未来を臨む少女たち ―「私」になる少女―（改稿前）

プロローグ 「わたし」

「わたしは、こんなふうに生きたいの！」

　まるで、彼女の心に投げつけるように声を荒げる。しかし、逆効果だったみたいだ。目の前に立つ彼女は、わたしの言葉にあきれるように頭を振る。

「そんな生き方、失敗するに決まっている。なんでわからないの？」

　まただ。彼女の言葉は刃だ。抵抗しようとふくらんだ、わたしの心を切り裂く。反論の言葉もそがれていく。

「どうして失敗することが決まっているの。そんなの、やってみないとわからないわ！」

「おまえの考えは浅はかすぎるの！　具体的なことが何もないんでしょ？」

「それは……」

　何も出てこない。彼女の言う通り、はっきりしたことは何一つ決まっていない。

　彼女は勝ちほこったように告げる。

「やっぱり何もないじゃない。その生き方を選んでも、辛くなって挫折するだけよ」

「そんなことない！」

　言葉だけは勢いが戻った。

　彼女が怖い。なぜこんなに恐れているのだろう。脚がふるえる。腕も上がらない。彼女の顔を見ることもできない。口も動かない。のどが詰まったように息もしづらい。だから、それ以上に言葉が続かなかった。代わりに、胸が締め付けられて、涙がにじんできた。

「そんな生き方が通用するほど、世の中は甘くないのよ。現実をよく見なよ」

　彼女の刃が、わたしの心を切り刻む。もう原形をとどめていない。わたしの望みは、わたしの気持ちは、わたしの言葉は、そんなに軽かったのかな。

　彼女は再び、わたしの頭の上から言葉を振り下ろす。

「いくら気持ちが強くても、それだけじゃ何の役にも立たないから！　『今は駄目だけど、がんばっています』じゃ、相手は納得しないでしょ？　そんなやつに命を預けられないよ」

　わたしは何も言い返すことができない。うつむいたまま、こぶしをにぎりしめ、でも、それでも……と、うめくようにつぶやく。

「やめときなよ。おまえみたいな空っぽの人間に、そんな生き方は無理だ」

　わたしは、顔をはじかれたように上げる。とどめの言葉だった。すべてを否定されたような言葉だった。胸の締め付けが一段と苦しくなって、瞳から涙がこぼれる。

　涙でにじむ視界は、彼女を真正面に捉えていた。こぶしだけじゃなく、全身に力が入っている。彼女に憤っていた。

　わたしは、けして空っぽじゃない！

　彼女に伝えたい。でも、そのまま伝えたって、さっきと同じように否定される。だから、代わりに彼女をにらむ。幼稚な抵抗だと思う。でも、それが、わたしのできることだった。

「なによ。怒ってどうするのよ。本当のことでしょ？」

「違う！」

　それだけは、ちゃんと断言できる。彼女がわたしの大きな声にたじろぐ。彼女の目は見開かれ、口は開け放しになっていた。それでも、わたしはにらみ続ける。

「その目、やめてよ。何に怒っているのよ。あたしはおまえのためを思って言っているの。空っぽな人間は社会の役に立たないって！」

　彼女は、苛立ちや不機嫌を隠さず言い放った。

「さっさとあきらめなよ！」

　わたしは、彼女の恫喝に屈せず、にらみつけたまま、彼女の前に一歩踏み込む。態度だけでも負けたくなかった。いつのまにか、涙は出なくなっていた。

　彼女は、わたしに合わせて左脚を一歩引いた。あざけり笑っていた表情は、わたしをにらみ返す怒りの表情に変わる。左腰付近に右手を添えた。すると、鞘に納められた刀身が広くて大きい剣が現れた。右手で柄をにぎり、その大剣を引き抜く。金属がこすれる音を聞くと同時に、その剣の切っ先がわたしの喉元に突きつけられた。

「あたしの話を聴いて」

　感情を抑えた冷たい声。激しい嵐が突然凪いだようだった。目の前の大剣と彼女の声の冷たさに目を丸くする。思わずうなずいてしまった。一瞬の無言のあと、彼女の雰囲気が先ほどまでのそれに戻る。わたしは、彼女の感情に呑み込まれていた。

「なんで今のままじゃいけないの？　今の、この生き方を続ければいいじゃない。おまえが話した生き方は、今とまったくつながっていない！」

　今のままではいけない理由。それは何？　今の生き方とまったくつながらないのはなぜ？　わたしが望む生き方は、いったいどこから生まれてきたの？

「そんな思いつきの生き方に未来を託せるの？　失敗して後悔するのは、おまえだよ。それが想像できない訳じゃないでしょ！」

　それなら、今の生き方に未来を託せるの？　たしかに、失敗することは恐ろしい。不安になる。でも、失敗ってどんな状況なの？　何が失敗なの？

「中身が空っぽなら、失敗するに決まっている。具体的なことが何もないのに成功するはずがない！」

　空っぽなんかじゃない。本当に空っぽだったら、こんなに苦しくない。わたしの心の中には、ちゃんと新しい生き方の種がある。ちゃんと芽吹かせたい。

「そんな生き方、みんなから後ろ指をさされるだけだよ。恥ずかしくないの！」

　わたしの生き方はそんなに変なの？　みんなからけなされるものなの？　精一杯生きているだけで、陰で笑われるなんて、怖い。そんなこと許せない。

「社会の役に立たない生き方をして、悪いと思わないの！」

　断罪され、とても重い罰を科される気分。わたしは、これからとてつもない罪を犯すの？

「あたしはそんな生き方をしないわ。求められたことをこなして、評価される。あたしはそうやって今まで生きてきた。あたしは、みんなから許されているのよ」

　その生き方で満足できるのがうらやましい。わたしは、楽しくなかった。でも、これまでよりも納得できる生き方に出会った。無視できないくらい、光り輝いているんだ。

「聴いているの！」

　彼女の必死な声。驚いて、彼女の方を見る。声や言葉は怒っていたが、彼女の表情は、泣いているようだった。喉元に突きつけられた剣がふるえている。

「聴いているよ」

　わたしは静かに、落ち着いて言った。彼女のこれまでの言葉に、憤り、不安、心細さ、罪悪感を引き起こされた。彼女が憎い。しかし、彼女の泣いているような表情を見たあと、別の気持ちが浮かび上がってきた。この気持ちは何だろう？

　彼女は剣をわたしの喉元から下ろし、興奮して感情を抑えられない様子で叫ぶ。

「どうすれば、止まってくれるのよ！　おまえの考えていることが全然わからない！」

　彼女は、涙を一筋こぼす。

　それを見たとき、別の気持ちが何なのかがわかった。

　それは、彼女の寂しさのような感情。そして、それをいとおしく思う気持ちだった。

　わたしは彼女のそばまで進む。そして、彼女の顔を見つめる。

「やめて！　顔を見ないで！」

　彼女は顔を隠すようにうつむく。

　わたしは、彼女の固くにぎりしめられた冷たい左手を、両手でやさしく包み込む。今度こそ、彼女の心に届くように、今の自分の素直な気持ちを伝えた。

「わかった。大丈夫、あなたを置いていかないよ」

　彼女は顔を上げて、信じられないものを見たような表情でわたしを見る。彼女の左手が、だんだん柔らかくなり、泣き崩れるように表情が歪む。

　しかし、それは一瞬の変化だった。彼女は、わたしをにらみつける。

「違う！　ちがうっ！　そんなこと思っていない！　そんな言葉、信じられない！」

　彼女の左手が、わたしの両手を振り払う。

　彼女は泣きながら怒っていた。

　残念だった。わたしの言葉は、また彼女の心に届かなかった。

　わたしも涙があふれてきた。

「やめて！　そんな顔しないで！　見たくない！」

　彼女は、かたくなな言葉を繰り返す。

　彼女の左手が、わたしを突き飛ばす。もう、手も心も届かなった。彼女は剣を上段に振り上げる。両手と両腕に力がこめられていた。そして、剣が振り下ろされる。

　わたしは、斬られた。

　迷い、戸惑う彼女の表情が、剣と両腕の隙間から垣間見える。心が、痛かった。

　彼女の前であおむけに倒れる。

　彼女は剣をにぎったまま背を向け、逃げるように駆け出した。立ち去る足音が、この場に響く。激しい痛みに意識を失いそうになりながら、伝えきれなかった気持ちを口にした。

「大丈夫。わたしはあなたを置いていかない。あなたにとってのそのときまで、ちゃんと待っているよ。そのときになったらいっしょに行こう……」

　わたしの言葉は、少しでも彼女に届いただろうか。次第にからだの痛みを感じなくなってきた。意識が遠のいていく。しかし、心の中の後悔は、最後まで残っていた。