合わせ湯
この物語はフィクションであり、実在の地名、団体とは一切関係ありません。
公道での乗用車による高速・危険走行は生命に危害を及ぼします。
作中での行為は絶対に真似をしないで下さい。
自動車を運転する際は道路交通法を遵守し、安全運転を心掛けてください。
また、サーキット走行に関する描写は、岡山国際サーキット及び、筑波サーキットの走行規程を元にアレンジした物です。
実際のサーキット走行時には、サーキットごとに定められた規程に従って走行してください。
グリッドが決まるのは、全車両がゴールしてからだ。
グリッドが決定し次第、サイト情報やメールで各チーム及びドライバーに通達される。
九重拓洋が単独でゴールした。
リザルトはすぐに発表され、ラップ表が拓洋に渡される。
それを受け取ると、ヘルメットを脱ぎ、車両の整備点検に入る。
「セッティングに変更は必要無しです。このまま、決勝も走ります。」
と、拓洋は早見に告げる。
「予想以上に、坂野に食いつけていたな。」
と、坂口正孝が言う。
「ただ、やっぱり、もう少しだけ馬力が欲しくなりました。まあ、馬力あげても、追い付けないことは分かってます。」
「現在、愛衣に次いで2番手だぞ拓洋は。」
そう言われたものの、そう言われると、拓洋は悔しくなる。
(けっ!どこ走っても、何をやっても、愛衣に勝てねえ。明日辺りにでも、勝ちてえんだが。)
と、愛衣に視線を飛ばす。
「やっぱり、愛衣に勝ちたいのか?」
正孝が聞く。
「ええ。あいつには、勝ちたいです。」
と、拓洋は言う。
レーシングスーツから私服に着替えると、暫定のグリッドが決まったらしい。
愛衣はポールシッターだが、拓洋は4番グリッドまで落ちた。
だが、愛衣と2番グリッドのアストンマーチンDB9の差5秒以上開いている一方で、2~10番グリッドはかなりの僅差だった。
「後は、明日を迎えるだけだ。」
と、早見。
先日の三峰山での決闘以降、早見はS660の面倒をメインに見ている。
「あの、俺も何か手伝います。」
そう、九重拓洋が言い、車に触れようとしたら、
「触るな!この車はお前の車であるが、整備中は俺の車でもあるんだ!」
と、怒鳴られた。
「お前は身体を休めてこい!」
「しかし―。」
「車も羽を伸ばしているんだ。ドライバーのお前も、羽を伸ばせ!」
早見はそう言い、坂口正孝も、
「そういう事だ。これは命令だ。」
と言った。
(命令って言われても、車の事、言わなくてもいいのかな。)
と、九重拓洋は思った。
九重拓洋は渋々と、光泉寺の石段を降りて、湯畑に向かう。
「車の事とか伝えたって公道レースでは無駄だよ。」
と、大山神威。
「プラクティスやその前の、数日間の公式テスト期間だったら調整した後にバトルモードで走ることは出来ずとも、慣らしで走らせられる事もあるが、公道を使用している以上、例え調整しても、公式時間以外にバトルモードで走らせる時間は無い。スーパーGTやスーパーフォーミュラだって同じだ。ドライバーは、羽を伸ばす事も仕事だ。タクシードライバーだって、それは同じだろう?」
「大山さんにそれを言われては仕方ないですね。」
「ほう。愛衣じゃねえのか?」
「いつの日か、愛衣に勝って、愛衣にギャフンと言わせてやりますよ。明日かもしれませんし、明後日かもしれませんし。」
石段を降りきる。
「おい?白旗じゃねえのか?」
と、大山神威。
「今日は合わせ湯に入るので、大滝の湯まで歩きます。」
「合わせ湯?」
「来れば解りますよ。」
とことこと、温泉街の細道を歩き、温泉街の外れの方の日帰り入浴施設「大滝の湯」に着いた。
入浴料を払って、男湯に入る。
しかし、暖簾の出ている正式な入り口には向かわない拓洋に、大山神威は「どこへ行く」と聞く。
「裏口に。」
九重拓洋の言う「裏口」の扉を開けると、狭めの脱衣所。
棚を見ると、先客の衣服が置いてあった。
拓洋と大山神威も、脱衣所から風呂場に入る。
半地下に5つの浴槽。
風呂場の床を始め、あちこちは木造。または木目帳。
「へえ。雰囲気あるじゃねえか。」
と、大山神威は、目の前にある大きめの浴槽に入ろうとしたが、
「大山さん。違います。」
と、九重拓洋はかけ湯をしながら言う。
「違う?」
「合わせ湯というのは、温度の異なる温泉を順番に廻っていく入浴方法です。温い39℃の温泉から、42℃、44℃、46℃、そして、最後に48℃の温泉に入ります。あまりにも熱い場合は途中でギブでもOKです。」
「身体を温い方から熱い方へ馴らしながら入るのか。なるほどね。」
二人ならんで、39℃、42℃と廻っていくが、44℃で大山神威は厳しい顔をし、46℃でギブアップ。
一方で、九重拓洋と来れば、48℃でも顔色一つ変えない。
「お前、随分とタフだな。」
「慣れてるだけです。」
と、九重拓洋は言った。
だが、本当は、走った後の興奮する気持ちを抑えるのに必死だった。




