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Misericorde  作者: 浦辺 京
1st night ハイヒールと短剣
8/12

実態

 バルダーがたしなめただけで黙った犬。彼はその事実に呆然としていた。まさかあの犬があそこまで利口だったとは。


 しかし

(クロスケ、何ぼーっとしてるのよ)

 突如スティレッタから飛んできた念に彼ははっと我に返った。そういえば猫のスティレッタを木の上に置き去りにしたままである。

 まさかこの猫、木に登ったのはいいものの、降りられなくなったんじゃあないだろうか。バルダーはそう思った。

(おい、降りられそうか?)

(ちょっと自信ないから受け止めてくれないかしら?)

 心配になって聞いてみた結果の答えが案の定それである。どうやら本当に降りられないらしい。

 本日何度目かわからぬため息をつき、バルダーは腕を伸ばして木の下へと移動した。

「ホラ、安心して降りてこい」

 彼がそう言った次の瞬間。猫が落ちてきたのは。


 ――ばふっ。


「ぶはぁっ!!」

 バルダーの顔面だった。


 もっふもふの毛の暴力。黒猫の腹の毛がバルダーの顔を直撃したのだ。

(ふふっ。どうかしら?)

 バルダーは突然の毛玉襲来に面食らったものの、得意げなテレパシーに事の真実を悟った。

 これは、スティレッタに嵌められたのだと。

(ふかふかでしょー。もふもふでしょー)

(お、お前……)

 外そうと首を左右に振っても、スティレッタが頭にしっかり捕まっているためかなかなか落ちない。確かにふかふかしていて心地いいが、こんな状況で胴体に顔をうずめても単に視界がふさがれるだけで不愉快だ。

 猫の胴体をしっかりと掴んで、彼はようやく猫を引きはがした。

 しかし黒猫は悪びれもせず、紅い瞳でこっちをじっとみて首を傾げるだけ。

(あら、お気に召さなかった?)

(……そういう問題じゃない)

 とはいえ、またタナーの犬にほえられるのは気の毒だ。バルダーはそのままスティレッタを抱き寄せる。犬はバルダーの脚元をうろうろしてはいるものの、それ以上彼に手出しをする様子はなかった。

(ま、とにかく助けてありがと)

 感謝の印か、スティレッタは鼻先でツンとバルダーの首をつついた。


 そこまではまだいいのだが、今度は何故か肉球でバルダーの頬をふにふにと触りだす。

(……何だ)

 ぺたぺたと触れる肉球は柔らかくて心地いいが、ここまで執拗に触られると何だか奇妙だ。

 バルダーの問いに猫は悪びれもせず、彼を真っすぐ見て一言。

(ん? やっぱり髭がない方が男前に見えるなって思ってた所よ)

 ――昨日の話の続きか。何も返事をすることなくため息を一つ返すと、更にもう一言。

(ちょっとスーツのセンスはどうかしらって思うけどね。肌黒っぽいのに何でスーツまでダークスーツでその上に灰色のネクタイなんて絞めてるのよ。ティルアの上流階級の連中みたいじゃない。なんなのあれ。ドブネズミ?)

(……うるさいな。一張羅いっちょうらなんだよ)

 バルダーが今着ているスーツは軍人になりたての時に養父に買ってもらった代物だ。それ相応にいい布が使われているのだが、ここまで言われると少々気分を害する。

(だったら今度一緒にネクタイ買いに行きましょ。もっとセンスいいの選んであげるから)

(……まさか赤色のネクタイじゃないだろうな)

 というかデートの約束か。そう思いながら呆れの混じったため息をバルダーは吐いた。


(所で何か分かったの?)

 腕の中で黒猫がにゃーんと鳴きながら、今度はそう聞いてきた。バルダーはそれに軽く肩を竦める。

(……まぁな。噛み跡については案の定クライアントが伏せていた。……混乱を招く可能性があると思ったらしいな)

(あらそう)

 スティレッタはその言葉に特に驚いた様子を見せなかった。先程詰め所でその可能性も考えていただけに、想定の範囲内だったのだろう。

(お前の方は何か分かったのか?)

 今度はバルダーの方から聞いてみる。猫は首を横に傾げて見せた。

(まさか。さっき侵入したらこの有様だもの)

 この有様。その言葉に彼は先程から何度も何度も自分の足元をうろつく犬を見た。どうやらスティレッタが未だに気になるらしい。

「……おすわり」

 彼がそう言い放つと犬は大人しく地面に座った。

(……犬の防犯能力の高さが唯一の収穫って所だな)

(皮肉にもそんな感じね)

 猫の姿ではなくて人の姿だったら肩を竦めていそうな感覚で、スティレッタはそう返す。

 とりあえず、手に入った情報はこれぐらいの物か。しかしタナーが意図的に情報を隠していたという事実が分かっただけでも儲けなのかもしれない。

 そんなときのこと。

「ブラックモア」

 バルダーの背後から、二人分の足音が。

 声の主はモルガンだとすぐにわかったし、もう一つの足音の感じからタナーなのだと彼には把握できた。

「何が……」

 モルガンのその問いにバルダーが振り向く。彼はすぐに状況を察したようで、ああと頷いた。

「……その黒猫、お前にぞっこんだな」

 モルガンのその感想に、腕の中の猫はにゃーんと鳴き声一つ上げてから目を細め、バルダーの胸に自分の顔をすりすりとすり寄せた。


 なんだかとっても「ホラ、私達ラブラブよ」と言いたげな懐き方である。


 ……これが本当に普通の黒猫ならこれほど幸せな話はないのだが、生憎中身は自分を食料にしている吸血鬼(※ただし美人なのは認めざるを得ない)である。

 大好き、と思われていても食料として好きなだけかもしれない。

 心境は極めて複雑だ。

「……全くだ」

 ため息一つ。バルダーは複雑そうな顔を浮かべてモルガンにそう答えた。

 猫はごろごろとのどを鳴らして気持ちよさそうにバルダーに寄りかかっている。その様子にバルダーは「猫が猫を被っているな」と思ったとか。


「すいません。うちの犬が迷惑をおかけしたようで」

 今度はタナーが声を掛けてきた。バルダーはそれに首を横に振る。

「いえ、猫の気まぐれの方が迷惑だと……」

 そうバルダーが返事した瞬間、猫の紅い視線が突き刺さった。思わずバルダーの返事も尻切れに。

 しかしタナーはそれに気づいている様子もない。はははと笑って一言。

「まあ、猫は気まぐれな方が可愛いじゃないですか」

 タナーのその言葉に猫はサービスと言わんばかりににゃーんとまた鳴いた。

(あら。よく分かってる人じゃない)

 ……そんなコメントをバルダーに送りつつ。

 タナーはバルダーが抱えた猫の頭を優しく数回撫でると、笑顔のまま黒猫に話しかけた。

「あんまりご主人にご迷惑を掛けちゃだめだからな」

 猫は嬉しそうにまた鳴き声を上げる。

 その光景をバルダーはどこか呆然としつつ眺めていた。


 ――なんだ。この依頼人、こういう顔をするのかと思いながら。


 バルダー達がタナー邸を後にしたのは、それから十数分後のことだった。

 猫を抱えつつ車に乗ったバルダーは、行きと同じように窓の景色をぼうっと眺めていた。

「どうだブラックモア。依頼人クライアントの人となりは?」

 モルガンのその言葉に、バルダーはぼんやりとしたまま一言。

「……予想していたのとだいぶ違うな」

 もっと露骨に嫌な奴かと思っていたが、そうでもなくてバルダーとしては拍子抜けだ。


 今回自分たちに証拠を隠したのは確かに不誠実だが、それも混乱を避けるためで地元民のことを考えた苦渋の決断だ。

 タナーの行為が責められるべきものだとは、バルダーにはとてもではないが言えない。


 それに、黒猫のスティレッタに触れた時の表情がバルダーの印象にはっきりと残った。

 あそこまで優しい顔をする人物を見たのは、かなり久しぶりの気がしたのだ。


 そこまで言わずともバルダーの意図が分かったのか、モルガンは笑っていた。

「お前はまた劇薬みたいな連中ばっかりしか見てこなかったしな」

 劇薬みたいな連中。その言葉にバルダーは不愉快そうに顔をしかめた。

(……劇薬?)

 スティレッタが不思議そうに首を傾げ、そう問いかけてくる。

(この仕事に就く前、ティルアの陸軍で将校だったんだよ。……セレブリティも何人も見てきたもんでな)

 バルダーの返答に、スティレッタはああと一言。

(道理で。そんなセンスの無い恰好な訳……)

(……センスが無くて悪かったな)

 また服装が黒や灰色に偏ったことをネタにするか。そう思いながら眉を潜める。

(お前の言う通り、ティルアの上流階級アッパークラス連中は大体この手の服装なんだよ。……無難にしておきたくてな)

 無難。そうそれが原因だ。

 とにかくこの国の上流階級の連中は保守的である。

 その上嫉妬深く、他人の失敗に敏感で、いつでも誰かが転落するのを待っている。だからドレスコードにも厳格で、大体みんなおんなじ恰好になる。

 バルダーはそれを身に染みて知っていた。


 自由と平等。どんな貧困であれど人種出自を問わず才能と努力さえあればのし上がれる開拓者の国ティルア。そう称されるこの国であるが、実態はその理想・・とは大きくかけ離れている。

 事実金持ちになっているのは親やそのまた親の代から金持ちなだけであって、成り上がりで金持ちになるというのは昨今極めて珍しいケースなのだ。

 結果彼等は自身の富に執着し、他人の成功に悪意の視線を向けている。



 それが"劇薬"のような連中。バルダーはそんな人種ばかりを見てきたのだ。


 バルダーも養子とはいえ、今は亡き養父が陸軍幹部を歴任した家系の出である。

 必然的に反吐の出るような嫌な連中との付き合いも多かった。

 ……いくら生き残るための術とはいえ、そんなことに嫌気が差す瞬間も少なくはなかった。


(ふぅん……)

 スティレッタは何か―何故、そんないい所の出のバルダーがこんな一介の傭兵へと身をやつしたのかという理由だが―を察したのか。それ以上問うこともなく、黙ったまま尻尾をぱたぱたと揺らした。

 ふかふかとした黒い尻尾の毛が、バルダーの手に何度も何度も柔らかく当たった。

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