第7話 golden time lover
「もっと重心を低く保て!構え方が違う!左手が前!右手は胸の前!」
訓練場と思わしき広く、柔らかい土の上に男が2人。遠目に見ている女が2人。柔らかい土にドス黒い赤色が散っているのが分かる。
(ダメだ……こんなんじゃいつまでたってもカントに追いつけない。集中できてないな。まだ体が迷ってるんだ。震えていたんじゃコントロールしたってブレるんだ)
あのカントの並外れた身体能力を思い出す。この男から体術を教わったというのであれば、カントにできて自分にできないはずがないと言い聞かせ、それでもそんな自分に腹を立てているゼロは口や鼻から血が出ているのが確認できる。前にいる男に相当絞られたようだ。
「ゼロ……大丈夫なのかな?」
「ええ。セィーレンも、ぶっ倒れる直前まで絞ると仰っておられましたし」
「それ……どうなの?」
「キュー……」
2人の訓練を遠くで見守る2人と1匹。特に彼女らが介入する余地はない。
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「初めましてご主人様。俺はゼロって言うんだ。これからよろしくお願いします」
「キュー!」
勤務先と思われる屋敷に着いたゼロは、早速主人と思われる人に挨拶をした。というより、彼以外に人が見えなかった。
身長は180㎝の高身長で、年齢は30代後半あたりといったところか。
「とりあえず、俺はこの辺の掃除をすればイイんだな!そうと決まればモップはどこですか?」
「威勢がいいのは良いことだが、なぜカント君はこの子に敬語を教えなかったのだろうか。普通私の自己紹介を待たないかな」
「おっさん、今カントって言わなかったか?」
「言った。敬語を使いなさい」
「敬語なんてどう使えばいいのか分からない」
「ならば君は教育期間内に敬語もカリキュラムに入れる事にする」
「教育?」
来て早々だが掃除も始まらない。カントの名前が出てきた理由をゼロは静かに聞くことにした。
「カント君から話は聞いていたから、君があの船の中でどう言う経験をしたのか、あの船に至るまでの経緯は。全て知っている。君は絶望を知ったのだな」
「…………」
「私の名前は『セィーレン・キルケゴール』と呼ばれていた。偽名だが、今とりあえず名乗っておく名前はこれでいい。君を買ったのは、君をもっと強くさせるためだ」
「偽名を偽名だって名乗る人なんて初めて見たよ」
カントの元で3年間、ありとあらゆる知識と教養をほどこされた。だがセィーレンによると、カントが教えたのは教養であって戦闘訓練ではない、という。
「はっきり言おう。私はカントと連絡を取り、君との合流の計画を立てた。君の動向は3年間ずっとカントから聞いていたし、君の能力のこともつい今日聞いた」
セィーレンは続ける。
「君が能力者だと言うことは知っていたが、拒絶の能力を持っているとは知らなかった。うちのメイドのソフィもそうだと言ってたから間違いない。それで大急ぎで君にあった教育プログラムを立てた。さっそく昼飯食べたら始めるとしよう」
「ちょっと整理させて……ください」
即興で流れるようにゼロの口から出てくるであろう質問に、セィーレンは全て簡潔に答える。
「分からないか?仮にもあそこは人身売買船。そんなところで誰かと合流するなんて話をしてみなさい。船員の連絡網によってすぐに船長に届き、船を留めるにしても厳重警戒、普段やらないはずの身元確認を始め、下手すれば同伴の奴隷にまで危害が加わる。それを避けるためにカントはあえて今の今まで言わなかった」
「そうは言っても、俺は秘密なって言われたら秘密にするぞ?」
「いいや。12歳から18歳までの、思春期というまだ大人的に発達していない時期は、秘密をすぐ誰かに話すことが多いし、そうでないとしてもあそこは奴隷船だから拷問がないとも限らない。楽になりたい一心で合流のこともカントから聞かされたことも話してしまうだろうね。そうなる事態は望ましくないから、あらゆる点を考慮して彼は言わなかった。これでいいね?」
言われてみればそうだ。ゼロはまだ幼い。拷問なんか受けたらすぐ喋ってしまいそうだ。だけどそれはカントも同じことじゃあないのか?年は違うと言っても、そんなに離れているわけではない。もしもカントが拷問を受けたとしたら?
ゼロが事をよく把握していないと、分からないことが次々出てくる。
「ゼロも覚えがあるんじゃないか?」
「何を……ですか?」
「鳩って……渡り鳥だったかな……?」
「………………………………………………ああ!まさか!」
伝書鳩。海を渡る鳥というのは限られるのだが、その中にきれいな白い鳩なんていない。
情報伝達用に使うというのなら、海に鳩がいるのも納得がいく。
だが待ってほしい。鳩は確かに絵を見分けることができると言われているが、常に動き続けている船を鳩が捉えることはできるのか?おそらく不可能だろう。鳩は船を見失う。
「海から海なら話は別だ。ヨットを飛ばして行けば、船を見失うこともない。船の場所はカントの位置情報から分かる。電子機器を持ち込めないあの船であれば、伝書鳩が最適解だろう」
「位置情報……?」
「そして最後だが、カントは私の教え子だった。今は任務などを彼に一任している。そんなところさ」
最初からゼロはここで教育を受けるためにカントの下にいて今にいたるということであるか。ある種、ゼロの将来を案じた計画か、それともゼロに芽生えた才能を引き出すための教育か。なんにせよ、親に売られて戸籍も人権も無くなった今、ゼロがどうするべきかは明白である。
「なら……なんでカントを引き取らなかったぁ‼」
「引き取るなと言われていたからだ!あいつの計画は把握している私にとって邪魔すべきことじゃない!」
「俺は今から訳も分からず教育を受けろっていうのかよ‼俺はあんたらの計画のためだけに動いている駒か‼ああ⁉」
いきなりゼロが叫ぶもんで、ハンナは驚いてゼロの首から離れて服の首根っこを掴んで憤るゼロと静かに見下ろすセィレーン。満を持してセィレーンは何か語るように言う。
「人というのは2度死ぬ」
「え……?」
「1度目は肉体の死、2度目は人々の記憶から消えた時だ。だがこれは人が2度誕生する裏返しだと思っている。1度目は存在するために、2度目は生きるために。君は1度死に、2度目の誕生を迎えた」
「…………」
「君は奇跡にも与えられた人生を謳歌しなくてはならない。このまま何も動かないで終わるのは、それこそ虚無だ!だからこそ君には我々の教育を受けてもらう!」
そう言うと、セィーレンは机についていたボタンを押す。すると机に様々な画像が表れた。どうやらこの机は随分とデジタル化されているようだ。
「いいか!これからお前が成人するまで一般常識から戦闘訓練まで全てみっちり教え込む!本当にその絶望を広めるのを抑止したいと思うのなら!お前はこれからOXTのNo.1にならなければならない!やりたくないなら逃げ出すといい。腹を括れ!」
「俺は訓練がキツイと言うだけで逃げ出す臆病な馬鹿じゃあないぜ。やるなら骨の髄まで染み込ませるように楽しんでやる!」
スイッチが切り替わったセィレーンと、それに呼応して声を上げるゼロ。セィレーンは本気で彼をOXTのトップにしたいようだ。ゼロが逃げないと言うのなら方針は決まった。机の上のモニターにはこれからの予定がびっしりと書かれていた。
「じゃあ直ぐに始めるぞ!まずは戦闘訓練からだ!付いて来い!」
「はい!」
こうして、ゼロの5年間に渡る修行が幕を開ける。はずだったが
「お待ちくださいセィレーン様。まだやるべきことは沢山あります。彼の教育はその後に」
「あ……うん。ごめん……」
メイドのソフィ登場により、さっきまでの勢いづいたセィレーンのスイッチはオフになり、威勢は途端に遥か彼方に消え去ってしまったようだ。
ソフィに呼ばれたセィレーンはゼロをその場に置いて行ってしまった。
「……ありゃ?」
「キュー?」