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Misericorde  作者: 浦辺 京
1st night ハイヒールと短剣
5/12

容疑

「ずいぶんと念入りに撫でてたな」

 おまけにアーロンにそう言われる始末である。バルダーは更に眉間にしわを寄せた。しかしアーロンは彼を責めている様子は一切ない。

「……まあ、撫でたくなるような可愛いネコだこりゃ」

 アーロンの言葉にスティレッタがにゃぁんと嬉しそうに鳴いてみせる。アーロンは猫の前にしゃがむと、その頭を白くて細い骨の指でさわさわと撫でてやった。

 黒猫が嬉しそうにまた鳴いたのを見て、バルダーはスティレッタに聞こえるようにケッと呟いた。


 ――人を誑かす魔性の悪女ならぬ悪猫あくびょうが。そう思いながら。


「猫はいい」

 その一方でアーロンはしみじみと言った。

「……動物好きなのか?」

「まあな。植物も好きさ。猫や犬はいつか飼いたいとは思ってる」

 そう語るアーロンの手つきは極めて慣れていて、猫の顎を優しく撫でている。黒猫もその赤い瞳を細め、嬉しそうにゴロゴロとのどを鳴らしていた。

 彼はそれに嬉しそうに笑っていた。

「猫も犬も植物も喋らない。だから好きなのかもしれんが」


 ――アーロン。その猫、実は喋るんだ……。お前には一切聞こえないだけで。


 そう言いかけたものの、猫が愉快そうににゃーんと声をあげたのを聞いてバルダーは舌打ちをした。


(……で、何でお前がここに来たんだ。『仕事の邪魔になるから猫になってきた』って言う割に邪魔しているだろう)

 現に大の男二人、猫に夢中になっているのはスティレッタが原因だ。

 バルダーの言葉にスティレッタはまた猫の鳴き声を上げた。

(あらいけない。そうね。肝心なこと忘れてたわ)

(肝心なこと?)

(私なりに"吸血鬼騒ぎ"を調べてたの)

(そいつはご苦労なこったな? ……あれ、お前が犯人なんだろう?)

 バルダーの言葉に、スティレッタは押し黙った。

 なんだ、やはりこいつが動物の生き血を吸っていたのかと思ったその瞬間のこと。


 ――ばりっ、っと。


 黒猫の細い爪がバルダーの手をひっかいたのだ。

「ってぇっ!!」

 バルダーは思わず声を上げた。隣にいたアーロンも目を剥く。

「大丈夫か?」

「大丈夫だ……少し痛かったが」

 アーロンが傷を見ようとしたが、バルダーは昨夜の出来事―スティレッタの血を飲んだ―ことを思い出し、咄嗟に傷を手で覆った。

 アーロンにその傷を見られたらまずい。


 手の甲には赤い血がにじんでいる。しかしスティレッタは前足で彼の手を掴み、彼の手に浮いた赤い筋を舌でちろちろと舐めた。

(私をそこらへんの小動物で満足する奴と一緒にしないで頂戴。やっぱり味わうなら貴方の血なの)

 スティレッタは少し怒っている様子だった。どうやらここらへんで暴れている輩と一緒にされるのは流石に心外らしい。

 しかし彼の手をひっかいて血を舐める辺りにあまり説得力がない気もする。

(……お褒めに預かり光栄極まるな)

 スティレッタの血のお陰で傷口の治癒は早かった。傷がふさがるや否や黒猫は彼の手から前足を放し、再びごろんと地面に転がった。

(第一、私はお腹がへってもそこまでやるような"節操無し"じゃないわ)

 いくら彼女の気分を害した自分が少し悪いとはいえ、ひっかかれたバルダーも少し腹を立てていた。

(ハッ? 節操?)

 彼女の発言に、バルダーは思いっきり鼻で笑った。

(男が裸で寝ている所に躊躇なしに潜り込む女のどこに節操がある?)

 しかし、目の前の猫はにゃーんと嬉しそうに鳴き声一つ。

(あらそう。じゃあ今晩からたっぷり相手していいのね? 楽しみだわ)

 スティレッタがふふりと笑ったのが聞こえて、バルダーは背筋が一気に冷えた。

 この女、間違いなく本気だ。

 吸い取られるのが血だけで済まない未来しか見えない……!!

 バルダーは思いっきり首を横に振り、慌てて言った。

(い……言い過ぎだった)

(分かればいいの)

 猫は再び愉快そうに鳴き声を上げる。バルダーは舌打ちを一つした。

(……それで)

 この猫にいつまでも言われっぱなし負けっぱなしでいるのは非常に不愉快だ。すぐに話題を切り替えることにする。

(何か調べた結果、見つかったのか?)

 猫としてやってきて、撫でられてバルダーを引っ掻いて血を舐めたんじゃあ人の姿の時とあまり変わりないではないか。

 まさか手ぶらという訳じゃあるまい。そんな感じの問いに猫はにゃぁと声をあげ、尻尾をピンと立ててから振り向いた。

(もちろんよ。こっち)

 猫はカサカサと音を立てながら茂みを突っ切り、奥にある林に向かっていく。

 確かに木の向こうに何かが見えた気がして、バルダーは急いで猫の後を追った。

「おい。どうした?」

 当然、見回りルートから逸れて行こうとするバルダーを見て、アーロンが声を掛ける。

「何かが見えた気がするんだ」

 バルダーは一言そう返し、猫の後を追う。

「何かって何だよ?」

「不自然な何かだ」

「不自然な何かって何だよ?」

 とは言いつつも、アーロンもバルダーの後を追ってきた。


 大の男が二匹、猫一匹にいざなわれ林の奥へと向かっていく。

 草が深くなり、辺りも暗くなっていった矢先。


 猫が足元でなぁんと再び鳴いた。

「……おいおい」

 冗談じゃねぇよ。アーロンが呟く。バルダーは猫の近くにあった"それ"を見て、ため息を一つ吐いた。


 黒猫のすぐそば。そこにあったのは、イノシシの死体だった。

「こりゃまた例の吸血鬼の犠牲者だぜ?」

 アーロンの言葉にバルダーは頷きを返した。確かに大きな傷はあるが、血だまりは一切ない。全身の血を抜かれたようだ。間違いない。

 バルダーが真剣な表情になったのを見て、猫は再び鳴いた。

(ね? この通り死体見っけたわよ?)

(……お前が殺したんじゃないよな?)

(まさか)

 スティレッタはイノシシの死体に近寄ると、ツンと"ある場所"を鼻でつついた。

(こんな大きな噛み跡はつけられないわよ)

(……噛み跡?)

 バルダーはその言葉にしゃがんでイノシシに近寄り、傷口を改めて見た。


 ……確かに。何か大きな顎を持つ生き物が付けたような噛み跡がある。

「歯型を見た限りだと……狼か野良犬、って感じだな」

 バルダーにつられて傷口を見たアーロンがそう言った。

「よく分かるな」

「まあな。歯型でなんとなく分かる。……ぼかぁ専門家じゃあないがな。犬は犬歯と……ユマ族とかで言う臼歯が肉を切り裂くために発達してんだ」

「……犬以外の動物でもそうなってるんじゃあないのか?」

 バルダーの質問に、アーロンは歯を見せて笑ったまま首を横に傾げた。

「そうだな……犬はネコ目に属するし、ネコ目の一部は犬と同じように裂肉歯って鋭い奥歯を持ってるからな」


 ――ネコ。


 バルダーは思わずスティレッタと目を合わせた。

 しかしスティレッタはその赤い瞳でこっちをじっと見て、首を傾げるだけ。

「ああ、そんなちっちゃい猫じゃあ無理だろ。顎の大きさが全然違う」

 この男は確かに面倒くさがりだが、その観察力は折り紙付きだ。それはバルダーも認めている。

 つまり今回の犯行の形跡からも、スティレッタがこの一連の吸血鬼騒ぎの犯人でないことは証明された訳だ。


 猫は嬉しそうに鳴き声を上げてから、バルダーにふふりと人の笑い声を投げかけた。

(誰かさんと違って物わかりのいい人ね)

(……うるさい)


 この女が容疑者として浮かべば、スティレッタは少々はおとなしくなるだろう。バルダーはそう思っていただけに、アーロンの見解に眉根を寄せるしかなかった。

「まあ、だから。考えられるのは犬か狼……あるいはルプス族だな」

 ルプス族。アーロンのその言葉にバルダーは嫌そうにため息を吐いた。

「……そりゃ。お前の嫌いな『面倒くさいこと』になりかねんぞ?」


 ルプス族とは頭がイヌの形をした人種の一つだ。尾が生えている者もいる。

 上下関係や秩序を好むものも多いので兵士としても優秀な人材が多い。現にバルダー達の同僚にもルプス族はいる。


 しかし人種というのは厄介なものだ。


 ――基本的にもっとも優遇されている人種というのは、ユマ族である。

 一応連邦内では人種差別撤廃はうたわれている。しかしそれでも人種間の"溝"を感じることはある。

 そんな中で『ルプス族が犯人だ』という情報が流れでもしたら。

 ……事態はややこしいことになるのは明らかだ。


 バルダーの指摘にアーロンは笑みを崩さなかった。

「まあな。ややこしいっちゃややこしいし、面倒なことになるかもしれねーが。しかし事件が複雑になる方が面倒だろ」

「そうだろうが……」

「第一、これは僕等だけが知りうる情報だ。それでいい。噂にしなきゃいいのさ」

 アーロンのその提案に、バルダーは首を縦に振った。

 彼にしてはずいぶんと前向きでいいアイデアだ。そうも思った。


 ――取り敢えずこの死体をどうにかする必要はあるだろうから、同僚たちを呼ぶ。

 アーロンはそう言って、バルダーにここを見張るよう頼んでその場を離れた。


「…………」

 バルダーは小さく息を吐く。


 取り敢えず、この猫が吸血鬼であるとはアーロンには思われなかったようだ。そう考えていいだろう。


 黒猫は足元でにゃーんと鳴いた後、バルダーの背中へと飛び、彼の背中をよじ登って肩へと乗った。

 ずしり、と確かに感じる重量。そして温かさ。小さい猫だからとあんまり意識していなかったが、こうやって乗られると意外と重いなと感じる。

 なんで俺の肩の上に。

 ……いや、それ以上に。

「……重い」

 ぼそりとバルダーが普通に声で呟くと、猫は頭の横で再び鳴いた。

(あら。『重い』なんてレディに対して失礼じゃないかしら?)

「猫だから確かに軽いっちゃ軽いが、肩に乗せるには重いんだよ」

(それぐらい鍛えなさいよ。傭兵なんでしょ?)

 口の減らん奴。

 バルダーの不愉快な感情などつゆ知らず。猫はピンク色の舌で自分の口の周りをぺろりと舐めていた。


 彼は猫に聞こえるように舌打ちをして、猫から顔を背けた。

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