その先にあるもの
この物語はフィクションであり、実在の地名や団体とは一切関係ありません。
自動車を運転する際は、実際の道路交通法を守り、安全運転を心がけてください
坂口さんのAE86に誘導されるように、俺はS660を路側帯に入れる。
かなり広い。走り屋にとっては、溜まり場だろう。
車を止め、エンジンを切る。車外に出て、リアボンネットのダクトに手を近付けると、熱気が出ていた。
峠とは反対側を見ると、そこには軽井沢の町灯りが見えていた。
(越えたんだ。碓氷峠を。)
と、思う。
しかも、ホワイトインパルスに僅差だが勝ったのだ。
定峰峠や白石峠で恐れられていた、ホワイトインパルスに。
だが、それなのに坂口さんは何とも言わない。そればかりか、ハチロクの車内で慌てふためきながら、どこかに連絡している。
そして、電話を切ると顔が真青になっていた。
「何の為に、バトルを繰り上げスタートさせたの。これじゃあ、意味がない。」
真青な顔でつぶやく坂口さん。
「どうしたん?」
「クソ野郎め!」
からのハンドルパンチ。
AE86のクラクションが、軽井沢に響きわたった。
坂口さんも、ハチロクを降りる。
「どうしたん?」
「あっ、いや、別に。こっちの話よ。」
坂口さんは溜め息を吐いた後、微笑んで、
「凄かったよ。後ろから見ていて、あのホワイトインパルスを抜きに行った上に、僅かな差だけど、勝っちゃったんだから。」
と言った。
「途中、列車が見えた。廃線になった信越本線を走るね。最初はそれに導かれるように走って、最終的には自分の殻を破って何処までも行きたいって思った。そしたら、S660が突然、俺に共鳴するかのように早く走り出したんだ。こいつに何か意思みたいな物があって、弱気でいた俺に自信をつけさせたようとして、自分の殻を破ろうとした俺に碓氷峠を駆け抜けた列車の記憶を呼び起こして、力を与えてくれたんじゃないかって、そう思う。」
「今の気分は?」
「最高だ。越えられない峠だった関東と信越の間に跨る峠、その代表格であった碓氷峠を、越えられたんだから。俺に、越えられない峠は無い。そう思う。」
俺は、S660のリアボンネットを「コンコン」と叩き、
「ありがとな。いつも一緒に居てくれて。」
と、声をかけた。
「この先、タクミはどこを目指して走る?」
「そうだな。しばらくはまた、嫌だけどタクシー運転手をやって、その合間に峠やサーキットを走って、アマチュアのレースとかにも出て、行く行くは土屋圭市みたいなすんごいドライバーになって、D1グランプリとかに出てみようかって思っている。」
「そう。」
と、坂口さんが言う。だが、
(ここに、彼女が居無い。あのバカ男。待ちきれず帰るとか言って、彼女まで帰らせちゃったせいで、彼女への想いがどうなったか、分らないじゃないか。)
と、何か口の中で言っているのが聞こえた。
「なんだ?彼女って?」
「あっ、実はその―。」
坂口さんは項垂れながら、この近くに俺の彼女がいると知って、急遽、この上りのバトルをやったと言った。
「でも、彼女、友達が待ちきれなくなって、帰っちゃったみたい。あっそうだ。この前、S660を壊した時、彼女と一緒にいたのは、たまたま居合わせて、うざったい奴だったらしいよ。」
「どうしてお前が、奴がここにいるか知ったか知らねえが、その友達って奴に言われて、帰ったんだろあのバカ。」
「うっうん。後、時間もギリギリだったらしいし―」
「俺より、そいつの方が大事ってことか。けっ。ベンツの彼氏と仲良くやってろ。俺に構うな。」
俺は少し気分が悪くなってしまった。
「高崎の宿に―。」
「いや、帰れるよこの時間なら。明日のバトルは無いでしょ?」
「あっ、そうか。今、やっちゃったからね。」
「ここからだと、碓井軽井沢が近いね。そこから高速で帰るわ。また、秩父の峠で会おう。」
俺はそう言って、S660のエンジンをかける。
ナビに、碓井軽井沢をセットして、近くのガソリンスタンドで給油した後、そこへ向かっていく。
その途中、シビックが止まっていた。
ナンバーは、熊谷59す61‐20。さっき一緒に走っていたホワイトインパルスのシビックタイプR、EK9だった。
シビックのドライバーは泣いていた。
余程、悔しかったのか。
声をかけようとして、車を止めると、シビックは慌てて発進していってしまった。何があったか分らない。
だが、今日はかなりハードだった。明日は、秩父でも行ってゆっくりしよう。
再び車を発進させ、碓井軽井沢インターから、上信越自動車道を関越方面へ向かって走る。
(越えられない峠を越えた。これからも、峠を越えてどこまでも行く。この純白のSに乗って。)
純白のS660の前には、新宿を目指すアルピコ交通の日野セレガHDや、長距離トラック、そして、多数の地域のナンバーを付けた車が走っていた。




