災難
朝である。
小鳥はさえずり、空は青く晴れ渡り、冷たくも澄んだ空気が風となって吹き去っていく。
木々の緑は朝日に反射していっそう輝きを増し、すがすがしい一日の始まりを告げる。
ここはティルア連邦共和国東部エクサ州の田舎町、オースト。自然が溢れ、のどかな雰囲気漂う場所だ。
そんな自然の溢れる町で迎える朝、さわやかな朝。
……なんて。そんなはずがなかった。
そんな晴れ晴れとした空の下、これまたその空気とは180度逆の埃をかぶったような雰囲気を醸し出す一人の男の姿があった。
無精ひげ。無精で伸ばしたと分かる紫がかった黒の髪。浅黒い肌。黒づくめの服。その上から黒いロングコートを羽織った長身の男。
更に金色の鋭い目をぎろりと動かして辺りを探る様は、そのさわやかな空気を殺伐とさせるには十分すぎる。
そんな似つかわしくない空気を漂わせている人物こそ、バルダー・ブラックモアであった。
軍での職を追われた現在、バルダーは元部下のツテで傭兵をやっている。
世界でも屈指の先進国であるティルアでも傭兵の需要はある。
国内に存在するヒューマノイドと呼ばれる人に近い人外の存在―具体的に言うとユマ族という極めてヒトに近い種族以外の人型の種族のことだが―や、クリーチャーと呼ばれる凶暴な生物が起こす事件の解決が代表的だ。
各州ごとに独立した自治を行っているティルアでは原則として予算も税収もほぼ独立している。つまり基本的には自分たちで税を取り立て、その集めた税金の範囲内で予算を組む必要があるのだ。
警察の財布も各自治体ごとが握っているわけで、場合によってはごっそりと予算が削られることもある。
その際に『節約』として駆り出されるのが彼等、傭兵だ。
警察官を雇って育てるよりコストも手間もかからない上、純粋な戦闘能力だけなら傭兵の方が優秀であることもあって、傭兵はこの国でも必要とされている訳だ。
でもって。バルダーは同僚のアーロンと共にこのオーストという田舎町で見回りの仕事をしているのである。
アーロンは小柄で呑気な、オッソ族の男だ。年齢はバルダーと同じぐらいで大体30前後だろう。
オッソ族の特徴は四肢に顕著に出ている。個人差はあれど、腕や手、脚が骸骨になっているのだ。
片足だけ、片腕だけ、手首から先だけ骸骨になっている者もいれば、四肢全部、更には手足の付け根まで骸骨と化している者もいる。
一般的な"ヒト"の姿であるユマ族からしてみれば驚きでしかない。現にユマ族であるバルダーはアーロンに最初出会ったとき少しぎょっとした。
しかしオッソ族にしてみれば彼等はその骨の色で自身の容姿の美しさをアピールしたりと、肌や瞳、髪と同じく自らの骨を自然な身体の一部としてみなしているようだ。
アーロンは膝、および肘から先が骨と化している。
身長は160cmにも満たないが、白磁のような青みがかった白い骨の四肢が彼の自慢だ。(アーロン曰く、白磁色か象牙色か真っ黒な骨のオッソ族はモテるのだそうだ)
アーロンは長いこと傭兵を生業としているようだが、彼は呑気であると同時にかなりの面倒くさがりである。
もっともバルダーも自棄になり飲んだくれになった身なのでアーロンのその性格についてあまりとやかく言える立場ではないのだが。
「いい天気だ」
「…………」
「鳥は鳴き、空は青く、木々の緑が美しい。……見回りじゃなかったら寝っ転がって昼寝したいぐらいだ」
はははと冗談めかして一人呟くアーロンに、バルダーは返事をする余裕はなかった。
当然だ。頭はふらふらするし、何だか息苦しいのだ。なぜこうなったかについて、彼は心当たりがあった。
「……どうした?」
しかし事情を知らぬアーロンに仰ぎ見られ、バルダーはぎょっとする。顔色が悪くて流石にばれてしまったのか。
「あ、いや。特にどうってことはない」
「そうか? 具合が悪いならドクに見てもらえよ。見回りぐらいなら僕一人でもできるぜ?」
――幸い、何か出てきそうな気配もないしな。
アーロンはそう付け加えたが、しかしバルダーは首を横に振った。医者に診てもらう方がまずい。そう判断したからだ。
「大丈夫だ。……多分酒の飲み過ぎだ」
そうごまかすことにする。バルダーの言葉にアーロンもそれ以上疑問を抱かなかったらしい。
アーロンはシニカルな笑みをにんまりと口に浮かべ、バルダーの腹を肘で突っついた。
「おいおい。酒ばっか飲んでるのもいい加減にしろよ。身体が今はついていってるかもしれんが、内臓悪くするぜ?」
その口調は『心配している』というよりもからかい口調だった。どうやらごまかしきれたらしいと安堵し、バルダーはため息をついた。
ここまでして彼が身体の不調をごまかす理由は、昨晩の出来事にさかのぼる。
酒に泥酔し夜風に当たりに行ったバルダーの記憶は、崖から転落して頭を強打した瞬間で一度途切れている。
もうろうとする意識。ぼんやりと黒い海の中を漂うような感覚の中、感じたのは柔らかい体温と何かの甘い香り、そして口の中に広がる鉄錆の味だった。
気が付けば、彼はベッドの上に横たわっていた。
「ぅ、あ……」
うめき声一つ。バルダーは首だけを動かして辺りを見回す。どこかは分からない。見覚えのない場所だ。
果たして何故自分はここに。そう思っている所に、女の指が彼の唇に触れた。
「あんまり動いちゃダメ。今はゆっくり休んで」
女の声。バルダーはそれに素直に頷くと、ゆっくりと目を閉じた。
真っ暗な意識の中。目を閉じてふと、彼はとある疑問に気が付いた。
――はて、さっきの女は誰なのだろう。
全く記憶にない女の声だ。その事実に気が付いた彼は、衝撃のあまり飛び起きて辺りを見回した。
見覚えのない場所、見覚えのない部屋。バルダーはそこに、一糸まとわぬ姿で毛布だけを掛けられていたのだ。
これは一体どういうことだ。自分の記憶が正しければ、こんな場所に横たわっているのもおかしいし、裸になっているのは尚更おかしい。
呆気に取られるバルダー。そんな彼に声を掛けたのは、
「あら、起きちゃったの?」
先ほど聞こえた声の主だった。
そこにいたのは、一人の女だった。
まるで上等なルビーのように真っ赤な瞳。黒檀の如く真っ黒でウェーブの掛かったロングヘア。透き通るように白い肌。よっぽどグラマラスな身体に自信があるのか、露出の多い赤い服に身を包んだ女だ。
間違いなく美人の部類に入る容貌の持ち主だ。
女はベッドに腰かけると、バルダーにくすりと笑いかけた。
「おはよう。って言ってもまだ夜だけど、ご気分は如何かしら?」
「…………」
女の問いにバルダーは黙ったままだった。
何故なら自分の体調を心配する以前に、聞きたいことが山のようにあったからだ。
バルダーは毛布を引き寄せると、女を半ば睨む形で見据えて口を開いた。
「……その前に聞きたいことがある」
「あら、何かしら?」
「お前は一体誰だ? 何で俺をここに連れてきた?」
バルダーの質問に女はその目をまん丸に見開き、きょとんとした表情でこちらを見ていた。
「あら。そういえば自己紹介したつもりでいたわね。忘れてたわ」
そしてあっけらかんとして一言。
「私はスティレッタ。貴方が気に入ったから助けてあげる代わりに食料にすることにしたの」
今、何か不穏な単語が聞こえた気がする。
確か、しょくりょう、とか。
「は? 食料?」
「そう」
「食料って、食べ物か?」
「そうよ」
ここまで来れば大体言葉の意図が分かったも同然だが、それでもバルダーは諦めきれず聞くしかなかった。
「な、何を食料にするんだ」
バルダー・ブラックモア32歳。確かに荒事や戦いには慣れているが、先ほど頭を打った上完全な丸腰である。抵抗しようにも限界がある。
しかし『自分を食べる』と言った辺りで、こいつはまず間違いなく危ない!
だがバルダーが逃げだすより先、女――スティレッタはその豊満な身体をぎゅっと押し付け、バルダーを抱きしめた。
そしてバルダーが彼女を突き飛ばすより早く。スティレッタはその白い歯をむき出しにして、バルダーの首に牙を突き立てたのだ。
「そんなの、貴方しかいないじゃない」
次の瞬間、バルダーの赤い鮮血が派手に周囲に飛び散った。