り下ろされた。
急減速する。爪は、眼前の地面に突き刺さる。
再び速度を上げ、キリアは飛び上がった。
熊イドラがもう一本の前足を突き出し、キリアは長剣を振り下ろす。切っ先からアドミレーションの斬撃が飛び出す。
斬撃が前足を断ち、胴体を両断。体内に隠れていた擬似聖杯まで破壊した。
キリアは跳躍の勢いそのままに熊イドラを飛び越し、後ろを振り返る。巨大な熊イドラは仰向けに倒れ、先の二体と同じように消滅していった。
キリアはミーファとリアラの様子を確認する。二人とも、勝利で戦闘を終えていた。
ミーファの方では、六羽の鳥型イドラが消滅していくところだった。おびただしい数の矢が広場を埋めていた。ミーファが伸びをしながら、得意な顔をしてこちらに歩いてくる。
リアラの方は、六メートルほどの植物型イドラが燃えていた。イドラは炎の中で苦しむ様子を見せていたが、やがて擬似聖杯が燃え尽き、消滅を始めた。リアラは炎の熱さにがまんできなかったのか、フードを下ろして、ローブの前を開けながらキリアに合流する。
「おつかれさま。損害は?」
二人の状況を確認する。
「損害なし」
二人ともに笑顔でキリアに答える。
キリアは「わたしもない」と報告し、三人でこぶしを突き合わせて、勝利を祝う。
「またイドラが出現するかもしれない。早くここから移動しよう」
キリアは勝利の余韻に浸る間もなく二人を促す。二人ともに「了解」と応え、荷物をまとめ、再び北を目指して移動を開始した。
だんだん勾配がきつくなってきた。もうすぐブリーフィングで目標に設定した北の山だ。
キリアは、手応えを感じていた。久しぶりのイドラ退治、気が置けない仲間との行動、ちょうどよい任務の困難さ。全てにやりがいを感じていた。
この任務を成功させれば、敵本拠地を暴くことができる。これはきっと、ISCIにとって大いに役立つ情報となるに違いない。もしかしたらイドラとの戦いの局面を一変させることができるかもしれない。
それほどの実績なら、間違いなく、わたしのことを認めさせることができる。
ジュリアさん……。出会ったときと同じように、彼女のことを信じたい。
もうあのときのように、言い争いたくない……。
*
「もっと褒めてよ! なんで、わたしを見てくれないの!」
キリアは、ジュリアに対して、自分の不満を怒りとともにぶつけた。
ジュリアは、面倒なものに出会ったような表情で、キリアのことを突き放す。
「キリア、もっとトップアイドルとしての自覚を持て。その言葉はあまりにも幼稚だ」
キリアは、めまいがするほど衝撃を受けた。
ようやくジュリアさんの望み通り、「アイドルランク」を最高の「フィフス」にして、名実ともに「トップアイドル」となったのに。
ジュリアさんはわたしをまったくほめてくれなくなった。数多くのファンから慕われたって、彼女にほめられなければ、気持ちは晴れない。彼女のためにがんばってきたのに、なぜこんなことになったの?
ジュリアさんに認められたい。鬱々と日々を過ごす中で、自分にしかできない高難度の任務に従事し、彼女が無視できない大きな実績を作ることを考えた。
カリスに所属するミーファとリアラの協力で、敵本拠地の偵察任務に志願することにした。それは、ジュリアの決裁を待たずに決行された。
*
これならきっと、わたしの思惑通りに事が進むはず。キリアは敵地の真っ只中で充実感に酔いしれていた。