インリフト
この物語はフィクションであり、実在の地名や団体とは一切関係ありません。
自動車を運転する際は、実際の道路交通法を守り、安全運転を心がけてください。
また、サーキット走行に関する描写は、岡山国際サーキットの走行規程を元にアレンジした物です。
実際のサーキット走行時には、サーキットごとに定められた規程に従って走行してください。
レーシングカートレースの決勝戦がまもなく始まる。
F1のテーマ曲である「TRUTH - T-SQUARE」がBGMで流れる中、サイティングラップに出ていく坂口愛衣を、真穂と芽美は見送る。
サイティングラップから、スタート位置に整列。
ここで選手紹介の間、レース前最後の調整。
真穂と芽美は、愛衣の所へ行く。
「このまま優勝して、F1レーサーまで駆け上って行きたい。」
「勝ったら、全日本選手権。」
「行くわよ。私は。先頭からスタートしておいて、抜かれるようなバカはいない。やれるなら、2位以下全員、周回遅れにしてやるわ。」
「やって来い!」
それに、愛衣は肯いた。フルフェイスヘルメットのバイザーの向こうに見える愛衣の目付きは鋭い。
「芽美もほら。」
「えっ?」
「サポートする人の役割は、メカニックだけではなく、ドライバーの緊張を解し、リラックスさせるという物もあるのよ。」
芽美はどうしようかと思ったが、
「事故。事故だけは起こさないでね。勝っても負けても。」
「解ってます。」
「無事にレースを終えてね。」
「私はまだまだ先へ行きます。走って走って走りまくって、たどり着く場所が例え虚無の虚空であっても、走ります。」
レースが始まる。
ウォームアップランをしたら、停止することなくスタートだ。
「アクセル全開!」
カートで鍛えた左足ブレーキ。
S2000AP1で走る時もよく使用している。だが、今日は本業。
タクシー会社辞めて、レーサーで生きていこうと決めた私が、今出来る事はカートレースで連戦連勝して、レーシングチームにスカウトされるようアピールすること。
1コーナー通過。全12周のレース。私の予定は、7周目辺りで最後尾のマシンを抜き、10周目で15台を周回遅れにし、12周目で2位のマシンをも周回遅れにする。
(異次元の走り。それが私の異名。私の中ではね。)
2コーナーからストレートへの立ち上がり。
左足ブレーキでアンダーを消し、アクセル全開のまま立ち上がって後を引き離し、最後尾のマシンを引き寄せる。
3コーナーでリアが流れるが、自分の体も上手く使って荷重移動。
時に、身体の一部から出血することもある。骨の一部が削れるかもしれない。今日は死ぬかもしれない。そう思う事もあって、それでも走り続ける。
(今、私は最下位。前との差はかなり大きい。)
本当の最下位のマシンの位置を、6コーナーのヘアピンで確認。
3コーナーに突入している。だが、それよりも、私の後のマシンが離れない。
それもそうだ。1位と2位の差が1周分も開くなんて考えられない。だからこそ、それをやりたい。
異次元の走りを求めて。
最終コーナーを立ち上がり、メインストレートを通過。
「デイッ!」
身体も動かし、100キロ近い速さのマシンをコントロールする。
「えっ!?」
海老名芽美はそれに驚いた。
「今、愛衣ちゃんのカート、3輪走行してなかった?」
「インリフトよ。」
「インリフト?」
「カートは後輪の左右とも同回転で、後輪内側のタイヤを滑らせるか、浮き上がらせないとうまく曲がれない。この、タイヤを浮き上がらせるのをインリフトって言う。コーナリングの際、ステアリングやブレーキ操作できっかけを生み出し、その際、身体でしっかりアウト側へ荷重をかける。」
「その、インリフトは速く走れるの?」
「イン側後輪を浮き上がらせたインリフトは、最速のコーナリングよ。愛衣はこの技で、カートレースを勝ち続けてきた。」
「私、タクミと仲違いした時、カートで勝負した。その時、タクミは最後クラッシュして、それで私が勝った。」
「それは、愛衣も知っている。私も愛衣から聞いた。インに詰めすぎたため、コースから前輪が外れていた事に気付かず、アクセル開けて縁石に乗っかってドッカン。恐らくタクミも、見よう見まねでインリフトを使っていたかもしれない。それで失敗したか―。」
「クラッシュした様子は分からなかった。ただ、いきなり右前が浮いてスピンして、そこを追い抜いた後、後ろで「ドスン!」ってすごい音した。それで、その場に戻ってきた時、愛衣ちゃんとタクミの同僚がコースに入って来ていた。でも、医者がモタモタしていて、ふらつきながら歩くタクミに愛衣ちゃんが「動くな!」って―。」
「愛衣いわく、タクミ君はスピンしたままの勢いで側壁に衝突し、コースとは逆向きにマシンが向いて、最後はピットレーンとコースを遮る壁のクッションにぶつかって停止。タクミ君は、マシンが左側壁にぶつかった衝撃で車外へ放り出され、コース上に倒れていたそうよ。」
「―。」
海老名芽美は言葉を失った。
あのときは、勝った勢いで仲違いの和解と復縁を言い出した。
その相手がとてつもないクラッシュを起こしていたと言う事は、今になって知った。だが、ラブホで一緒に風呂に入った時、彼の身体は確かに、古傷があった。




