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第十二章 「二人の衝突」

 †

 キリアが突然、変わってしまった。姿だけでなく、価値観までがらりと変わったようだ。

 どうしてこんなことに……いったい何が起こっているの?

 キリアが遠くへ行ってしまう。あたしの気持ちも知らずに、どんどん先に行ってしまう。

 ここまでの対話で、キリアを十分に理解できた。あともう少しで、キリアの聖杯とひとつになれる。キリアの聖杯を支配できる。そう、思っていたのに……。

 デュラハンは、自分のいらいらを悟られないように懸命に表情を整え、「これからのことをいっしょに考えていこう」と伝える。

 キリアは、デュラハンの様子を伺うように、恐るおそる了承した。

「キリアの周囲に、ミレナ先生やマリアのような憧れの存在、もしくは、キリアが語ったような生き方を実践している人はいるのか?」

 キリアは、少し考えたあと、「それは、リンかな」と答え、その理由を語る。

「『ザ・インダクション』で初めてリンと対峙したとき、彼女は前だけを向いて進んでいるように見えた。自分のことを絶対的に肯定して、ゆるぎなく前を向き、迷いなく駆けていく。それを楽しみながらできているところが、マリアや先生みたいだった」

 キリアは、リンのことを楽しそうに語っている。

 いらいらが大きくなる。デュラハンは、キリアに追いつこうと必死だった。それなのに、キリアは別の方向を向いている。

「あのとき、リンのアンコールバーストが迫ってくる光景を見て、わたしも彼女のようになりたい! いえ、なってみせると思ったわ」

 キリアの視線をとらえるように、彼女の目をまっすぐ見る。

「リンのようになりたいって、どうなりたいの?」

 キリアは、斜め上を向いて楽しそうに考える。少しの間をおいて、話し始めた。

「自身を持って、前に進みたい。周りを恐れてびくびくせず、さわやかに、これでいいと認めて、よそ見せずに走り抜けたい!」

 キリアはほおを紅潮させて、自分の少し先の未来に思いを馳せていた。

 デュラハンは、だんだん表情が豊かになっていくキリアを愛おしく思っていた。それと同時に、自分の心からどんどん離れていくキリアに怒りを覚えていた。


「……キリアにとって、リンはどんな存在なの?」

 キリアは、こぶしをにぎり締め、真摯な態度でデュラハンに語る。

「リンは、隣にいたら無視できない存在で、常に背すじを伸ばして向き合うような存在だよ。憧れの存在ではあるけど、より正確には負けていられないライバルという言葉がふさわしいかも。昔のわたしなら、彼女が前を向いて進み続けることに劣等感を覚えて、リンに対して、わたしを見て! と思ってしまいそう。でも、今なら、他者に縛られずに、前に進み続けることで、自信を持って並び立つことができそうだ」

 キリアは大きくうなずいて、はっきり宣言した。

「早くリンと会って話がしたい。ライバルとして、いっしょに前に進みたいって言いたい!」

 ……キリアとリンは出会っているのではなかったか?

 何かがおかしい。

『ザ・インダクション』のとき、対峙したリンの言葉がよみがえる。

 ――四年前。わたしが二つの絶望に直面したとき、あなたに救われたんです。あなたは、その絶望を二つとも払ってくれました

「おまえは、すでにリンと会っているぞ」

 キリアが、イドラを退治することで、リンの命を救ったこと、余命宣告で絶望したリンの心の支えになったこと。そして、キリアに憧れてアイドルになったことを伝える。

 彼女は、目を丸くする。これ以上ないほど満ち足りた表情をデュラハンに見せる。

 その表情は、どきっとするくらい鮮烈で、ほっと和やかになれた。しかし、じくじくと心が痛み始める。

「そうか、そんなことがあったんだ。何だか不思議な気分。自分に憧れてアイドルになったなんて、今まで言われたことがないよ。こんなに不完全なアイドルで、至らない人間なのに、憧れてもらえるなんて……」

 キリアは遠くを見つめている。切ない表情で、リンを探しているように見えた。

 あたしを見てはいなかった。

 ……もう、彼女の話を聴いていられない。

 手を伸ばしてもつかめない、もどかしさ。手を伸ばすことさえも気おくれする、孤独感。

 キリアに裏切られた。

 いらいらが渦を巻き、怒りが湧き上がる。

 あたしがこう思わなきゃいけないのは、なぜ! どうしてなの!

 デュラハンは湧き上がってきた怒りに火をつけた。

 突然、勢いよくいすから立ち上がる。

 がたっ! がん! ごろん!

 大きな音を立てて、いすが後方へ転がっていった。

 キリアが、おびえるような顔でデュラハンを見上げる。

 激しく燃え上がった怒りを、ありのままにキリアにぶつけた。

「もういい! もう話さなくていい。キリアの聖杯やからだを支配するには十分だ」

「……何を、そんなに怒っているの?」

 あたしの気持ちに無自覚なキリア。いらだちが治まらない。

「何って……さっきまでの鎧と服はどうなったのよ! 今の姿は何なの! いったい何が起こっているのか、さっぱりわからないよ!」

 キリアのことを責めるように見つめながら、続ける。

「対話が進めば進むほど、おまえの表情やジェスチャー、声の調子が目まぐるしく変わっていく。おまえが語る内容を理解するのだって、だんだん難しくなる。あたしはすごく不安なのよ。『ああ、そうか!』って叫んでいたけど、何に納得したのよ!」

 頭を抱えて、目を伏せる。

「まったく理解できない! 知りたい、わかりたいのはあたしの方だよ! キリアといっしょにいると、心がざわざわして落ち着かない! おまえはいったい何者なんだ!」

 キリアが悲痛な表情で反論する。

「そんなふうに言わないでよ! わたしだって何が起こっているか、わからないの! なんで、そんなに怒っているの? わたしこそデュラハンのことがわからなくなったわ。あんなに親身になって話を聴いてくれたのに、どうしていきなり変わってしまったの?」

 あたしは、キリアの何にいら立っているのだろう? 自分の感情がよくわからない。デュラハンは何も反応ができなかった。

「それに……結局、わかっていないじゃない! わたしの何がわかったっていうの?」

 デュラハンは「そんなことない! わかっているよ!」と声を荒げる。

 自分が、キリアのことをどれだけわかっているか。それを示すために、ここまでの対話から理解したキリアの人生、キリアのストーリーを自分の言葉でまとめて、キリアに披露する。


「キリアは家族から虐げられていた……。

 親から子へふるわれる暴力の現場を見せつけられ、家族という関係の中に不信、妬み、恨み、蔑み、無関心が隠れていることを知った。そして、自分も蔑みや無関心の対象になっていることを知った。

 どんなにがんばっても、ほめてもらえないこと、評価されないことが、とてもつらかった。また、両親が成功するための政略結婚の道具として利用されることを知ったとき、家族に対する失望と絶望を味わった。

 やがて、キリアは家族と関係することをあきらめる。

 しかし、家族の方は引き続き、キリアを無言の圧力で利用し、従わせようとする。キリアはそれにがまんし、息苦しさに耐えながら、暴力が自分に向かってこないように生き抜いてきた。

 そんなキリアを癒してくれるミレナ先生が現れた。ミレナ先生はキリアのがまんや苦しさをわかってくれた。それに、マリアのことを知るきっかけも作ってくれた。キリアは、そのマリアに憧れてアイドルを目指すようになる。しかし、恩人であるミレナ先生は、家族によって、キリアから引き離されてしまった。

 ミレナ先生と別れたあと、キリアは孤独に家族の中でサバイバルを続けていたが、ジュリアによってアイドルにスカウトされ、そのサバイバルから解放される。

 アイドル活動にやりがいを感じていたが、家族に対する失望や絶望と同じような感情が湧いてきた。その原因は他でもない、ジュリアだった。

 憧れのマリアのようなアイドルになるきっかけをくれたこと。家族から離れる口実を作ってくれたこと。キリアはジュリアにとても感謝していた。しかし、キリアがアイドル活動に慣れたころ、ジュリアは、もうキリアに無関心になっていた。ほめられず、評価もされない。怒られることさえもなくなっていた。

 キリアは、その心の中で、もっと見て! もっと評価して! もっと称賛して! という嫉妬や不満、焦り、恨みを抱え、それを必死にがまんの力で抑えていた。

 家族といっしょだったときも、憧れのアイドルになってからも、結局は何も変わっていない。おまえは、ミレナ先生と同じように、家族やジュリアに評価してもらいたかったんだろう?

 誰かに自分を評価してもらいたいんだろ? そうしないと生きる資格がないと思っているんだ。評価されないことにずっと飢え、充たされない思いを抱えて、ずっと苦しんでいた。その証拠に、家族の話をするときや、ジュリアの話をするときは、本当につらそうな表情で、苦しそうに語っていたよ。

 その苦しみから解放されるには、どうすればよいと思う? 単純にたくさんの評価をもらえばいいんだよ。誰かの評価を得るために、より強くなって、失敗せずに、完璧にやり遂げる。そうすることで、もっと自分を磨いて強くなればいい。他者の中に埋もれる前に、他者より強くなり、他者を倒して、自分を残す。そして、誰かに評価されて自分の居場所を確保するんだ。

 他者の中で最も重要なライバルは、リンだ。アイドルとしてもっと強くなり、リンを打ち倒し、より大きな評価を得ることで、おまえを虐げていた家族やジュリアに復讐する!

 これが、キリアのやりたいことだ」


 デュラハンによるキリアのストーリーの披露が終わった。

 終わった途端に、キリアが静かに立ち上がる。目線が合う。キリアの瞳から、ものすごい怒りが伝わってくる。

「そんなのは、わたしのストーリーじゃない! わたしは、リンを倒したいわけじゃないし、あの人たちやジュリアさんに復讐したいわけじゃないから!」

「そんなわけがない! 家族やジュリアにあれほど虐げられたんだ。復讐したいに決まっている! それに、リンを倒せば、マリアに評価されるんだぞ? そうなれば、ノヴム・オルガヌムでの位階が上がり、好きなように活動することができる。家族やジュリアを自分の前でひざまずかせるチャンスを手に入れることができるんだ」

「だから! そんなこと考えていない! この対話で、復讐したいなんて話していない!」

 デュラハンは「うるさい!」と声を荒げ、キリアをにらんだ。

「今はあたしが主体なの! キリアのやりたいことは、誰かを倒し続けること。それを極めて、ライバルを倒し、自分の実力を認めさせることなの! そうとしか考えられないわ」

 キリアは、デュラハンに負けない大きな声と迫力で、さらに食い下がる。

「違う! わたしは、デュラハンと同じじゃない! デュラハンが語ったわたしのストーリーは、デュラハンのものだ!」

 どきりとした。たしかに、キリアのストーリーを話していたとき、キリアと自分の境界線がわからなくなっていた。

 あたしは、自分の思い込みで、キリアのことを操作しようとしているのだろうか?

 キリアは、涙目で訴える。

「デュラハンに話を聴いてもらって、いろんなことがわかったの。あなたが語ったことがすべてじゃない。わたしの話をちゃんと聴いてほしい」

 キリアは、デュラハンとの対話でわかったことを整理し、自身のストーリーを語り始めた。


「わたしが生まれた家は、少し特殊だった。

 周りにいるあの人たちが怖くて、怯えながら暮らしていた。いつ傷つけられるのか、毎日びくびくしていたわ。そして、いつの間にか、あの人たちと話すことができなくなっていた。そんな生活で、わたしは少しずつ自分を無くしていくように感じていた。でも、そうしないと生きていけなかったの。

 家の中で生き抜くために、わたしはあの人たちから課された習い事や勉強に集中した。その結果、いろんなことを覚えて、できることが多くなった。

 そして、あの人たちと話すことができないのに、良い成績を得たことをほめてもらいたくなってしまった。

 きっと無くした自分を、誰かの承認で埋めてもらいたいと思ったんだろう。

 しかし、家族からの称賛は一度もなかった。わたしが両親の人生をよりよくするための道具だったからだ。道具に対して「よくがんばった」とほめる人がいないのは当然だ。

 わたしは、「わたしがわたしであること」を否定した。心を、自分で充たすことができず、他人で充たすこともできなかった。ますます自分が無くなり、わたしは空っぽになってしまった。

 アイドルとなったあと、ジュリアさんに対しても、同じ気持ちを味わった。

 ジュリアさんは、アイドルになるために、いろいろなサポートをしてくれて、とても感謝していた。しかし、彼女はわたしのことを見てくれなくなった。彼女の期待通りに成果を上げても称賛してくれなくなった。

 わたしがアイドルであることは、ジュリアさんに認めてもらうことが大前提だった。だから、ファンや他のアイドルから称賛されたとしても、まったくうれしくなかった。

 わたしをもっと見て! わたしをもっと認めて! わたしをもっと称賛して!

 焦り、不安、不満、あきらめ……。心の中で膨れ上がる黒く重い気持ちを、がまんの力で抑えて、丸め、それを燃やして輝く力に変えていたんだ。

 わたしの生き方はどこかおかしいんだ。他人との距離感がまったくわかっていない。

 それに、誰かに自分のことを見て、認めてほしいのに、わたし自身がその自分を大事にしていない。そんな人間が見られること、認められることなんて、あるわけがない。

 しかし、わたしは、自分の生き方の中に例外を見つけた。

 それは先生と過ごした時間だ。

 先生は、自分を表現することが好きで、その自分が他者に理解されることにやりがいを感じ、のびのびと楽しくさわやかに生きることができる人だった。

 わたしを見て、わたしの心に寄り添い、わたしの心とともに感じてくれた。

 わたしのことを、目の前で見て、触れて、聴いて、認めてくれた。

 だから、安心して、わたしであることを表現することができたんだ。

 先生と過ごした一年間で、わたしはさまざまなことを学んだ。

 自分の感性と価値観を表現すること。他人を受け容れること。自分のやりたいこと、なりたいことを意識して行動すること。

 空っぽだったわたしが、先生との出会いで、歌とダンスが好きになり、マリアのライブ映像を観てからは、マリアのようなアイドルになることが将来の夢となっていた。

 それに、先生とのお別れのとき、自分が逆境を生き抜くために身に着けた性格や価値観、知恵は、誇っても良いものだと肯定された。

 あの人たちとの暮らしで身に着けてきたもの。先生から学んだ表現する力と受け容れる心構え。わたしは、これらの力を、上手く使いこなせていなかった。

 でも、この対話で、改めてこれらの大切さを理解できた。だから、これからは今までより上手く生きることができる!

 この瞬間、わたしは生まれ変わったんだ。

 わたしは、これからこんなふうに生きていく。

 わたしであることを安心して表現できる場所をつくる。それは、誰かの近くに寄り添い、相手にとって安心できる場所をつくることから始めていく。やがて、その場所が自分にとっても安心できる場所になるはずだ。

 自分や自分の好きなものを、他人に対して好きだと言えるようになる。他人の評価や承認を意見の一つだと思うことができるように、もっと自分を大切にしていく。

 自分の未来も好きになる。自分の「やりたい、なりたい」も大切にして、好きになる。今まで誰かに認められないと生きていけないと思っていた。だから失敗することが怖かった。でも、自分を好きと言えるようになったら、失敗してもいいと思えるようになった。やりたいこと、なりたいことを言ってもいいと思えるようになった。

 願わくは……、

 マリアのように、何かを極めて、欲しい物に正直でいられる人になりたい!

 先生のように、積極的に自分を表現し、他人の表現を受け止められる人になりたい!

 リンのように、自分を肯定して、まっすぐ前を向いて突き進める人になりたい!

 今ここにいるわたしは、わたしの心そのもの。その心が、ぼろぼろの服とひび割れた鎧を脱ぎ捨て、鎖から解放された。これは、心が大きく変化したということだ。わたしは、今話した、これからのことが実行できる自分に変わった。この姿がその証拠だ」


 キリアによるキリアのストーリーの披露が終わった。

 キリアとのつながりが、ぷつんと切れた。近くにいて、自分の問いかけに反応してくれるキリアが、遠く離れていく。気持ちの整理がつかなかった。大切なものや、そこにあると期待するものがない。そのときの不満と寂しさ、そして、怒りが急に立ち上がる。

 デュラハンは、その怒りを抑えることができなかった。

「変わった? いったい何が変わったんだ! あたしから見れば、何も変わっていない! ただ姿が変わっただけ! 今の対話で、何ができるようになった? 何を覚えた? どれだけ強くなったっていうの?」

「今までと違う考え方ができるようになった! わたしは違う生き方が選べることを理解した! もう前の自分に戻らないことを決意できるくらい強くなった!」

「そんなもの変わったこと、変われることの証明にならないよ! あたしだけじゃなく、みんながそういうよ! 今、ここだけの決意だ。どうせ数か月経ったら、おまえは、家族やジュリアのときと同じように、誰かに認めてもらいたくなるんだ。なんの意味もないよ!」

 デュラハンは言い放ったあと、うつむく。

 キリアからの反論はもうなかった。デュラハンは、ほっとする。

 よかった。ようやくキリアが止まってくれる……。

 自分の感情に驚いた。あたしはキリアに止まってほしかったのか。離れないで。遠くに行かないで。そう伝えたかったのかもしれない。

 キリアはどうしたのだろう。様子を確かめるために顔を上げる。

 そこには、涙にぬれる大きな瞳があった。口を真一文字に引き結び、強く真摯なまなざしで、キリアは、デュラハンを見据えていた。

 まるで、切り刻まれる痛みに耐え、剣をにぎりしめて、あきらめずに立ち向かっているような表情だった。それは、キリアが変わったことを証明しているように見えた。

 デュラハンは、再びうつむく。

 もうキリアを止められない。そう思ったとき、心がすっと冷えていくのを感じた。心の温度が伝わるように、からだも冷えていくようだった。

 キリアが止まってくれることを期待してうれしくなった表情も消えていく。

 デュラハンは、うつむいたままつぶやく。

「もうキリアは待っていてくれないのか……」

 ならば、あたしは自分のやり方でキリアを止めて、キリアと自分を守ってみせる。

 あたしが代わりに、家族やジュリア、リンを打ち倒してやる。そのあと、キリアの前でひざまずかせてやろう。

 デュラハンは黙ったまま、キリアを見返す。強くまぶしいまなざしを正面から受け止めた。そして、腰にはいた大剣を抜き、キリアに突きつける。

 キリアは驚きを隠せない。先ほどの涙は引いていた。

「デュラハン、これはいったい何の真似?」

 デュラハンは、落ち着いた優しい声で、キリアを諭すように話しかける。

「もう心配しなくていいよ。おまえのやりたいことは、すべてあたしが引き受ける。キリアは逃げているんだよ。力を高めて他者を倒さないと、誰も認めてくれないのに……」

 キリアは、大剣にひるまず、一歩前に踏み出す。

「違うよ! 何度言えばわかるの。わたしのやりたいことはそんなことじゃない!」

 デュラハンもさらに一歩前に踏み込む。大剣がキリアの顔の目前にまで迫る。目で威圧しながら、「話を聴いて」とキリアを無理やり黙らせる。

「あたしがキリアのやりたいことをやり遂げるから、その間は聖杯の中で眠っていてくれないか? キリアが目覚めなければ、あたしはこれまで通りの実力を発揮できるの」

 キリアは、眉をさらにひそめ、鋭い目つきでにらむ。

 デュラハンは言い訳をするように付け加えた。

「けして、キリアが邪魔だからじゃないの! キリアを大事に思っているからなの。すべてをやり遂げたあと、また対話しましょう」

「この対話で、お互いのことがわかって、良い形で聖杯をひとつにできると思っていたのに……、結局、わたしを黙らせることにしたっていうこと?」

「違う! 将来的により良い関係となるための眠りなの。キリアが眠っている間に、キリアの環境を劇的に変えておくから」

 キリアは汚らしいものを見たように顔をしかめ、目を背ける。

「もういい! もう帰って!」

 キリアからのはっきりとした拒絶の意思に、どきりとした。キリアから拒まれたことが恐ろしくて、身がすくむ。声も出せなかった。

「なら、わたしが出ていくわ!」

 キリアの出ていくという叫びに、デュラハンは敏感に反応する。

 止める。キリアを止める。キリアを殺してでも止める!

 デュラハンは、立ち去ろうとするキリアに向かって、大剣を振り下ろす。

 キリアは、とっさに自分の長剣を輝化してデュラハンの大剣を受け止めた。

 ぎりぎりと互いの剣がかみ合う音。二つの刃の向こう側にキリアの悲痛な表情が見えた。

 止めないと……。それ以外のことが考えられない。大剣をしっかりにぎり、一振り、二振りとキリアに振り下ろす。熱に浮かされたように、待って、行かないで、とつぶやいていた。

 キリアは素早い動きと、力強い剣さばきで、デュラハンの攻撃を的確に防ぐ。キリアが軽やかにステップするたびに、ひらひらと白いワンピースのすそが舞う。聖杯の底の暗闇の中でも白く映え、まるで、幽霊と闘っているようで、現実感がなかった。

 それが、デュラハンをもっと焦らせる。自分も鎧を脱いで、身軽になりたい。でも、そんなことできなかった。身軽にならないと、キリアが出て行ってしまうのに……、なぜできないの? いつでも脱げるはずなのに、脱ぐことができない!


 何合もの斬り合いのあと、二人は間合いを取る。

「なんで、あたしのストーリーじゃいけないの? もっと強くなって、他人を排除すれば、たくさん評価されるじゃない!」

 キリアは無言で剣を構えながら、一歩間合いを詰める。

「心が変わったぐらいじゃ、他人や環境を変えることなんてできないのよ」

 キリアが、もう一歩近づく。

「わかってよ! キリアが話した生き方じゃ、どうにもならないの。そのままの自分をさらしたって、何も手に入らない!」

 キリアは無表情だった。デュラハンの話を聴いているのか、聴いていないのか、まったくわからなかった。

「あたしにとって、そんな生き方は何の意味もないの。あたしは求められたこと、みんなが必要だと思うことをやり遂げて評価されてみせるわ。有無を言わせないぐらい完璧な結果を出して、他人を圧倒する存在を示す。そうすることで居場所を守っていくの!」

 あたしの話がキリアに届いていない。でも、キリアは近づいてきてくれる。涙がこみ上げる。話を聴いてもらえない寂しさ、近づいてくれるうれしさ、どちらの涙なのだろう?

 キリアが再び対話できるくらいの距離に近づいた。

 デュラハンは、キリアの顔を見て、安心した。

「待って……、行かないで」

 まばたきをして、大粒の涙が瞳から零れ落ちる。

 キリアは、あたしの顔を見たあと、何か悲しいことに気づいて苦しそうな表情になる。自分の長剣を投げ捨てたあと、あたしの顔をしっかりと見て、応えてくれた。

「大丈夫。置いていかないよ」

 キリアの言葉を聴いた途端に、涙がとめどなく流れ落ちていった。

 隠していた気持ちを知られた恥ずかしさ、わかってもらえた照れくささ、簡単に理解されたことの憎らしさ、複雑な感情が湧き上がり、泣くことしかできなかった。

 デュラハンはあどけない言葉でキリアに尋ねる。

「ほんとうに?」

「うん、いっしょに行こう。デュラハンはこれから何がしたいの?」

 キリアの表情をうかがい、震える両手で自分の大剣をゆっくりと上段に掲げる。

 そして、一言だけ告げた。

「今度こそ、リンを倒したい」

 キリアは上を向いて目をつむり、しばらくしてからデュラハンに向かってうなずく。

「わかった」

 緊張した面持ちでデュラハンの方を向き、両腕を広げた。

 デュラハンは目を閉じ、キリアに向かって大剣を振り下ろす。

 キリアは糸が切れた操り人形のように両膝をつき、うつぶせに倒れ伏した。

 倒れた彼女が、言葉を発する。

「大丈夫。わたしはあなたを置いていかないよ。あなたにとってのそのときまで、ちゃんと待っている。そのときになったら、いっしょに行こう……」

 その言葉を最後に、キリアの意識はなくなっていた。

 デュラハンは涙をぬぐって、大剣を鞘に納める。

 あたしは決めた。覚悟した。もう止まらない、もう戻らない、最後までやり遂げる。あたしの生き方を全うする。

 倒れたキリアは、人間の形を崩し、凝縮されたアイドル・アドミレーションのかたまりとなっていた。デュラハンは、そのかたまりに近づき、さっきまでそこにいたキリアに伝えるように、語り掛ける。

「待っていて。必ずリンを倒すから」

 デュラハンは、イドラ・アドミレーションを集中させた右手で、アイドル・アドミレーションのかたまりをつかみ、渾身の力で床にたたきつける。

 そのかたまりが聖杯の床を突き破る。アイドル・アドミレーションのかたまりが、聖杯の底に落ちていった。深くて暗い、真っ黒な空間に一つ寂しく落ちていった。


 びき、びしっ!

 自分が立っている床に、放射状にひびが広がっていく。床を破ったことで聖杯の中に作られたドームが崩壊を始めていた。

 デュラハンは、もう一度対話の場を見る。スポットライトに照らされた、いす。心の中の風景を映していた書割。ここからキリアがいなくなったことを否応なく意識してしまう。

 その感傷を振り切って、回れ右をし、ドームの端へ向かって走り出した。ドームの崩壊から逃れるため、そして現実に戻るため、振り向かずに走り抜ける。

 リンを倒して、家族に、マリアに、ジュリアに、仲間に、イドラたちに、白のアイドルたちに、あたしとキリアを評価させる。

 そして、キリアと再び向き合うのだ。


 デュラハンは、目を覚ます。無事に聖杯の中から戻ることができていた。

 まだ暗闇が濃い。しかし、目の前の空は、紫色と藍色のグラデーションとなっていた。夜明けは近そうだ。

 イドラの大釜の心地よい浮力から起き上がり、イドラの大釜の底に足を付ける。そこは、胸のあたりまでの深さだった。一帯をぐるりと見回して、陸を見つける。ざば、ざばと歩いて湖畔に上がった。

 静かだった。髪や服から液化イドラ・アドミレーションがぽたぽたと落ちる音がよく聞こえる。人影も、イドラも。そして、聖杯の中のキリアもいない。

 デュラハンは再び一人になった。


 東の空から朝日が顔を出す。朝焼けがとてもきれいだった。

 太陽を背にして、デュラハンは、レンヌ・ル・シャトーへ向かって歩き出した。

「今度こそ、必ずリンを倒す」

 自分の決意をもう一度口にした。キリアのためにも、絶対に負けられない。

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