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66・過去の言葉

 泣いている。あの鬼一が、泣いている。

 一人の少女を抱きかかえて泣いている。憎む相手はもういないと思っている。だから彼は泣いている。感情を吐き出して。

 それを見て、優希は――


 …………つまらない。


 〖思考命令(マインドプログラム)〗の効果が切れた理由。やはり、しっかりと心を折らないとちゃんとした洗脳が出来ないのか。

 

 冷静に、冷酷に、雰囲気に感情を溶け込ませることなどせず、能力の分析を優先させる。

 終わったことに興味はない。今、優希が興味を持つのは、今後の為の情報と、目前の標的。


 期待していた展開とは違うが、まあいい。


 優希は皐月の意識がまだないことを確かめる。

 自分の非力さを感じながら気を失った彼女は、自責の念を表情に浮かべたままだ。

 

「……この調子なら、暫くは目が覚めないな」


「……何を言って」


 湧き上がる激情に身を任せて慟哭する中、鬼一は冷たい声を聞いた。

 興味がない。そう言っているような冷たい声が、信じられない相手から聞こえた。

  

「さて、これからどうしたものか。計画を変えた以上、元の計画には戻せないしなー」


「お前は一体……」


 鬼一を見ながらぶつぶつと呟いて考え込む白髪の少年。

 緋色の瞳は冷たい感情を持って鬼一を射抜く。

 もう、何を信じていいか分からない。一体、本当の敵が誰なのか分からない。


「殺す……いやこれは大前提として、どうやって殺そうか」


 もう心の内を隠す気など今は一切ない。

 殺すのは確定。不意打ちで殺したところで意味がない。心を折り、屈辱を与え、絶望の中で殺さないと意味がない。


「お前は……なんなんだ」


 鬼一は優しく花江を寝かせる。

 そして、“蒼月”の鋭い剣先を優希に向ける。

 それは明らかな敵意を持った上での行動だ。


「俺? ()は敵だよ、お前のな」


「……さ、桜木!?」


 雪色の髪が黒く染まり、緋色の瞳は漆黒に染まる。

 眼つきは鬼一の知っている優希ではないが、容姿は完全に桜木優希。

 立て続けに鬼一を襲う混乱は、逆に彼を冷静に戻す。


 優希の目的に心当たりはある。自覚はしている。あの時はただただ憂さ晴らししたかっただけだが、それでも自分がやったことはやりすぎだったと認めている。

 だが、それでもここまでやられる筋合いがあるのだろうか。


「全部……お前が仕込んだのか?」


「ああ」


「一夏の時も」


「ああ」


「瑠奈の時も」


「ああ」


「哀の時も」


「ああ。ま、自決するのは予想外だったけどな。こんな事ならアイツの天恵を貰っとけばよかったよ」


 今までの事態が、全てこの男によって仕込まれていた。

 学校でのことは申し訳ないという気持ちよりも、今の鬼一の中で渦巻く感情はどす黒い憎悪。

 刀身が震える。朱色に染まる手が、力強く“蒼月”を握りしめる。


「悪いが、俺はお前を許せそうにない」


「安心しろ。許してもらおうなんて思ってない」


 剣士の鬼一と鑑定士の優希。練度差はそこまで広くないが鬼一の方が上。

 普通なら優希の勝ち目は薄い。だが、それを補うほどの能力を優希は持っている。

 鬼一は“蒼月”を腰に納める。鞘が無い為刀身を晒したまま腰に添える。

 抜刀の構えではない。それは敵前とは考えられないほどに脱力した体勢。 

 隙だらけの鬼一は無防備――――


「そんな見え見えの手で近づくと思ったか?」


 優希の言葉は一瞬だけだが鬼一を動揺させる。

 そんな彼に全てを見透かしたかのような不敵な笑みを浮かべた。


「お前の天恵は【抜かずの太刀】。意識下で振った斬撃を現実世界に反映させることが出来る。簡単に言えば妄想の太刀を現実に干渉させるものだろ」


 オクトフォスルの水弾は、鬼一の目の前で霧散していた。

 それが鬼一の天恵。彼が意識の中で一太刀振れば、現実の鬼一が仁王立ちで微動だにせずとも相手を斬ることが出来る。

 つまり鬼一は、現実の剣と妄想の剣の二刀流ということだ。


 近づけば察知できない斬撃が襲い掛かる。

 鬼一には遠距離からの攻撃が有効だ。なら、優希には無理だ。鑑定士の優希に遠距離攻撃など存在しない。否、遠距離攻撃が出来る武器を手に入れているではないか。

 優希はバッグの中から武器を取り出す。重々しい雰囲気を放つ棍棒は【質量無視(ポンドネグレクト)】で質量を無くしている。

 この天恵の効果はバッグの中に入れていればバッグの質量としてカウントされ、バッグに天恵を使えば中の棍棒なども質量を無くすことが出来る。

 

 “星返の棍棒”。体躯が小さいクーリアスが使えば大きく感じるが、優希が使えば小ぶりなこの棍棒は、あらゆるものを撃ち放つ能力があり、それは物質じゃなくてもいい。


「よっこらせッ!」


「ッがは!?」


 超重量武器をバッドのように振り抜く。

 凄まじい破壊音と共に空気の衝波が弾丸となって鬼一の腹に抉り込む。

 【堅護】を纏う鬼一には決定的な攻撃力ではないが、それでも有効なダメージのはずだ。

 本来なら内臓を潰されていても不思議ではないが、そこまでいかないのが鬼一の【堅護】の硬度だ。


「ほらほらどんどん行くぞ!」


 空気の弾による千本ノック。

 微弱だが、確かなダメージを蓄積していく。

 鈍い痛みが、骨と筋肉に染み渡る。躯幹から伝わる衝撃は、筋肉の筋を断ち、骨を砕き、膏肓にまで衝撃を与える。


 ヤバい。なにこれ………………超楽しい。


「フフッ、アハハ、アハハハハハッ!!」


 何度も何度も、優希は鬼一に空弾を浴びせる。

 あの鬼一が手も足も出ない。それは途轍もない優越感を優希に与えた。


「あんまり。調子に乗んな!」


 何度も攻撃を受けると、流石に空弾の軌道が分かってくる。鈍痛に耐えながら優希との距離を一気に詰めてる。

 近接戦に持ち込めば鬼一の方が有利。それはおそらく優希も承知。だから優希は後方へ移動して距離を空けようとするだろう。


「【米利堅(メリケン) 破】!!」


「ぐがぁッ!」


 しかし鬼一に対して優希は自ら距離を詰める。

 一度死んでも問題ない優希は、思い切った行動に一切の逡巡を見せず実行できる。その対応に鬼一は動揺から反応が少し遅れる。それは妄想の剣を振るうことすら出来ないほどの心の揺らぎ。それを逃す優希ではない。

 棍棒の一振りよりも、素手による突きが有効な間合い。

 武闘家の恵術を使える優希は、鬼一の顔面に強烈な一撃を叩き込む。


 脳が揺れる一撃を食らって、鬼一は顔に引っ張られるように飛んでいく。

 下の水蓮石の橋を一つ破壊して、更に下の端に身体を打ち付けた。

 衝撃に肺の中の空気が押し出され、視界が揺れる。歪む。

 

 優希は鬼一のいる橋へと降りる。

 まだだ。こんなもので終わってしまったらつまらない。

 この昂りを、この感覚をもう少しだけ味わいたい。


 それはもう竜崎と同じだということを今の優希は気付かない。

 優越感を得るために必要以上に痛めつける。人格を歪められたせいではない、これが内に秘められた優希の闇なのだろうか。

 

「ぐ、がはぁ。はぁはぁ……」


 “蒼月”を杖代わりに立つ鬼一は満身創痍だ。

 血反吐をぶちまけ、軋む身体が命の危機を警告している。

 

「武闘家の……恵術……どいうことだ……」


 優希の恩恵は鑑定士のはずだ。それはクラスメイトの誰もが周知する事実。

 だが、優希は武闘家の恵術を使った。一人が二つ以上の恩恵を持つことなどあり得ない。素質持ちなら話は別だが。


「このっ!」


 棍棒を揺らしながら近づく優希。無警戒、無防備、なめきっている。

 そんな優希に、思い通りに動かない身体を、下唇を噛んで喝を入れる。

 荒々しい踏み出し。気力だけで動かしている状態。精神的ダメージが身体の動きを鈍らせて、畳みかけるようにダメージを与え続ける。


 普通に戦えば優希の勝機は確実なものではない。

 攻撃のチャンスを与えない。戦いではなく、一方的な暴力へと持ち込む。

 遅い。これがあの鬼一翠人なのか。


「――――ッ」


「がぁっ!」


 もはや天恵を見せつける素振りすらない。

 顔面への一撃が思いのほか有効打のようで、天恵を扱えるほどの集中力を保持していない。ましてや、鬼一の天恵は集中力がカギ。

 それが失われた彼は、優希にとって警戒に値しない。

 “星返の棍棒”を使う必要もない。


 直接――


「がぁ!」


 この手で――


「ぐぁがっ!」

 

 殴って――


「はぅぐ!」


 痛めつけて――


「ぇがぁ!」


 ――――屈服させる。


 もう立つことはおろか、意識すら手放そうとしている状態。武闘家の恵術は使わない。少しでも生きて苦しむようにあくまで【強撃】で痛めつける。

 何本も骨が折れ、内臓は潰されて、恩恵者の生命力が今は恨めしく感じている頃だろう。

 何時しか優希が体験した感覚を、今度は鬼一が体験している。


「殴る行為は殴った方にも相応の痛みがあるって言うけど、その感覚は分からないな。それは心が痛いのか、肉体が痛いのか……今の僕には分からないな。お前は分かんのか」


 意識朦朧としている鬼一に問いかける優希。能力の代償に失った痛みの感覚は、心の痛みにも影響するのだろうか。今の優希に確かめるすべはない。

 返事がない鬼一に優希は眼を背ける。もう立ち上がる気力もないだろう。そう判断したのだろう。

 だがそれは、早すぎる油断。


「ぁああああああッ!!」


 背後から“蒼月”の一閃。

 忍び寄る気配もない。大声で自分に気力を注ぎ込み、一撃に全てを込める。

 優希はその一撃を棍棒で防ぐ。“蒼月”と棍棒の接触に激しい衝撃を予感するが、一向に衝撃が伝わらない。

 棍棒と“蒼月”がもう触れ合ってもおかしくないはずだ。しかしその感覚は無い。それもそのはず“蒼月”は棍棒にめり込んでいる。というより、すり抜けている。

 斬りたいものだけを斬る能力がある“蒼月”。つまり棍棒を斬らずに、優希を斬ることが出来る。

 

 優希の腹部を横一線に斬り裂いて、鮮血と腸が姿を見せる。

 鬼一は勢いをそのままに、倒れる優希とすれ違うように転げる。

 流石の切れ味。勝利を確信し、鬼一は“蒼月”を水蓮石に突き刺して膝たちの状態で息を切らす。

 

 その背後には、棍棒を振りかざす黒髪の男。


「――――ッ!?」


 後頭部に強い衝撃。

 死の境地にいる鬼一の感覚は鋭く、意識か無意識か頭部に最大限の【堅護】を仕掛ける。

 それでも鬼一には、頭蓋を割られ、脳を抉られるような感覚。

 全身に力が入らない鬼一は、衝撃に耐えられず顔面を地面に叩きつける。

 柔い水蓮石にクレータを起こす鬼一の頭部が淡い光に朱色を加える。


 一体何が……。

 手応えは確かにあった。奴は死んだはずだ。なのに何故、今も奴は立っている。俺に攻撃している。 

 遠のく意識に浮かぶ疑問の数々。しかし熟考できるほど時間も血も足りない。

 

 全身に力が入らず、うつ伏せに倒れ込む鬼一。

 優希は鬼一の頭の傍で蹲踞して、鬼一の頭を掴んで無理やり目を合わせる。


「なぁ今どんな気分なんだ。後悔してんのか? 怨んでんのか? それとも全てを受け入れてそこに転がるアイツみたいに死ぬことに満足感を抱こうとしてんのか?」


 大切な人を守るために自ら命を絶った一人の少女を指す。

 返事を返す気力すらない。口内は血の味が染みわたり、口を開けると乾いた空気が刺激する。

 命乞いの言葉どころか、激昂すらしない。

 そんな彼に優希の緋色の瞳が、異様な歪みを見せる。


「覚えているか? あの時提案していた罰ゲーム。お互いにやりあって一本取られた方が一つ言うことを聞くってやつ」


 優希が散々苦しめられた罰ゲーム。

 薄れゆく意識の中で、鬼一は過去の記憶を呼び起こす。


「結構打ち込んだけど、これ何回分の罰ゲームなんだろうなぁ。ま、俺としては一個だけで全部チャラにしてやってもいいかけど」


 どこかで聞いたことがある台詞。

 

「俺さ、一度でいいから土下座してもらう気分を味わいたいんだ」


 あ、そうか。これは俺が言った台詞だ。


「アイツら死んじゃったけど、まだ生き返らせる可能性はある。つまらないプライドは捨てたほうがいいと思うぞ」


 生き返らせる? そうだ、まだ可能性はある。西願寺が言っていた可能性が。

 みんなを生き返らせなければ。それが、アイツが自ら命を絶ってまだ生かせてくれた俺の義務だ。


「……ぁ……はぁ……っ」


 少しずつだが、身体が動く。

 プライド? 知ったことか。俺はどうしても生き残らなくてはいけないんだ。生きて、アイツらを、哀達を生き返らさなければならないんだ。


「ぉ……ねがい、し、します…………俺、が、悪かったから……た、すけて、ください」


 気力を振り絞り、全身の痛みに耐えながら、何とか言葉を血反吐と共に吐き出した。

 屈辱感など感じていられるほど余裕はない。今はただ生き残ることに必死だった。

 友人を死に追いやったこの男を許すつもりはない。だが、それでも今は、この男にただただ根源するしかないのだ。


 謝るから助けてくれと。

 

 優希にとって竜崎に近いほどの恐怖を感じていた鬼一翠人が、助かる為、必死に額を地面にこすりつけている。

 無力で、醜い。こんな男に恐怖を抱いたいたことが今では信じられない。

 古家柑奈もそうだった。助けられた分際で、死を受け入れていいはずがない。

 惨めでも、醜くても、生きていかなければならない。

 だから彼も、こうして命乞いをしている。


 優希は鬼一の頭を再び掴む。

 水蓮石に擦り付けた額は無理やり剥がされて、頭部に感じる圧迫感。

 ボールでも掴むかのように頭を持ち上げられて、鬼一は再び優希と目を合わせた。


 冷たい視線。異様な笑み。

 恐怖を刻み付ける要素を全て含めている顔つき。

 本当にあの桜木優希なのかと疑うくらいに、今の優希は不気味で、異質で、恐ろしい。


 傷口から血が噴き出る。鼻血は止まらない。歯も何本か折れて血の味の中にころころと硬い感触を舌で感じる。

 充血した瞳は、世界を赤色に染め上げる。

 傷だらけの鬼一翠人。そんな彼に優希は今までに受けた屈辱も、悔しさも、痛みも、悲しみも、溢れる負の感情をすべて込めて言い放つのだ。

 ――――脳裏に焼き付けられた過去の言葉を。





「 い・や・だ・ね 」





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