90・同族
桜木優希は毎日こう思う。
なんでみんなは僕を助けてくれないのかと。
もう一人の自分は問いかける。
逆に同じ立場の人間がいた時、お前は助けるのかと。
そう尋ねられた時、桜木優希という人間は――――。
「学校、行きたくないなぁ……」
そう思いつつも、重たい身体を持ち上げて制服へと着替える。
着替えの最中、身体の至る所にある青あざは目に馴染んだもので気にする気にもなれない。
登校中、優希はずっと俯いている。
肌が露出されている部分に傷はなく、傍から見ればただ内気な学生にしか見えない。
そんな彼はいつものように学校で過ごす。
授業中の僅かな安らぎを得て、休憩時間には誰にも絡まれないよう教室を出る。
この繰り返しがしばらく続いた頃。
僅かな変化が優希の生活に現れた。
ここ最近、竜崎蒼麻が優希に絡んでこないのだ。
優希にとってはこれほどいいことは無い。
だが、この平穏の水面下で何かがある様な不安が込み上げてくる。
その原因が解明されるまでは。
とある日の昼休み。
優希はいつものように教室を出てボッチ飯。
誰にも絡まれないというのはこれほどまでに楽なものなのかと、パンを頬張る優希は思う。
昼を済ませて昼休みを最大限に時間を潰す。
五時限目が始まるので優希は教室へと足を運んだ。
その時に偶然見えたのだ。
金髪の生徒が、恰幅な生徒と長身瘦躯の生徒を脅している光景。
竜崎が錦司と新尾一平に絡んでいるのを。
錦と新尾は怯えた様子で竜崎の言いなりになっている。
その様子を目にして優希が最初に思ったこと。
助けなくてはという正義感でも、同じ立場にいる人に対しての同情でもなく――――
“良かった”という安堵だった。
優希を脅かしていた人が別のターゲットを見つけた。
虐めはやってはいけない事だ。
虐められる苦しさは身に染みて知っている。
それでも優希は眼を逸らす。
心に芽生えた安堵が優希の足をそのまま教室へと向かわせた。
そんな優希の前に錦と新尾が現れた。
下校中、今日は竜崎に絡まれなかったのか、二人は優希と同じように顔に陰鬱な雰囲気を纏っている。
「何……かな」
竜崎とは違う不安が優希の中に込み上げる。
彼らは竜崎に虐められている。そんな彼らが優希に目をつけ鬱憤を晴らそうとするのは不思議ではない。
そして、優希は一度彼らを見捨てている。
そんな優希に彼らがマイナスな感情を抱いていてもある話だ。
だが脳内で渦巻く優希の考えを裏切って、錦が放った一言は意外な言葉だった。
「君も虐められてるんだろぅ」
それはまるで自分たちは味方だよと言っているようだった。
状況が飲み込めないまま、優希はコクリと頷いた。
「やっぱりでござるか。小生らも同じで時折目をつけられては散々な目にあわされるでござる。最近は頻繁に絡まれてもううんざりでござるよ」
「へ、へぇ……お互い大変だね」
彼らが何の目的で自分の目の前に現れたのか未だ分からず、優希は友好的な作り笑いで道場の言葉を吐いた。
「しかし我らもやられてるばかりではいけないと思う。君も……桜木氏もそう思わないか?」
「それは、そうだけど……」
だからどうしろと。
竜崎が優希よりすべてにおいて優れている。
今の状況は当然嫌だが、抗っても返り討ちに合うのが眼に見えている。
一番恐れているのはその後だ。
現状の悪化。優希にはそれが一番恐ろしい。
「ならば我らは同志。いくら竜崎氏でも一人間であることに変わりはない」
「クラスの連中は竜崎殿の味方ではないでござる。小生らが抵抗しても彼らが手を出してはこないでござるよ」
二人の言っていることは正しい。
いくら竜崎でも人間離れした身体能力を持っているわけでも、万物を見据えているような天才でもない。
そして竜崎はクラスでもヒエラルキーでは上位に属するが、クラスのほとんどは関わらないようにしているだけで竜崎に味方しているわけではない。
三人がかりなら優希一人で頑張るよりも可能性は高い。
それでも恐い。
何故なら優希は二人を信頼に足る人物かを知らないからだ。
優希が二人に抱いている印象は優希と同じ虐められる弱者。
頼りないというのが率直な感想だ。
「桜木殿はこのまま竜崎殿の言いなりで生きていくでござるか? ああいう奴らは人生を上手く生きるでござるよ。ほっとけば天罰が下るなんてことはない。現状を変えるには行動あるのみでござるよ桜木殿!」
二人は正論を言っている。
そして彼らは何の戦力にもなりそうにない優希に手を差し伸べ、熱心に説得してくれている。
錦と新尾は優希と同じ立場にある。
彼らが立ち上がろうとしている中、自分は今の生活を受け入れるのか。
何度も二人の言葉を反芻し、自分の本音と向き合った。
一人じゃないのなら――――
「具体的にはどうするの?」
優希が答えると、二人は嬉しそうに表情を緩ませる。
「それは電話で話すでござるよ。小生らが考えた作戦は小生らと桜木殿に接点がないことで成立するでござる。ここで長話して竜崎殿に見られたりしたらおじゃんでござるよ」
「……うん分かった。これ、僕の携帯番号」
「今時スマホじゃないなんて珍しいね」
「スマホ何て買う余裕ないし、買っても竜崎君に壊されるのがオチだからね」
優希は携帯番号を見せて錦と新尾に登録させる。
「今宵我らは一蓮托生の同志となった。共にあの男を懲らしめようではないか」
「小生らが力を合わせれば敵なしでござる」
三人は小さく鼓舞して解散した。
家に帰ると早速優希に電話がかかってきた。
同級生からの電話に妹は珍しそうにしていたが、優希の学生生活が順調にいってるのと勘違いして少し嬉しそうだった。
優希は思う。
二人は良い人そうだったし、この一件が終わったら友達として関係を築いていきたいなと。
錦達が考えてきた作戦は至ってシンプルだ。
竜崎の虐めはまず心を折ることから始まる。
抵抗する選択肢を奪い取り、そこで初めて荒事へと持ち込む。
傷つけ過ぎず甚振って、決して周囲に悟られないようにする。
今優希達は誰にも言えないという心理状態にさせている段階。
一切抵抗しないとは思っていないだろうが、そうそうの事が無ければ現状維持を望むと思っている。
そこにつけ込んだ作戦。
虐めの現場を動画に納め、しかるべき場所に相談する。
学校だけでは当てにならない。
神格高校は創設されて間もない進学校。
最先端の教育環境を提供し、在学中に数々の賞を収めた生徒も多い信頼ある学校。
そんな学校に虐めの事実があれば、ほぼ間違いなく隠蔽される。
和解などというその場しのぎの解決案で丸め込めるのだ。
そうなれば竜崎は今度こそ上手くやる。
彼は狡猾でただでは倒れない男だ。
そうなれば今よりもっと酷い仕打ちが待っている。
法的に社会的に倒すしかない。
問題は誰が囮になるかということだ。
三人とも殴られるのも脅されるのも嫌に決まっている。
しかし、囮役は意外とすんなり決まった。
「よう桜木。今日の放課後久々に遊びに行こうぜ」
久しぶりに回ってきた優希の番。
教室には錦も新尾も残っており、優希の様子を窺っているようだ。
優希に向ける竜崎の笑みは決して友人と遊べることに対してのものではない。
目前の玩具で今日は何して遊ぼうかと考えている故に漏れる笑み。
いつも通り、優希は竜崎、葉倉、水上の後ろをついて行く。
男子高校生が下校時に遊びに行くとすればカラオケやボウリング、フットサルやバスケのスポーツ施設など様々だが、建物に隠れた路地裏は珍しい部類だろう。
光は周囲の建物が遮って薄暗く、野良猫やカラスが荒らしたゴミが放置されている。
「この間偶然ここを見つけてな。少し臭いが気になるが人目がつかないいい場所だろ? 結構広いし、丁度ボクシングのリングぐらいか」
そう言いながら竜崎は鞄からボクシンググローブを二つ取り出した。
この先の展開は予想できる。と言うより、何度か体験している。
「今日体育あったから下に体操服着てるんだろ? 着替えろよ」
優希は言われるがままに制服を脱いだ。
竜崎は別に優希に気を遣ったわけではない。
制服が汚れては、ここを出た時に目立ってしまうからだ。
竜崎が制服のままなのが、一方的なものになる証拠。
今から始まるのはボクシングとは名ばかりの一方的な暴力。
しっかりとヘッドギアをつけさせられ、顔面を殴られても問題ないようにされている。
準備が整うと、間髪入れずに竜崎の右フックが襲い掛かる。
たじろいだ優希は竜崎の殴打に守ることしか出来ない。
「おらぁッ!」
「ぐぁは――――」
鳩尾を抉る感触に膝をついて込み上げるものを吐き出さないよう抵抗する。
立ち上がれない優希に竜崎は待たずに殴りつける。蹴りつける。
ただ耐えることしか出来ない。
だが、今回はそれでいい。
優希に必要なのは竜崎の尻尾。
今頃、錦達がこの光景を録画しているはず。
表した尻尾を掴んでくれているはず。
「しかし、俺が言うのもなんだがお前も悲しい奴だよな」
竜崎の動きが止まり、地面に倒れる優希に話しかける。
「こんなお前を助けようとする奴がいりゃー今頃誰かを呼ぶなり今の状況を録画してるなりしてるのにな」
笑いながら言う。
高笑いをするのも今の内だ。
今この光景を録画しているなんて思ってもないのだろう。
そう、思っても……
「…………」
この時優希に最悪の思考がよぎった。
何故、このタイミングでこの話をしたのだろうか。
今まで何度も優希はやられた。
その話が出てくるのはもう少し早くてもよかったのではないだろうか。
それも何故このタイミングで、この話を。
「そういえば、最近錦達に会わなかったか?」
ぁあ、やっぱりか。
「その様子だと会ったようだな。いや、こういう時って人間の醜い部分がよく出てくるような」
竜崎がポケットからケータイを取り出すと、録音アプリを起動して音量を上げた。
薄い端末から聞こえる声は二人。
『約束通り桜木氏に話したよ』
『これで小生らには関わらないでほしいでござる』
その他にもいろいろやり取りがあったが、二人それぞれの一声以外は聞いていなかった。
嵌められた、売られた、差し出された。
同じ立場の人間すらも優希を裏切って助かろうとしていた。
これは優希が見て見ぬ振りした応報か。
薄々察していたつもりだ。
それでも、彼らの嬉しそうな声は中々忘れることが出来なくて――――――――。
久々の更新が過去編ですいません・・・




