困惑
使い方が肝要だという条件はあれど――世の中、金があれば大抵のことはどうにかなる。
リアリストのバルダーが傭兵になって改めて学習した事実だ。
バルダー達を乗せて、一台の車が田舎の道を行く。
「クライアントはこの田舎町の名士でな」
モルガンの秘書(とは言っても、典型的な秘書のイメージからはかけ離れた少々荒っぽい女性だが)の運転する車に揺られる間、モルガンのその言葉にバルダーはため息を付いた。
「……大体は察しが付くな」
名士、その言葉にバルダーの顔が嫌そうに歪む。
この手の名士はこの町の支配者も同然だ。
いや、すべての支配者が悪であるとはバルダーも思わない。しかし、支配と暴力は表裏一体だ。
クライアントである名士とやらがどんな人間かはバルダーは知らない。しかし直感的に"名士"という言葉に嫌な感覚は覚えた訳である。
「まあそう言うな。彼はお前が嫌がる程に酷い人間じゃあない」
「ならいいんだがな」
バルダーは窓の外から見える景色を眺めてため息を付いた。
どうやらそのクライアントの屋敷の敷地に既に入っていたらしい。延々と続く整然とした道路。広い道路に植わった街路樹。人工的な印象しか抱かない。
バルダーは辟易さを顔に滲ませ、外の景色から視線を逸らした。
*
それから数分も経たないうちに、彼等は屋敷に着いた。実際の所は数分だとは思う。しかし体感としてはそれ以上の物に感じたのだ。
アポイントメントは取っていたのだろう。すぐに執事とやらに応接室に案内されて、バルダー達はこの屋敷の主人に会うことになった。
「ようこそモルガンさん」
モルガンの姿を見るなり声を掛けてきたのは、一人の男。バルダーが想像していたより若い。恐らく40代前半だろう。
「タナーさん、お世話になっております」
モルガンはその男――名をタナーというらしい――と握手し、愛想の良さそうな笑みを浮かべた。
「部下のブラックモアです」
モルガンに促され、バルダーもタナーと握手をする。予想以上にしっかりと握られたのを感じて、バルダーは心中面食らったりもしたのだが。
お前が嫌がる程に酷い人間じゃない、というモルガンの評価はこの段階では正しい。バルダーはそう思った。特にうさん臭さも感じさせない好人物だ。
タナーは彼等に椅子に座るよう促し、腰かけてから一息ついて口を開いた。
「所で、今日はどういったご用件で。是非お話したいことがある、とのことでしたが……」
タナーの問いにバルダーは口を開こうとする。しかしモルガンがそれを遮った。
「今回、吸血鬼騒ぎについて新事実が判明しまして」
「ほう、新事実」
「ええ」
タナーが食いついた所でモルガンはバルダーに目配せをしてきた。
その視線は『お前は黙っておけ』と言わんばかり。
「………………」
バルダーは釈然とないものを胸の奥にもやもやと感じた。これでは何のために自分がモルガンに同行したのか分からないではないか。
「うちの連中が被害に遭った動物の死体を見つけましてね。で、それがイヌや狼が付けたものじゃあないかと……」
その言葉に、タナーは明らかに動揺を見せた。しかしモルガンはそれに敢えて知らぬふり。
「本当ですか……?」
「ええ。あるいはルプス族の付けたものだろうと部下が言ってまして」
彼ともう一人の部下なんですが。そう言いながらモルガンはバルダーの方を見てきたわけで。バルダーは頷いてみた。
タナーの動揺は酷かった。明らかにあの傷跡の情報を伏せたと言わんばかりの反応だ。
バルダーの中でかちんと、何かが音を立てた気がした。
この男と話すまでは、まさかそんなことを本当にされているとは彼も信じたくなかったのだ。
彼はお人よしではない。必要あらば他に何があろうとも、命乞いをされようとも他者の命を躊躇なく奪う男だ。信じる信じないを論じるのは少々奇妙に思えるかもしれない。
しかし、この稼業は信頼があってこそなのだ。知りうる情報は全て欲しい。情報は頼みの綱だ。
それも与えず金だけ払って自分達を使おうというのはつまり、武器も与えずに戦地に飛び込んで来いと言うのとほぼ等しい訳で、バルダーには酷く屈辱的な行為にさえ思えた。
「……死体に付いた噛み跡のこと、ご存じだったんですね?」
モルガンに止められていると分かってはいたが、ついにバルダーは口を開いた。
タナーと目が合う。その瞳は横に酷くぶるぶると震えていて、明らかにこちらを怯えるように見ていた。
しかしバルダーはそれも意に介さずに、彼を射抜くようにキッと見据えて言い放つ。
「タナーさん、我々もプロなんです。仕事は頼まれればします。警護から地域の見回り、戦争まで。しかし、こうやって知っている情報……しかもかなり重要なものを伏せることにはハッキリ言って悪意を感じるんですよ」
タナーは困惑を顔にはっきりと表しながら、しかし何も言わず目だけをきょろきょろと左右に動かした。
「タナーさん!」
バルダーは追い打ちを掛けるように声を上げた。
このタイミングでバルダーに喋らせようと恐らくモルガンも思っていたのだろう。バルダーを止めようとさえしない。
とうとうタナーも観念したのか、悲嘆にくれるようなため息一つついてから。
「ええ、知っていました」
とぽつりとこぼした。
バルダーはそれに思わず眉根を寄せた。
「どうしてそれを知っておきながら……」
いらだちと失望からバルダーは言葉を吐く。しかし次の瞬間返ってきた返答に彼は頷くしかなかった。
「……この町には、ルプス族の住民が多いんですよ」
そういうことだったのか。アーロンの言う『面倒なこと』に近づいてしまった気がした。
「この町の住人が発見した死体を見て、私も犬か何かが付けた傷跡だとは分かったんです。しかしそう分かった瞬間、これが『ルプス族が犯人だ』という噂になるとまずいと思って……」
ルプス族がいくらこの町に多く住んでいるからといって、それがその民族にとっていいことであるとは必ずしも言えない。
まあ何というか、ルプス族特有の勤勉さ故に仕事を取られたとか、外見故とか、偏見からとか。ルプス族をよく思っていないユマ族の人間というのは、それ相応にいる訳であって。
タナーはユマ族の一部の住民が悪意を以て酷い噂を流し、この町に混乱をもたらす可能性を恐れたのだ。
「黙っていたことは皆さんには申し訳ないとは思っています。しかし……」
そこまで言ってうなだれたタナーにモルガンは首を横に振った。
「いえ、混乱を避けたいというお気持ちは分かります。今回の傷跡の件についても内密にいたしますので……」
どうやらモルガンは契約を解消するつもりはないらしい。当たり前の対応だろう。その情報を秘密にされた以外は特に疑わしい話はないのだ。金が入ってくるのだし、断る理由もそれ以上ないのだろう。
……世の中金だ。つくづくそれを感じながらバルダーは呆れをにじませてため息を吐き、窓の外の景色を眺める。 庭に生えた木々の葉が、そよ風に揺られている。
そんなときの、ことだった。
ぐわう! と大きな声。
突如彼等の耳に入ってきたのは、犬の鳴き声。かなり大きい。遠くから聞こえているようだが、しかしそれにしてもはっきりわかる程に大きいのだ。
「な、何だ……!?」
驚くバルダー。それにタナーも反応を示す。
「多分、うちの犬ですね……」
「犬?」
そこまでは特におかしいとはバルダーも思わなかった。聞き分けの悪い犬だって沢山いる。タナーの飼っている犬もそうなのかもしれないと思ったからだ。
しかし次の瞬間聞こえたものに、バルダーは驚かざるを得なかった。
(クロスケー。ちょっと助けに来てよー……)
「……えっ」
思わず彼は声を発した。モルガンとタナーの視線がバルダーに集中する。
バルダーはとっさに首を横に振って「なんでもありません」とだけ言うと内心舌打ちをした。
――間違いない。よりによってここでか。
彼は頭を抱えたい気持ちでいっぱいになったが、しかし頭を抱える訳にもいかず、呆れた口調で"彼女"に言葉を投げかけた。
(……何があった。スティレッタ)
(変な犬に付きまとわれてるのよー……)
彼女の口調には珍しいことに困惑が表れていた。しかしそれ以上に気になったのが。
(……犬?)
それである。
……まさか。そう思った矢先のこと。
(貴方達がいる屋敷に忍び込んだんだけど、うるさい犬が付きまとってきて。しかたなく木の上に逃げたんだけどまだ吠えてるのよ)
予想通りの返答が返ってきた。どうやらこの犬の鳴き声の原因はあの猫が作ったらしい。
(……猫か、今)
(そうよ)
(じゃあ人の姿に戻って逃げたらどうだ? 流石に犬もびっくりして吠えてこないだろう)
助けるのが面倒なので、とりあえず一度はそう返す。
しかし。
(ふざけないでよ。人の姿取ったら完全に不法侵入じゃないの)
当然ながらそんな返答が返ってきた。今度は普通に舌打ち。
……全く。面倒くさい奴だ。
「ちょ、ちょっと失礼します……」
「おい。ブラックモア? どうした?」
モルガンの言葉にも反応せず、バルダーは庭へと駆け出す。あの猫を助け出さないことには、後々何を言われるか分かったもんじゃあない。
犬が吠えているという例の場所までは、さほど遠くはなかった。
(くーろーすーけー……)
バルダーの姿を見つけたのか、これまた珍しく『弱った』という感じで念がやってくる。
――このまま木の上に放置して置いたらちょっとは反省するだろうか。バルダーは密かにそう思ったとか。
しかしまあ、状況的には彼女が困惑するのも当然であった。
なんせ、そのタナーの犬はとてつもない大音量で木の上に向かって吠えていたのだから。
明らかに大型犬だ。まるで狼のようないで立ちのその灰色の犬は、荒れ狂うように木の上の黒猫に向かって喚いていた。
ぐぁう!! と大きな声を発するたびに空気が底から震えあがる。まるで大砲の音だ。
これでは確かにスティレッタも気の毒だ。
「おい! そこの犬!! ちょっとは黙れ!!」
効くかどうかは別として――まずは犬の気を惹こうとバルダーはそう言ったのだが。
刹那、彼は思いっきり肩透かしを食らうことになった。
犬はバルダーの言葉を即座に理解したようで、びくりと身体を震わせると吠えるのをやめ、地に伏せたのだ。
「え……?」
まさかこうなるとは思っていなかったバルダー。想定外である。
ここまで激しく吠える以上、教育の行き届いた犬だとは思っていなかったのだ。しかしこれは明らかに平均以上の知能を持っているではないか。
「本当かよ……」
つまり、スティレッタを侵入者と判断してこの犬は吠えていたということなのだろうか。
まるで狐につままれたかのような気分で、バルダーは木の上にいるスティレッタを見上げた。
猫は太い枝の上でやれやれとため息一つ付き、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。