Dog fight
この物語はフィクションであり、実在の地名や団体とは一切関係ありません。
自動車を運転する際は、実際の道路交通法を守り、安全運転を心がけてください
海老名芽美は言われた通り、碓氷峠旧道の軽井沢側入口付近、バスの駐車場付近で待つ。
本当に、九重拓洋は登ってくるのか分らない。
我を失ったかのように、その場で2回転半のドリフトをした白い軽スポーツカー。その車内にいたドライバーと一瞬、目があったのを覚えている。殺意剥き出しの鋭い目付きだった。
しかし、その向こうに悲しい目もあった。
チャラい男子は、その日たまたま一緒になっただけだった。
だが、やけにガッ付いて来てしまい、困っていた状態で、作り笑いを浮かべながら学校を出た時、その軽スポーツカーの存在に気がついた。
もし、九重拓洋だったら―。
(いや、あれはタクミよ。そうじゃなかったら、あんなことしないよ。)
そう思った時、僅かに暗闇からスキール音が聴こえてきた。
だが、その時、
「もう、帰っていいらしいよ。」
と言われた。
「クソォっ!一回前に出たってのに!」
「一回でも、私を追い抜いた。サーキットや峠バトルで負け無しの私を。それが出来たのは、タクミ君。ただ一人だけよ。」
「S660とタクミ。もう切っても切れない間柄になっている。」
EK9とS660。AE86は、C128に突っ込む。
木々の合間から、アプト線を行く列車と新線を行く列車の灯りが見える。
ED42が汽笛と共に次のトンネルに吸い込まれて行く。
189系を押し上げるEF63重連の最後尾で寂しく輝く紅のテールライトが闇に消えていく。
信越本線の列車が見えるのはここまでだろう。
(ここから先は自分自身で越える。)
C131手前のストレートを突き進み、C131へ突っ込む。ここから先は、この先の道が谷の対岸や崖の上に見える事がある。
C133では、崖の上にこの先進む道のガードレールが見える。
だが、街灯の無い峠道。見えるのは真っ暗な谷底と、星空だけだ。
連続ヘアピンをクリア。
対向車接近。
すれ違う。
「はあ。はあ。」
EK9の坂口真穂が疲れ始める。
(そうだ。登ったらそこに、タクミ君の彼女が待っているんだっけ。)
(あっ登ったら―。)
坂口愛衣も思い出した。
碓氷峠を登った所に、九重拓洋の彼女である海老名芽美が待っていると言う事を。
(行ったら、彼女に会いたくなってしまうか、完全に忘れてしまう事が恐くて越えられない。でもさ、それって逃げているよね。彼女のことを思う自分から。だったら、行きなさい。碓氷峠へ。)
九重拓洋を碓氷峠へ来させるために言った事を思い出す。
だが、今度は坂口愛衣が碓氷峠を越える事が怖くなってきている。
九重拓洋はまだ、碓氷峠の最終コーナーを越えていない。
碓氷峠は片峠故、最終コーナーを抜けると、そこはもう軽井沢。そこまでの山道が一転、一気に視界が開け、目の前には軽井沢の町並みが広がっているのだ。
きつい右V字のC162を通過。残りのコーナーが少なくなっていく。
坂口愛衣はもう力尽きそうだった。
AE86の燃料計を見る。燃料は残り2メモリ。登ったら直ぐに補給しなければならなない。S660も同じだ。だが、EK9はまだ余裕。しかし、それ故に車が重い。
C168からC169の複合コーナーに突入。
EK9がオーバースピード。C168で外に膨らみ体制を崩す。
(行け!)
その隙に、再度S660がインから抜きにかかる。が、クリッピングポイントをコーナー手前にしてしまったため、C169進入に失敗。EK9と並んでC169に進入するが、危険なためS660がEK9の後に引く。
C172からC173の複合コーナーが接近。
「外から行く!変にインに付くな!対向車無し!」
C172に外から進入。
「バカ!アウトから行くの!?」
坂口愛衣が驚く。
だが、コーナー進入速度は、S660の方がEK9より僅かに早く、進入した時、EK9より僅かに前にS660がいた。
S660はここでインを閉める。貼り付けにされたEK9は前に出られない。
C173進入時、S660が前にいた。だが、外から入れる絶好のポジションに居るのはEK9。
今度はS660がインを閉められて前に行けない。
残り10コーナーを切る。
C175。
再び、EK9がアンダーを出す。
重い燃料に加え、タイヤも疲れてきているようだ。
(デートのために、さっき燃料を満載してしまったからね。タイヤも疲れてきている。重いしクリップ力も落ちている。お願いシビック。あと少し頑張って。)
だが、S660が膨らんだEK9よりイン側をつく。
「ラインがクロス、ぶつかる!」
EK9が引く。
「もらった!」
S660が再度、前に出た。
後ろからAE86が接近。
「お姉ちゃん。悪いけど、私も前に行ってもいいよね?」
C176でAE86にも抜かれそうになるEK9。
だが、S660がC177の立ち上がりでアンダー。
アクセルを戻した隙に、EK9が前に出る。この先はC178までのストレート。
だが、ストレート立ち上がりはミットシップの方がFFより上だ。
ストレートで、S660が前に出た。
C178進入時、には完全にS660が前にいた。
「クソ。親父の車以外、誰にも負けたこと無い私が―。」
「タクミがもし、NSXに乗ったら、誰にも止められない。私達姉妹が束になってようやく互角。今の軽スポでも、本気のタクミは強い。タクミがNSXタイプRと出会った時、タクミは最速最強の姿になる。」
最終コーナーが見える。
「負けない。私が先よ!」
EK9が最後の力を振り絞って前に出ようとする。
最後の最後、S660がまたもアンダー。
その間に、EK9が並ぶ。
立て直すS660。クリッピングポイントは2台同じ場所。
「ピィーーーッ!」
(えっ?)
一瞬聞こえた電気機関車の汽笛。
それに反応してしまったEK9。その間にS660が前に出たところで終了だ。
信越本線の線路を進んで来た列車の幻影は、軽井沢駅の灯りの中に消えていき、S660の後を走っていたAE86は、S660を約束の場所へ誘導する。
「負けた。この私が―。」