無敵
犬が付けたような噛み跡。
バルダー達が発見したそれは、意外な事実を明らかにした。
「……それ、本当かモルガン」
イノシシの死体を発見したことを報告した後。アーロンと共に詰め所に帰ってきたバルダーは、隻眼に岩のような身体を持つ中年のユマ族の男――モルガンと話をしていた。
モルガンは今のバルダーにとって上司だ。彼はバルダーが務めている規模の小さい傭兵団の団長で、そして、元部下なのだ。
バルダーが初めて彼と出会ったのは20代半ばの頃。当時まだ若かったバルダーは、叩き上げのモルガンより階級は高かったものの、ハッキリ言ってモルガンから馬鹿にされていた。
当たり前だ。まだ戦場も知らないヒヨッ子将校と、銃弾の中をかいくぐり今まで生き延びてきた男。果たして兵士たちはどちらを尊敬するのか。想像に難くない。
もっともその後バルダーはモルガンからの信頼を勝ち得るのだが、それはまた別の話だ。
それからモルガンは右目と腕を負傷し、戦場に出ることは不可能となった。
……で、モルガンは軍を辞めたものの、自分で傭兵団を立ち上げて今に至る訳だ。
今となってはモルガンが上司でバルダーが部下である。とはいえ、バルダーはそれに不満など一切抱いていないのだが。
閑話休題。
「ああ。……お前達が報告してくれるまでその手の情報は一切なかったよ」
モルガンの返答にバルダーは舌打ちを一つするしかなかった。
概要はつまりこの通りだ。
バルダー達が発見したイノシシの死体に付けられた"犬の噛み跡"という情報。その事実はモルガンでさえ知らなかったのだ。 しかし、モルガンは隠し事をするような男ではない。彼も今までそんな情報があることさえ知らなかったのだろう。
「何で今まで知らなかったんだ」
「クライアントが知らぬ存ぜぬで通したからさ」
「……はぁ?」
バルダーが聞いたところによると、モルガンは依頼人に会った際、被害の状況について写真等があったら欲しいと言ったのだ。
しかし依頼人は死体も既に焼いて処分してしまったし、写真も不鮮明で手がかりにならないと言ったのだという。
「おい。それで受けたのか……?」
「確かに手がかりがないってのは困った話だが金は悪くなかった。それに写真が不鮮明なことも死体を焼いちまうのも無い話とは言えないだろう」
「まあ、そうだが……」
「第一俺達の仕事は探偵ごっこじゃあない。この町が安全でさえあればいい」
「…………」
確かに犯人が見つからなくても、これ以上町の住民に被害が出なければそれでいいのかもしれない。
しかし。
(何か釈然としない顔してるわね?)
足元で二人の話を聞いていた黒猫のスティレッタが、バルダーのつま先の上に前足を乗せてからそう問うた。
(……まあな。何で手がかりをくれなかったのかと少し不信感は抱くだろう)
(ホントに知らなかったんじゃないの? 被害が出てることだけ知っていて)
(その可能性は否定できんが……)
バルダーは眉間に寄せたシワを更に深くしてからため息をついた。
スティレッタの意見も納得できる以上、あの依頼人が何でそんなことをしたのか全くわからなくなってしまったのだ。
「所でブラックモア」
「……何だ」
「その猫、どうした?」
「あ」
さっきから足元のスティレッタを見ていたせいだろう。既にモルガンは気付いていたようだが、遂に聞いてきた。
しかしバルダーは特に動じることなく、一言。
「何でかは知らんが俺に懐いてきたんだよ」
――昨夜から首噛まれて血を吸われるわ、人が寝ている所に潜り込んでくるわでとんでもない懐き方されているがな。
その言葉を本当は言いたかったが、バルダーは必死になってそれだけは飲み込んだ。
そんな事情を同僚の傭兵たちは知る由もない。当然、近くにいた同僚の一人――ユマ族のハンスという男だが――がスティレッタの首の後ろを掴んだ。
「おい。ここは猫がくつろいでいい所じゃあないぞ」
ハンスは普段は軽薄と言えるほどにノリの軽い男だが、流石に猫がお邪魔しているのは頂けないと思ったのだろう。
ひょいっと捕まれ、スティレッタはじたばたと足を振る。しかしハンスは手を放す様子がない。
にゃーんにゃーんと数回喚いたが効果なしだ。
これはまずいとバルダーが思った直後。遂に黒猫は真っ白い牙を見せ、黒い毛を大きく逆立て、真っ赤な瞳で睨みつけてハンスを威嚇したのだ。
「シャーーーーーッ!!」
「のわぁっ!!」
突然のスティレッタの怒り様に、ハンスもびっくりして手を放す。黒い毛玉と化した猫は一瞬の隙をついてハンスから逃げると、ピョンピョンと跳んでバルダーの腕の中に潜り込んだのだ。
(全く。レディの首根っこを掴むなんて失礼極まるわね)
『怒り心頭』と言った感じでスティレッタは憤慨し、バルダーの腕の中で身体を丸めた。
本当に向かう所敵なしだな。
ネコであれ女の姿であれバルダーが感じることはそれだけである。
「……別に邪魔している訳じゃあないんだし、放っておいてやれ」
取り敢えずバルダーの方からもハンスをたしなめることにする。こうでもしないと今度はスティレッタがハンスの顔面をズタズタにひっかきそうで怖い。
ハンスはバルダーの言葉に少し釈然としない様子だったが、追い払うことは諦めたようだった。
「それ、野良なのか?」
今度はモルガンがバルダーに問いかけてくる。バルダーは軽く肩を竦めた。
「まあ野良みたいだ。さっき茂みで会って以来、すり寄ってきてな」
「じゃあ飼ってやれよ。野良ネコは放っておくと殺されちまうぞ」
モルガンのその言葉に、スティレッタが腕の中で少し縮こまったようにバルダーには見えた。
「……まあ、保健所は怖いよな」
バルダーがぼそりと一言。もっともこの黒猫なら保健所の職員相手にも勇敢に立ち向かい、その顔をバリバリとひっかきそうであるが。
(怖いっていうより面倒そうじゃない。どこまででも追いかけてきそうで。私はそういうの嫌い)
(……さようか)
縮こまった理由を聞いてため息一つ。何とも彼女らしい理由だ。
……それはさておいて。
(で、どうするのよクロスケ?)
猫はにゃーんと鳴き声を上げ、バルダーにそう聞いた。
(『どうする』? どういうことだ?)
(依頼人に聞きに行くの? ってこと)
(ああ……)
バルダーが先ほどクライアントに対して疑念を表していたせいだろう。スティレッタの問いにバルダーは頷いた。
(聞きに行くべきだとは思っている)
猫を床に置き、今度はモルガンに話しかける。
「モルガン。クライアントに会って話を聞きたいんだが」
その言葉に当のモルガンはどこか拍子抜けしたような、驚いた表情だ。
「あ、ああ……お前も行くのか?」
「……そのつもりだが。何か?」
「いつもより何というか……意欲的だと思ってな」
その言葉にバルダーは僅かながらもドキリとした。変化を見抜かれたと思ったからだ。
おそらくこの黒猫が原因だとは誰も思っていないことは分かるので、その点は不安に思わないのだが。
バルダーは即座に首を横に振った。
「……そんなことはない。ただ流石に……実物を見た以上問い質すべきだと思ったんでな。ただでさえ使い捨てにされやすいっていうのに、酷い条件で雇われたと分かったら腹が立って腹が立って仕方ない」
取り敢えずもう一つの本音でごまかす。もしあの依頼人が自分たちにとんでもないものを掴ませたことが事実だとしたらバルダーだって怒る。
この仕事は信頼があってのものだ。それを築けない相手に命を売るような真似はしたくない。
モルガンもその理屈は納得したようで、それ以上不思議な顔をすることはなかった。
結局その後、バルダーはモルガンと共にそのクライアントに会うことが決まった。
とりあえずその髭と服装はどうにかして来い。そうモルガンに釘を刺されもしたのだが。
(私もついて行っていいかしら?)
モルガンの指摘を受けた後、足元の猫がそう聞いてきた。バルダーはため息一つ。
(ついて来るのはいいが……猫なら庭からでも侵入しろよ?)
(何よ。ケチね)
(依頼人の所に猫連れていく傭兵なんて俺は聞いたことないって話だよ)
もし自分が依頼人で、雇った傭兵が猫を抱えてきたらその傭兵の常識を疑いそうだ。
まあスティレッタもその理屈は分かったようで、しばらく彼の足元をうろうろした後どこかへと行ってしまった。
(分かったわ。まあ後で落ち合いましょ)
最後にそうつぶやいて。
*
スティレッタと一時的に別れたバルダーは一度自分の部屋へと帰り、着替えることにした。
いくら酒瓶が転がっている場所とはいえ、髭剃りもあるし依頼人に会うためのスーツぐらいはある。……少々、よれてはいるが。
「…………」
少し埃臭い部屋の中。彼は床の上に落ちていた"それ"を見てため息を吐いた。
一つは細身の短剣。
まるで十字架を模したようなその剣は、バルダーが軍人の時にある人物から貰ったものだった。
――持っていなさい。君がいつ如何なる時でも戦えるようにね。
温和な彼はバルダーに笑いかけて、その剣を渡したのだ。
(スティレット、か……)
スティレッタ。あの吸血鬼の名前を聞いた時、バルダーは確かにこの剣を思い出した。
スティレット。刺殺に特化した十字型の短剣。発明された当初は剣でダメージを与えることの出来ない鎖帷子を貫くための物だった。
しかし時代が下った今となっては諜報員が隠し持ち、暗殺の為に使うという。
スティレットがかぶった埃をバルダーは袖でぬぐうと、近くに落ちていた鞘にその刃を納めて懐へとしまった。
そして、もう一つ。
部屋の隅に落ちていたそれ。
埃をかぶって真っ白になっていたのでバルダーは自分の荒み具合に呆れを感じた。
拾い上げて埃を叩いて払う。鼻が少しむずむずとしたがくしゃみはしなかった。
「……済まんな。くろすけ」
バルダーの手に収まったその埃だらけの物体は、黒猫のぬいぐるみだった。
黒地に白の縞模様や白の水玉模様の布でそこかしこ継ぎ接ぎされ、安っぽいプラスチックの黄色いボタンの目を持つその黒猫は明らかに30半ばの傭兵が持つにはふさわしくない代物だった。
黒猫のぬいぐるみの名前はどうやらくろすけというらしい。それを埃まみれにしようとも捨てる気にはならない程度には、バルダーにとって大切な代物の様だ。
まあ、名前がある辺りからしてそれ相応に愛着はあるのかもしれない。
スティレットに、くろすけ。
否が応でもあの吸血鬼の顔が思い浮かんだ。
「………………」
昨夜からあのスティレッタにさんざ振り回されっぱなしである。
勝手に助けて、勝手に食料にして、勝手に自分を縛って。からかいで自分を誘惑して。
果たして自分を何だと思っているのだ。
……所詮、食料なのか。それとも。それ以下の存在なのか。
バルダーはぬいぐるみのくろすけを手に持ったまま首を思いっきり横に振った。
今はそれを考えるべきではない。
あの女をぎゃふんと言わせる機会は今後いくらでもある筈だ。今はただ、自分の仕事をするべきだろう。
バルダーはぬいぐるみのくろすけをテーブルの上に置くと、その頭を優しく数回撫でた。