転落
人生、破滅するときは一瞬だ。
転落も、失敗も、そして死さえも。
あっと言う間につむじ風の如く巻き込まれて、そして崖から突き落とされるように落ちていく。
落ちた果てで待っているのは腐るような日々。そして分かりきった暗い明日だ。
埃の積もる粗末な部屋の中、僅かにこぼれる光さえもがうっとうしいほどに眩い。
男はその部屋の床に寝そべっていた。ただ息を吸って、吐いての繰り返し。
死ぬ気力さえない。このまま朽ちてくれればいいのに。
埃の充満する部屋の中の自分。そんな思いが頭の中を充満していた。
今までの人生は、いったい何だったのだろう。
仰向けになって天井を呆然と眺めつつ、男――バルダー・ブラックモアは今までのことを思い出していた。
彼は呆れるほどに生真面目な男だった。
陸軍幹部の息子として育てられたバルダーは用意されたレールの上を走ることだけで精一杯だった。
自分の生きる道はそこにしかないと思っていたから、懸命になって軍人を目指した。
いくつもの疑問も抱いた。矛盾も感じた。問題にもぶつかった。
しかし胸にもやもやと残る煙のような何かさえも一気に飲み込んで、彼は出世への道を進んだ。
邪魔な奴は蹴散らした。戦場であれ、かつての同僚であれ。
それが軍のためであり、自分のためであり、何より国のためであった。
自分を侮った上官は陰謀に嵌めて追放した。自分を憎んだ同僚は実力差を見せつけて蹴散らした。自分の命令を聞かない部下は最悪の場合見殺しにした。
敵には一切容赦はなかった。味方を守るため、少しでも守るべき命を増やすためだった。
――なのに。
自分が嵌められるとは。
堕ちたのは、一瞬だった。
泥と血に塗れながらも力を揮った日々は、どこか輝かしかった。
しかしそれさえ今は手の届かない思い出でしかない。
残されたものは、自分の身一つだった。
何とか元部下の好意で拾ってもらって仕事にはありついたものの――しかし、今の自分の身にあるのは空虚だけだ。
もう一度だけ、深く息を吐く。
既に日は傾き始めていて、部屋の中は暗かった。
彼は身体をゆっくりと起こし、酒瓶の転がる部屋の中を歩き始めた。酒瓶がつま先に当たり、ごろごろと転がっていくが気にしない。
頭が、ひどく痛いのだ。酒の飲み過ぎで世界がぐらぐらと揺れている気がする。
夜風に当たろうと思い外に出たものの、暗い上に風は一切吹いていない。
舌打ち一つ。風の吹いている場所を探し、彼は夜の闇の中をさまよった。
ふらり、ふらりと動くその足取りはおぼつかなく、どう見ても危険だ。
彼が森の傍を通ったとき、何かがガサリと音を立てた気がした。ふと一瞬足を止めたものの、彼は気にしないことにして再び歩き出す。
何があろうと、もう気にする必要もない。自分は生きる屍だ。
いっそ、ここで死ねるのであれば。
音、気配。そう言ったものが次第に大きくなって来るが、彼は気にしなかった。
丁度、崖が見えた。
風がごうと吹き、木々が揺れた。
人生、破滅するときは一瞬だ。
転落も、失敗も、そして死さえも。
あっと言う間につむじ風の如く巻き込まれて、そして崖から突き落とされるように落ちていく。
次の瞬間、彼の身体は重力に従って堕ちた。
誰が彼の身を落としたのか、そんなことなどどうでもよかった。
ただ一つ確かなのは。草を巻き込み、土埃を上げて転がって、そして。
岩に頭を強打し、そこで彼の物語は終わるはずだったことだ。