あの日、出会ったコマドリです。 覚えていますか?
私は逆さ虹の森市「根っこ広場」のある十字架村に住む営業マンの狐だ。
名前はジェイドン・ビクター。出身は「ドングリ池」のあるドングリ村である。高校時代までをそこで過ごした。
私が高校時代までを過ごしたこの街を思い返すと、見違えるように変わった街となっている。各村で様々なパイオニアが生まれて、各種産業が発展して、夜はネオンが街を彩って照らしている。昔はせいぜい商店街が際立つ田舎街であった。
私が子供の頃はスーツを着て仕事をする動物なんていなかった。
村同士での諍いも絶え間なく続いた。
特にドングリ村では長年にわたってアライグマの種族とヘビの種族が血で血を洗い流す争いをしていたと聞く。まぁ、これは私が生まれるはるか前の、大昔の昔話だが。それにしても種族差別が発端となった激しい喧嘩は巷にあふれていた。
私は狐達が住む区画を「出てはいけない」と大人の狐たちから釘をさされたものだった。鳥類で犯罪集団を形成する鷲の襲来も当時から社会問題となっていた。
劇的にこの森の街の雰囲気が変わったのは「逆さ虹」が出現してからだと言う。それまでも大きな虹のかかる「虹の森市」として知られる街ではあったが、ある日から空にかかる虹が逆さになった。
虹が逆さになったのは更に大昔の話だが、そのときにマリナという女神がこの森に降臨したらしい。そして様々な知恵を教会から森の動物達に授けたと言う。それからこの街の躍進が始まったらしい。私が生まれたのはマリナという女神が悲劇の死を遂げた、その年だった。それから何十年と経った彼女の命日に、森の逆さ虹が大きくなった。同時にこの街の近代化が進んだ。
「そういう話であっていましたかね?」
「そうそう! さすが営業部長、うまくまとまっているね~」
店のマスターで嬉々と私と語っているのはリスのジョシュアさん。顔はだいぶ若ぶりのリスだが、もう概ね90にもなる元気なご老人だ。
「私が子供の頃はよく悪戯したものでねぇ~。こんな悪ガキにもマリナ様は世話をしてくれたものよ。この村じゃあ誰しもが彼女を敬っていたからね~」
「そのマリナって御方は何の種族だったのです?」
「さぁ、ニンゲンっていう動物だったらしいが、彼女のような種族はこれまでに彼女以外見たことないからね。世界中あちこち旅もしたけど、いなかったなぁ~」
ジョシュアさんは若いときに世界中を旅してまわっていたという。
私が「彼女は美人さんでしたか?」と聞くと「うん。よくわからないけどさ、美人だったかもね?」とジョシュアさんが返した。その時だった。店の奥のほうから綺麗な歌声が聴こえてきた。
コマドリの澄んだ声だ。若い青年が歌っている。
取り囲んでいるのは、酔っぱらったアライグマの連中だ。アライグマの人種は総じて気性が荒く、特にお酒を飲むと手がつけられないとも言われている。
1曲歌い終えたコマドリの青年はマイクを片手にトークをはじめた。
「えっと、聴いてくださって、ありがとうございます。次の歌は失恋の歌になります。実は最近付き合っていた彼女と別れまして……」
「おまえの失恋話なんか知るかよ! いいから、早く歌えよ!」
「あ、はい、じゃあ聴いて下さい『あの日、出会ったコマドリです。覚えていますか?』です」
彼がギターをポロンと鳴らすと、ふたたび綺麗な歌声がフロアを満たしていく。しかし、寂しいかな観客は酔っ払いのアライグマ達とジョシュアさん、私だけだ。
曲の途中から妨害行為に他ならない合いの手が入れば、こんな寂しい歌を歌う事はやめろ! という野次が飛んでもいた。素晴らしいバラードナンバーだったのにも関わらず、拍手はなかった。私がひっそりと音をたてずに拍手をするだけであった。
「おい、お前、景気一発に『アライグマ音頭』を歌えや」
「いや、僕はその歌は歌えないのですが……」
「なんだよ! 面白くねぇ野郎だな!」
アライグマの一人がコップに入ったハイボールをコマドリの顔面に吹っ掛けた。酒に濡れるコマドリの青年を見て、思わず身を乗りだそうとした私であったが、ジョシュアさんが肩を掴んで首を横に振った。「アライグマには喧嘩を売らない、買わない」とはこの世界の常套句だ。ジョシュアさんの顏をみて私は悟ることが出来た。
結局はアップテンポなナンバーを彼が歌って場は収まった。いや、アライグマ達が愛想をつかして出ていったといったほうがいいか。
彼は歌っている最中にまたも酒を顔にふっ掛けられていた。そしてそんな事をされたにも関わらず、最後まで笑顔で歌いきっていた。
失礼な客はもういない。私は万感の想いをこめて拍手を送った。
「ブラボー! 素晴らしい歌だったよ! これは俺からの気持ちだよ!」
私は財布から1枚の紙幣をとりだして、彼に手渡した。
「こ、こんなに貰っていいのです……!?」
「とてもいい歌を歌っていたからね。安いぐらいだよ。頑張って」
「あの、すいません。じゃあこれを……!」
彼はそう言うと、懐から名刺をとりだして私に渡した。黄ばんだボロボロの小さな紙切れにボールペンで事務所名と「フカセ・フウ」と書かれているだけの物だった。私は笑顔で「ありがとう」と礼を述べた。そして気持ちいい心地のまま店をあとにした――
後日知ったことだが、彼は居酒屋という居酒屋で流しをしているアマチュアのシンガーらしい。道理で悪態をつく客層にも動じてなかったのか。私は妙に納得させられた。
この出来事あたりから、私が通いつめているバーのマスターであるジョシュアさんをはじめ、体調を崩す老人が増えた。
私の会社はワインをはじめとする、お酒を販売する会社だ。付き合いで様々な居酒屋やバーと契約を結んでいたが、ことごとく折り畳む店が増えていった。
そんななかでも、病室で「私はまだまだまだだよ! むしろここからが本番と思うよ! はっはっは!」と意気込むジョシュアさんは何よりも頼もしかった。
そんな彼も亡くなった。あんなに元気に振る舞っていても、お体はボロボロになっていたのだ。そういう店主は他にも沢山いた。
個人店との契約ばかりを重ねてきた私だけに、このときばかりは相当堪えた。
私の成績が落ち込むと、周りの職員の成績も落ちていった。
果ては辞めていく職員も増えていった。こうした風潮は製造部まで巻き込んでいった。それなのに何故だろうか? 社内トップからは経営が黒字で順調であるなんていう話ばかりがでていた。
「ジェイドン君、君を取締役員に任命するよ。私の席もそう遠くないだろうな」
突然の任命だった。
「え? 私が? でも、いまは営業部も部長である私を入れて2名しかいませんことですし、私が抜けては……」
「来月から10名の新規職員が入るのでな。いま副部長を務めているラジェックさんに努めて貰えれば充分だろう?」
「10名って……ホントですか!? いや、そうだとしても、彼女はまだ1年目ですよ!? そんな重責がとても担えるとは……」
「ジェイドン君」
「はい」
「では君はこの案件を断わるというのかね?」
「それは……」
結局私はボーベン(株)の取締役員の任命を受けた。嬉しい筈なのに、何故だか違和感に私の感覚は浸食されていた。しかし家族にこの件を話すと妻も子も笑顔満開に喜んでくれた。その晩は妻がおお御馳走を振る舞ってくれた。
私の違和感はすっ飛んだ。
そして翌日出勤して痛感したのだ。私の違和感が間違ってなかったことを。
会社には家宅捜索で警察が押し入っていた。どうやら街の銀行より捜査依頼があったらしい。
「あなたがジェイドン・ビクターさんですか?」
「はい。そうですが……」
「逆さ虹の森市金融取引法違反の罪であなたを逮捕します」
「え!? ちょっと待ってください! 私は単なる営業部職員ですよ!?」
「これを見なさい」
犬の警察がとりだした書類にはボーベン(株)の社長職が昨年の1月付で私へと変移されたことが記されていた。まさか昨日のやりとりのなかで……
「銀行へ多額融資の依頼に黒字決済の詐称、貴社がやったことは全て洗いざらい
署にて話して貰いますよ」
「待ってください!! この会社の社長はモンド・アウディに専務は彼の息子であるリック・アウディだ! 私は営業部長で昨日取締役員の任命を受けたばかりなのだぞ!?」
「その2人なら今朝、森から逃亡していったよ」
「え……」
「話は署で聞くと言っている。ここでベラベラ喋るな。みっともない」
私は手錠をかけられた。そして謂われもない罪で投獄された。
妻と子供は3日にいっぺんは面会に来てくれた。
しかしその頻度はみるみる減っていき、遂には離婚届けの記入を迫られた。
書くしかなかった。娘のメアリーは何が起きているのかわかってないようだ。
涙が紙のうえで滲んだ。
私が悪い訳ではない。私が決して悪い訳ではない……。
いや? 本当にそうか?
会社が私の営業努力によって支えられているものだとしたら、ジョシュアさんの逝去あたりより相当な赤字に悩まされていたに違いない。それ以前より少なくなったとは言え、会社のお酒を購入する顧客もいるにいたはずだ。そう想うと、引くに引けない状況があの親子にあったと、ヘビの社長と専務の顔が浮かんでは消えた。彼らにも妻と子がそれぞれにいたのだ。そして……
牢屋のなかで私は私の生きる世界と私自身を憎むしかなかった。
やがて裁判を迎えた。私の無実はヘビの弁護士によって証明された。会社経営における詐称は私がした事でなかったのだ。勿論控訴されることもない。しかし、会社が残した負の遺産である16億は私が一生かけて背負う十字架ともなった。
刑務所をでて、私はただ虚無感に打ちひしがれた。
何をしようにも何をする気にもなれない。
私は気がつけば「ドングリ池」に来て、何も言わずにひたすらドングリを投げ続けた。何か願い事を口にしなくちゃいけなかったとか言われていたな。でも、いいや、もうどうでも。私は池のなかへズンズン進んで溺死してやろうと思った。
しかしゴリラの青年が私を止めた。観光に来ていたらしい。
彼はどうやらこの件でヒーローになって、テレビでインタビューを受けていた。
私は居酒屋で酒に浸りながら、そのゴリラの青年が映る深夜のニュース番組を観ていた。
恰幅の良いヘビの御婦人が経営している居酒屋だった。
「お客さん、そろそろ店を閉めるよ? 帰ってくれない?」
「帰るお家があるなら、とっとと帰るさ。おばちゃんよぅ」
「困った狐さんだなぁ。じゃあ、狭いけどウチで泊まる?」
「え? いいの?」
「狭いけどね。ウチのドラ息子が帰って来ない限りは大丈夫だよ」
ブルマ・マンボーというご婦人のご厚意で私は野宿をしなくて済んだ。
そしてこれが縁となって、私は彼女の居酒屋で住みこみをしながら働くようになった。給料は前職の半分だ。それでも私にとっては充分な収入だった。
「アンタ、毎月2万がよくわからない形で銀行から引っこ抜かれているけどさ、これは何なんだい?」
ある日、ブルマが唐突に聞いてきた。答えるしかなかった。
「まえの会社が16億の借金を俺に残してね。それが毎月引かれているのさ。ま、一生かけても返せる額じゃないけどさ(笑)」
「そうかい。で、なんて会社よ?」
「ボーベン。なんか名前をだすだけでも嫌な気持ちになっちゃうな」
「ふふっ、じゃあ私の恩人だね。アンタは」
「え?」
「私はボーベンの工場で働いていたのさ。アンタらがようけぇ稼いでくれたから、働き甲斐があったものだった。倒産して残念だったけどさ、あそこで働いていた1日1日は私にとって今でも宝物だよ。あの会社の赤字を返せるって言うならさ、喜んで力になるよ!」
「ブルマさん……!」
「サンづけはよしな。呼び捨てでいいよ。気持ち悪い」
「ごめん。なんだか……」
私はあふれる涙をとめられずにいた。
ふとブルマが話を変えてきた。
「そういや、ドラ息子が仕事でやっている事が最近うまくいっているみたいでね、アタシはこういうヤツ好きじゃないのよね。ねぇ、アンタさ、良かったらコレに行ってくれない? ウチの息子がマネージャーやっているって言うのよ」
私はブルマがみせてくれたチラシを見て、身体を震わせた。
私にも捨てられない運命がある。そう確信ができた瞬間だった。
私は「十字架村」にあるコンサートホールの観客席にいた。ヘビやアライグマなど色んな種族の若い男子女子が今か今かと彼の登場を待ち望んでいる。舞台に彼が登場したとき、会場が割れんばかりの大歓声があがった。私は彼の姿をよくみた。今はもうあの時のようにみすぼらしい雰囲気ではないが、彼はあの日あの時にみたコマドリに違いなかった。
『こんばんはー! ご来場ありがとう! フカセ・フウです! 今日はみんな楽しもうね!!』
それからアップテンポのナンバーやバラードナンバーなど様々な歌を歌いわけ、会場を賑わせた。アライグマのテンポが独特な『アライグマ音頭』には誰しもが驚きを隠さずにいられなかった。
彼はアンコールの歌唱前、観客にむけて話した。
『これはいつもライブで話していることだけどさ、僕には居酒屋でミニライブをやっていた時代がありました。聴いてくれるお客さんなんかいなくて、お酒を顔に掛けられなんてこともありました。だけど、そんな時代の演奏後にボクへ1万円札を寄付してくれた狐さんがいました。この歌は元カノへ感謝の想いを綴った歌でもあるけど、今じゃあの狐さんへの感謝を綴った歌です。やっぱりこの歌が最後じゃないといけないよね?』
フカセは会場を隈なく見渡らした。そして――
『聴いて下さい「あの日、出会ったコマドリです。覚えていますか?」です』
私の全身に鳥肌がたった。そして私は感動の涙に溺れた――
それからのことはあまり多く語るまい。
今でも私はブルマのお店で一従業員として働いている。
しかし大スターの寄付金によって、私の背負う借金は綺麗さっぱりなくなった。
これは何でもない逆さ虹の森一庶民である狐の物語だ。
運命はときに残酷であれば美しくもある。
私は今でも彼の歌を愛してやまない。そしてこれからも――
∀・)最後までの読了ありがとうございました!冬の童話祭3部作の2作目になりますが、実は1番好きな作品に仕上がった感覚があったりします(笑)コマドリのフカセ君は某有名バンドの有名シンガーからその名前を拝借しました(笑)出会いとはどこでどう結び付くかわからないものです。3部作3作目も是非よんでみてくださいね♪♪感想もお気軽にどうぞ♪♪