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72・気高き獅子

 今日も帝都は変わらず人がにぎわっている。

 帝国の姫が攫われたというのに、民は働き、子供は遊び、小鳥は囀る。

 そんな中、とある建物の屋上でうぃ金髪の青年が辺りを見渡す。

 家屋が並ぶ中、目的である武器庫は視界に目立つ。


「今日も平和で何よりだ。さて、この平和を脅かされないうちに片付けますか」


 この距離だとマナが扱えるようだ。

 体内を循環するマナが、金色の髪を揺らす獅子、ウィリアムの意志によって奮い立つ。

 この壮大なマナの波動を感じられる人は少ない。


 ウィリアムが立つ建物の下にいる薫は、全身の細胞が刺激される感触を覚えて、思わずウィリアムを見た。

 それは茅原も同じようで、ただ一言、


「……凄い」


 そう漏らしていた。

 確かに凄いと薫も思う。こうして彼の力を目の当たりにするのは初めてで、ここまでの力だということを認識した時、相当な実力差を感じ取った。


「それじゃ始めようか。みんな準備はいいかい」


 カーリーの【共感】によって遠くにいながらもウィリアムの言葉が伝わり、全員が頷いたこともウィリアムには届いている。

 全員の確認を取れたところで、ウィリアムは少し笑みを刻み、


「それじゃ、東区の皆、申し訳ないけど少し眠っててもらうよ――――【神威(カムイ)】ッ!」


 ウィリアムを起点にマナの波が大気を震わせて広がっている。

 薫はその時、目を疑う光景をその瞳に焼き付けた。

 ウィリアムのマナに触れた人は、次々と気を失い倒れていく。


「恵術……いや、天恵か」


「フック、チハラ、今だ!」


 圧倒されながらも、ウィリアムの言葉で我に返り、茅原とフックが【移転】を発動し、気を失った人々を何処かに移動させる。

 刻まれた刻印が光り輝き、マナが人々を纏い、そして空気に溶け込むように消えていく。




「さあ、救出作戦……いや、殲滅を始めようか」




 ********************




「な、どういうことだ!」


「クソっ! 味方が何人か連れていかれた!」


「なんつう力だ! あんな恵術知らねぇぞ!」


 慌てふためく男が何人かいる。あれが敵だといううことはハッキリとしていた。

 その騒ぎは当然武器庫の方にも伝わっている。


「何が起こった!」


「コホッ、騒がないで……おとなしく、コホッしていて……」


 外の騒ぎに反して、少女は至って冷静でいる。

 現状も、彼女にとっては予想内のようだ。


「最悪、クラリスを人質して――ッガぁ!?」


 少女は突然、跳躍して男の背丈に頭を合わせると、その小さな手が男の顔面を鷲掴みにして、壁に頭部を叩きつける。

 激しい衝撃を受けて脳が揺さぶられ、見た目にそぐわない握力が男の頭蓋を割ろうとする。

 少女の背丈に合わせて男は膝から崩れ、何とか離れようと腕を掴むが、巨大な城を想像してしまうほどに、彼女の身体は微動だにしない。


「勝手な真似は、コホッ、許さない……あなたの仕事は、コホコホッ、数秒後に来る敵をコロすこと」


「わ、分かった分かった! だから放してくれ!」


 必死に叫ぶ男の頭を放して、少女は息切れしながら人形を抱える。

 一連の動きの速さ、体格差のある相手を悶えさせるほどの怪力、そして何より、少女の腕に少しだけ見えた、黒い紋章。


「貴方は……一体……」


「クラリス様!」


 クラリスの視線が少女から自分の名を叫ぶ方に移り変わる。

 クラリスの認識の隙間から通り抜ける矢は二本。一本は少女に、もう一本は今だ頭を抑える男にへと飛んでいく。

 少女は何気ない顔で躱し、男も激痛に耐えながらも飛んでくる矢を掴み一点を睨む。


 倉庫の窓から煙を吐きながら次の矢を向けるブラウンと、その背後で睨みを利かすウィリアムとウルド。


「三対一か……」


 男が頭を振って痛みを払いのけて立ち上がる。

 鋭い視線は、マナが感じることが出来ない今でも圧倒的威圧感を訴えかける。

 

「んで、どうすっよ? お互いマナが使えない今、純粋な実力が求められるわけだが?」


「コホッ、問題ない……貴方ならコホッコホ」


「随分と信頼してくれてんのな。相手は英雄と拳神がいるんだ。いくら俺でも二人同時はキツイ」


「コホッ二人がかりじゃなきゃ、コホッいける?」


 少女の呼びかけに、男はにやりと笑みをこぼして、


「あぁ問題ねぇよ」


 二人の会話は倉庫中に響く。

 

「随分となめられたものだね。オレ達も実戦経験を重視して人選したんだけど」


「本格的な戦闘は久しぶりだが、これでも元は騎士団の三番隊隊長をやっていたのだ。まだまだ若いもんに負けはせん」


「マスターちょっと爺臭い発言はよしてくださいよ」


 こちらはこちらで余裕の会話を繰り広げる。

 クラリスにとって眷属資格試験以来の殺伐とした空気。そこに生まれている彼らの笑みは、経験のいクラリスには理解できないものがあった。


「コホッ、こんなところで時間をかけている暇はコホッない」


「んじゃいっちょ始めますか――――ッッ!!」


 男がそう言ったと同時、一筋の剣閃が男に振り下ろされる。

 刹那の攻撃はクラリスの眼には残像こそ見えど理解が追い付けるものではなく、それをすました顔で手で受け止める男もまた、只者ではないと察した。


「これは……割と本気だったんだけどね」


「騎士団長の一撃がこんなものとは……こりゃ二人がかりでも大丈夫だったかな~」


 摘まむように受け止められた剣は、ウィリアムが力を入れても動かない。決してウィリアムに力が無いわけではない。相手がウルドのような巨漢ならともかく、男はウィリアムと体格はそう変わらない。


「いや~俺ってこんな強かったんだな。昂ってるせいか身体の底から力が溢れてくるぜぇぇ!!」


「――ッな!?」


 男は剣ごとウィリアムを振り回し、ウィリアムを壁に叩きつける。

 頑丈な倉庫の壁にクレーターが出来るほどの力で叩きつけられたウィリアムは、マナが使えない身体でその衝撃を受け止めて、肺から空気が吐き出される。


「どうしたどうしたこんなもんかアァァ!!」


 叫ぶ男にウルドの巨拳が襲い掛かる。

 空気が破壊される轟音を響かせて、男がガードしようと盾にした左腕にめり込んだ。

 確かな感触はあった。しかし、男の腕が巨大な建築物と錯覚してしまうほどに微動だにせず、衝撃を全て受け止めてなお、男は笑みをこぼしていた。


「まだまだ若いもんに負けんだって? この程度で良く言えたもんだなぁオイ!!」


「――ぐぉあっ!?」


 男の拳がウルドの鳩尾を打ち抜いた。

 血を吐きながら、ウルドの巨漢は浮き上がり、すかさず男の蹴りがウルドの側頭部に衝撃を与える。


 その一瞬の隙をつく矢が男の死角から伸びるが、男の昂った気に比例した感覚はとても鋭く、視点を変えることなく背後の矢を掴む。


「おいおいマスターと金獅子を相手にバケモンかい?」


「ホント、何で今まで気付かなかったんだろうな。この俺があの英雄と拳神相手にここまで圧倒できるとはよォ!!」


「ッ! ――――がぁっ!?」


 男は矢を投げ放ちブラウンの脳天を貫かんと迫りくる。

 間一髪、頬にかすり傷を残しながら躱すが、一瞬の焦りと動揺で生まれた隙に付け込んで、男はブラウンの背後の周り、頭を掴むと地面にたたきつけた。


「コホッ、ここは任せても大丈夫、コホッだね」


「あぁ問題ねぇよ。何処か行くのか?」


 男は地べたに這いつくばるブラウンを蹴り飛ばして少女に問いかける。

 少女はウィリアム達が突入した割られた窓に足をかけると、


「コホッ、少し外に興味がコホコホッ、あって」


 それだけ言い残して少女は消えていった。

 男は大きなため息を零して、

 

「ホント、あのガキは何考えてっか分かんねぇな。そう思うだろ金獅子さんよォ!」


「ッく!?」


 ウィリアムが背後を取って剣閃を叩き込むが、それすらも読んでいた男はウィリアムの攻撃よりも早く蹴りを繰り出して、ウィリアムを強制的に守りに回らせる。

 ここまでの実力差を感じさせるほどの年齢ではない。マナが使えないこの状況で、彼の身体能力は常軌を逸していた。


「君は何者だい? オレも騎士団に入ってから結構な敵と相対してきたけれど、君のような存在は見たことが無い。君は本当に人間かい?」


「人を化け物扱いとは失礼な奴だな。ま、俺も驚いているんだけどな。身体の底から力が溢れてくるんだよ。気の高ぶりがここまで潜在能力を引き出すとはなぁ!」


 男は大きく緋見込んで、ウィリアムとの間を詰める。

 男の重い一撃がウィリアムを防戦に回らせる。拳と剣がぶつかり合い、先に悲鳴を上げたのはウィリアムの剣の方だ。


 帝国の英雄から苦辛の表情が現れる。

 マナが使えないこの場所で、ウィリアムとウルド、そしてブラウンと言う実戦経験に長けた人選が最善であることは確かだ。それでも三人がここまで苦しめられるとは、何か種があると考えるが、今のウィリアムにその思考を巡らす余裕などない。


「オラオラどしたァァ! 英雄と言ってもこの程度かァア!!」


「く――ッそ!!」


 苦し紛れに一撃を叩き込み、それは男に確かな感触を与えた。通常なら失神、悪ければ首の骨が折れても不思議じゃない威力だが、男には痛覚が無いのかと思えるくらいの笑みを刻んでいた。


「これが英雄の蹴りか……全く効かねぇなァ!」


 すかさず蹴り上げた足はウィリアムの顎を蹴り上げて、鋭い衝撃に脳が揺らされる。

 

 口の中に滲む血の味。何時ぶりだろうか、これほどまでの痛みを感じたのは。

 今まで苦戦を強いられる敵はいた。それでもウィリアムは獅子の魂を持つ気高き騎士だ。

 どんな敵が現れようとも、どんな状況下でも余裕の笑みを刻んでいた。

 しかし、今相対する敵は獅子を子猫のようにあしらう敵だ。


 骨が軋む。筋肉が痛む。血の感覚が頬を伝う、口の中を巡る。

 意識が遠のき、痛みに鈍感になっていく。

 徐々に無の感覚になっていく世界の中で、金獅子の英雄は誰かの声を聴いた。

 

 最後まで抗え――――“獅子の子よ”


「さすが騎士団長、まだ立つとはなぁ。そこのおっさん二人とは違ぇわ」


「貴様如きがオレ様に賞賛の言葉を贈るなどおこがましいぞ」


「……アァ?」


 男の笑みは疑問の表情に変わる。

 血だらけになり、今にでも死にそうな獅子から、耳を疑う言動。

 立ち上がる傷だらけの獅子は、剣を投げ捨て、腰に据えたもう一本の剣を抜いた。

 男の目に映るのは、誠実な騎士でも、気高き獅子でもない。


「……まるで怪物じゃねぇか……こりゃぁよ」




「さぁ始めるぞ――――拷問の時間だ」




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