84・本当の敵
――――“共にあの男を懲らしめようではないか”――――――――。
――――“小生らが力を合わせれば敵なしでござる”――――――――。
「…………んっ……ふぁはぁぁ~……」
錦達が滞在する村の小屋。
心地よい隙間風が頬を撫でつけて、差し込む月明かりが幻想的な空気を醸し出している。
錦達は屋敷で寝ればいいと言いていたが、正直あんな埃臭く血生臭い場所で眠れない。
ということで、優希達は村の小屋を貸してもらっている。
懐かしい言葉を夢の中に想起した優希は、ゆっくりと身体を起こして余韻に浸る。
「夢か…………」
嫌な夢だ。だが、その夢は優希の意志を固めてくれるものに違いは無い。
その黒髪の頭を掻いて、その黒い瞳が周囲を見渡す。
「〖簡易能力解除〗は完了しているな。身体が軽い……」
優希は立ちあがって身体を伸ばす。
優希の権能は〖簡易能力解除〗は定期的に行わないと〖強制能力解除〗に陥ってしまう。もしそうなってしまえば、優希はその正体を晒したまま行動不能になってしまう。
少しでもチャンスがあれば、こうして定期的に能力を解除しているのだ。
優希が頭を触ると、その黒髪は雪色に染まり、漆黒の瞳は真紅に染まる。
肌の色は少し薄くなり、顔立ちは中性的なものになる。
背丈は変わらないが、多少の骨格の変化に眉を寄せながらも、優希は仮初の姿に変貌する。
小屋を出ると、まだ夜も深く、虫の声が耳に囁く。
遮りが無くなった風は純白の髪を揺らして、月の光は細胞に癒しを与える。
「こんな時間に目が覚めるとは珍しいな。催したか?」
風の感触、川の囁きと虫の合唱、月光の輝き。
その中に鈴を転がしたような声が紛れ込み、瞳を閉じて自然に身体を溶け込ましていた優希の意識を阻害する。
皐月達が眠る小屋から出た、艶麗な風采の少女。
絹のようなきめ細かい雪肌と、薄く笑みを刻む妍麗な貌容。
白銀の長髪が靡いて、夜の景色に輝きを加える。
そんな少女に、優希は感情の薄い瞳を向けて、
「まだそんな歳じゃねえよ。そっちこそ、こんな時間にどうした? 腹でも減ったか?」
軽口には軽口で返す優希。
メアリーは何故か、勝ち誇った顔をして、
「安心しろ。ちょっと前に夜食をつまんだばかりだ」
「優越感に浸れる返答じゃねぇな…………」
「どうした?」
黙り込む優希の瞳は、鋭くメアリーを射抜いていた。
不思議に思うメアリー。そんなメアリーを置いて、優希の脳裏にはある言葉が反芻していた。
“君の本当の敵は……その女神かもしれないということだ”――――――――。
優希は今、メアリーに懐疑心を抱いている。
今のところ、メアリーにそれらしい動きは無い。
グランドールと戦っている時も、彼女が味方であったから、皐月は荷台に籠っていた。
オクトフォスルと戦っていた時も、鬼一達に疑われる危険を冒してまで力を使った。
だが、それと同時に彼女は優希に隠していることが多いのも事実。
大事なところは濁してばかりで、その理由はエンスベルとの制約のせいだと言っている。
つまり、現段階では彼女を真意を問い詰めるだけの情報が無い。
結局、優希が今できることは、一つしかないのだ。
「なぁメアリー。俺が復讐を果たせば果たす程、お前とエンスベルの制約は薄れるって言ってたよな?」
「……ああ、それがどうかしたのか?」
「いや、別に……」
どのみち、もう後には戻れない。
優希はひたすら、前に進むしかないのだ。
「明日も早い。お前も寝ろ。夜更かしは美容の大敵だって皐月も言ってたぞ」
そう言って、優希は再び小屋に戻った。
その姿を見送って、彼女の黒真珠のような瞳は月を捉えて、
「そろそろか…………」
彼女の呟きは、藍色の幕のような深い空に溶け込んだ。
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二度寝を謳歌する優希が目覚めた時、朝日は昇り、村の人たちは仕事に汗を流していた。
「あ、おはようございますジークさん」
小屋を出ると、皐月が笑顔で挨拶した。
優希はその笑顔に、慣れた微笑の仮面をつけて、
「おはよう。メアリーは?」
「まだ寝てます。起こしますか?」
「いや、いい。アイツは置いて行くから、ごめんだけど皐月が面倒見てくれるか?」
皐月は首を捻る。
「どこかに行かれるんですか?」
「あぁちょっと。夕方には戻る。メアリーにはメタリカに商談に行ったとでも伝えといてくれ」
伝言だけ残し、優希は竜に乗って颯爽と村を出る。
荷台を引かない風竜種の足は風を切るように駆けていく。
村を出て、風竜種の全速力。
田畑が広がる道を駆け、森の中に入り込む。
樹皮の激しい香が閉じこもる森を駆けていく。
「……ここか」
目的地に辿り着いた優希は、風竜種の背中から降りる。
森を一刀に両断する岩壁。
頭上を見上げても、空に突き刺さらんばかりの高さを優希に訴えかけている。
そして、視点を戻すと、崖が口を開けているように、奥深い洞窟の入り口がそこにあった。
沈んだ湿気のある空気が、優希を通り抜けて外の世界に飛び出していく。
まさしく自然の呼吸をその身で体感していた。
優希は懐から輝石を加工した輝石灯を取り出した。
暗くなると暖色の光を放つ輝石を筒に埋め込み、反射板を取り付けた筒はその光を前方放射するアルカトラの懐中電灯だ。
筒の片側の広がっている口に付けられた蓋を開ければ、温かい光が暗闇に明かりを灯す。
光は洞窟の奥まで伸びるが、それでも暗闇しか見えない程に深く続いていた。
歩く度、背後に感じる外の光が薄れていき、足音が響いて鼓膜を揺らす。
洞窟に続く道は広く、小隊なら軍隊の隊列も組めるほどだ。
地肌は汗をかいていて、鍾乳洞的なイメージを彷彿とするが、自然で出来たものと考えると不思議な感覚だ。
地表は荒いが凹凸は少なく歩きやすい。
強引に何かが通り過ぎたような道が続いている。
時々現れる枝分かれした道も似たような感じだ。
そんな洞窟を進む足は順調に動く。
目的地をはっきりとしている為、枝分かれした道も迷いなく進める。
だが、その足は突然歩みを止めた。
優希が対面するのは二本の道。
だが、優希がその足を止めたのはどちらの道に進むか逡巡した為ではない。
優希は嗅覚を極限までに発達させる鑑定士の恵術【嗅識】を使い、特定の匂いを嗅ぎ分けて進んでいる。
この分かれ道も、続く先の匂いを辿れば進む方向も分かってくる。
右だ。右の道に優希は進みたい。
だが、優希はその道を進む前に【鑑識】を使って右の道を確認した。
優希の視界、右の道に青い光が浮かび上がっていく。
足跡だ。誰かがここを通った足跡が続いている。
それも一人ではない。右の道だけで三人、左の道に一人。
合計四人の足跡を確認する。
【嗅識】は嗅覚を高め、人の有無を確認することは可能だが、確実に特定させるには対象の匂いを記憶する必要がある上、一つの匂いを追っていた優希は他の匂いなどあまり気に留めていなかった。
それに匂いもかなり薄く、いると認識して初めて感じ取れるくらいだ。
【嗅識】の弱点は、マナによって匂いは閉じ込められることだ。
恩恵者は弓兵の【封魄】か希少石の封魄石でマナを消さない限り、マナは自身を包むように溢れている。
勿論【堅護】に比べれば皮のような薄いものだが、それでもそのマナが蓋をして匂いは残りづらい。
【堅護】を使っていれば、それこそ無臭だ。いくら鑑定士でも特定することは出来ない。
つまり、優希以外にこの洞窟にいる四人は全員恩恵者ということになる。
この洞窟は好奇心で探索するような場所ではない。
魔境でも魔界でもないこの場所は、恩恵者でなくても入れるが、こんな所探索するだけ時間の無駄だ。
雰囲気こそ酔いしれるかもしれないが、閉塞感を感じるし、何もないが危険は存在する。
一つは迷う事。枝分かれした道は複雑に絡み合い、迷ってしまえば出るのに時間を要する。
そしてもう一つは、優希が目的としているところにある。
探索して道に迷っている割には、足跡に迷いはない。
それは、相手も優希と同じ場所に向かっていることを示唆していた。
「…………」
相手が優希に感づいている気配はない。
【感索】以外の索敵恵術を持つ恩恵は、獣使、鑑定士、易者。
探索済みの地図でも用意していなければ、その三つの内一つの恩恵者は必要だろう。
勿論、易者で占い筆写師に地図を作ってもらう手もあるが、少なくとも易者は現場近くで恵術を使わなければ、占うことは出来ない。
易者でも、詳しく正確に占うには現地に赴かなくてはならない。
まったく知らない他人を会わずに恵術を行使できないのが易者の弱点だ。
もし、相手に索敵系恩恵者がいるなら、優希も慎重に行動しなければならない。
相手が鑑定士なら匂いを消し、音も最小限にしなければならない。
獣使なら周囲に気を配り、生物を近づけないようにしなければならない。
易者は敵に存在がバレない限りは大丈夫だ。
脳内を整理し、優希は進む。
左の道にあったもう一つの足跡は置いておく。
静かに息を吸い、吐き出すとともに気配を殺す。
自然に溶け込むように、身体から力を抜いて、気配を霧散させる。
〖行動命令〗によって肉体記憶した足音と気配を消す動き。
――――殺すなら……静かに……確実に……
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洞窟の中に伸びる光の柱。
三本に伸びたそれは、すべて同じ方向を照らしていた。
「まだ奥に続くのかよ……なぁもう帰ろうぜ。目当ての物があるかもわからねぇのに行く意味なんてあるのか?」
一人がぼやいた。
紅色のスポーティーなツンツン頭を掻いて、不満げに毛先を整えた青年の不満に、先頭を歩く長身の男の声が響く。
「むしろこの時期しかないのですよ。この洞窟は宝玉龍の住処。道が削られているのは宝玉龍が通った後だからです。そして十年に一度しかない宝玉龍の産卵。その卵は紺碧に輝き、中には莫大なマナを凝縮しています。売れば大金、使えば三日間は無休で戦えるほどの力を得られる魔石。通称、碧卵玉と呼ばれるそれを手にすれば、私達の計画はかなり前倒しになります。分かったら愚痴を言う前に足を動かしなさい」
片目眼鏡と白い手袋、白衣を着た、医者のような風貌の男。
灰色の長髪を後ろでまとめ、金色の眼が先を見据える。
白衣の男の後ろ、不満げな青年の隣を歩く少女。
僅かに青みのある黒髪に、マスクで顔の下半分が隠れている。
白衣の男と比べると身長差が大きく、小柄な印象を植え付けている。
「でもでも、卵を奪ったら宝玉龍? って奴が取り戻しに来るんじゃない? その時はどうするの先生」
彼女の疑問に、先生と呼ばれた白衣の男は不敵な笑みを刻んだ。
「問題ありません。宝玉龍は昼行性で、この時間は太陽の光を浴び天を舞っているところです。戻ってくる頃には私達はいません。卵を奪われた宝玉龍は血眼になって探し、周辺の村や町、都市を襲うでしょうが、それも私達には関係のない事です。仮に見つかって襲い掛かったとしても、その時は殺せばいいだけの話です」
淡々と、罪悪感を感じさせない声で発せられる言葉。
少女は先生の言葉を聞いて、微笑を目に刻んで、
「さすが先生、他人の事を全く考慮しない非情の極み。惚れてしまいます」
白衣の男は表情を緩く崩し、少女の頭を優しく撫でた。
「この世界で生き残るには、他人を切り捨てなければなりません。また一つ良いことを学びましたね」
「はい先生!」
不満げな青年は、この二人の会話を聞いて、不快に表情を歪ませて、
「また始まった…………俺のラリーニがどんどん先生のサイコ脳に冒されていく……」
「私は別にレッグの物になった覚えないんだけど。キモイからやめてくんない」
「そんな言い方…………っん?」
不満げな青年が急に立ち止まり、後ろを振る返った。
「レッグ君、どうかしましたか?」
白衣の男は、不満げな青年――レッグの反応に首を傾げた。
レッグは歩いてきた道を睨み、
「後ろから誰かが来てる。センサーの引っかかり方から俺達の存在に気付いてる。マナの感じから練度はそこまで高くない……と思う」
レッグに言われて、白衣の男は冷静に、
「では、レッグ君とラリーニ君は後ろから来ている方の足止めをお願いします。必要なら殺してしまって構いません」
それだけ残して、止めた足を再び前へ。
二人は白衣の男の背中に、強い返事をぶつけた。
「了解!」
「はい先生!」




