走り屋三人姉妹
この物語はフィクションであり、実在の地名や団体とは一切関係ありません。
自動車を運転する際は、実際の道路交通法を守り、安全運転を心がけてください。
学生の走り屋、と言うより学生ドライバーは、兎角学校から煙たがれる。
学校では、車やバイクは素行の悪さとみなされる。理由は分からない。いや、理由はない。
ただ、教師や教育委員の連中に「素行が悪いと思うから素行の悪さだ」と言われておしまいだ。
自分達だって車に乗っているくせに。
16歳で、バイクの免許を取り、親父の乗っていたHONDAのVT250で寄居の高校に通い、18歳で車の免許を取った後、親父と自分のバイト代の半分半分でDC5インテグラタイプRを購入。そして、短大生となった今は、正丸峠を越えて高麗川の女子短大に通っている。
通学の時に通るのは正丸トンネルではなく、正丸峠の旧道。
路面状況は悪く、街灯と言う街灯も少なく、道幅は狭く、ガードレールは至る所で損傷している。一言で言うと「最悪の道」だ。
短大帰りの私、坂口知恵は夜の正丸峠旧道を登っていく。
「東京の観光企業から是非にと―。」
「興味ありません。私は、レーサーで食っていきます。」
「そんな危ない橋渡ってどうする!?」
「そう言われて、無理して普通に働いて、心を壊した人を、私は二人、いや、三人知っている。父、長女、次女。」
「しっかし、なんでこう、車関連の事をやる人は皆、こうなんだろうなあ。」
「こうなんだってどういう意味ですか?」
「えっ?いやその―」
「不良だと言うのですか!?それなら、自動車会社に勤めている人は何なのですか!?タクシー運転手やバス運転手が社会不適合の連中だというのも、車関係は不良だと言う事からですか!?」
久しぶりに派手な喧嘩をやらかした私。でも、私は、お姉ちゃん二人が車を離れて東京へ出て、欝になって帰ってきてしまったのを知っている。そして、そのせいで、レーシングスクールに入れる年齢を越えてしまい、レーサーへの道もほぼ閉ざされてしまい、今の走り屋兼アマチュアレーサーに留まってしまっている。
それを見せ付けられると、東京等の都心の会社で正社員として働きたくなくなり、自分の好きなことで食っていきたいと思ってしまう。人間は、社会という名の機械の部品でも、燃料でもない。人間は人間だ。
DC5を夜の正丸峠に進める。
「ムカつくんだよ!どいつもこいつもよぉ!」
ドギュアーーーーーーーッ!と、ド派手なスキール音が山に響きわたる。
走りにくい正丸峠。こんな峠、あの漫画の聖地巡礼以外で走る奴居るのだろうか。ワインディングを楽しみたいのなら、定峰のほうが良い。
「バイクレースだと?そんなの止めろ!」
と、高校の彼氏に言われた。
その瞬間に別れると言った。
MFJのフレッシュマンライセンスを取得してから、何度かレースに参戦。
バイクはVT250F。場所は、安曇野サーキットstage2。
GTR殺しと言われるサーキットで行われた、フレッシュマントーナメントレースで、初めて決勝戦まで登り詰めた私は、そのまま優勝してしまった。
バイクが、今や生きた化石と言われるVT250Fだった事もあるが、これは雑誌記事にも載って、ちょっとした有名人になってしまった。
時を同じくして、長女の真穂姉ちゃんもEK9(当時)に乗り、筑波サーキットコース2000で行われたルーキーシリーズの最終戦で優勝が確定。次女の愛衣姉ちゃんはツインリンクもてぎで行われたレーシングカートレースで優勝し、モータースポーツの世界に、私達3姉妹の名前が刻まれ始めていた。
あるモータースポーツ雑誌では、三人姉妹全員を取材して一面トップに飾られた事もある。
しかし、それとは裏腹に、私は彼氏に「暴走族とは付き合わない」と、根拠もなく、レーサーは暴走族と言われて別れた。
未だ学生だったため、周囲の人からも煙たがられた。
それを恐れてか、三人姉妹全員はある人には自分達がレーサーである事を黙っていた。
今、S660に乗っている九重拓洋。当時は鉄道マニアだった彼は、秩父に来ると必ず私達の実家のそば屋で昼飯を食べていた。
そのため、三人姉妹とも仲がよかったのだが、レーサーになったと知ったら彼まで離れてしまうのではと思い、ずっと黙っていた。
だから、次女の愛衣姉ちゃんが入った会社に九重拓洋も居て、徐々に車に興味を持ち始めたと知った時は嬉しかった。隠し事をしなくて済むかもしれないと。
そして、その通りになった。
九重拓洋はS660に乗る走り屋に変貌したと。
私達は束になって彼に敵対する走り屋集団、ホワイトインパルスとなって彼に内緒で、彼と共に走りたいと思った。
シビックEK9が限界を迎え、正体がバレてしまったけれど。
峠を越え、再び国道に出ると、見慣れた秩父の町が見えた。
「今日もまた、私一人だけね。」
と、溜め息をついた。




