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飛行船と同じ高さで

作者: 目々

 そいつは若い魔女だった。薄汚れてる上にモノの分別もつかないガキの子守を買って出るような魔女だった。物好きもいたもんだと思ったが、そもそも俺は魔女という生き物のことをよく知らない。こいつみたいに物好きな連中が寄り集まってできている種族なのだろうか。俺から見ればただの人さらいだ。奴隷売買を生業とするグループとなんら変わらない。それなのにこいつときたら、毎日毎日およそ見返りなんて期待できない無駄な教育ばかり押し付けてきやがる。目的はなんだ? 何を考えている? もしかすると魔女って奴は、何も考えず行き当たりばったり、日々を奔放に暮らす刹那的な生き物なんじゃないだろうか?


 出会いはよくある話さ。他人を食い物にしてきた両親が殺され、そのツケを俺が支払うことになった。食うか食われるか、それだけが全てだ。俺が弱っちいガキだったから食われる側に回されただけで、もしも逆の立場なら俺だってそうするだろうよ。それが貧困層の日常だ。力無い俺には逃げる以外に道がない。走って転んで擦り切れて、ズタボロになりながら逃げ惑った。「逃げ道はこっちだ!」……なんて気の利いた看板のひとつも見当たらねえシケた町をひとしきり駆け回ったが、子供の体力じゃここらへんで限界だ。ゴミ溜めにでも紛れりゃ気休めにはなると思い不法投棄の山に倒れ込んだ。俺の人生がもうすぐ終わる。ゴミみてえな短い一生だった……そんな感傷に浸っていると、子供なりに泣けてくんのな。俺ってなんだったんだって。ゴミ溜めに産まれて、ちょこっとだけ生きて、ゴミと共に死ぬ。そんな生き物に何の意味があるってんだ。ふざけんな畜生ーー


「おぅいゴミ袋くん。楽しいかいゴミ袋ごっこは」


 涙目で見上げた空から、得体の知れない魔女が降ってきた。空飛ぶ箒に跨ってる奴はだいたい魔女だ。ここいらでの活動は目立たないが、よその町ではしょっちゅう現れて人をからかうらしい。おまけに銃が効かないそうだ。人間の怒りを買い続け今なおのうのうと生き長らえている、いけ好かねえ連中。最悪のタイミングで現れる所がなんとも魔女らしい。


「ねぇねぇあれ、もしかしてお前を追ってきてんの? これ鬼ごっこだった? ごめーん邪魔して。でもゴミ袋? なんで? え? ゴミごっこ?」


 一人でわけのわからないことを喋りながらケタケタ笑い転げていやがる。死に際くらい放っておいてくれ。こいつにやられるくらいなら、人間にやられた方がまだマシだろう……。賑やかな魔女の声に気付き近寄ってきた追手たちにやられた方が。


「……んー? もしかしてお前、死のうとしてない? だとしたら邪魔するぜぃ!」


 俺と追手の間に立ちはだかる魔女。三発の弾丸をその身に受けた魔女は、何事もなく澄まし顔で杖をふるう。瞬間、追手たちの首が上空へ吹き飛び血の雨を降らせた。なんと呆気ない死に様だろうか。人の死に際に立ち会うのは何度目かわからないが、これほどまでに呆気ない幕切れは初めてだった。否、それよりも。そんなことよりも大変な事態になってしまった。目の前の死ですら霞んで見えるほどに大変な事態。

 こいつに命を救われた。事もあろうに魔女に対して、俺はでかい借りを作ってしまった。


 *


「……俺に構うんじゃねえよ。もうほっといてくれ」


 当たり前のようにそこにいる。魔女は今日もまた俺を「教育」する。最初こそ借りを作った引け目から大人しく従っていたが、いい加減うんざりだ。そもそもどうして俺はまだ生きているんだ? あの場でこいつに殺されていても不思議はない、むしろそれで当然な状況だったはずなのに。「そんな気分だったから」。なんて軽くあしらわれたが、きっと何か裏がある。間違いない。何を企んでやがんだこの魔女は。


「いいねいいねその目だよ。この世の一切を信じない腐った目! まだまだもっと擦り切れていこうぜぇ〜」


 教育内容は単純だ。人を信じるな。全てを信じるな。生き物を見たら敵と思え。……どれもこれもハナっから全身くまなく染み込んでる信条だよ。豪邸でパイプ吹かしてる貴族じゃねえんだ。それぐらいの用意がなけりゃこの町じゃやっていけねえ。


「いいから言われた通りにしとけって。『今はまだその意味がわからなくとも、お前もいつの日かわかる時がくる……』どう? それっぽかった? ねえねえ!」

「うっせえ」


 ほんっとに何考えてんだこの女。メシと寝床の用意がなけりゃこんな所すぐにでも出てってやるんだが。認めたくねーけど甘えてるのは確かだ。……他に行くあてもねえし。ここにいれば食事と住処は確保できる。変なのに付き合わされるのだけが難点だが。


「さぁて。ほんじゃま、ここいらで買い出しの時間だね。今日はゴミ袋くんも着いてくるかい?」

「行ってやるよ」

「……んー? 即答? なんか変なこと期待してない? まーいいけどさー」


 こいつはちょくちょく買い出しと称して一人でどこかへ出かけることがある。小一時間もすれば食料片手に戻ってくるんだが、こいつが金を一銭も持っていないことはカバンを漁った時に知っている。ガラクタばっか詰め込んだ使えねえカバンだった。だとするとその食料はどこからのものか。考えるまでもねえやな。ただ、買い出しに誘われるのはこれが初めてだったので、一応現場を確認しておくかという気まぐれが働いたのだ。もし仮にバイトでもしていようものなら、空飛ぶ箒を活かして宅急便でもしていようものなら笑い飛ばしてやるんだが、こいつに限ってそれはない。百パーないと断言できる。喋る黒猫が現れても迷わず蹴飛ばすタイプの女だということは、この短い共同生活の中でも散々思い知らされていた。



 箒は痛えし窮屈だ。おまけに目が乾く。生憎箒に跨ったのはこれが初めてなもんで比較のしようがないが、こいつ、めちゃくちゃ運転下手なんじゃないか? 乱暴すぎて落ちないか冷や冷やした。まったく最低なタクシーもあったもんだ。


「だぁれがタクシーだこんにゃろ。せっかくぶっ飛ばしてやったってのに! それとも五時間くらいよちよち歩きたかったかぁ? そのひょろいあんよでよー。まーちったぁ鍛えた方がいいかもな。そんなナリじゃあ女も着いてこねーだろーし!」

「知るかよそんなの。余計なこと言ってんな」


 ドライバーまで最低となるといっそ清々しい。やっぱりこいつに宅急便は向かなそうだ。

 連れてこられたのは以前俺が住んでたシケた町。あいも変わらず淀んだ空がよく似合う。勝手に拾っておいてまた元の町に捨てに来たのかと、律儀な不法投棄屋を勘繰ったが、どうやら違うらしい。

 ツェッペリンという連中がいる。汚ねえ金を押し付けて身ぐるみ剥いでも取り立てるマフィアまがいの豚どもだ。関わり合う連中もクズばかりで、貸す連中もクズなら借りにくる連中もクズどものオンパレードだった。おまけにこの町を仕切ってるお偉いさん方はどういうわけかツェッペリンたちと「仲良くおままごと」すんのが大好きみたいで、まぁそんなこんなで均衡が保たれてるって寸法だ。うちの親も心臓を毟られるまでよろしくやっていたよ。


「今日はお前に小洒落た社会見学をさせてやろうと思ってね。子豚の社長にちょっくら挨拶しようぜ。あ、そういや忘れてたけどおやつは持ってきたかい?」

「なんだそれ。こんなとこまで来といて遠足気分かよ」

「気分作りは大事だぜ? おやつは三百円までだけど手作りおやつはその内に入らないって抜け穴があることを坊やにも教えておいてやろうと思って」

「その抜け穴を使う機会は一生来ねえ。あと坊やとかゴミ袋とか呼ぶな」


 こいつの考えることは未だに理解できない。もっとも脳みそが見えてたとしても俺には到底理解できそうにないんだが。不安だらけの俺を置き去りに魔女は汚れた町を勇ましく進む。



 直視できなかった。その行為の凄惨さとか、残酷さとか、そういったグロテスクな方向性とは違う、より一層生々しい理由で。目が合っただけで吹き飛ばされるやつら、背を向けたまま燃え尽きる男、扉越しに薙ぎ払われる連中、ほとんどがこの魔女と相対した瞬間に一言も発せずに息の根を止められる。そのあまりの憐れさに。

 そんなツェッペリンたちを不憫だと思った。同時にそんな連中に脅かされていたこの町の住人もまた不憫に思えて。今までどれだけこいつらに苦しめられてきたか。魔女はそれを一瞬にして消し去ってしまう。その圧倒的な差をまざまざと見せつけられる人間を、直視できなかった。

 一番奥の扉が蹴破られる。


「よう豚ァ。社会見学に来てやったぜぇ。見てぇもんも別にねーしそろそろ帰るから弁当くらい出しやがれ!」

「おいおいおーい。お嬢ちゃんよぉ。てめぇらには隣町をくれてやったろうが。え? それで事は丸く収まってたはずだろうよ。それともなにか? 協定を破ろうってんならそりゃ話が違うぜ、なぁ?」

「残念ながらアタシゃあんたらと同じハズれ者でねぇ。集会にもロクに呼ばれねぇからその協定とかってやつのことなんざこれっぽっちも知らねーのさ。お前もこの国が勝手に決めて押し付けてきた法律を嘲笑って楽しんでたんだろ? だったら理解できねー話じゃねぇはずだぜ」

「調子づいてんじゃねぇよアバズレがぁ……。え? 俺をお山の大将と勘違いしてねぇかァ! このドン・ツェッペリン様を前にして人間も魔女もねぇんだよ!」


 激昂したツェッペリンが銃口を向けるその前に、引き金にかかった指が腕ごと落ちた。当人がその事実に気付く頃にはもう片方の腕と両足、首と腰が椅子に縛り付けられていた。


「があぁっ! こン……ガキゃあ……! 舐めるな! 舐めるなよォ!」

「さぁ坊やの出番だ。あと任せるぞー。疲れたからそこらへんで食いもん探してくるわー」

「なんで俺が……最後までお前がやればいいだろ」

「そいつ親のカタキなんじゃねえの? ケジメつけとけよ。後からごちゃごちゃ言われんの面倒だ」


 ほれ、と魔女が指さす先にはツェッペリンの指が絡みついた銃が転がったままでいる。なんなんだ。ほんと、……なんなんだこの女は。こいつ、初めからこうするつもりで俺を……っ。


「……やめとけよ。タマ無し風情に引き金が引けるわけねぇんだ。…………ぁあ? なんだお前、よぅく見たらうちの連中殺して逃げたクソガキじゃねぇか! え? やってみろよ! あン時の度胸はどうした! おい!」

「……うるせえ。……あん時も、今回も……どれもこれも……」


 額を狙う。間違っても外さないようにゼロ距離で押し付けるように狙う。



「俺の力じゃねえんだよ!」




 もう日が暮れていた。頬を刺す夜風が冷たい。


「おぅい少年、油断してるようだが背中越しでも涙はバレるもんだぜぇ?」

「……泣いてねぇよ」

「そうかい。……じゃ、これ食いな」


 魔女が後ろ手にねじ込んできたのはパサついたサンドウィッチだった。


「ったく長旅の報酬がハムタマゴサンドのたった二切れっつーんだからやってらんねー!」


 魔女は悪態をつきながらサンドウィッチを片手で頬張る。帰りの箒は、不思議とさっきよりも揺れない気がした。

 ただの一日もかからずに、長年町を苦しめていたツェッペリンは壊滅した。飛行船と同じ高さから見降ろすこの町は、なんだかとても小さく見えた。


 *


 俺は人を信じない。でも魔女は俺よりもっと人間を信じていない。人間に憐れみを感じる俺はまだまだ足りないそうだ。人を信じるな。全てを信じるな。生き物を見たら敵と思えーーあの日からより一層俺の「教育」に磨きがかかっていった。


「でも少年、お前は頑張った。引き金を引けるくらいにゃあ大きくなった。出会った頃より少しはマシになってきたぜ」

「それでも『少年』止まりなんだな。いいさ、それでも」

「だってぇー。アタシあんたの名前知らないしぃー」


 おどけて見せるこの女には、果たして味方と呼べる存在はいるのだろうか。それとももうその強さゆえに味方なんて必要ないのだろうか。協定も知らないハズれ者……魔女にもきっと、いろんなやつがいるのだろう。

 それから俺は率先して買い出しに行くようになった。時にはあいつに頼ることになる日もあったが、できる限り自分一人で行った。盗み、殺し、裏切り、逃げた。認めて欲しかったのだろうか。よく頑張ったと、褒めてもらいたかったのだろうか。そのあたりは曖昧なままだったが、魔女が行う「教育」の成果を、目に見える形で示してやりたかったのはたぶん間違いない。この頃にはもう俺にとっての魔女という存在が、最初とは全く違うものへと変化していた。


「なぁあんた、集会には出なくていいのか?」


 ある日の夕食中、何気なくしたこの質問に何故だか魔女は虚をつかれたようで、しばらくの間表情が固まっていた。


「……集会ィ? なんでそんなこと知ってんのさ」

「この前ちらっと言ってたろ。ほら、ツェッペリンとやり合った時に」

「あー……。行かねーよあんなもん、めんどくせぇ」

「いいじゃねえかよたまには。他の魔女がどんな連中なのか興味があるんだ」

「……へえ。じゃあさ少年、あんた行ってみるかい?」

「俺が? 連れてってくれんのか?」

「アタシゃ行かないよあんなとこ。ただあんたがどうしてもってんなら教えてやる。どーせ今も同じ場所でやってんだろ。いいか、魔女集会ってのはな、ゼロで終わる年の秋、月が赤く染まる夜にシガラミの森の奥深くでやってんだ。結構ドンチャンやってっから近くまで行きゃわかるだろーよ」

「ゼロで終わる……まさか」

「そうさ。丁度今年がその年だ。まーでも行ったって別に面白かねぇぜ? 歳食ったババアのお茶会にあんたみてぇなのが顔だしたら取って食われちまうかもな!」

「魔女なんざもう怖くねぇよ。でもあんたが行かねぇなら一人で行ってもしゃあねえな」

「やめとけやめとけ。そもそもシガラミの森は魔女がどうこう以前に危ねえ魔物がうようよしてる場所なんだ。人間様は立ち入り禁止っつって教わらなかったか?」


 そう。シガラミの森はいわゆる危険区域に指定されている場所だ。あちこちにそうやって指定を受けている場所はあるが、まさか魔物が出るとは思っていなかった。魔女に、魔物。今にして思うと、俺たちは実に平和な世界で暮らしていたものだ。そしてこれからも互いに交わることのない世界。それなのにこの魔女ときたら、やはり味方なんて存在は皆無らしい。この性格だと難しいかもしれないが、他にも何か俺の知らない事情を隠しているようにも思えてくるのだ。いつかこいつを説得して、一緒に集会に参加してみよう。そうすれば何かきっかけみたいなものが掴めるような気がするんだ。


 *


 月日が流れ、季節が巡り、俺たちの時間が重なって形を成し始めた。魔女の「教育」は大したもので、近頃の俺はかなりサマになってきている。周囲の反応が以前と明確に異なるのだ。盗みがバレることはないし、殺しをトチることもない。裏切りは最後まで貫けるし、逃げたことすら気付かせない。何より変化が大きいのは、情け、容赦、憐れみといった感情が欠落したことだ。すっかり俺も魔女の仲間入りを果たした気分だった。

 それでもこの魔女に対してだけは違った。一緒にいる時間が楽しいと思えるようになっていた。前よりも多く話すようになった。気に入らなかった部分に目を瞑れるようになった。この魔女にだけは弱味を見せることができた。そうして一つずつの変化が集まって、俺自身を大きく変えた。ゴミ溜めにいた頃の俺の姿はもうどこにもなかった。


「さぁて、相棒。今日も行っとくか?」

「もうそんな時間か。『買い出し』だな」

「おうよ。今日のはとびきりのご馳走だぜー?」

「それは楽しみだ。期待してるぜ」


 俺たちは傾き始めた空へ飛び立つ。この魔女の後ろがすっかり俺の定位置だ。でもそろそろ場所をひっくり返してもいい。今度は飛び方を教わろう。この先何年かかるかわからないが、いずれは俺も魔法を覚えたい。この魔女と肩を並べてみたい。時には魔女を助けてもみたいんだ。あぁ、いつからだろう。俺の思考はこんなにも晴れ渡っている。清々しいまでの悪党っぷりを見せるこの魔女に感化されてしまったのは。こいつとどこまでも行ってみたい。いつまでも生きてみたい。なんだよ、俺。笑ってんじゃん。気持ち悪いなぁ。魔女がいつ気まぐれに振り返るかもわからないのに。

 箒が傾く。そうか。さては勘付いて荒っぽい運転に切り替えたな。ちったあ上手く乗りこなし始めたと思ったら、性根のとこは変わらねぇなぁ。着いてってやるよ。振り落とされないよう、どこまでもな。

 グラっと、箒が揺れる。おお。揺さぶってやがんな。まだまだそんなんじゃ俺を落とせねぇぜ? なんたって俺に気合いを入れてくれたのは他でもない、あんたなんだ。俺は一流の魔女の弟子なんだよ。その程度じゃあビクともしねぇぜ。

 箒は急降下を始める。あっという間に空が遠ざかる。冷たく痛く刺さる風。いつもなら過剰なほど描かれる螺旋も、旋回もなく、直滑降で奈落へ向かう。魔女は何も言わずただ眼前を見据えたままーー

 箒はコントロールを失っていた。


「お、おい! どうした! 魔女!」


 必死になって背中を叩く。あらゆる場所を殴るように叩きつける。声をかけ続ける。その間にも猛スピードで地面に吸い寄せられていく箒。無我夢中で殴りつける背中がどんどん小さくなっていく。やめろ。これは錯覚だ。こいつはいつも偉そうで、生意気で、無駄にでかい背中で語ってたじゃねえか。だから。


「おい! 起きろ! 起きろよ!」

「……ぅ。はぁ……? ってぅおっ!」


 飛び起きた魔女が箒の先端をほとんど九十度上空に向けてねじ上げる。身体中にかかる極端な負荷をどうにか堪え、やっとのことで空中に留まった。間一髪。地上まではあと数メートルもなかった。

 コントロールを取り戻した箒はぎこちないながらも徐々に高度を下げて着陸する。魔女は倒れるようにその場に転がった。


「悪ィ。ちょっとだけ……な?」

「それは構わねぇが……大丈夫なのか?」

「別に大したこたぁねーよ。ちぃっとばかし心臓が止まってただけさね」


 は? 今……なんて?


「ビビったなぁ。こんな……いきなり来るもんだとは思ってなかったぜ」

「なに、言ってんだよ……? わけわかんねぇよ!」

「……なぁ、相棒。お前さ、アタシのこと好きだろ」

「…………」

「好きで好きでたまらねーだろ。いっそもう愛しちゃってんだろ」

「ああ……そうだよ。どうしようもないくらいあんたが好きだよ。でもそれとこれに何の関係が……」

「魔女の殺し方って知ってるかい」


 あらゆる音が途絶えた。鼓膜も、音を認識する脳の回路も、その言葉の続きを聞きたくなくて、拒絶したくて壊れてしまったようだった。


「人間に愛された時、魔女は死ぬんだ」


 ……。


「他の魔女のこと、気にしてたな。あいつらは……あー……もうどんくらいかなぁ。少なくとも数百年は生きてやがんだ。基本的に寿命ってやつはねーし。その長い長い数百年の間わざわざ人間に嫌われるようにして生きてやがんだ。殺されないためにだよ。死なないっつっても腹は減るし、そんだけ生きてりゃ暇にもならぁな。中には人間を"からかいすぎる"やつもいる」


 聞かない。聞きたくない。聞こえない。


「まぁアタシも他人のこと言えた義理じゃねーけどさ。魔女ってのはそういうもんなんだよ。絶対に人間と相容れねーようにできてんだよ。けどなぁ。なーんか、つまんなくね? そんなんで生き長らえたってさぁ」


 何言ってんだろうなぁ。意味わかんねぇなぁ。


「だから、よ。いっちょ殺されてみることにしたのさ。手頃なとこにピーピー泣いてるガキがいたから試しに拾ってみた。クソ生意気なガキだったが一生懸命アタシの背中を追っかけてくんのな。可愛かったぜ。好かれるまでにもうちょいかかると思ってたが……案外ちょろいな、お前」


 うるせえ。なんだよそれ。ふざけんじゃねえよ。


「でもちゃんと筋は通したつもりだぜ? アタシのワガママに付き合わせてんだ、そのまま見捨てるつもりもなかった。一人でも生きていけるようにちゃあんと教育してやったろ? この世界でやってくにゃあ頼れるのは己のみだ。清く正しく真っ当に、お前はアタシを殺して一人で生きていくんだ」


 おい。おいおい、魔女さんよ。自分ばっかベラベラ喋ってんじゃねえよ。勝手な言い分ほざいてんじゃねえよ。言い返せよ。なんとか言えよ……俺。


「さぁて……これでアタシの計画は完璧に遂行されたってわけだが……。どうしてだろうな。……こんなはずじゃなかったんだけどな。アタシらしくねぇなぁこんなの……」


 魔女は首だけをこちらに向ける。その体を動かす気力はもう残っていないのだろう。


「死にたくねぇよ……まだ、まだお前に教えてねぇこと山ほどあんだよ……! お前が成長していくとこもっと見てたいんだよ! なぁ相棒。アタシの相棒。頼むから……アタシのことが好きだって気持ち、取り消してくんねぇかな……?」


 両眼いっぱいに涙をためて、魔女はボロボロと泣き崩れる。かける言葉が見つからない。どうすればいいかわからない。それほどまでにーー愛していた。


「……勝手な女だよな、ほんとに。めちゃくちゃなことばっか言いやがって。なんなんだよ。こうなるように仕向けておいて、いざとなったら取り消せって? ふざけんじゃねえよ! 俺は……っ! 俺の気持ちはどうなるんだよ!」


 もう言葉にならない。溢れ出る感情を堪えられない。


「ちがう……違うちがう! こんなことを言いたいんじゃないんだ! 俺はっ! ……俺はただお前と……っ! これからもずっと……」


 魔女の顔が涙で滲む。自分が馬鹿なガキであることをひたすら呪った。もう少しまともだったら。もっと立派な人間だったら。伝えたいことをちゃんと伝えられる、経験豊富な大人だったなら。

 今よりほんの少しくらい、良い別れ方ができたのかなぁ。


「ごめんな……。最初はお前さんを助けようって気持ちも、ないわけじゃなかったんだぜ? これは嘘じゃねぇよ。こんなに辛い思いをさせちまうなんて思わなかったんだ……。ごめん。ごめんなさい」

「もういいから、もう……喋らなくていい」


 覆い被さるように強く抱きしめる。せめて最後くらい、正直になろう。気取りなんかいらない。みっともないなんて今さらだ。


「うっ……。は……はぁ。そろそろ……だめみてーだ……。なぁ、もっと近くに、きて……くれよ。……へへ、いい顔、してんなぁ……。よく育ちやがって……。この際だ……最期にもう一つだけ……ワガママを聞いてくれよ。アタシを殺した男の名前って……なんて言うんだい?」


 魔女は俺の腕の中でその長い長い生涯を終えた。俺の名前がその耳に届いたかどうかは、今となってはわからない。



 *



 ここ数ヶ月の間住処にしていた場所からそう遠くないところに小さな墓を建てた。手作り感満載のボロい墓だが、大きな空が見える場所に建ててやった。見てろよ。いつか俺が魔法を覚えたら、まず一番にこの空を飛んでやる。あんたよりも目一杯上手く飛んで見せてやる。

 あれからしばらくの間塞いではいたものの、俺はしぶとく生きている。あんたの「教育」の賜物だぜ、ったく。俺の名前だけ聞き出しやがって。結局あんたは最後まで名乗らないままだったよな。

 名前……か。そういやそろそろだよな……魔女集会。今もまだ人間をからかい続けている魔女たちが集まる場所。どんなやつらか知らねぇが、あいつの名前、聞けるかもな。しゃあねえ。あんまり気乗りしねーけど。

 見せてやるか。魔女を殺した男の姿を。


 魔女集会で会いましょう。


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