29・決着
セフォントはバッドを青空に掲げたまま静止する。
背後から聞こえた声がセフォントの動きを止めたのだ。
セフォントはクラッドに止めを刺すのを中断し、首だけ振り返って声の主を確認する。
綺麗な金髪が風でなびき、赤い瞳はしっかりとセフォントを睨みつけていた。
「よりによってこのタイミングで来んのか……」
「これでも結構遅れたほうだよ。ルイスが意外と手強くて予定より遅れちゃった。クラッドには後で謝らないと」
亜梨沙は心配そうに倒れているクラッドを見つめる。
セフォントは彼女の登場に再び笑みが消える。正直今一番会いたくない相手が現れたのだ。
クラッドとの戦いで予想以上に消耗しており、今の状態で亜梨沙と対峙して果たして勝てるのだろうか。
本能に従い血の騒ぐままに戦いを好むセフォントが、この試験で初めて警戒心というものを覚えた。
「さてと、とっとと終わらせてクラッドの手当てしないと」
屈伸運動で体をほぐす亜梨沙に、セフォントは首だけでなく体を亜梨沙に向けた。
本気で戦うに値する、いや、本気でいかなければやられる相手だからだ。
クラッドの時のように、素手には素手というわけにはいかない。槍のない槍兵と消耗している剣士。
条件だけ見れば互角に思える。
「すぅ……はぁ……行くよッ!」
呼吸を整え、亜梨沙が一歩踏み出す。そして――
消えた。
「何っ!?」
セフォントは周囲を一瞬で見渡す。
視界に彼女の姿はなく、背後に人の気配が突如現れた。
「ぐがぁっ!!」
だが、その気配を感じた時には遅かった。
横腹を抉るような衝撃が走る。
胃液をまき散らしながら、セフォントは家屋に激突する。クラッドの【米利堅】など子供の攻撃にすら感じてしまう重い一撃は、セフォントにその身で一直線に並ぶ家屋を次々と破壊していく。
槍兵の彼女が捉えられないような素早さを見せたのは納得できる。だが、この破壊力は武闘家並みだ。
それもそのはず、亜梨沙はルイスを相手にしているときに天恵の威力をかなり上げていたのだ。
彼女の【限度知らずの身体能力】は、時間が経てば経つほど身体能力を引き上げる。
つまり、彼女と戦うときは持久戦より先手必勝なのだ。それを分かっているセフォントも当然、亜梨沙の天恵が威力を増す前に終わらせようとしてくる。なら、前哨戦で上げれるだけ上げておけばいい。
「ふぅ……」
その分、彼女の体力も限界に近づくため、今後の戦いなど無視した作戦なのだが。
セフォントが勢いを無くす頃には再起不能となっていた。
それから数分。
「……ん、んぁ?」
ゆっくりと瞼を上げ止まっていた時間が再び流れ始めるのを感じたクラッドを最初に迎えたのは燦々と輝く太陽。目を細め青空の中、存在感を見せつける太陽を瞳に映しながら、クラッドは手を頭部へと持っていく。
「包帯……全然止血できてねぇ」
「悪かったわね。包帯なんて巻いたことないのよ」
雑にまかれた包帯は関係ないところばかり押さえ、肝心の傷口の部分は緩い。
手当てした本人は居たたまれない感情を抱いて、虚ろにぼやくクラッドを睨みつける。
「あいつは?」
体を気遣いながら起き上がり自分で包帯を巻きなおすクラッドは、この場にいたはずの男の存在を気に掛ける。
「あっち」
亜梨沙は腕組をしたままとある方向を指さす。
祖寺に目をやると、並ぶ家屋にぽっくりとトンネルのように空いた穴の先、瓦礫に埋もれているのか、男らしいごつごつした手だけが見えていた。
それをした張本人は傷どころか汚れてすらいない。
「ははは……俺はこんなに重症だってのに、そんな簡単に倒すとかなんか凹むわぁ」
自分と亜梨沙の実力差など分けっていたつもりだったが、こうやって見せつけられるとさすがに気落ちする。
「あの子供や銀髪姉ちゃんは?」
「メアリーはいつの間にかいなくなってた。軍服着た子は向こうの方で倒れてる」
「もうちょっとガキに見せ場作ってやっても……まぁいいや。にしても便利だな、嬢ちゃんの天恵。その若さで天恵使えるって結構大変だったろ?」
亜梨沙の年齢で天恵を使えうには、相当魔族を相手にしなければならない。
彼女が召喚者だとしても、召喚されてからさほど日数は経っておらず、その僅かな期間で練度5000になるには相当大変だったはずなのだが、
「そりゃもう。こっちに来たら対して説明もなく放置されるし、お金の使い方とかよくわからないし、渡された荷物は全部盗まれるし、今思っても大変だったなぁ」
記憶を回顧する亜梨沙は自分を慰めているのか何回か頷く。クラッドはどこか腑に落ちない表情。
それは確かに大変だったと同情はするが、今聞いたのはそんなことではない。
「えっと、まぁそれは大変だったと思うけど、俺が言ってんのは練度上げの話なんだが」
「練度? ぁあ、あのレベルみたいなやつ? それに関しては特になんもしてないわよ。お金も何もないならとりあえずこの資格とっとけって、町の人から聞いてここに来たってだけで」
一切練度上げしていない彼女が天恵を持っていることに疑問を持ったクラッドは、包帯をしっかり締め
て、
「ならなんで天恵使えんだ?」
「天恵? え、天恵って誰でも使えるもんじゃないの?」
「いやいやいや、練度5000だぞ? 誰でも使えるわけ無ぇだろ」
「といってもここに来た時から使えてたしなぁ……あ、もしかして」
考え込んだ結果、彼女はふと何かを思い出し、頭の上に電球がついたような反応。
「なんか教会で説明受けた時、素質がどうのこうのって」
彼女がふと言った単語に、クラッドは思いのほか食いつき、
「な、アンタ素質持ちなのか!? なんの素質だよ」
素質とはその人が持つ才能、マナの性質だ。十人に一人の素質から、世界で一人だけの素質と幅は広い。
怪我をしているというのに、食い気味なクラッドは全身に響く痛みでようやく落ち着く。
亜梨沙はクラッドを心配しながらも、質問に答えようと再び記憶を掘り起こし、
「え~っと、“霊験の素質”だったかなぁ」
“霊験の素質”とは、練度1でも天恵を扱えるというもの。天恵は威力が大きい分、マナの消費も激しい。
たとえこの素質を持っていても最初はあまり天恵をしっかりと扱えないだろう。
だが、彼女の天恵は相性がいい。【限度知らずの身体能力】は発動後の反動は大きいが、発動中はマナの消費はかなり少ない。つまり、後先考えなければ彼女でも天恵を十分に扱えるのだ。
「これ以上聞くと自分の不憫さで立ち直れなさそうだから、そろそろジーク達のところにいくか」
「メアリーはどうする?」
「あの嬢ちゃんなら大丈夫だろ。よく知らんけど」
二人はジーク達の元へと向って行った。
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「――――」
吐息どころか身体も微動だにしない。
優希が死んでいることはこの場にいる全員が分かっていた。
「――んッ!」
クラリスの首元に首輪のような紋様が現れる。
レクラムの天恵【出来損ないの兵隊達】が発動したのだ。レクラムがクラリスにした命令は“白髪の男を助けろ”、つまりジークを助けろというもの。優希がやられた時、クラリスは思わずジークを救おうと思ってしまった。そしてジークは今、クラリスが行動に移す間もなく死んでしまった。
「ククク、ほんと単純だなアンタ。普通自分を売ろうとした相手を救おうと思うか?」
倒れている優希に瞳を小さくして動揺を隠せずにいたクラリス。だが、彼女は動揺した自分をすぐに落ち着かせ、
「フォルテにもよく怒られます。ですが、たとえ人を利用する卑劣な方でも、平気で人の命を奪う極悪人でも、わたくしの力で救えるなら救います。それはあなたも変わりません」
(なんだ……)
「あなたがわたくしを信じられなくても、わたくしはあなたを信じます」
(なんなんだ……)
「だから、こんなことはやめませんか? 復讐なんて辛いだけですよ」
(なんでそんなに……)
――落ち着いてるんだ?
クラリスもルミナスも思い通りに動かせる操り人形。
警戒していた男は死んだ。今ここに敵となる人物はいない。
明らかに有利なはずなのに、なぜクラリスはこんなにも落ち着いているんだ? なぜ彼女の眼はあんなにも真っ直ぐなんだ?
一体彼女は何を考えているんだ?
レクラムは疑心暗鬼になりつつある心を落ち着かせて、周囲を観察する。
何か仕掛けがあるのか、誰か他にこの場にいるのか、それともすべては動揺させるためのブラフか。
天恵の術中にはまった証拠の印が首元にあるレクラムとルミナス。その背後で契約者同様に奴隷化し、毛を逆立てながらも動けないでいるフォルテ。
そして、心臓を握りつぶされて息絶えた白髪の――
「い……ない」
さっきまでクラリスの足元で倒れていたはずなのに、心臓を潰されて生きているはずないのに、何故か白髪の男はそこにいない。
「――ッ!?」
気配を感じた。背後に突如として現れた気配は、この世のものとは思えないほどに冷たく重い。
神経を凍らせるようなその気配に、レクラムは振り向く動作を忘れてしまう。
そして、
「殺してはいけませんッ――!!」
クラリスの必死な声が届くことなく、優希の神器がレクラムの胴体と首を隔絶した。
ぐるぐると宙を無作為に映す視界には、頚椎が切り離された胴体と、そのそばで袖から伸びた白銀の剣を横一線に振りぬく優希の姿が一瞬だけ見えた。
自分が今どんな状態なのかよりも、なぜ死んだはずの男が生きているのか、そのことばかりに考えがいったまま、レクラムの意識は現実から永遠に切り離された。
「ぁあ、生き返るって知っててもやっぱ慣れないなこれ」
袖から剣となって出ている銀龍の白籠手を元の籠手に戻し、優希は身体の変化を確認する。最後に肉体情報を更新したのは試験前、今の優希は試験前の肉体と同じ状態になっている。
十秒間の能力使用不可状態は過ぎ、今の優希は再びジークの姿に戻っている。
〖予備情報〗から〖読込〗する――〖再起動〗は優希の死に対してオートに発動される。
すべて優希の作戦通り。レクラムが死んだからか、クラリス、ルミナスの首元にあった紋様はきれいに消えていた。
(フフ♡一切の躊躇いなくレクラムの首を切断……思った通りあなたは最高の玩具♡)
恍惚と優希を見つめるルミナス。
悪寒が走るような視線を感じつつ、優希はこちらに近づくクラリスに視線をやる。
フォルテは優希を睨みつけるも、対応はクラリスに任せているようで襲ってくる気配はない。
すぐ傍まで寄ってきたクラリスに優希は笑顔を作り出し、
「なぁ大丈夫だっ――」
優希の言葉を遮るように、パンっと乾いた音が響く。
気付けば優希はクラリスをではなく、まったく違う方向を向いていた。
頬に感じる感触、本来痛みであるはずのそれは、今の優希には違和感でしかない。
「なんで殺したのですか?」
右手を抑えてクラリスは言う。その時優希は理解した。自分は頬を叩かれたのだと。
平手打ちという設定外の攻撃に権能すら発動しなかった。
彼女は優希に感謝する場面のはずだ。危うく復讐の道具にされるところだったのだから。
だが、彼女が優希を見る目は感謝ではなく、非難の眼差し。
「なに怒ってんだ? あいつはあんたを利用しようとしてたんだぞ。それにあいつが死ななければ今でも天恵に縛られたままだ」
「気絶させることもできたでしょう。あの時の彼はかなり無防備だった。あなたなら――」
「甘いな」
被せるように優希は呟く。
その声は今まで感じたことのないくらい冷酷で、同じ人間とは思えず恐怖すら感じた。
それと同時に哀しくもなった。どんな人生を辿ればこれほどまでに冷え切った瞳が眼に宿るのだろうか。
「確かに気絶させることは出来たかもしれない。けど、それは一瞬で気絶させなきゃ意味がない。アイツの天恵は一言言えばあんたらは言いなりになるんだ」
もし仮に、優希が気絶させようとして、僅かだが意識が無くなるまでに時間がかかれば、その僅かな時間で一言言われれば、クラリスとルミナスは逆らえないのだ。
その上、優希には人を気絶させる恵術など使えない。なら、気絶させようとするには強い衝撃を急所に当てなければならない。失敗すれば無防備になった瞬間を逃し、今後の展開は劣勢になる確率が高い。
いくらレクラムが戦闘の腕に自信がないと言っても、天恵が使える時点で優希との練度差は歴然。その上相手にはルミナスもいる。
このチャンスを逃せば勝機はないに等しいのだ。
「それに気絶させたとしても天恵が解かれるとは限らない。やっぱり殺すしかなかったんだよ」
そして優希は胴と首が離れたレクラムの死体に目をやり、
「それに今回はともかく、アイツは犯罪者予備軍。この試験が終わればほぼ間違いなく敵になるんだ。死んで良かったって思うのが普通だろ」
「彼は被害者です。帝国という諸悪の根源によって人格を変えられた被害者。もし彼がまともな生活を送っていれば、今はきっと……」
クラリスは悲惨な過去を送らなかった場合のレクラムを想像する。
もし仮に当時帝国側が事件の関与を認めていた場合、クラリスも今の地位は存在していないだろう。
それでも彼女は、そのことについて良かったなどとは思わない。今の自分が何千人という犠牲の上で成り立っていることを知っていたから。
彼女が目指すのはレクラムのような、帝国の犠牲者が現れない国を作ること。それが民衆の帝国への信頼と引き換えに命を絶たれた人達への償い。
「いつかその甘さが命取りになる。邪魔をする奴は全員敵だ。情けなんてかけてたら自分が死ぬんだよ」
そう言って優希はクラリスの考えを一蹴する。優希自身これ以上聞きたくないと判断したからだ。
復讐ではなく、許すことも出来たのではないか?
そんな考えが一瞬でも生まれた自分に吐き気がする。
それを認めれば自分が代償として売り払って二度と戻ってこないものが無駄のように感じてしまうから。
「あなたも過去に何か……」
思わず問いかけるも、優希は無視してプレートの山の方へと向かっていった。
その後ろ姿はやはりどこか寂しそうで。
「ねぇ、姫様は知ってたの? 彼の力♡」
優希の力。クラリスが知っていることは優希が剣士ということのみ。だが、それは優希の嘘で、実際のところは何も知らない。
「いいえ、今でも何故ジークさんが生きているのか理解できません」
「でも、彼が生きてることを知ってるみたいな素振りを見せていたけれど♡」
「それはジークさんが倒れる前に「大丈夫だ」と言い残していたので」
たったそれだけ。その一言をクラリスは信じて、堂々と振舞ったのだ。レクラムに悟られないように、出来るだけ注意が自分に向けられるように。
「あなたはどうなのですか? ジークさんと裏で繋がっていたみたいですけど」
「特に何も♡彼と打ち合わせしたのはレクラムの天恵にかかることと、彼を殺すよう命じられた時は躊躇せず殺すことの二つだけ♡」
ルミナスが天恵の支配下にいなければ、本当に優希を殺したのか疑われる可能性がある。だが、天恵の支配下にいれば、命令を無視できないため、優希は死んだことに何の疑いも持たれない。
つまり優希はレクラムが取引に応じず殺しにかかることを予想していたのだ。
そして誰にも目的を明確にせず、利用する形でこの戦いに終止符を打った。
「ジークさんは……味方なのでしょうか」
優希の考えが読めないクラリスは、多少の不安と疑念を持ったまま、プレートを集めて受付へと向かう優希の後ろ姿を見つめていた。
因みにセフォントとルイスは生きています。もしかしたら今後登場するかもしれません。この章は出会いがテーマですから。




