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34・包帯の男

 

 帝都とノマルドは間の山を境に大きく環境が異なる。

 ノマルドは完全なる湿原地帯で、山頂からその姿を眺めた時、樹海を彷彿とさせる。


「さーて、霧が出る前に終わらすわよ!」


 後ろにいる優希達を鼓舞して前進する柑奈。

 春樹は地図を開いて現在地とノマルドの安全ルートを把握する。


「一応テイミーには上空から俺たちの位置を把握してもらっとく」


 最上が合図を送ると空色の毛並みをしたテイミーは、上空へと飛翔する。

 密林の屋根を超え、その姿は優希達には視認できないが、森の中を響く高音の鳴き声。


 優希達はテイミーが近くにいることくらいしか把握できないが、契約主の最上はしっかりとテイミーの場所を把握している様子。

 遭難しなければ問題ないといっても、遭難すれば大問題だ。

 念には念ということで、遭難対策をいくつか講じる。


 右を向いても左を向いても似た光景が続く。

 腐っているような樹木が並び、苔や草などが視界を一面緑に染める。

 水分を多く含んだ凹凸の激しい大地を踏みしめながら歩いていき、空気は湿っぽく、足元には虫が行き来する。


「いやぁあ、ちょっこれとってとってぇ!!」


 いきなり騒ぎ出すのは、足に複数の虫を付けた最上だ。

 先ほどまで落ち着いた雰囲気を出していたのに、今ではその影は全く見せない。

 それに、一人パニックに陥る最上を柑奈達は慌てる様子もなくただ笑う。これが彼女らの日常のようだ。


「キュルゥッ!」


 そんな最上のSOSに真っ先に駆け付けるのは、契約獣のテイミーだ。

 上空を飛行していたテイミーは、獲物を見つけた鷹のように最上のもとに飛んでいき、足についた虫たちを一瞬で捕食する。


 その光景を何事かと見ていた優希達に、春樹は軽く笑いながら、


「騒がしくしてすまんな。アイツ虫が大の苦手でな、今回の依頼もかなり渋ってたんだ」


「別に構わないですけど、あんな調子で大丈夫ですか?」


 最上の虫嫌いは知っていた。

 そして、ノマルドは虫嫌いの人は絶対に行きたくない場所だ。

 落ちている朽木を退かせば、大領の百足や蟻が足元を通り過ぎ、魔族もすべて虫の姿をしている。

 骨百足もまた、名の通り百足だ。

 虫好きなら天国かもしれないが、虫が嫌いでない人も抵抗を感じる場所だ。


「ま、健はやるときはやる男だから心配ないよ。今回もなんだかんだついてきてるしね」


 優希が抱える不安要素を取り除こうとするのは、ツインテを揺らす燈だ。

 ただ、家にゴキブリが出た時気を失ったというエピソードを知っている優希は、その弁明も疑わざるを得ない。

 

 最上にとりつく虫たちを捕食し、可愛げにゲップをした後テイミーは再び上空へ。 

 最上はほっと胸を撫で下ろして、テイミーに御礼を言う。

 その光景を見て、メアリーは感心する。


「にしてもしっかり躾けてあるな。あの小竜は何なんだ?」


「テイミーは低級魔界にいた天空竜の子供でね。どこからか拾ってきたみたいなの」


「天空竜……か」


 西願寺が最上とテイミーの関係を話すと、メアリーは意味深に呟く。

 天空竜は超級魔界エアルキアに生息する竜だ。穏和で知能が高く、人間の言葉を話すことができると言われている。

 天空竜の子供が低級魔界にいたことも気になるが、そもそも天空竜の子供を勝手に連れ出して大丈夫なのだろうか。

 まぁ、最上がテイミーの親の逆鱗に触れてどうなろうと知ったことではないが、今襲ってこないことを願う。

 さすがに天空竜は優希の手に余る。対人ならともかく怪物は相手にしたくない。優希は破壊力のある攻撃手段はもっておらず、攻撃力が全く足りないのだ。


「さぁ馬鹿やってないで早くいくわよ~」


 どの時も先陣を切るのは柑奈だ。

 彼女の言葉は一区切りつけ、全員ノマルドの奥の方に進んでいった。

 そして、優希達は順調に白髄を集めていく。


 骨百足は名前の通り全身を骨だけの百足だ。

 骨は汚れているため薄茶色で、骨と骨を繋ぎとめる筋肉は動くたびに生々しく動く。

 大きさは普通の百足と比べてやや大きいぐらいで然程変わらない。 


 白髄はその体の頭部に存在する。

 ただ、生きている時は、白髄の硬度は低く、傷付きやすい為、収集はまず頭部を傷付けないように倒して、あとから頭部を切り離すということになる。

 

 柑奈達は手馴れており、各々恩恵に合った方法で骨百足を捉えていく。

 最上も嫌々ながら【痺調】を使って近づかないように骨百足を無力化する。

 優希とメアリーはただただその様子を見ていた。


 柑奈達は優希を警戒していないようで、遠慮なく恵術を使用する。

 そのため、誰が何の恩恵を持っているかはすぐに分かった。

 唯一分からなかった柑奈の恩恵は、右手人差し指につけた指輪を武器にしている魔導士。それ以外は所持している武器に見合った恩恵だ。

 全員天恵は宿っていないようだが、それでも練度は優希よりも上だろう。



「ふぅ、この辺の骨百足は大体狩ったかな」


 額の汗をぬぐいながら釘町は周囲に骨百足が生息していないことを確認する。

 木の裏や地中なども探してみるが動く骨百足の姿はどこにもない。あるのは頭部のない骨百足の死骸のみ。


「じゃあちょっと移動しよっか。まだ時間もあるし、今日中に終わらせたいしね」

 

 恵実の提案に柑奈達は合意する。

 骨百足は数多く生息しているので、狩りきるということはまずないだろう。

 ちょっと移動すればまたわんさか湧いてくる。



「そこの方々、少しよろしいですかな?」


 柑奈達の足を止めるのは、布で籠り掠れた男の声。

 特に反響している様子もなく、声主は堂々と目の前に立っていた。

 ボロボロの服やマント、顔は布で覆われて、唯一見える肌は目の周りだけだ。

 腐った眼下のただれた皮膚が、男の不気味さを醸し出している。


「アンタ誰よ?」


 警戒しているのだろう。柑奈達はそれぞれ武器を手にする。

 男はその対応に恐れるどころか、それが当たり前と言いたげな感じだ。

 男は両手を挙げて抵抗の意志がないことを示す。マントによって隠れた身体が両手を挙げることによって初めて見える。

 全身包帯に包まれて、所々血が滲んでいる。

 

「名乗る程の者ではございませんよ。ただねぇ、こっちも依頼で来てるんでさァ」


 男は両手を挙げたまま、人数を確認する。


「七人……いや九人」


 不気味に呟く男の言葉に違和感を感じたものは少なくない。

 柑奈達は全員、男の位置から見えるはず。

 なぜ最初は七人と数えたのか。

 だが、数え忘れだと思い深く考える者はおらず、なぜ男が最初に七人と言ったのか、理解できるのは二人だけだった。


「……」


 メアリーは優希を横目で見る。

 いつもならこういう場面に出くわした時、警戒しているのか鋭い眼光を向けるはずなのに、今の優希は落ち着き、この状況を予見していたかのような表情。

 メアリーは男に言う依頼者は優希であることを理解する。


「何なのよアンタは。カンナ達は今急いでるから用があるなら早くして」


 黙り込んだ男に嫌気がさしたのか、柑奈は焦らせるように言った。

 それでも男は黙り込んだ状況を変えようとはしない。

 不気味で張り詰めた空気が続く。


「あと五秒やる。何か用なら話せ。無いなら早急にオレたちの前から消えろ」

 

 春樹はその身体と同サイズの弓を構えて、鋭く巨大な矢が男の脳天を捉える。

 得体の知れない人物におめおめと時間を与えるほど、今の柑奈達はお人好しではない。

 ここにいる以上恩恵者であることには確実。時間がかかるが強力な恵術が使われないとも限らないのだ。

 春樹は五秒、男の耳にも届くように数え始める。

 それでも男は動かない。喋らない。


「……」


 沈黙と不動を貫いたまま、坊垣内の矢先を見る。

 睨んでいるわけではない。むしろ、そこらの樹木と変わらない、ただのオブジェクトでも見るかのような表情だ。


「一、ゼロ……貴様を敵とみなす。死んでも恨むなよ」


 坊垣内は引いた矢を離す。

 弾性に従い矢は風を切って男の頭に――


「なっ!?」


 命中することはなかった。

 男はホールドアップしていた手をようやく動かす。

 迫る矢を難なく掴み、そして矢先を坊垣内の方に向けると、そのまま矢を投げ返した。


 軽く放ったはずなのに、矢は坊垣内が放った時と同じ速度で持ち主の脳天へと戻っていく。 

 坊垣内は反応が遅れ、気付けば目前にまで矢が迫っていたが、釘町が剣で矢を切りつける。


「悪い、助かった」


「油断すんなよ。魔界にいるってことは少なくとも練度三千は超えてるんだから」


 男の抵抗をみた柑奈達は武器を本格的に構え、臨戦態勢を整える。

 釘町と燈が先頭に、健がテイミーを呼び戻して二人のアシストの役割を持ち、その後ろから弓兵の春樹と恵実が男をけん制する。そして魔導士の西願寺と柑奈が回復や能力向上などチーム全体の支援を担当する。


 洗練されたチームワークを崩すことは困難だが、男は数の差など何のそのと言わんばかりに、落ち着いた口調は変わらない。


「敵視とはなんとも心地よいものですなァ。」


 男は奇怪な笑い声を挙げながら柑奈達に迫る。

 釘町の剣戟も燈の槍術もかわし、隙あらば攻撃を加える。

 集中を阻害するように放たれる矢は先ほどと同様に掴んでは放った本人に投げ返す。

  

 テイミーのブレスは、男に届く前にマナの壁に阻まれる。

 全員西願寺と柑奈によって能力は底上げされているはずなのに男には届かない。


 優希は宮廷眷属のカナリアと対峙した時を思い出す。

 どれほど策を講じても、どれほど警戒しようとも、圧倒的実力差を見せられたあの時を。


「そろそろですなァ」


 男は戦闘の最中だというのに余裕そうに呟いた。

 そして、蹴り飛ばした釘町と燈は他所に、男は視界から消えるように変則的且つ高速な身動きで、健、テイミー、坊垣内、恵実、柑奈、西願寺、優希、メアリーに触れる。攻撃ではない。単純な接触。

 痛くもなければ痒くもない。

 そして――


「……【標転】」


 男は掠れた声でそう呟く。 

 すると男に触れられた部分に魔法陣が展開され、虹色の輝きを放つ。

 【移空】は空間ごと移動させるが、【標転】は対象者だけ転移させる。標的に触れマナの刻印を刻む必要があるが、無駄なマナを必要せず、【移空】よりも使い勝手は良い。


 優希達はその恵術を知っていたのか、しまったと言わんばかりの表情でマナの刻印を抑える。

 だが、今更そんなことをしたことろで恵術が消えることはない。

 遅めの後悔をしたまま、柑奈達は全員七色の光に包まれた。


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