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76・ガントロイト

 ゲルムの天恵は遠く離れた薫にまで届く。

 轟音と衝撃、爆風。

 鼓膜を刺激し、肌を撫でて、髪を揺らす。


「なんだ今の……」


「ゲルムの野郎、派手にやりやがって。どうするよ、あの嬢ちゃんヤバいぜ。助けに行かなくてもいいのか?」


「その方がいい……っていう訳でもないみたいだね」


 薫が思わず笑みを零すのは、天高く舞う大男を見たからだ。

 衝撃が届いた時はどうなるかと思ったが、その心配もないようで思わず気を緩める。


「それにしてもマリン達はあんなところで戦っていたのか。やっぱりマリンと合流する作戦はしなくて正解だったね。さてっと」


 薫は振り返り、負かせた男に問いかけた。


「そういえば名前をまだ聞いていなかったね」


「……シュレイドだ。で、殺さないのは何か聞きたいからじゃないのか?」


「そんなつもりは……いや、ついでだし聞かせてもらうよ。何故姫を?」


 シュレイドは瞳を閉じる。

 額から流れる汗は、記憶を想起した結果だ。

 表情から恐怖や畏怖の念が滲み出ていた。


「俺達は元々、クラリスの誘拐ではなく、雲上街でテロを起こす予定だった。ゲルムの跳躍力と筋力は封魄石を使っても有効なんだ。だから庸人街と雲上街を隔てる壁も優に超えられる」


 庸人街と雲上街を隔てる壁は二十メートル程の高さ。

 これを超えられ、尚且つあの男。クラリスを攫ったのはゲルムであると確信できた。


「計画の最終確認の時だ。俺達の所に一人の少女が現れた」


「少女?」


「あぁ。見た目は七、八歳位のガキだ。顔色が悪く、息切れや咳が目立つ、いかにも病弱そうなガキ……当然、俺達は作戦を聞かれた可能性のあるガキを殺そうとした」


 その時、シュレイドの顔は恐怖で歪められた。

 記憶であるはずの光景が、今にも鮮明に焼き付けられているようで。

 シュレイドの表情から、どれほどの恐怖を味わったのか、追体験した気分になるのは難しいことではなかった。


「俺達の構成人数は四六人。その内天恵使いは四人。ある一人を除いて他の全員が相手にしても、ガキ一人に敵わなかった」


「……こんなこと言いたくないけど、封魄石で恵術を使えなくすれば良かったんじゃないかな? 例えその少女がすごく強い天恵、素質、神器を持っていたとしても封魄石の前では無意味なわけだし」


「勿論そうした。だが、アイツはそんなのじゃ止められなかった。あのガキが使っているのは恵術でも素質でも神器でもねぇ。もっと別の何か……」


 その時薫は一つの可能性が脳裏に浮かんでいた。

 マナを使わず、高い戦闘能力を得る。つまり、権能の可能性。

 薫は思わず、右手の甲を見る。今は何もないが、確かにこの手にアテネともう一度会える為の許可証が刻まれている。


「完全敗北した俺達は言われるがままにガキの作戦に乗った。と言っても奴は作戦の全体ではなく、次の指令、次の指令と段階ごとに命令してたから何が目的かは知らん」


「その子供、少し気になるね」




「カオル、大変だ!」



 薫が考え込んでいると、思考を阻害する一声。

 視線を移すとそこには傷だらけで血がまだ滴るウィリアムが走って来ていた。


「ウィリアム!? その傷大丈夫?」


「オレは問題ない。ブラウンとウルドも今のところ無事だ。それより姫様が消えた!」


「消えた?」


「倉庫にいた男と戦闘になってね。その間に連れ去られたみたいだ。警戒はしていた。だが、オレの警戒を潜り抜けて攫ったみたいだ」


 薫はそのままシュレイドを見る。

 シュレイドは観念したように溜息を吐き、


「おそらくそれはガントロイトだ。組織の中で一番厄介な天恵を持つ。と言っても噂でしか聞かないがな」


「それはどういう……」


「会ったことがねぇんだ。ガントロイトについて知っているのはリーダーだけ。ま、リーダーが言うにはガントロイトは純粋な戦闘能力に関しては大したことはねぇが、敵には回したくない相手だと言っていた」


「天恵の能力は? そのガントロイトという奴は何処にいる?」


 ウィリアムが問い詰めると、シュレイドは面倒くさそうに口を開き、


「だから、奴の情報は俺もほとんど知らねぇつってんだろ。ただ何度か奴の天恵を見たことがある。一つは敵対組織との抗争してた時だ。俺達は不利な戦況の中何とか堪えていたが、それも限界だった。勝利は不可能、撤退出来れば十分なくらいだった。ガントロイトが来るまでは」


 シュレイドは幾つか見た記憶を掘り起こす。

 その時のことは印象に強く、今でも鮮明に覚えている。

 シュレイドだけでなく、ゲルムさえも苦戦を強いられていた時。


「俺達は疲弊している上に、敵は数十人と残っていた。ただ、リーダーはそんな状況でも何処か余裕を持っていたんだ。その時リーダーは唐突に言ったんだ。『ガントロイト、爆破だ』ってな」


「爆破?」


「あぁ、爆破だ。その瞬間、敵の一人が爆発した。内側から膨張するようにだ。血肉が飛び散り、叫ぶことすら、何が起こったのかも分からないままそいつは死んだ」


「敵を爆破させる天恵か。普通に考えれば何らかの準備がいるはずだろうが、それが分からない限り迂闊に行動できないな」


「その力が発動したら一瞬で死んじゃうからね」


 天恵は能力が強ければ強いほど弱点や条件が厳しくなる。

 シュレイドの【死の選択(トートヴァール)】は、分身、空間接続、恵術使用不可の三種類の能力があるが、質問の答えによって変わるので、自分で能力を選ぶことが出来ない。


 ウィリアムの【神威】は相手の意識を奪う、行動不能にするという力だが、自分と相手に練度に大きな差が開いていないと効果は無い。天恵発動後でもシュレイドやゲルムがまともに行動出来ているのはそのせいだ。


 薫の【絶対的優先権アブソリュートプライオリティ】も、自分が欲しいもの、望んだものは薫が最優先される能力だが、使用状況が限られてきたり、マナの吸収は薫の魄籠内のマナが枯渇していないと使えない。


「そうだ。だが、それだけじゃない。奴の能力は一つじゃないんだ」


 シュレイドの言葉に、二人は耳を疑う。

 

「俺が見た限りでも二つ。一つはさっき言った爆破の能力。もう一つは瞬間移動、他の連中から聞いた話じゃ、武器召喚、物体創造……ま、どれも噂でしかないが、俺と同様、他の連中は確かにその目で確認している。それも、自分の正体は現さずにだ」


「その力なら魔導士の【創成】とか【標転】とかじゃないの?」


「それは俺も考えた。だが、魔導士の恵術はどれも準備が必要だ。【創成】は材料が、【標転】はマーキングが必要なようにな。奴はその工程を必要としない。神出鬼没、無から有を生成する」


「ウィリアム、一人の人間が複数の天恵を所持することってあり得るの?」

 

「あり得ない……と、完全に否定できる訳ではないけど、少なくともオレは聴いたこと無いな」


 ウィリアムですら前例、類例のない事実がシュレイドから語られる。

 もしそれが本当なら非常に危険だ。シュレイドだけでなく他の人にも能力を見せているということは、少なくとも天恵発動に必要な条件がガントロイトにとっては取るに足らないということ。


「瞬間移動か……姫様を攫ったのがその力なら、オレも証言者の一人ってことになるね。もしどこにでも瞬時に移動できるとすれば姫様がどこにいるかも……」


「いや、今なら易者で探し出せるかもしれない」


 ウィリアムが暗澹とした表情を浮かべる中、薫だけは一筋の可能性を感じていた。

 

「そのガントロイトって人が天恵を使って姫を攫ったのなら、少なくともその時は封魄石が無かったことになる。ウィリアムの戦闘中に封魄石を移動させて天恵を使ったのなら、今はガントロイトと姫のマナは感知できる」


「だが、移動先の近くに封魄石を置いておけば、今頃マナは消されている。そうなったら感知は不可能だ」


 封魄石の周辺はマナが一切使えない。例えば【標転】でマーキングしている場所に封魄石を置いていたとすれば、マーキングしている場所には行けず、封魄石の効果範囲外で、マーキング地点に近い場所に移動する。

 だとしても、一歩前に歩けば封魄石の範囲だ。そうなれば易者で感知することが出来ない。


「それもどうだろう。もしシュレイドの言っていることが本当ならガントロイトは肉弾戦よりも恵術を主体に戦う。そんな人が自分の戦闘手段を無くすようなことするかな。それに姫の命が目的なら瞬間移動で近づいた時に手にかけてる。誘拐したということはまだ姫の身柄は必要なんだ」


「一人となった今、尚更恵術は身を守る手段となっているわけか。もしそうならガントロイトは相当な手練れと言うことになるな。姫様の練度でも護衛にいるのはあの伝説の超級魔族の死猫――フォルテだ。アイツが何もしないということはガントロイトの強さはフォルテ以上と言うこと。フォルテの腸は煮えくり返ってるだろうけど、下手に刺激しない方が良いからね」


「そうとなれば早く捜索を始めよう。目的が分からない以上一刻を争うことに変わりはない」




 ********************




「ここは……さっきまで倉庫にいたはず」


 そこは教会のような場所だった。しかし、教会と言うには酷く汚い。

 老朽化した建物、壊れた女神像、石材で出来た長椅子はボロボロに壊れて、埃臭く太陽の光がいろんな場所から漏れている。


「ここは西区にあるアリスティア修道院跡だ」


 アリスティア修道院。それはクラリスの記憶に僅かだが存在していた。

 十年前まで存在していた修道院。孤児を引き取り、周辺住人とも交友を広めていたらしい。

 だが、アリスティア修道院長が反乱軍の兵士を助けたことで国家反逆罪の容疑をかけられ、院長含め十五人の修道士が処刑されたそうだ。


 椅子に縛られているクラリスの前。崩れた瓦礫に腰かける男。

 武器らしきものはもっていないが、長い前髪に隠れた眼光の鋭さが細胞の一つ一つに突き刺さる。

 青い髪は長く乱れており、服はボロボロの修道服だろうか。


「おれぁはここで育った孤児でな。この服はお世話になった先生の物だ。先生は悪い人ではなかった。ただ怪我をしている人を助けただけだ」


 その声は怒りを超えてどこか冷めきった声だった。

 資格試験で出会ったレクラムとは違う。彼が溢れんばかりの憎悪なら、彼は圧縮された憎悪。

 

「事実と真実は違う。反乱軍に所属している者を助けたのは事実だ。だが、国家反逆罪を企てていた真実は無い」


「…………」


「おかしくないか? 雲上街の連中は汚職、賄賂の事実も真実もあるのに追及されず、俺達力の無きものは一つの事実が身を亡ぼす。真実を話す時間すら与えられない」


「……目的はお父様へ復讐することと言うことでしょうか?」


「復讐……いや、少し違うな。そのつもりなら既に貴様を殺してその首をグレゴワールに送り付けている」


「では、一体あなたは何をしようとしているのですか?」


「もうすぐここに追手が来る。英雄の金獅子と異世界の勇者だ」


 クラリスは安心と驚嘆の表情に変わる。

 ウィリアムと薫が来るのだ。今まさに拘束されているというのに、これほど安心感を与える存在そういない。


「おれぁそいつらを殺す」


「一体何のために? あなたの心中はお察しします。いや、私程度では推し量れない程哀しかったでしょう。ですが、その件とあの二人は関係ありません。今ならまだ平穏な生活に戻ることも――ッ!?」


 男は突然クラリスの首を掴んだ。

 呼吸が乱れ、打つ経脈が徐々に早さを増していき、クラリスの危機を感じたフォルテが、クラリスの魄籠から現れて男に牙をむく。

 

 だが、男はそんなこと一切気にしない。もう片方の手をフォルテに向けると、フォルテの生存本能が行動を抑止した。

 これ以上近づけば死ぬと。


「いい判断だ。素晴らしい使い魔を使役しているようだな。さて、おれが金獅子と勇者を殺す理由だが、理由は簡単だ。帝国の戦力を減らす為」


「戦力を減らす?」


 男はクラリスから手を離す。

 クラリスは呼吸を整えて、男の話に耳を傾けた。


「おれぁ今、反乱軍の一員でな。あの二人は帝国にとって多大な戦力であり脅威でもある。騎士団、宮廷眷属、帝国軍。その全てに影響を与える金獅子と、異世界から来たという召喚者の一人。これは復讐ではない。ただ反乱軍の思想が正しいと思った。だから殺す」


 男の冷たく無感情に近くなった言葉に、クラリスはどう答えていいか分からない。

 思想の違い。考えの違い。そこに争いが起こることは必然。

 クラリスの思想はどちらかと言うと反乱軍側に近いだろう。だが、彼女は反乱軍に加担しない。力によって手に入れた変革は長く続かないから。


 内部から、力ではなく心で変えていかないと意味がない。

 それがクラリス・シルヴェールの覚悟。


「時間だ……おれぁ今からくる奴を殺す。お前は黙ってそこで見ていろ。黒猫もだ。逆らった場合はさっき仕掛けた首の刻印を爆破する」


 クラリスの首にバラの刻印が現れる。

 深紅の光を輝かせる刻印は、じわじわと熱を伝えて、男の言葉が嘘でないというプレッシャーを与えてきた。



「ここまで堂々と待ち構えられているとは、オレも随分下に見られたね」


「でもそのおかげでここまでこれた。助けに来ましたよ――姫」


 男――ガントロイトは早退する敵を睥睨する。

 黄金の鬣を靡かせる騎士と、聡明な青年。

 金獅子と勇者は、武器庫構える。

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